動物の夢
夢を見ていました。楽しい夢です。
ぼくは、『森』という場所の中で、自由に走り回っていました。リスさんから聞いた『森』という場所には、『木』があって、『木』には『葉っぱ』がついているんだそうです。地面は『土』がたくさん敷いてあって、いい香りがするんだそうです。
ぼくは、『森』の中で、みんなと遊んでいました。
【虹を見つけた】
コンクリート造りの檻の中から見えるのは、みんなが入っている檻です。向かいがリスさんとアライグマさん。そのとなりにクマさんがいます。
ここは動物園といって、人間たちがぼくたちのような動物を見に来る場所なのだそうです。それは、リスさんから教えてもらったことです。朝早くに、ぼくたちの世話をする人間がきて、檻の掃除をしていきます。それから、食べるものを運んできます。その後は何もすることがありません。リスさんたちと話をするくらいです。
景色も変わることはありません。ただ、夜になったり、朝になったりするだけです。
ところが、今日は空になにか色がついていました。
ぼくは、リスさんに尋ねました。
「あれはなあに?」
「あれは虹だよ」
「虹っていうのか」
あの色にもちゃんと名前がついているんだと思うと、なんだか少し嬉しい気持ちになってきました。
「きれいだね」
「とてもきれいだ。空に色の橋がかかっているみたいだ」
「光のカーテンみたいだ」
みんなは口々に言いました
「どんなものなんだろう。あの虹は、そばまで行けばどんなふうに見えるんだろう」
ぼくはふと思いついたことを言ってみました。
「誰も、虹のそばまで行ったことはないよ」
リスさんが言いました。
「考えるだけ無駄だろう。俺たちはどうせ、ここで死ぬんだからな」
アライグマさんが言いました。
「そんなことないよ。きっと自由になれる日が来るよ」
リスさんが言いました。
「いつかあの虹のそばまでいってみたいね」
クマさんが言いました。ぼくも、同じ気持ちでいました。
空には虹がかかることを知ってから、ぼくは毎日空を眺めて、虹を探しています。虹が出るとみんな喜ぶからです。
でも、虹はなかなか空にかかりません。
「今日は、虹は出ないのか」
ある日の夕方、ぼくは言いました。
「雨が降らないと虹は出ないよ」
リスさんが、ぼくに教えてくれました。
「そうか、そういうもんなのか」
虹が出ないとおもしろくありません。それでもぼくは、夜になるまで虹を探していました。今日は、虹は出ないようでした。暗いと虹も見えないので、夜はリスさんと話をします。
「リスさん、君はどうやってここに来たんだい」
「眠らされて、気がついたら檻の中にいたよ。君は?」
「ぼくはここで生まれたんだ」
ぼくは、自分の姿を見たことがないのですが、キツネという種類の動物だそうです。
「リスさん、昔いた、森の話をしてよ」
ぼくは、リスさんにお願いしました。
「森は、こことは違う、色んな音であふれているんだ。いろんな良い匂いもする。木の匂いや土の匂い、季節の風にも匂いがついているよ」
「ぼくには、想像もできないな」
「私がいつか、連れて行ってあげるよ」
「ありがとう。いつか、一緒に森に行こうよ。絶対約束だよ」
【虹の中の物語】
「虹の光の中には、こことはぜんぜん違う世界が広がっているんだ。そこでは、みんな争いも苦労もなく、平和な毎日が待っているんだ」
クマさんは、想像を広げるのが大好き。だから、虹の中にある世界のことを教えてくれます。
「みんな自由で、檻の中に入れられる動物なんかいない?」
ぼくが聞きます。
「そうだよ。みんな自由で幸せなんだ」
クマさんは、まるで虹の中を見てきたみたいに虹の中の話をしてくれます。
「あの虹の中には、太い根っこの木があるんだ。悪さをすると捕まっちゃう。だから、悪い生き物は暮らすことができない」
ぼくも、クマさんみたいに虹の中のことを想像します。虹の中の世界を想像することが、だんだん好きになってきました。
「なんでもお願いごとが叶う池があるんだ。名前はそう……、どんぐり池だ。その池のお水はきれいでおいしい。みんながお水を飲むために集まるんだ」
「私も飲んでいいかな?」
リスさんが言いました。
「もちろんだとも。好きなだけ、飲んでいいんだからね」
「俺もいいか? 俺みたいな嫌われものでも、その池に行っていいか?」
アライグマさんが言いました。
「いいんだよ。どんな生き物でも、自由に行っていいんだ。ぼくはアライグマさんのこと好きだよ」
【動物園の終わり】
ぼくたちの世話をしにくる人間はいつも同じです。人間の言葉は分からないけれど、優しい言葉をかけてくれるし、大事にしてくれます。けれど、今日はその人間と一緒に、見慣れない人間がぼくたちの檻にやってきました。
人間は、リスさんの檻の前で何か言っています。
〈この動物園は来月で終わりだ。客が減って運営資金も無い。もう借金が返せない。この土地も売ることにしたよ。こいつらを処分するには金がかかる〉
一体何を言っているのでしょうか。いつも世話しにくる人間が何か言いました。
〈では、どうするんで?〉
〈決まってるじゃないか。殺すんだよ〉
人間たちは、何を話しているのでしょうか。たぶん、ぼくたちの話をしていると思います。
〈心配ない。銃もガスも使わない。君らも、自分の面倒みてきた動物を手にかけるのは心が痛むだろう。……毒の入った餌で殺すんだ。小動物はまとめて山に埋めろ〉
〈そんなこと、できるわけがない! それが人間のやることですか? 他の方法を考えてください〉
〈時間がないんだよ。いいから黙ってやればいいんだ! 君、自分の立場を分かってるのか? 次の働き口を紹介してやったのはこの私なんだぞ。そうでなければこの不景気にお前のような年寄り、誰が雇うものか。これから内定を取り消してもいいんだぞ〉
見慣れないほうの人間は、去って行きました。そのあとも、ぼくたちを世話している人間の方は、ぼくたちをずっと見ていました。
夜中に、ぼくたちを世話している人間が、ぼくの檻にやってきました。
檻の前に立って、なんだか悲しそうな目でぼくを見つめています。
〈ゴンタ、お前だけは逃げろ。俺たちの身勝手を許してほしい〉
人間が檻を開けました。どういうことなのでしょうか。ぼくは、しばらくその場を動きませんでした。
〈はやく行くんだ。もう戻って来るなよ〉
外に出てもいい、ということなのでしょうか。ぼくは、檻の外にでました。自分が入っていた檻を見つめてから、走って外へ行きました。
外は、見たことのない世界でした。ぼくは外の世界にあるという『森』へ行こうと思いました。『森』がどこにあるかわかりません。だから、足の向くままに走りました。
【逃げてからの生活】
リスさんの言っていた森とは違いました。食べ物は少なくて、寒さに凍えることもありました。ぼくは森で生まれたわけではないから、食べ物の探し方もよくわかりません。生きていくのが大変です。
ただ、風の匂いや、木の匂いや土の匂いがするというのは本当でした。リスさんに、『本当にいい匂いがするよ。早くここへおいで』と、心の中で言っています。
リスさんやクマさんや、アライグマさんのことを考えています。どうしているかと思うと、いてもたってもいられません。まだ、檻の中にいるのでしょうか。それとも、ぼくと同じように自由になったのでしょうか。また一緒に虹の物語を話したいのです。みんなと話をしたいのです。
今日、虹を見ました。人間たちの住む家が並ぶその向こうの、遠い森の上にです。
ぼくはみんなに話しました。
『リスさん、虹が見えたよ。やっぱりきれいだね』
『クマさん、また虹の物語を教えてよ』
『アライグマさん、一緒にどんぐり池に行こうよ』
ぼくは、いっしょうけんめいに心の中でみんなに語りかけています。
こうして、ぼくは一人ぼっちで生きていくのでしょうか。
【老いてから】
ぼくも、ずいぶん年老いてしまいました。
目の前のものが、よく見えません。
鼻もきかなくなってきました。
ぼくの老いた目では、もう遠くの空にかかる虹は見えません。
もうすぐ、寿命が来るのが分かります。もうすぐ、ぼくは死にます。
寒い季節になりました。ぼくは、木の葉の上で横になっています。もう、立ち上がる力がありません。
ただ、みんなのことを考えています。
檻の中でみんなが話してくれたことを、考えています。
みんなはどこへ行ったのでしょうか。どこかで幸せに生きているでしょうか。
みんなに、会いたい……。
木についた葉っぱが、寒そうにかさかさと揺れて音を立てています。
【再会】
ここは、どこ。
森の向こうに、大きな虹がかかっています。
変な虹です。いつもの虹は、地面に向かって生えているみたいだったけど、あの虹は空に向かって生えているみたいです。
ぼくは眠っているのでしょうか。ここは、夢の中なんでしょうか。
ぼくは、起きて自分の足で立っていました。視界も、ぼんやりとはしていません。
ぼくが暮らしていた森とは違うようです。もう寒い季節ではないようです。ぼくは、あたりを見回しました。
驚きました。ぼくが大好きな、みんながいたのです。
リスさんがいます。クマさんがいます。アライグマさんがいます。
みんな並んで、ぼくを見ていました。檻の中になんか入っていません。きっと、自由になれたのでしょう。
「なんだ、みんなここにいたんだね」
ぼくが言うと、リスさんが言いました。
「君が来るの、ずっと待ってたよ」
クマさんも言いました。
「もう大丈夫。ずっと一緒だからね」
アライグマさんも言いました。
「俺たちはずっと一緒だ」
ぼくは、走ってみんなのところへ行きました。大きなクマさんに、小さなリスさん。アライグマさんはぼくより少し小さめです。みんな、姿も大きさも違うけれど大の仲良しです。ぼくは、またみんなが同じ場所に集まれたことが嬉しくなりました。
「でも、君たちはいつ、あの檻を出たの? やっぱり、あの人間が出してくれたの?」
みんな、答えてくれませんでした。待っていると、ようやくリスさんが答えてくれました。
「私たちは、檻の外に出ることはなかったの」
「じゃあ、どうしてここにいるの?」
ぼくは聞きました。
「私たち、死んじゃったの。だから、ここは天国なの」
リスさんが言いました。それでようやく分かりました。
「ああ……そうか……。」
ぜんぶ、納得がいきました。
でも、ぼくはそれでいいんだと思います。だって、また会えたのですから……。
ぼくはもう、それで満足です。
【こころの虹】
「起きて。起きてよ」
声が聞こえました。目を覚ますと、リスさんや、クマさんやアライグマさんがいました。
「朝早くに、どんぐり池に行こうって行ったの、キツネさんでしょ」
リスさんが言いました。
「どんぐり池ってなに?」
「なにを寝ぼけているの。しっかりしなきゃ」
なんだか、体の感じが違います。体にしっかりと重さを感じました。
「ぼくは生きてるの?」
みんなに聞きました。
「ちゃんと生きてるよ」
クマさんが言いました。
「そうか……てっきりぼくは……」
「何か、変な夢でも見たのかな?」
クマさんが言いました。ぼくは、夢の話をみんなに聞かせました。
「そう……。君は逆さまの虹が見せる夢を見たんだね。この森に逆さまの虹がかかると、ちぐはぐな夢を見る。そんな夢を見て、怖かっただろう」
クマさんは、ぼくを心配してくれました。
「長い夢だったよ。夢で、本当によかった」
夢のせいで、自分を忘れていましたが、ようやく思い出せました。ぼくは、この森で生まれて、ずっとみんなと暮らしています。でも、たまにみんなのことが鬱陶しくなったり、喧嘩をしたりしてしまいます。みんながいることが当たり前になってしまって、こんな大事なことを忘れていました。
大事なものは、失くしてから分かります。ぼくはそのことを知りました。
「ぼくは、今わかったよ。みんなと一緒にいられるってことは幸せなんだね」