第四話
一
猛とグランバルドの体が光り輝いた。
「これが……契約」
いつの間にか右手の甲とグランバルドの額に紋章が浮かび上がっていた。それだけじゃ
ない。全身に力がみなぎってくる!
「よっしゃぁ!」
今なら何が相手でも負ける気がしない!
「行くぜっ! グランバルドっ!」
「ふんっ! 俺に命令するなっ!」
輝を一人残して猛とグランバルドは黒ムカデを目指して走る!
――足の遅いグランバルドを抱き抱えても文句は言われなかった。
「うおぉおおおっ!」
「おおおおっ!」
戦い方は――力の使い方は何となく解った。イメージが頭の中にぱぁっと浮かんでくる
のだ。
「いっけぇっ!」
黒ムカデまであと数メートルの距離で猛が吠える。
すると猛が纏っている黄色い光が、まるで花火のように打ち上がり弾けて地面へと降り
注いだ。
ゴゴゴゴゴ!
光の雨が落ちた大地がゆっくりと揺れ動く。
「ギギ!?」
それまでカールーラとの力比べに夢中になっていた黒ムカデがようやく猛たちの存在に
気が付いた。
「ギギギ!」
こちらを視認した途端、殺気をこちらへと放ってくる。
「くっ!」
初めて身に浴びた殺意に怯みそうになるが――。
「ふんっ!」
抱き抱えたグランバルドに格好悪い姿を見せたくないと強がって耐える。
「行くぜっ! グランバルドっ!」
「だから俺に命令するなっ!」
二人を包む黄色の光はますます強くなり――。
ゴゴゴゴゴゴゴッ!!!
大地の揺れも激しくなる!
「うおおおおおおおおっ!!!」
「おおおおおっ!」
二人の声に呼応するかのように大地も縦に大きく揺れ動く!
ビキッ! ガキンッ!
大地が割れる!
大小様々な岩石が割れた大地から隆起し――宙へと浮かび上がる。
「いっけぇええ!」
岩石が――カールーラを締め上げる黒ムカデへ向かって飛んで行く!
「ギギギッ!?」
危険を察知した黒ムカデが逃げだそうと締め付けを緩めた。だがその隙にカールーラが
反撃に出た。二本の太い腕で黒ムカデを掴み、その体を岩石へとぶつけたのだ。
「ナイスっ!」
猛が親指を立てる。
「うわぁああっ!?」
下にいた監督たちが悲鳴を上げた。このままでは落下する岩石の下敷きになるが――!
「大丈夫!」
猛とグランバルドに操られた岩石は宙に浮いたままだ。
「監督! ここはオレたちが何とかする! だから逃げてくれ!」
「坊主…………」
監督と目で会話する。ここは大丈夫だからと。
力強い眼差しを受け止めてくれて――監督は頷いた。
「よおしっ! お前ら! ここから離れろっ! 後は勇者様たちが何とかしてくれるって
よ!」
「おーっ!」
監督の指示でここから離れる作業員たち。
「任せたぞ! 二人とも!」
去り際にすれ違った監督からポンと肩を叩かれて応援される。
「おうっ!」
「任せろ!」
カールーラも避難し終えた所で黒ムカデと対面する。相手は脳しんとうでも起こしてい
るのか、頭をフラフラ振り子のように揺らしていた。
もちろん。復活するまで暢気に待ってやる義理など無いので。
「くらいやがれっ!」
猛が右腕を上げて――下へと下げる。その動きにリンクして宙を漂う岩石が黒ムカデめ
がけて降り注いだ。
「ギギギッ!?」
まずは身体を岩石で押しつぶす。そして最後――身動きできなくなった所で頭部を一番
大きな岩石で押しつぶした。
「ギッ――」
黒ムカデは悲鳴も満足に上げることなく息絶え――。
「やった…………」
猛の顔に安堵の表情が浮かび――あがるがすぐに固まった。
「なっにぃ!?」
倒したはずの黒ムカデの脚がモゾモゾと動き出したのだ。
脚が動き――それからムカデを構成する身体の節が切り離されて…………。いや、分離
したのだ。
一節ごとにギョロリと一個の目玉が開き――その一節一節がそれぞれ独立して活動しだ
したのだ。
「キモッ!?」
生理的に受け付けないこの分離魔物はバランスの悪い二本脚を使い器用にこちらへと迫
り来る。
「来るんじゃねぇよっ!」
猛たちの光が強くなる。
ガッ! ガガッ! ガンッ!
勢いよく地面から鋭く尖った岩が迫り出した。
「ギッ!?」
その岩に貫かれて残っていた魔物たちは全て跡形もなく消滅した。
・ ・ ・ ・
「…………ふぅ」
黄色い光が消えると、猛はその場に座り込んだ。
「つ…………疲れたぁ…………」
今まで経験したことのないような疲労感が全身を包み込んでいる。
正直。立つ事はおろか、指先をちょんと動かすのもメンドクサい気持ちだ。
「ふっ」
「……ふぅ」
猛とグランバルドはニヤリと顔を見合わせて拳と拳をぶつけた。
「おーい! 大丈夫かーっ!」
監督たちが駆け寄ってくる。心配そうな、でも笑顔を含んだ表情だ。
「やったなっ!」
「うわっ!?」
監督が猛の短い髪をクシャクシャと掻き乱す。
「さっすが勇者だな!」
「ははっ! でしょ!」
「何でお前が威張るんだよっ! 俺の力のお陰じゃないかっ!」
グランバルドが文句を言ってくるが、猛は笑って頷いた。
「そうだな。お前のお陰だな。お前が力を貸してくれたおかげであの魔物を倒せたんだ。
サンキューな」
「…………何だよ。急に。気持ち悪いな……。…………何か企んでるのか?」
「まさか。素直な気持ちを言っただけだ。お前のお陰だってな。だからありがとうな」
「………………」
褒められたグランバルドが照れて首を引っ込める。
「ふっ!」
それを見て猛はニィッと笑う。それから自分たちを取り囲む大人たちを見上げて――。
「…………監督たちは大丈夫ですか? 怪我とかはありませんか?」
「怪我?」
皆お互いの顔を見てニィッと笑い――。
「大丈ー夫!」
それぞれポーズを決めた。
「俺らも伊達に鍛えてねぇからなっ!」
がっはっはっと大笑いする。
「まぁ、何はともあれ皆無事でよかった、よかった」
「……そうですね。よかったです」
猛が立ち上がろうとする――が?
「あれ……?」
足が立たない?
「っわ…………。全身が痛い!」
他の二人と同じく自分も筋肉痛になってしまったようだ。
「いや! これくらい大丈夫だ!」
気合いを入れる。周りの大人に支えられながらゆっくりと立ち上がる。立ち上がり――
生まれたての子鹿のように足をプルプルさせる。
「な、んのこれしきっ!」
「おいおい。無理すんなよなっ」
「だ、い、丈夫です!」
体を鍛えてるんだと言う自信とプライドで痛みに耐える。
「ふっ! どうだ!」
他の二人は気絶したようだが、自分は違うぞと胸を張った。
「おいおい。兄ちゃんすっげぇな」
「………………本当に大丈夫か?」
「だ、い、じょ、うぶです。でも…………」
「でも?」
「すみません。ちょっと…………仕事手伝えそうにないです」
そう言うと、わっと笑いが巻き起こった。
「おいおい。何言ってんだ!? こんな状況で仕事なんて出来るはずもねぇだろうが!
今日はもう終いだ終い。これから町へ戻るぞ!
そんでもって帰ってパァっと一杯やるぞっ!」
「はは…………それは…………楽し、そうですね」
監督に支えられて竜車の方へゆっくり歩き出す。
「…………自分で歩くか?」
他人に抱き抱えられるのが嫌いなグランバルドへ訪ねると、彼は頷かなかった。
「…………今は……いいや」
「どうした? …………ひょっとして付かれたのか?」
「ふん!」
ニヤニヤ笑ってやると、ふてくされたようにそっぽを向かれた。
「たったこれだけの事で喜んじゃってさ。…………恥ずかしい」
「これだけって…………魔物を倒したんだぞ。凄い事じゃないか!」
「たった一匹だけだろ!」
「一匹…………うーん……。一匹ね」
あの黒ムカデは最後で分裂したから、一匹と勘定してもいいのかどうか…………?
だが倒した事には違いない。
「どっちにしろ素直に喜べよ。オレとお前。二人の力を合わせたお陰で倒せたんだからよ」
「…………ふん」
プイと顔を背けるグランバルドだが、彼の尻尾はまるで犬のように嬉しそうに振ってい
た。
・ ・ ・ ・
太陽が地平線へと傾きかける頃――。
「おっしっ! 到着したぜっ!」
竜車を操っていた監督がにこっと顔を出した。
「あざーすっ…………」
言葉を絞り出す猛の顔は疲れ切っていた。瞼を何度も閉じては開いてを繰り返し、支え
ていなければ今にも倒れそうだ。
「…………あ、の…………土屋くん。…………えっと……。辛かったら…………眠ってて
もいいんです、よ」
心配していた輝が声を奮わせながらもやっとそう声をかけた…………が。目的地に着い
たタイミングでそう言っても遅すぎたとすぐに反省して落ち込む。
「…………いや。ここで…………気を失うのは…………オレの…………プライドが………
…許さねぇ」
彼の変な意地が力を使った直後の疲労感や消耗を相手に意味の無い奮闘を繰り広げてい
た。
疲れているのだから素直に眠ればいいのにと輝は思う。
「えっと…………輝。だっけか?」
「え? は、はいっ!?」
監督から声をかけられて輝は声を裏返して返事をしてしまう。それが輝は恥ずかしくて
顔を赤くして俯いてしまう。
「ちょっと神殿の奴等を呼んできてくれ。俺はここで猛を見てるから」
「えっ…………僕が…………ですか?」
「当たり前だろ? 俺は神殿の奴等とは殆ど会った事ねぇんだからよ。じゃあ、頼んだぜ!」
「………………は、はい」
俯いた頭をさらに胸の方へと押し込んで、指先でTシャツの裾を指先で丸める。
「ぅぅ…………」
自分にも聞こえるかどうか微妙なほどの小声で呻く。
どうしようと。
自分が人を呼んでくる。それはつまり、知らない人と会話をすると言う事だ。
「ムリムリ!」
見知らぬ人間に自分から話しかけるなんて…………想像しただけで…………緊張で心臓
が破裂してしまう!
「…………どうしよう」
ゆっくりと竜車を降りる。もしも猛が素直に眠っていたら…………その時はどうなって
ただろう?
猛は眠り――その彼を運ぶのは…………体格的に監督さんだろう。なら必然的に人を呼
ぶのはやっぱり自分だと言う事になる。
「…………結局。こうなるのか…………」
簡単に揺らぐ決意を持って、神殿入り口に立つ警備の兵士の前に立つ。
「お帰りなさいませ」
「………………………………………………はい。えっと…………ただいまです」
兵士の人は自分の事を知ってるようだ。それだけでも心に乗っかっている重石が軽くな
った。
とりあえずは挨拶を返して自分の気持ちを落ち着かせる。
「あの…………」
深呼吸を何度も繰り返して――意を決して顔を上げる。
「………………っ!」
無理だ!
兵士の顔を見れない! かろうじて下顎までだ!
「…………どうされました?」
「…………え、あ…………あの…………」
心臓がバクバクと激しく鼓動する。息も浅く、何度も繰り返す。
「え、えええお…………。あ、え、お、の――」
「?」
こんなんじゃ駄目だ!
何も伝えられない!
伝えたいのに…………緊張で指先がジンジンと麻痺してきた。
「どうしの?」
「!?」
聞き覚えのある声に思わず顔を上げる。そこには火野勇汰とエマが立っていた。
「あ…………」
呼吸が落ち着きを取り戻す。
「あの…………火野、くん…………。その…………」
言葉が続けられない。視線を竜車の方へ送るのが精一杯で………………。
「あっちに何かあるの?」
気づいてくれた。
コクンと頷いて、案内するように歩き出す。
「えっと…………あの…………これ…………を……」
「…………ん? 土屋くん? …………どうしたの?」
「おう! 坊主。猛の友達か?」
「えっと…………。はい。そうですが? ええっと?」
事情が解らない彼は困った顔をしている。
「猛がさ。すんげぇ疲れちまってよ。休ませてやりてぇんだ」
「すんごい疲れた?」
「あの…………土屋くん…………。ドラゴン、と…………。契約…………で。その………
…」
「ええっ!? 土屋くんも契約したの!?」
さすがは一番最初に契約しただけある。これだけの情報だけで彼が今、どんな状態なの
かを把握してくれた。
「まぁっ! 今日だけで二人も契約出来るなんて。これも守護竜様のお導きですわ!」
エマが瞳をキラキラ輝かせる。
「エマさん。喜ぶのは後にして! 今は土屋くんを休ませてあげるのが先決だよ!」
「ああっ! そうでした!」
「手を貸すぜ。それでどこに運べばいいんだ?」
監督と勇汰、エマの三人で猛を運ぶ。それを輝は一人距離を置いて見守る事しか出来ず
――そんな自分がどうしようもなく恥ずかしかった。
・ ・ ・ ・
「ふぅ…………」
食堂にやってきた三人はようやく一息付いた。
猛を部屋まで運び、そこで監督から猛の身に起きた事を勇汰とエマに説明してもらった。
魔物に襲われて、猛がグランバルドと契約して、魔法みたいな力を使って魔物を撃退し
た事を。
…………本来ならば自分がしなければならない説明を、監督に任せてしまった。輝は申
し訳なくて、ずっと部屋の隅で気配を消してジッとしてた。
説明を終えた監督は家へと戻り――猛を休ませるために彼を残して自分たちは神殿へと
戻ってきた所だ。
「はぁ…………」
勇汰がわざとらしく大きなため息を吐く。
「どうしたのですか?」
「ん…………ちょっとショックだなって」
勇汰がテーブルに顔や腕を乗せる。
「ショック?」
「そうなんだよ。俺もさ…………。魔物に襲われてさ。それでバルと契約したんだけどさ。
その時に魔法みたいな力が全身に溢れ出したんだよね。
でもさ。その時は訳が分からなくてさ。勢いに任せて普通に体当たりしちゃったんだよ
ね」
「………………それがどうしたのですか?」
「いやさ。土屋くんはさ。初めての力をさ。自在に使ってたって…………。それが悔しく
てさ。
あーあ。俺も記念すべき初バトルを、体当たりで勝利を納めたくなかったな。はぁ……
……。もっと格好良くさ。
せめてファイアーボールくらいの事はやって起きたかったよ」
「ふぁいあーぼーる?」
エマが首を傾げる。
「魔法ですよ。魔法!」
「そんな魔法はこっちの世界にはありませんよ。勇汰さんたちの世界にはそのような魔法
があるのですか?」
「んー。あるっちゃ、あるような…………。ないような…………」
曖昧な返答をする勇汰にエマが混乱する。
(そんなのは無いですけどね)
横で二人のやりとりを眺める輝が心の中でツッコミを入れる。
(って言うか。ゲームの話しをあたかも現実のように説明して…………大丈夫かな?)
「まぁ…………。あるんですけどね。それは選ばれた者にしか使えないんですよ」
「まぁ、そうなのですか」
(うぅ…………。火野くん。適当な説明をして…………。駄目ですよ! エマさんが信じ
ちゃってるよ)
今、考えてる事を口に出してちゃんと訂正出来るのが自分だけなのだが…………。
「………………」
コップの水を口に含んで口を塞ぐ。
(何か………………考えがあるのでしょうか?)
ふとそう思ってしまう。
発言しなくても良い理由をつい探してしまうクセが出た。
それは悪い癖だと思いつつも、直せない。
「…………でもやっぱり凄いよな。土屋くん。普段から体を鍛えてるだけはあるよ」
輝が自己嫌悪に陥っている間に、話しが次へと変わっていた。
「寝る前とかさ。土屋くん。筋トレして寝てるんですよ。
…………あーあ。こんな事になるなら俺も体鍛えといたらよかったなぁ」
「今からでも遅くありませんよ。もしよろしければ騎士団の方にお願いしてみましょう
か?」
エマの提案を受けて勇汰が、げっ、と顔をする。
「…………嫌ですか?」
「うーん…………。騎士団はちょっと…………。剣の使い方とかは…………正直教えてほ
しいんですけど…………」
「何か問題が?」
「問題つーか…………」
火野の視線が遠くを見ている。何を見てるかは解らないが、何となく輝にも同じもの―
―人物が見えていた。
「ヴィクターがな…………。どーも、あいつが嫌で」
「………………………………うん」
ここだと思い、輝も頷いた。
「…………そうですか。…………申し訳ありません」
エマが代わりに頭を下げる。
「だからエマさんが謝らないでよ。悪いのは全部、ヴィクターなんだしさ」
「それは…………そうなのですが…………」
「結局。何でヴィクターはあんなに俺たちの事を嫌ってるんですか?」
「それは…………」
エマは口を閉ざした。言いたくなさそうな彼女の気持ちを汲み取って勇汰は追求しなか
ったようだ。
「…………」
別の情報源から彼の事情を知ってる輝は…………やっぱり言わなかった。
せっかく話しに入れる切っ掛けを持ってるけれど、彼女の辛そうな姿を見ているとそれ
を使うのはいけない気がした。
――結局。この先も輝は二人の会話には入れずにただ、聞くことしか出来なかった。
・ ・ ・ ・
「おかえり」
「……………………た、だいま……で、す」
輝がたどたどしい挨拶を返す相手はベッドの上からこちらを見ていた。
「………………………………え、っと………………。か、らだ、は……だい、丈夫………
…です…………か?」
切れ切れの言葉を何とか吐き出す。すると、ベッドで横になっている友希が目を大きく
丸くしてこっちを見た。
「うん。大丈夫だよ。体が痛いけど、我慢できないほどじゃないしね」
驚きの表情がすぐに笑顔に切り替わる。
「――初めまして」
「!?」
友希のベッドの中からニョロっと出てきた生き物に驚いてビクッと体を奮わせる。
「驚かせてごめんね」
「…………申し訳ありません」
蛇のようなその生き物は落ち着いた口調で丁寧に謝ってきた。なので。
「………………い、いえ。こ、こちらこそ……」
つい輝も反射で返事をしてしまう。
「え……………………と?」
けれど。重度の人見知りのせいでその後の言葉が続かない。聞きたいことがあるのに、
その言葉が頭の中に浮かびもしないのだ。
「………………?」
蛇のような生き物を見て、口をパクパク動かす仕草から、彼はこちらの意図を読みとっ
てくれたようだ。
「そう言えばちゃんとした自己紹介がまだだったね。このドラゴンはアクレインって言う
んだ。えっと…………ボクの相棒…………って言うのかな? ボクが契約したドラゴンな
んだ。よろしくね」
友希は照れくさそうに頬をポリポリ掻いている。
「アクレインと申します。どうか、よろしくお願いします」
アクレインがふわりと宙を泳いでこちらまでやって来た。輝は全身を硬直させる。
「ぅ…………」
「……………………」
アクレインが友希の元へと戻る。
「ひょっとして…………貴方はドラゴンが苦手なのですか?」
「え、あ、いいえ!」
輝が間髪入れずに否定する。
「ちが、います。…………ごめんなさい。そうじゃ、ないんです。僕は…………その……
……人見知りで…………誰かと話すのが…………得意じゃ、ないんです」
心臓をバクバク鳴らし、息を切らしながら自分を紹介する。
これを聞いて彼は自分の事をどう思うのだろうか?
もしかしたら見下されたり、馬鹿にされたりしないだろうか?
そんな不安がどこからともなく現れて、胸をギュッと締め付ける。
「なぁんだ。そうだったんだ」
心配した事はなさそうだ。友希はホッと納得した表情を見せている。
「ずっと話しかけても返事もしてくれなかったからさ。ボクはてっきり嫌われてるのかと
思ってたよ」
「そ、んなことは…………ないです。僕は…………その。人と、話すのが、恥ずかしくて
…………」
「ではドラゴンと話すのはどうでしょうか?」
「そ、それは…………。多分、だ、いじょうぶ、だと、思い、ます」
「だったらさ。そんな所にずっと突っ立ってないで。こっちにおいでよ」
「………………?」
友希に言われて気が付いた。自分は今の今までずっと部屋の入り口で直立不動だったと。
これではドラゴンが苦手だと勘違いされてもしょうがない。
「……………………」
顔を赤らめて自分のベッドへと向かう。サンダルを脱いで足を伸ばした。
「でも良かったよ。ずっと君と話しが出来ないんじゃないかって心配してたんだ」
友希もベッドに腰掛ける。
「実はさ。君が話しかけてくれた時、すっごくびっくりしたんだよね。もうボクたちには
慣れてくれたって事なのかな?」
「えっと………………。その…………。少しだけ、です。今日は…………土屋くんが……
切っ掛けを作ってくれて……そのお陰で」
「土屋くん? へぇー。彼が……。ちょっと意外だな。
あ! そうだ。そう言えば聞いたんだけどさ。彼も今日、ドラゴンと契約したって」
「あ…………はい。しました」
「へぇ……。どんなドラゴンなんだろ? まだ会った事無いんだ」
「え、えっと…………。亀、のような。ドラゴンです」
「亀? へぇー。やっぱり色んな姿のドラゴンがいるんだね。他には?」
「他、ですか? え、っと…………。他は…………」
「性格とか?」
「性格は…………土屋くんみたいな性格です」
「ええっ!? それは…………ちょっと大変そうだな」
何故か友希は疲れた顔をした。
「もっと他にも話しを聞かせてよ」
「あ、はい…………。いいですよ」
本音を言えば。これ以上は人と話すのが一杯一杯で心臓が爆発しそうだった。
話しを切り上げたくても、それすらも伝える事が出来なくて彼との会話に我慢するしか
なかった。
二
「おっはよう!」
「………………あ……はい……。おは、よう、ございます」
廊下ですれ違った勇汰は朝から元気一杯だ。寝起きとは思えないほどテンションが高い。
「ほら。バルも挨拶しろよ!」
バル。勇汰の相棒のドラゴン。グランバルドの事だ。
二人はいつも一緒に行動しており、今も彼の腕に抱かれている。
「ふぁ…………。おはよう」
バルは眠そうにしている。そんなバルの前足を操って手を振って遊ぶ勇汰。
「仲がいいね」
そう声をかけたかった。けれど、やはり。人見知りが邪魔をして言葉が出てこない。
「…………どうしたの?」
勇汰が心配して顔をのぞき込んでくる。
「っ! ………………いえ。別に…………」
顔が近い!
猛もそうだったが、彼もまた人との距離がやたらと近い。
この距離感は輝にとっては未知であり、免疫や耐性などは全く無い。それゆえ、顔を真
っ赤にして照れるしか取れるリアクションが無い。
「…………大丈夫ならいいけど。顔が赤いよ? 風邪引いてない?」
「うん。大丈夫、です。…………本当に。大丈夫です」
「そう。ならいいけどさ。大丈夫なら。朝ご飯食べたらさ。一緒に町に行かない?」
「町、ですか?」
「うん。ほら。土屋くんもさ。ドラゴンと契約したじゃん! となると。残りは風祭くん
だけだからさ。俺たちも一緒に風祭くんが契約するドラゴンを探そうと思ってさ。
…………どうかな?」
「……え? それは…………」
「迷惑? 一人でじっくり探したい?」
「あ、いえ…………。そう言う訳では…………。自分でも…………その……よくわからな
い、ので…………」
「そうだよな。俺もさ。成り行きで契約しちゃったからさ。実はよくわかってないんだよ
な」
彼はバルの手足を操って何故か踊らせる。
「こういうのは縁って言うようにさ。きっと出会うべくして出会うもんだって相場が決ま
ってるだろ?
だから俺が手伝わなくても別に出会うだろうけどさ…………。ただ俺はさ。その瞬間に
立ち会いたいなって思ってさ。だって…………その方が面白そうじゃん」
「…………おも、しろそう?」
「そうそう。運命の出会いを果たす二人。けれど二人はお互いを拒絶しあい、反発しあう。
その時――そこに迫り来る魔物の軍団。ピンチに陥った時、二人はお互いを認め合い、契
約を果たす。
…………ってさ。その瞬間を生で見たいんだよなぁ」
「……………………え、っと」
それは…………昨日、自分がまさに遭遇した展開と似ている気が…………。
猛にでも聞いたのだろうか?
「あ、えっと………………。その…………。土屋くんは、大丈夫、ですか?」
昨日はかなり疲れ切っていた。今日はどうだろうか?
「土屋くん? うーん。大丈夫だと思うよ。さすがに昨日はさ。疲れてるみたいで、筋ト
レしないで寝ちゃったし」
「…………………………筋トレ?」
「そうそう。彼はさ。マイペースって言うか。ストイックと言うか。寝る前は決まって筋
トレをしてから寝てるんだよね」
「そ、うなんですか…………」
「俺もさ。最初はえーって思ったよ。こっちに来てもそんな事するって! でもむしろこ
っちだからこそやった方がいいんだよな。
だってさ。体を鍛えてたから最初っから力をちゃんと使いこなせてたみたいだし。
あーあ。こんな事なら俺も向こうにいた時に、体とか鍛えときゃよかったよ。
そうすりゃなー。大切なデビュー戦の決め技が体当たりにならずにすんだのにさ。あー
あ。まさかの体当たり」
勇汰ががっくりと肩を落とす。
この辺の件は昨日の夕飯時にも散々やった事だ。それを、日を跨いでも引きずっている
とは…………本気で悔しいようだ。
「つーことで、俺も今日から筋トレしようっと。後は魔法の特訓も。けどその前に魔法の
名前とかも考えとかなきゃな…………」
そんな事をぶつぶつ呟きながら歩いていく。その後ろを輝はのんびりついて行く。
「………………」
出だしが遅れてしまったが、ようやく三人の性格が読めてきた。
火野勇汰は誰にでもすぐに話しかけられるタイプのようだ。一緒に居ても疲れない相手。
彼はこっちから話さなくても自分の話したい事を一方的に話すから、聞いてるだけでいい。
水島友希。彼はちょっと苦手なタイプだ。優しい人だけど、積極的に話しかけてきて、
こっちが言葉に詰まると変に気を使ってちょくちょく話題を切り替えてくる。別にこっち
は話せるのに、言葉が出てくるのにそれをジッと待っててくれない。だから切り替わった
話題について行くのが大変だ。
最後。土屋猛。彼は言葉遣いが乱暴だけど、それは別に怖くない。向こうから普通に話
しかけてくれるし、返事もちゃんと待っててくれる。ただしっかり待っててくれるからこ
そ、それが変なプレッシャーになって会話がキツく感じてしまうけれど…………。
まぁ、とにかく。これで自分と彼らの間にある何十もの分厚い壁の一つを乗り越えた。
「………………先は長いな……」
果たして自分は彼らと普通に会話出来る日が来るのだろうか?
そして人間相手にもこれだけ苦労してるのに、果たしてこんな自分を受け入れてくれる
ドラゴンなんて現れてくれるのだろうか?
本当に…………先は長くて気が遠くなった。
・ ・ ・ ・
町はいつも通りの賑わいを見せていた。
町から離れた場所とは言え、昨日の魔物襲撃のニュースや不安などがどこにも感じさせ
ない明るさがある。
ひょっとしたら誰も魔物の事など知らないのではないか?
だからこんなにも皆は楽しそうに毎日を過ごしているのではと輝は思う。
一方で。隣を歩く勇汰は少し悩んだ表情で町中を見て回ってる。
「うーん……」
何をそんなに悩んでいるのだろう?
聞いてみたいが、例のごとく話しかけようとすると心臓がバクバク暴れて喉が詰まる。
ある程度の流れが出来てないと、言葉が出てこないのだ。
「ねぇ。ゆーた。さっきからうんうん。うるさいよ!」
「え? そうか?」
勇汰がこっちを見たので、頷いた。
彼の相棒のドラゴンが代わりに話しを始めてくれたお陰で、最初の一言のプレッシャー
がかなり弱まった。
これなら――。
「…………うん。……どう…………したんですか?」
「いやぁ…………ちょっと悩んでたんだよ!」
嬉しそうな。恥ずかしそうな表情で話し始める。
「ほら。風祭くんのドラゴンってさ。どんなドラゴンがいいのかなって」
「………………ぼ、僕の……ですか?」
意外な答えが帰ってきて、一気に頭がパニック寸前にまで追い込まれてしまった。
「どどどど、どうして…………ぼぼ、僕の……を?」
「そりゃあねー。やっぱ気になるじゃん。残る最後のドラゴンは一体!?ってさ。
風祭くんは気にならない?」
「ぼぼ、僕は………………その………………気に…………なります」
「でしょー。ちなみにバルは気にならない?」
「バル? バルはねー。…………どっちでもいいやー」
彼の腕に抱かれたドラゴンは興味なさそうだ。
「そう言うなよー。でさー。俺の感なんだけどさー。俺の感だと。きっと風属性のドラゴ
ンだと思うんだよな」
「え? ………………どうして…………ですか?」
輝が聞き返すと、勇汰が得意げに説明を始めた。
「どうしてって? ふっふっ。そんなの簡単な推理だよ、風祭くん。この世界にはエレメ
ントと呼ばれる向こうの世界には存在しない不思議な力があるのだよ。
そのエレメントは全部で四つ。火や水、風や土だ。世間ではそれらを四大元素と呼んで
いて、ドラゴンたちはその四大元素の属性をそれぞれ持っているのさ。
ちなみにバルは火の属性を。水島くんのアクレインは水の属性を。土屋くんのグランバ
ルドは土の属性をそれぞれ持っている。
つまーり! 残る元素はたった一つ。それが――!」
「………………風の、元素、ですか?」
「そのとーり! 火、水、土と三つが揃っているなら残るは風しかない! しかもだ! 都
合が良い事に俺たちの名前にもそれが現れている!
風祭くんにはもう風属性のドラゴンしかないっ!」
「……………………そ、そう……ですか…………」
鼻息を荒くし、高揚して話す勇汰のテンションについていけない輝は僅かに縮こまる。
彼の声は大きくて行き交う人々もついこちらをチラリと視線を送る。その度に輝は恥ず
かしさで小さくなるが、勇汰は全く気にしない。
興味のある事を話す時の彼は無我夢中で、周囲の事など眼中に無いみたいだ。
「…………ぅ」
今もまだ。彼は意気揚々と自分の推理混じりの推測を自慢げに話し続けている。
少しずつ声のトーンが上がり――人々の視線も集まって来る。
「…………ぅぅ」
その視線から今すぐにでも逃げ出したい!
でも…………ここでもまた逃げ出したりしたら…………次はもう、自分は彼の前に立つ
事も出来なくなってしまう。そんな気がするから、何とか踏みとどまる!
「…………だと思うんだ。風祭くんはどう思う?」
「え?」
質問されて固まる。
しまった!
余計な事を考えていて話しなんて聞いていなかった!
まずい!
話しを聞いてなかったってバレたら、彼を傷つけてしまう!
どうしよう!
「…………え、っと…………」
視界がグルグル回る。
こんな時は――。
「ごめんなさい。…………わからないです」
最終手段のわかりません!
これを言っとけば、とりあえずその場しのぎにはなる汎用性の広い言い訳。
「そっか…………。そうだよな。わかんないよなー。やっぱ実際に出会ってみねぇとなー」
ほら何とかなった。
何度、この言い訳に助けられた事か。
一番、信頼のおける言葉に感謝して。次からは勇汰の言葉にちゃんと耳を傾けた。
・ ・ ・ ・
「うーん…………」
「……………………」
ある店の前で輝と勇汰は困り果てていた。
「…………どう……すっかな?」
「……………………そう、ですね」
二人は店の入り口からそおっと中をのぞき込んだ。その店の中はお客さんで溢れかえっ
ており、大繁盛しているのは間違いなかった。
しかし――。
「うーん…………」
「…………困り、ましたね」
店には入らずに、逆に店から離れる。
「どうすっか…………」
「………………そう、ですね……」
そんな会話をもう何度も繰り返していた。
さすがにそのやり取りに飽きたバルがうんざりした様子で、欠伸を何度も繰り返す。
「もうさー。いい加減にしてよ!」
「わかってるってバル! 俺だって腹が減ってんだからさ」
勇汰も疲れた声で答える。
「人間ってさ。不便だね。ご飯を食べるのにどうしてそんなに悩むのさ」
「バルにはわかんないさ。食べる事の喜びってやつをさ」
「…………わかんないよ。食べられれば何でもいいんじゃないの?」
「ばっ! そんわけにはいくかっ! せっかく世間で美味しいって評判の店に来たんだか
ら、食わなきゃ損だろうが!」
「じゃあ。さっさとお店に入ればいいじゃん! いつまでもこんな所で入るかどうかで悩
んでさ。それこそ馬鹿じゃん!」
「ぐっ! 馬鹿じゃないもんっ! 俺たちはな! 店には入りたいけどな! お客さんも
たくさん居るし、どうしようかなって思ってるだけなんだ!」
勇汰が店をチラリと見る。
確かにお客さんが入っているのだが…………。
「入りたくない理由って…………本当にそれだけ?」
バルが目を細める。
「う…………そ、それは…………」
勇汰の表情が、視線が面白おかしく壊れる。返答に困り――こちらに助けを求めてきた。
「風祭くんは…………どうする?」
「え、あ、え。あの…………ぼ、ぼ僕は…………その…………あのお客さんが居なくなっ
てからの方が…………いいかなって…………思います」
わざと声を小さくしてそう答える。勇汰とは違って極力店を見ないように気をつけて。
「そ、そうだよな…………」
「ふーんやっぱりー」
バルが馬鹿にしたような目で勇汰を見上げる。
「な、なんだよー!」
「いやぁ…………。ゆーたってさー。ひょっとして怖いのかなって思ってさー」
「ぐっ! そ、そんな事は…………無いさ!」
勇汰の返事を聞いてバルが小さく笑う。声が裏がえっているので強がってるのばバレバ
レだ。
「………………」
輝は二人を尻目に向かい側の店を気にかける。
事の発端は勇汰が出かけに、この町の名物を食べたいからどこか良い店を紹介してくれ
ないかと神殿の人たちに聞いて回っていた事から始まった。
そのアンケートの結果。今二人が入ろうかどうかと悩んでいる店がその店だ。
店へと来た二人は中へと入る前に、どんな店なのかを確認しようと中を覗き込んだ。
中はすでの大勢のお客さんで繁盛しており、雰囲気も良さげだった。なので安心して入
ろうと決めた――矢先にそれが起きてしまったのだ。
ちょっとガラの悪そうな男たちが集団で店の中に入って行ったのだ。それまで店に入ろ
うと並んでいた他の客を押し退けて。
男女問わず若い客層に人気のこの店のお客さんたちは、その礼儀知らずの男たちに文句
など言えるはずもなく。渋々、列は解散し。すでに中に居た他のお客さんたちも早々に出
て行ってしまい、店は実質その怖いお客さんたちに占領されてしまったのだ。
それを目撃した輝たちは自分たちも関わり合いになりたくないと店に入るのを止めたの
だった。
ただ――根気強く二人は待つことにした。ひょっとしたら少し待てばあの危なそうな男
たちが出て行くかもしれないからと。
そうして今に至るわけだが――。
「弱虫だなー。ゆーたは」
「いや…………。あれはちょっと……。弱虫がどうこう言える相手じゃないって」
勇汰の言う事に輝は激しく同意する。
店の中の危なそうな集団。昨日出会った監督たちをゴリマッチョだと言うならば、ここ
の連中は細マッチョと言える体格だ。しかも全員目つきが鋭くて、顔や体に傷跡が沢山あ
る。
中でもリーダーと思われる男。ソフトモヒカンの赤髪で、全身にタトゥーを入れまくっ
ている。
高圧的なオーラを放っていて、店の外に居てもそれを感じられる。
正直。同じ空間に居たくない!
「だったら、お前が何とかしろよ!」
「!?」
勇汰の声でハッと我に返る。考え事をしていて、ここまでの二人の会話を聞いてなかっ
た。
………………が。推測で状況が掴めた。
「えー。やだよー」
勇汰がバルを地面に置いて、背中を押している。おそらくバルを店にやってあいつ等を
どうにかしろとやっているのだろう。
…………変な感じに話しが拗れていた。
「あの………………ですよ」
「?」
輝は声を奮わせる。
「他の…………店にしましょう。…………僕。お腹が空いたんです、よ」
「…………そうだなー。俺も空いたしな。それじゃ、他の店を探すかー」
「えー」
「えーじゃない!」
勇汰がバルを抱き抱えて歩き出す。輝はその後ろを早歩きで追いかけ――後ろの店から
見えない所まで急いだ。
(………………怖かった)
人見知りの輝が自分の意見を言わなければならないほど、実は怖い状況になっていた。
店の前で騒ぐ自分達を赤髪の男が睨みつけていたのだ。
・ ・ ・ ・
「腹減ったー」
勇汰が腹をさするのを見て、輝もつい真似して自分の腹をさすってしまった。
「お昼…………何にしようか?」
「え…………と」
キョロキョロと町の看板を探す。店の名前、看板の文字が読めなくても看板には親切に
何の店か人目で解るように絵が描いてある。そのお陰で初めてでも店探しには困らないの
だ。
「あ…………」
それっぽい店を見つけた。コーヒーカップに湯気が出ている絵が描いてある看板の店を。
「ここ…………は?」
裏路地の細くなった道を適当に歩いて辿り着いた隠れ家的場所にある古びた店。他の店
とは違い、店の壁をツタのような植物が覆っている如何にもな店だ。
「…………一応、食堂? なのかな?」
見つけた自分が言うのもなんだが。ここは駄目そうな気がする。しかし勇汰は違うよう
だ。
「いいじゃん。何かさ…………イベントが起きそうな予感がする。
「…………イベントって…………」
勇汰はゲームやアニメが大好きなだけあって、思考の基盤がそこから得た知識や感覚で
構成されているようだ。
そんな彼が異世界に来た事で若干暴走してる気がするのは、気のせいではないだろうと
輝は確信している。
その彼の意見に従うのは正直、怖いが…………。
まぁ。そう言う意見は言えないので黙って従うしかないのだが。
「よしっ! 入ろうぜ!」
「…………うん」
勇汰がゆっくりと扉を開ける。
「さーて! どんなイベントが待ってるかな?」
「待ってたら駄目じゃん! つーかイベントが欲しいなら、さっきの店に入った方が明ら
かにイベントが発生するフラグが立ってたのに!」
そんなツッコミも当然のごとく言えず。
カランコロンと扉のベルが鳴り響く。
「いらっしゃい」
出迎えてくれたのはチョビ髭を蓄えた白髪のダンディーなおじさんだった。
店内には他に誰の姿もなく、静まりかえっている。
「あのっ、すみません! ここって食事とか出来ますか?」
席に座る前に勇汰が聞いてくれた。こういう事が当たり前に出来る彼を素直に尊敬。
「出来るよ」
店員は一言だけ。渋くて低い声でそう答えた。
「よし。ここにしようぜ」
「…………うん」
入る前は躊躇っていた輝も、気が変わって頷いた。一度中へと入ると逆に安心感に包ま
れた。
席に座りメニュー表を手に取る。それを開いて――。
「げっ!」
「あ…………」
自分達がこっちの世界の文字が読めないのをすっかり忘れていた。
「…………困りましたね。どうしましょう?」
「大丈夫!」
勇汰は手を挙げて――。
「すいませーん。このお店でお勧めの料理をください! 出来ればお腹が一杯になるやつ
を!」
そんなドラマや漫画でしか言わないような注文をするとは思っていなかった。赤面して
下を向いて他人を装う。
「…………かしこまりました」
下を向いているのでおじさんの表情は読めないが、この店の雰囲気にそぐわない場違い
な客をどう思っているのだろうかと心配になる。
「よしっ! どうだ!」
「………………凄いですね」
輝は彼の行動力や対応力に素直に感心した。
自分もああ言う積極性を身につけたいなと本気で思う。
「………………あの……」
「ん?」
勇気を出して自分から話しかけてみる。
「ひょっとして…………ここって。食堂とかじゃなくて、喫茶店みたいなお店かもしれな
いですよ?」
「喫茶店? …………ああ。そうかもな。でもいいんじゃね? とりあえず何か食えれば
さ」
「………………そうですね」
……………………頑張ったけど、ここで会話が止まる。
勇汰もこれ以上、この話題で話しを続ける気が無いようで、テーブルの上に乗せたバル
をイジって遊び始めた。
バルの角を触ったり、手足を摘んで動かしたりと。そんな事をされてもバルは…………
一応は怒ってはいるけれど、本気ではないようだ。むしろ勇汰の遊びに付き合ってやって
いると。そんな素振りを見せる。
「………………いいなぁ。僕もバルみたいなドラゴンがいいなぁ」
思わずそんな感想が出てしまった。言ってすぐに顔を真っ赤にする。この発言は本当に
無意識だ。無意識で発した言葉を聞かれて恥ずかしい!
「へぇー。風祭くんってバルみたいなドラゴンがいいのか。でもどんなとこ? 見た目?
性格?」
「え、あ、えっと…………」
今更独り言ですと言えない。まぁこれが話を始めるネタになれたので良しとしよう。
「あの…………ですね。見た目とか性格とか…………じゃなくてですね。僕は…………そ
の…………二人の雰囲気が良いなって思ったんです」
「雰囲気?」
勇汰とバルが目を合わせてちょっとだけ首を傾げる。
「こ、こんな…………。今の感じです。以心伝心と言うか…………。言葉を使わなくても
心の中ではお互いに繋がっていると言うか…………。そう言う関係に…………あこがれま
す」
「へへ。そ、そうかなぁ」
初めて見た。彼が照れる顔を。
「心の中で繋がってるかな?」
バルが茶々を入れると勇汰の頬が膨れる。
「えー。繋がってるじゃんかー!」
「そうかな?」
そんなやり取りを見せつけられて、輝はやっぱり羨ましくなった。
「…………お待ちどうさま」
ここで店員が食事を持ってきた。丸いパンのような生地の上に果物やハムやらが乗せら
れている食べ物だ。
「おじさん。これだけ?」
「あいにく。うちのメニューで食いもんはそれだけだ。嫌なら余所に行きな」
「いえ。大丈夫です!」
店員にいちゃもんつけるのではと、輝は肝を冷やす。
「それじゃ…………食べようぜ」
「はい」
ピザのように切り目に反って千切ってから口に入れる。
「あ…………結構、美味しい」
「はい……。そうですね」
フルーツの甘みとハムの塩っけがマッチしている。
空腹も手伝って、二人はこの料理をあっという間に平らげた。
「ふぅ…………」
「…………ごちそうさまでした」
椅子にもたれ掛かっていると、すっと飲み物が出てきた。コーヒーのような黒い飲み物
だ。
「おじさん。これは?」
「さっきの料理とセットだ」
と一言。
「…………うーん」
勇汰がカップを口に近づけて匂いを嗅ぐ。
「良い香り。…………いいねぇ。食後の一杯。それに美しい歌声も良い雰囲気を醸し出し
てる」
「…………そうですね」
何となく、彼に合わせて適当に相づちを打ってみる。
「………………歌声?」
この世界に音響機器なんてあったかな?
店の中を探してみるが、BGMが流れるような機器はどこにも無い。
「…………この歌声はどこから聞こえてくるんだろう?」
「…………さあ? 聞いてみる?」
店員を見る。するとコップをキュキュと磨きながら――。
「この歌声は時々聞こえてくるのさ。…………誰が歌っているのかは知らんがね」
そう答えた。
すると勇汰がニヤリと笑ったので、嫌な予感がした。
・ ・ ・ ・
「ふっふっふっ」
店を出た勇汰が意味ありげな笑い方をしたので、輝の予感は確信へと変わった。。
「行こうぜ!」
勇汰は親指を立ててキランと目を輝かせる。
「…………………………えっと…………。どこへ、ですか?」
何となく察しは付いていたのだが、せめてもの抵抗にとすっとぼけた。
「やーだな。決まってるじゃないか!」
急に肩を組んでくる。
うわっ! 顔が近いっ!
彼のキラキラ輝く瞳がすぐそこに!
この至近距離は輝にとっては未知の領域であり、全く耐性が無い!
心臓がバクバク鳴ってる。
この音…………もしかして彼に聞こえるのではないか?
そう錯覚してしまう。
「さっきの歌声がどこから聞こえてくるのか探すんだよ!」
「…………………………そ、そうですか」
きっと今。顔は真っ赤になっているだろう。そんなのを見られる訳にはいかないので、
顔を背ける。
すると彼はちょこっとだけ首を絞める腕に力を入れてきた。
多分、本人は逃げられないようにとやっているかもしれないが…………自分にとっては
慣れない距離にあたふたしてるだけ。
彼の提案を受けるかどうかなど、そんな場合じゃなかった。
「なー! 一緒に探しに行こうぜー!」
「ぅ…………ぅぅ…………」
耳元で甘えられてしまっては――。
「わ………………わかりました」
そう言わざるおえなかった。
「よっしゃーっ!」
勇汰は輝からバッと離れると、無邪気な子供のように両手を上げてはしゃぎ回った。
「はぁ………………はぁ………………」
心臓が爆発するかと思った。
「よしっ! それじゃ早速行こうっ!」
今度は勇汰が輝の手を取り引っ張る。
「え?」
「ほらっ! 急がないと!」
「え? ええっ?」
この距離感も初体験だ。どうしていいのか解らずにドギマギしていると――。
「ふぁ…………どうしてそんなに急ぐのさ?」
彼の相棒バルが大きな欠伸を一つする。バルは勇汰の後ろを歩いて付いて来てたのだが
…………。
「よっと。…………ふぁ」
器用に勇汰の体をよじ登り、彼の頭の上に居座ると雄叫びの代わりにまたしても大きな
欠伸をした。
「うわっ! 頭の上に乗るなよ! 髪が鱗とかに挟まって痛いんだってば!」
輝の手を離して頭の上のバルを抱き抱える。
「まったく!」
バルの額を指でパチンと弾く。
「……それで? どうしてそんなに急ぐのさ?」
「そんなの決まってるだろ! ワクワクが止まらないんだ!」
「……………………」
「……………………」
「………………えっと…………。今の、俺的には結構攻めたセリフだったんだけどさ……
……。ダメだった?」
「いや…………。あの………………ちょっと…………」
「ええっ! 格好いいと思ったんだけどな……。違ったのか…………」
「違うとかじゃない気がするような…………」
さすがの輝も今回は話しを合わせられない。
この事で彼の機嫌が損なわれると危惧していたが…………。
「ちぇ。…………次はちゃんと決めてやるぞ!」
大丈夫なようだ。
「よおしっ! とりあえず謎の歌声の調査を始めるぞ!」
「お…………おー!」
一応、合わせるために一緒に手を挙げる。
「……………………で、でも。調査って…………。何をどうするんです?」
「そんなの決まってんじゃん。調査の基本と言えば足だ。つまり地道に村人に聞きまくる!」
「え!?」
まさかの聞き込みが手段だと聞いて、輝は固まる。そして絶望する。人見知りの自分に
はこの捜査は地獄だと。
「え…………あの…………」
「よしっ! まずはあの家からだ!」
何の迷いもなく取りあえず近場の家のドアを叩こうとする彼。
「あああっ!」
その腕を慌てて掴んで止める!
………………自分から他人の腕を掴むなんて、生まれて初めての経験だ。
「ちょっ、ちょっと…………と! 待ってください!」
「どうしたの?」
「いえ…………その。何で聞き込みなんですか? その…………もっと歩き回って探して
見てもいいんじゃないですか?」
「いやぁさ。やっぱりRPGの醍醐味と言えばやっぱ町の人から話しを聞いてフラグを立
てるのがセオリーじゃんか」
「え、ええっー!?」
何それっ!?
よりによってゲーム感覚って言うか、ゲームの常識が基準になってる!?
この人…………まさか、ずけずけと人の家に上がり込んでタンスの中とかを物色したり
しないだろうな?
そんな不安が胸を過ぎる。
「と、とりあえずっ! まずは歩いてそれらしい人がいないかを探してみませんか? 話
しを聞くのはそれからでも!」
この人に主導権を握らせるとマズい気がした。
だから今回は、ガラにもなく頑張って自分の意見を出張した。
すると――。
「うーん…………。まぁ。風祭くんがそう言うならそうしようか」
意外にも素直に言う事を聞いてくれた。
「は…………はい。それで、お願いします」
三
「よーし! それでは推理を初めるとしようか!」
突然辺りが暗くなり――勇汰にスポットライトが当たった…………ような気がした。
「まず。俺たちはここの喫茶店で謎の歌声を聞いた。どこからともなく聞こえてきたその
歌声は、とても美しく澄んだ声で俺たちの心に染み入ってきたんだ」
抱いたバルを猫に見立てて、背中を撫でる。
「そして。その歌声に導かれるまま俺たちは、この謎の町を突き進む――」
「………………」
彼は何を言ってるのだろう?
どう対応していいのか解らずに固まっていると――。
「はぁー…………」
こっちを見て、何故かため息をつかれてしまった。
「え? え?」
一体どうしたのか?
「うぅぅ…………。あのさ……。せっかく俺がボケたんだからツッコんでよ」
「え………………。ええっ!?」
どうしてっ、僕がっ!?
「つ…………ツッコミ…………ですか? あの…………お笑い芸人がやるあれ、ですか?」
「そう。それ!」
どうしてそういう流れが出てきたのか?
「えっと…………ええっ!? ど、どうして?」
「どうしてって? うーん。何となく」
勇汰がさらっと笑う。
「いやぁ。俺さ。友達からはツッコミ体質だって言われてるんだけどさ。俺としてはボケ
たいんだよね。だからさ。ボケさせてよ」
「………………えぇえっと…………」
「それにさ。リハビリ?って思ってくれてもいいからさ」
「…………リハビリ?」
一体なんの?
「昨日の夜さ。土屋くんから聞いたんだ。風祭くんは人見知りなんだって。だから今日は
俺の方からじゃんじゃん話しをフったりしたんだけどさ。結構、答えてくれたりしてたじ
ゃん。それに俺が時々ボケたりしてたら、何か言いたそうな顔してたし。ひょっとして…
………ツッコミたいのかなっ?て思ったんだ。だからちょうどいいじゃんって思ってさ」
「え…………あ…………っと。何がちょうどいいんですか?」
「おおっ! そんな感じ! そんな感じで頼むよ!」
「えっ!? あ、いや……。今のはツッコんだんじゃなくて、聞き返しただけですけど…
………」
「最初はそんなんでいいって! さ! 人見知り克服の為にも頑張って行こうぜ!」
「え、ええっ…………! どうして、そう、なるんですか? そもそも…………目的は謎
の歌声の正体、を探し出す。事…………で。…………それも途中で。…………本来は、僕
の、ドラゴンを探すんじゃ…………」
「おあっっ!? そうそれっ! それだっ!」
「………………あの…………。ひょっとして忘れて…………ました?」
「あ、あははは。そ、そんな事は…………ないさ」
「………………」
笑う彼の顔がひきつっている。
「………………ごめん。嘘です。すっかり忘れてました」
ボケではなくて素直に頭を下げてきた。天然なのか?
「いやぁ。俺ってさ。すぐに興味が移るんだよね。最初はさ。本当に風祭くんのドラゴン
を探す気だったんだよ。そしたらさ。何か面白そうなイベントのフラグを発見しちゃって
さ。そしたらそっちに気が取られちゃって…………はは」
「………………」
「そんな怒んないでよ」
「いや。…………怒って、ないです」
単に呆れてただけなのだが、彼はこっちが怒ってると思いこんでいる。
どうしよう? この場合。強く否定すれば余計に拗れる気がするし…………。
かと言って。何もフォローしないのも、それはそれで変な方向に話しが行きそうで怖い。
「ふぁあぁ。…………どっちでもいいよ。先に進もうよ」
バルが良いタイミングで割って入ってきてくれた。
「………………ふっ」
「ぷっ」
気の抜けたバルのお陰で変な空気も消えた。
お互い笑顔を見せて笑う。
「そうだな。どっちにしろ。ジッとしてるのは勿体ないな!」
「…………はい。そうですね。でも…………どこへ行きます?」
結局。手がかりが、全く無いのも事実だ。
「風祭くんが行きたい所へ。だって風祭くんのドラゴンを探すために来たんだからさ」
「僕の行きたいところ…………」
そう言われて戸惑った。
だってぶっちゃけて言うと行きたいところなんて解らないのだから。
どこにいるのかも解らない自分の契約すべきドラゴンを探すなんて途方もない――彼の
言葉を借りれば――イベントをどうやってこなせと?
「………………それじゃ。歌声の正体を探したら…………どうですか?」
「歌声の? え? いいよ。俺に気を使わなくて。ちょっと調子に乗ってただけだからさ」
「い、いいえ。今は何のヒントも無いので………………その…………火野くんの感に……
……ゲーム脳に賭けてみたいと…………思います」
「おっ! 言うねぇ!」
「ぁ…………すいません。ちょっと……言い過ぎました」
「いいって! 別に本当の事だし。自覚もあるし。そんなのを言い出したら何も言えなく
なるって!」
「………………はい」
「さ。そろそろ出発しようか! バルがもう待ちくたびれて火を噴きそうだ!」
彼の腕の中でバルが退屈そうにしてる。欠伸を何度も繰り返し――本当に間違って火を
噴き出しそうだった。
・ ・ ・ ・
「痛っ!?」
足に来た衝撃で輝が声を上げる。
「どうしたの?」
隣を歩いていた勇汰が足を止めて視線を落とす。
「怪我した?」
「い、いいえ。ちょっとサンダルに小石が入ってきて…………」
「ああ…………。それは痛そうだ……な」
輝はサンダルを脱いで片足で立つ。
「…………風祭くんてさ。バランスがいいね」
「…………そ、そうですか?」
急に褒められたので、バランスを崩しそうになる。すると勇汰が肩を貸してくれた。
「サンダルか…………。やっぱ先にこっちに行くしかないかな?」
「…………こっち?」
「そう。先に靴屋に行こうぜ。…………本当はさ。四人全員でさ。服とかそういうのを選
びたかったんだけどさ。…………なかなか揃わないしさ。だから先に風祭くんの靴だけで
も買っといた方がいいんじゃない?」
「え? いい、ですよ。僕は我慢できますから…………。皆に合わせられますから………
…」
「いいって! 我慢はよくないって! 我慢して怪我したらダメじゃん!」
「………………はい」
彼にそう言い切られてしまい、まずは靴屋へと向かう事にした。
この町に来てまだ日が浅いにも関わらず、彼の足は迷う事なく進んだ。どうやら。もう
すでにこの町のどこに何があるかなんて全て把握済みのようだ。
「ここにしようぜ」
彼が案内したのは裏路地にある小さな靴屋だった。
「表の大通りにも靴屋が何件かあったんだけどさ。昨日、ちょっと覗いてみたらあんまり
良さそうなのがなかったんだよな。ここの方がマシっつーか。俺の好みに合う店がここだ
った」
「……………………火野くんの好みの店…………」
若干の不安を覚える。
アニメ好きの彼の事だからひょっとしてコスプレっぽいデザインの靴だったりして……
……。
「さ。入ろうぜ」
「う、うん…………」
もしも奇抜なデザインの靴だったら、断ろう!
例え人見知りで人に意見を言うのが苦手でも、この時ばかりは覚悟を決めて意見しよ
う!
そう覚悟を決めて中へと入る。
「いらっしゃい」
出迎えてくれたのは白髪のふっくらした老婆だ。ニコニコ笑顔で人の良さそうなおばあ
さんって感じで、これなら自分でも接しやすそうだった。
「すいません。靴を見せてもらってもいいですか?」
「もちろんだよ。坊やのかい?」
「いいえ。彼のです」
代わりに勇汰が相手をしてくれるので楽だ。コンビニのレジの会計でも緊張するので本
当に助かる。
「そうかい。どれ。ばあやに見せておくれ」
「………………はい」
椅子に座らされ足をおばあさんへと見せる。
「ふむふむ。この足のサイズは…………」
木のプレートみたいなのに足を乗せてサイズを測った。そしてそのサイズに合う靴を奥
から持ってきてくれた。
「これなんてどうだい?」
おばあさんが薦めてくれたのはスリッポンのような靴だった。
………………ちょっと拍子抜けした。彼が薦めた店だからとんでもない物を持ってくる
かと覚悟してたから。
ふと見上げると展示品の靴が目に入った。それらは思っていたのとは違い、ごく普通の
靴ばかりが並んでいる。
靴のデザインってあんまり向こうと変わってないみたいだ。
「………………ぴったりです」
薦められた靴を履いてみると、足にフィットした。
「他のも見て見るかい?」
「えっと………………いいえ。これでいいです」
これで文句は無いし。これ以上、お店の人と話すのはキツいのでこれに決めた。
「そうかい。ならお代は――」
料金は勇汰が払ってくれた。
「…………ありがとう」
「ふっ! 礼なんていいぜ!」
何故か急に格好つけだす。
「………………キャラが安定してないですね」
思わずそうツッコんでしまった。
「そうそう。その感じでツッコんでよ。ちなみに、キャラが安定してないのは自分でもわ
かってる。せっかく異世界デビューしたんだからさ。向こうの自分じゃない自分を出して
いこうかなって思っててさ。だからこっちの自分を目下模索中です!」
「こっちの………………自分」
彼のそのセリフが心に刺さった。
「あ。そうだ。おばちゃん。この辺でさ。綺麗な歌声が聞こえてきたりしなかった?」
「綺麗な歌声? 歌ねぇ…………。そう言えば、たまに聞こえてくるわね」
「本当!? どんな人が歌ってるの?」
思わぬ所から情報が入ってきた。
「人じゃなくてドラゴンが歌ってるわ。鳥のようなドラゴンでね。羽を広げるととても綺
麗な緑色をしているのよ」
「ドラゴン!?」
思わず勇汰と目を合わせる。
「おばちゃん! そのドラゴンってどこにいるの?」
「それがねぇ。最近になって見かけるようになってどこのドラゴンかはわからないのよ。
ただお客さんからもよく話しを聞くから、この辺じゃないかしら?」
「この辺…………よし!」
「………………うん。ありがとうございました」
新しい装備と情報を入手して、いざ出発だ!
・ ・ ・ ・
新しい靴の履き心地は悪くはなかった。今のところ、靴擦れも起きていない。
「それにしてもいい情報が入手できてよかったよな」
「うん。………………あの歌声がドラゴンのものだなんて…………」
「いっそ。あの歌を歌ってたドラゴンを相棒にするってのはどう?」
「………………それは………………会ってみないと…………わからない、ですよ」
「そっか」
勇汰がこっちを見てにこっと笑う。
「………………どうしたんですか?」
「いや。もうさ。殆ど普通にしゃべってるなって思ってさ。ひょっとして、人見知り治っ
た?」
「い、いいえ…………。それはまだ…………」
俯く。確かにさっきの瞬間は自分が人見知りだと忘れていた。でも思い出したので、急
に恥ずかしくなってきた。
「やっぱりまだ…………ダメです。さっきのは…………。少しだけ慣れてきたから………
…なので」
「そっか……。でも良いじゃん。良い傾向じゃん! なんなら風祭くんの話しを聞かせて
よ。どんなのに興味があるとかさ」
「興味…………ですか?」
ポケットに手を突っ込む。中にあるそれを掴んで指で遊ばせる。これの事を言うべきか
…………でも言ってからかわれたりしたら嫌だな。
でも…………。
「あの………………。火野くんは…………。さっき言ってましたよね? あの…………こ
っちの自分を作る…………みたいな事を」
「うん。せっかくこんな世界に来たんだからさ。勿体ないって思ってさ。…………向こう
の世界の俺はさ。嫌な事とかメンドクサい事があるとさ、すぐ妄想の世界に逃げてたんだ
よね。でもさ。実際に夢のような、この異世界召還を体験して異世界に来たのにさ。そん
な向こうの嫌な自分をそのままこの世界に持ち込んだりしたらさ。嫌だなって思ったんだ。
異世界召還。元中二病の俺にとってはさ。まさに夢のような展開なんだよね。だからこの
夢のような世界では俺も夢ような自分でやっていこうと思ってやってるんだ!」
「………………凄いですね」
「てへへ。と言っても単にのぼせ上がってるだけなんだけど。…………本当に俺が変われ
るかもわからないし」
「で、でもっ…………! 凄いですよ! 僕も…………こんな自分を変えたいって思って
るんです!」
ポケットから手を出す。ある物をしっかりと握って。
「でも…………ダメなんです。何かキッカケがあればって思っても…………ダメで」
自分を変える為のキッカケになればと思って買ってもらったのに…………結局、何の役
にも立たなかった。
手を開いてそれを見せる。
「これは?」
「えっと…………イヤーカフです。イヤリングみたいな…………。耳飾りの一種で………
…」
「へぇー。そういうの着けるんだ?」
「…………家にいる時だけです。人前じゃ恥ずかしくて出来ないですけど…………」
ここに来た時にはこれを着けていた。でも来た途端にすぐに外してしまったのだ。
「他にも…………ネックレスとか、アクセサリーみたいなのに興味があるんですよ。自分
を飾る装飾品みたいなのに。
…………人見知りのくせに、自分を飾る物に興味があるなんて変ですよね?」
「ぜんぜん変じゃないって! 俺もそういうの興味あるし。マンガの好きなキャラクター
が着けてるのとか、同じデザインのあったらほしいって思うもん」
勇汰は目を輝かせて話す。ただ彼の場合はコスプレの意味合いが強いと思うが…………。
「いいじゃん。格好いい趣味だと思うよ。せっかくなんだし着けて見ろよ!」
「え………………」
輝が固まる。さすがに人前で着けるのは抵抗がある。
「人目なんて気にすんなって!」
「………………そ、うですね」
異世界デビュー。ここでなら違う自分になれるかも。
思い切ってやってみる事にした。
「………………どうですか?」
「いいじゃん! 似合ってるって!」
「…………そ、うですか?」
恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
「それじゃ、新しい風祭くんと一緒に出発だー!」
「ぅう…………」
「違うって! そこはおーって言う場面だって!」
「いや…………それはまだ無理――うわっ!?」
突然――肩に何かが飛び乗ってきた。
・ ・ ・ ・
まるでそよ風が吹き抜けた感じだった。
ふわりと舞い降りたその生き物は、鳥のような翼を持ち、自身の体の倍はある尾羽を靡
かせる。
オウムのようにも見えるその生き物は風のように颯爽と輝の肩へと降り立つと、彼の耳
をその嘴でつんつんとつついた。
「いたたたっ!?」
「何だ? この鳥!?」
輝は勇汰の力を借りてこの鳥のような生き物を引きはがしにかかる。が――。
「いだだだっ!?」
鉤爪が肩に食い込みそうなほど強く足に力を入れてきた。
「失礼ね。アタシは鳥なんかじゃないわよ!」
謎の生き物が不機嫌そうに訂正する。
「じゃあ、一体何なんだよ。おまえは!」
「アタシ? アタシはね――」
翼をバサァっと広げる。緑色の翼が、太陽の光を受けてキラキラと輝く。
「エアリム。風属性のドラゴン、エアリムよ!」
「エアリム…………」
新しいドラゴンの登場に瞳をキラキラ輝かせる勇汰。しかしエアリムを肩に乗せている
輝はバランスを崩してよろめく。
「ちょっと! しっかり立ちなさいよ! 危ないじゃない!」
「いや…………。重くて…………。それに早くどいて…………」
「ちょっと! 重いって何よ! 失礼しちゃうわね!」
怒ったエアリムが輝の頭を突く。
「いたっ!? だから痛いって!」
「何よ! 情けないわね…………。アナタ。それでも男なの?」
「そ、そんな事言ったって…………。痛いのは痛いし…………重たいっっってっ! だか
ら痛いって!」
「失言を繰り返すアナタが悪いわよ!」
そう言ってエアリムは、今度は輝のイヤーカフをいじり出す。
「痛いって! 今度は何!?」
「アナタの着けてるこのキラキラしたの…………。いいわね。アタシ。これ欲しいわ。ね
ぇ、これ頂戴?」
返事を待たずにエアリムは強引にイヤーカフを取ろうとする。
だがさすがに輝も大人しくしてる気も無い。エアリムの体を両手で掴み――。
「ちょっと!? 何するのよ! 痛いじゃない!」
「こっちも痛いって! 足に力、入れないでよ!」
引き剥がそうとする輝としがみつこうとするエアリム。二人の力は均衡を保っていたが
…………勇汰が輝に加勢した事でそれは崩れた。
勇汰がエアリムの足の爪を掴んで引き離したのだ。
「ちょっと! 二人がかりなんて卑怯じゃないの!」
「いきなりやって来て、人の物盗もうとしてたくせに! どっちが卑怯だ!」
「だってしょうがないじゃない。アタシ。これが気に入っちゃったんだから」
随分自分勝手なドラゴンだと輝と勇汰は呆れる。
「…………どうしましょう? 警察に突き出しますか?」
「……警察って…………。この世界には警察なんて無いんじゃ?」
「あ……。でもそれじゃ、どうしましょう? この場合は、この世界の人はどうしてるん
でしょうか?」
「うーん…………」
火野が目を閉じて唸る。
「多分…………。こういう場合は…………騎士団とかかな? 騎士団が犯罪者とかを取り
締まってると思うんだけど…………」
「騎士団…………」
その言葉を聞いて、嫌な男の顔が真っ先に浮かんできた。嫌みったらしく勇者への恨み
言をぶつけてくるあの男の顔が。
そしてそれは勇汰も同じだったらしく、嫌そうな表情でこちらを見てくる。その目には
どうしよう?と書かれているようだった。
「ちょっ!? 止めてよっ! このアタシが犯罪者なんて!」
エアリムが輝の腕の中で暴れる。
「…………そんな事言われても、現にあなたは僕のイヤーカフを盗ろうとしてたじゃない
ですか!」
「だーかーら! 聞いたじゃないのよ! これ頂戴って。ダメって言わなかったじゃな
い!」
「良いとも言ってないです! それにこっちが答える前に盗ろうとしてたじゃないです
か!」
「だったらもう一度聞くわよ! これ頂戴?」
「ダメです! 絶対にダメです!」
「何でよ!? 普通、アタシが頂戴って言ったら、はいどうぞってくれるのが常識でし
ょ!?」
「そんな常識はありません!」
「そうそう」
勇汰が頷く。
「ドラゴンって言っても、本当にいろんな奴がいるんだな。俺のバルとは大違いだ」
バルを見ると勇汰の足下で大人しくしていた。
「…………あら? そのドラゴン…………。大丈夫なの? 随分、調子悪そうにしてるけ
ど?」
「…………え?」
勇汰が慌ててバルを抱き抱える。顔をのぞき込み――。
「おいバル! 大丈夫なのか? 調子悪いのか?」
「………………ふぁ」
バルは大きな欠伸で返す。
「何か…………。最近…………眠い…………」
ウトウト頭を上下に揺らす。
「………………どうしちゃったんだよ」
勇汰が珍しく狼狽えだす。キョロキョロと辺りを見てから、こっちを見て――。
「あのさ、俺――」
「うん。わかりました。火野くんはバルを連れて神先に殿へ戻ってください。僕も後で行
きますから」
「わりぃ! サンキューな!」
勇汰はダッシュで走り去った。
・ ・ ・ ・
「ねぇねぇ。どうしてもダメ?」
「ダメです!」
輝はうんざりしていた。
このエアリムと言う鳥のようなドラゴンは、三歩歩く度に何度も同じ質問を繰り返して
くるのだ。これには会話が苦手な輝でも、何の気恥ずかしさも無く返答出来るようになっ
ていた。
「これは僕の大切な物なんですから。だからあげられません!」
「そんなぁ…………」
意志を明確に伝えた事で相手は大人しくなった。
これならもう手を離して解放してあげてもいいかもしれない。
「……もう人の物を盗ろうとしないなら、手を離してあげますよ?」
「…………そうね。そろそろこの手を離してほしいわね」
「なら勝手に人の物を盗らないと約束できますか?」
「…………わかったわ。もう人の物は勝手に盗らない。約束するわ」
「それじゃ」
ゆっくりと手を緩める。エアリムは手の間から器用にするりと抜け出して腕の上をちょ
んちょんと移動する。そして輝の右肩の上で落ち着いた。
「…………何でここに来るんですか?」
「ここの方がアナタの耳飾りがよく見えるのよ」
「………………」
エアリムは大人しくなった。だが逆にジッと見つめられる事が苦痛になってきた。
「…………あの。そろそろ帰ってくれませんか?」
「え? どうして? アタシはまだこの耳飾りを見ていたいのよ」
「そんな…………」
本当にマイペースなドラゴンだ。
「…………バルとは全然違うよ」
バルは大人しくて人なつっこい感じのドラゴンだから、他のドラゴンもそうなのかなと
勝手に決めつけていた。
だからこのドラゴンの自分勝手で身勝手な性格はちょっと困る。
「バル…………。さっきの調子悪そうなドラゴンね」
「……そう言えば、どうしてわかったんですか? バルが調子悪そうだって」
バル本人も気づいてなかったっぽいのに。
「簡単よ。アタシには見えるのよ」
「見える? 何がですか?」
「風よ。風。アタシは風属性のドラゴンだから風が見えるの。あのバルってドラゴンの周
りには良くない風がまとわりついていたから、そうじゃないかって思ったのよ」
「良くない風?」
「ええそうよ。凄く…………嫌な感じがしたわね。それが何かはわからないけれど………
…。とにかく。嫌な風よ」
「…………嫌な感じ」
不安になってきた。ひょっとして、バルの身に何か良く無い事が起きてるんじゃないか
と。自分のドラゴン探しをしてる場合じゃないんじゃないかと。
「………………」
「でも大丈夫じゃないかしら?」
「え?」
「あの一緒にいた人間の方。彼からは逆に良い風を纏っていたわ。その彼と一緒に居たお
陰であのドラゴンを覆う嫌な風は弱まっていたわ」
「火野くんの風…………。だったら二人一緒に居れば大丈夫って事なんですね?」
「おそらくはね」
「そうですか…………。良かったです」
それを聞いて安心した。
「これで自分の事に集中できます」
「自分の事? アナタ、何かやる事あるの?」
「ええ……まぁ。…………ちょっとドラゴン探しを」
「ドラゴン探し? なぁに。それ、手伝ってあげようか?」
「え? いや、いいですよ。大変ですし」
「遠慮しないでいいわよ。その代わり、見つけたらアナタの耳飾りをアタシにくださいな」
「…………やっぱり」
あきらめてなかったのかと、うなだれる。耳飾り自体は安物で出来も値段相応の代物。
ただこれは、これを買う時にそうとう自分の中で散々迷った思い出がある。
これを買えば――ひょっとしたら自分が変わるかもしれない!
そんなキッカケになればと願いを込めて買った品物だ。
…………ただ、結局は変われなかったが。
「…………わかりました」
「本当!? 嘘じゃないわよね?」
「ええ。本当です」
輝は承諾した。
エアリムの押しに負けたのではない。自分を変えるキッカケを物に頼るのを止めにしよ
うと決心したからだ。
この世界なら自分を変えられる。
いや! 変えてみせる――と。
「それで? どんなドラゴンを探しているの?」
「それがよくわからないんですよ。僕自身、そのドラゴンを見たわけではないのでちゃん
と説明出来ませんが…………。おそらくは風属性のドラゴンではないかと。そして歌が上
手いのではないかと。…………それくらいです」
「風属性のドラゴンね。…………歌が上手いのはわからないけれど…………いいわ。探し
てみましょう。大丈夫よ。アタシも風属性のドラゴンだから」
そう言って輝の肩から飛び立つ。
…………………………ん?
輝の胸にエアリムの言葉が引っかかる。
「………………まさか、ですよね?」
タイミング的にアレだ。バッチリだ。
勇汰が居れば運命だの、イベント発生だの言ってるかもしれない。
「………………いや。もうちょっと様子を見た方がいいですよね」
その可能性は違うかもしれない。
いや…………。違っていてほしい。エアリムとは…………性格が会わない。きっとやっ
ていけない!
もうちょっと大人しいドラゴンがいいなと。
そう願う。
「………………見つかるかな?」
空を見上げてエアリムの帰りを待つ。
――しばらくしてエアリムが戻ってきた。当たり前のように肩に留まる。
「ただいま」
「おかえりなさい。どうでした?」
「そうねぇ。アナタが言ってた風属性のドラゴンはこの辺には居ないわね。風属性のドラ
ゴンは気ままなドラゴンが多いからジッとはしていないのかも」
「そうですか…………」
「でもね。気になるのを見つけたわ」
「気になるの?」
「さっきのバルと言うドラゴンが身に纏っていた悪い風。アレと同じ風――いいえ。アレ
よりももっとタチの悪い風を纏っている人間が居たわ」
「タチの悪い風……?」
どう言う事だろうか?
バルのように具合の悪い人、と言う意味だろうか?
だとしたら助けに行くか…………それとも様子を見に行くぐらいはした方がいいのだろ
うか?
「………………」
どうすべきか迷うが…………。
「ねえ、エアリム。僕を…………そこへ案内して」
行こう。原因か何か。情報が得られれば、自分に付き合ってくれた勇汰やバルに対して
お礼が出来るかもしれないから。
「わかったわ。…………と言ってもすぐそこよ。そこ」
「そこ?」
「ええ。アナタのすぐ近くに居るわ。何か…………アナタを監視してたみたいに見えたわ
ね」
「…………監視? 僕を?」
「ええ。あの人たち、アナタの事ばかりを見てたから」
「あの人たち? え? 複数なんですか?」
「そうよ。あの――」
「!?」
気が付いた時にはもう――一瞬で取り囲まれていた。
「あなたたちは!?」
見覚えのあるその人たちに囲まれた輝とエアリムを強い衝撃派が襲った。
四
ポツ。ポツ。ポツ。
「…………ん」
ポツ。ポツ。ポツ。
「ん………………ん?」
何かが規則正しく顔に落ちてくる。
ポツ。ポツ。ポツ。
「ん?」
その何かの刺激によって、輝は意識を取り戻した。
「…………こ、こは?」
うっすら目を開ける。
「…………?」
視界が滲んでぼやける。瞳が塗れていたからだ。
泣いていた。…………訳ではない。
ポツ。ポツ。ポツ。と顔に落ちていたのは水滴。その水が開いた目の中に入ってきたの
だ。
「…………あれ? 手が?」
動かない?
――いや。動けない!
「縛られてる?」
両腕を動かそうともがくが…………やっぱり動かせない。両手を背中で縛られ、足も同
じく縛られている。
「…………どうして?」
こんな事になったのか?
ゆっくりと思い出してみる。
「確か…………。町で取り囲まれて…………それから…………の記憶が無いですね。あ、
でも……何かに吹き飛ばされたような…………気がします」
どうやら思い出せるのはここまでのようだ。
「………………く」
芋虫のように体をくねらせて向きを変える。床に横たわるこの体勢では体が痛いのだ。
「…………ふぅ。これなら少しはマシですね」
器用にも、寝ていた体勢から頭を起こして壁へと寄りかかった。
「ここは…………、どこでしょうか?」
辺りは薄暗く、しかも狭い空間だ。目が慣れてきた今なら何となく中にあるのが解る。
向こうの隅には樽が四つ。その手前には木箱が三つ。あっちの隅には壊れた木の棚があ
る。そしてその前には横たわるエアリムが…………!?
「えっ!? 君も!?」
まさか一緒に居るとは思わなかった。さっきと同じように芋虫歩きでエアリムへと近寄
る。
「大丈夫ですか? 起きてください!」
手で揺さぶって起こしてあげたいけれども、両手が使えないので声をかけて起こす。
「…………ん…………、んん?」
「ああ…………よかった」
反応があった。エアリムはゆっくりと意識を取り戻した。
「ここは…………どこよ?」
「……わかりません。気がついたら僕もここにいました。…………こうして縛られて」
「縛られて? あら嫌だ。アタシも縛られてるじゃないの!?」
エアリムの両足が紐で縛られ、さらにはその先が壁に付けられた金属製の輪に結ばれて
いた。
「ちょっと! 何よこれっ! 嫌よ! 嫌!」
エアリムが羽ばたくと埃が舞う。輝は目と口を閉じてそれを凌いだ。
「ごほっ! ごほっ! 何よっ! ここはっ! 埃臭いわ!」
「騒がないで、ください! まずは、落ち着いて考えましょう!」
「………………それもそうね」
輝の言葉に耳を傾けたエアリムは大人しくなった。横たわる輝の顔の前へとやってくる。
「それで? 何を考えるの?」
「そうですね…………。まずはこの状況から考えてみましょうか。僕たちは……おそらく
監禁されてるんだと思います」
「監禁…………嫌な言葉ね。自由を愛するアタシが一番嫌いな言葉よ」
「……そうなんですか。えっと…………次に僕たちを監禁したのはあの男たちです」
「あの男たち? 知り合いなの? あの嫌な空気を纏った人間たちを?」
「ええっと…………。知ってるって言うか…………。お昼に遠くから見ただけです」
輝は思い出した。
お昼ご飯を食べようと勇汰と一緒に訪れるはずだった食堂を占領していたガラの悪い男
たちの事を。
その男たちが自分たちを取り囲んで、気絶させて、監禁したと。
「それで? どうしてアタシたちがこんな目に遭わされてるのよ?」
「それは…………わかりません」
心当たりは全く無い。
強いて言うならば、ガラの悪い男たちのボスらしき入れ墨の男と目が合った。それだけ
だ。
だがそれだけでこんな目に遭わされるだろうか?
「でも、ここ…………。異世界だしな」
自分達の常識や価値観なんて通用しない世界だろうし。
それに全身に入れ墨を入れてたあの男。遠目で見ても危ない感じがした。絶対に近寄り
たくもない――人生で関わり合いになりたくない人種だと本能で感じ取ったほどだ。
そんな男なら、目が合った。本当にたったそれだけの理由でこんなふざけたことを真面
目にやりそうで怖い。
「とにかく…………。ここから出ないと」
幸いにも見張りは居ないようだ。もし居たら自分達の話し声を聞いて誰かがやって来て
もおかしくはなかった。
「出るって…………どうやって出るのよ?」
「まずは君を自由にするよ」
輝は体の向きを変えてエアリムを縛る足の紐を触った。
縛られてるのは手首。指先は自由に動かせるので、その指でエアリムの紐を解こうとす
るのだ。
「あら、アナタ…………。結構、器用じゃない?」
「あ、ありがとう…………ございます」
こんな状況だが、誉められるとやっぱり嬉しい。
「えっと………………ここは、こうだから…………こうして…………っと! これでよ
し!」
「まぁ凄いわね。本当に解いたわ!」
自由になったエアリムが床を歩き回る。
「いいわねぇ。自由って。アタシ、自由は好きよ」
「良かった。それでその、お願いがあります。ここから出て、神殿まで行って助けを呼ん
できてくれませんか?」
神殿には騎士団が居る。町の治安を守る彼らなら、必ず助けに来てくれるはずだ。
「…………嫌よ!」
「――え?」
まさか断られるとは思ってもみなかった。確かにエアリムにしては巻き込まれただけだ
から、助けを呼ぶ義理なんて無いのかもしれないが…………。それでも人情くらいあって
もいいじゃないか!
「アタシだけで逃げるなんて嫌よ!」
違った。エアリムは輝の腕を縛る紐を、嘴で解き始めたのだ。
「………………ありがとう、ございます」
「お礼なんて別にいいわ。その代わり…………助かったらその耳飾りを頂戴ね」
「………………そうですね。わかりました」
こんな状況でもちゃっかりしてるなと感心させられ――でもそれが何だか心強かった。
・ ・ ・ ・
「こっちよ」
拘束を解いた輝たちは部屋を出て、エアリムの案内で薄暗い廊下を歩いていた。
「この場所。知ってるんですか?」
「いいえ」
輝の右肩に留まり首を横に振る。
「え? でも…………」
何の迷いも無く突き進んでいたではないか?
「風がね…………。教えてくれてるのよ」
「風………………?」
エアリムが飛び立ち、目の前を小さく旋回する。
「アタシは風属性のドラゴンよ。風の声を聞くなんて朝飯前よ」
「そう、なんですか。…………凄いですね」
風の声と言うのが何なのかは具体的には解らないが、きっと凄い事なのだろうと思い感
心する。
「さあ、こっちよ!」
ばさぁっと翼を広げて行く。
「ちょっ! 待ってください!」
その後を足音が鳴らないように気を付けながら走る。
「もう少し静かに出来ませんか? このままじゃ見つかってしまいますよ!」
エアリムを注意する。すると、クルリと回れ右をして戻って来た。
「大丈夫よ。少なくともこの建物の中には誰も居ないから」
「え…………? 本当ですか?」
「本当よ。このアタシが嘘なんてつくと思ってるの? 失礼しちゃうわね」
「あ、いえ。………………すみません」
素直に謝った。するとエアリムが少し笑ったような気がした。
「別にいいわよ。…………本当に面白いわね。君。…………えっと…………名前はなんて
言うのかしら? そう言えばアナタの名前を聞いてなかったわね」
「あ、え…………。そうでしたっけ? それじゃ――」
輝はまず深呼吸を行った。自己紹介。自分の名前を相手に伝える。ただそれだけの事な
のに、その行為は人生でもっとも緊張する一瞬だ。
だから息を整えて、爆発しそうになる心臓を宥める。急速に乾く喉を唾を飲んで潤し―
―。
「僕の名前は風祭輝です」
早口の一息で言い切った。
良かった。今回は噛まなかったとホッとする。
「…………長い名前ね。短く呼びたいのだけれど、なんて呼んだらいいかしら?」
「え? ええと……」
まさか、もうフレンドリーに接してくれるなんて思いもしない。人生初の展開に緊張と
恥ずかしさで頭の中がパニックだ。
「えっと…………そうだすね…………。僕の事は…………下の名前で…………輝でお願い
します」
「輝ね。わかったわ」
エアリムがまた右肩に留まる。
「それでね、輝。あそこに見える扉。あそこから外に出られるみたいなのよ」
「外に!? それじゃ――!」
「喜ぶのはまだ早いわ。見張りが居るわね」
「見張り…………」
「ええ。しかも二人も…………どうする?」
「どうって…………。ここから出るしかないでしょう?」
ここは変な建物だ。一直線の長い廊下に無数の部屋。部屋の中を覗いて何か使えそうな
物は無いかと探した時に気が付いた。どの部屋も窓が木の板で塞がれているのだ。
これでは窓からの脱出は出来そうにない。なので実質、出る為には入り口から出るしか
ないのだ。
「問題は見張りをどうするか…………ですね」
「……そうなのよね。ところで輝。ちょっと聞いてもいいかしら?」
「良いですよ。何ですか?」
「輝は勇者なのよね?」
「え、ええ。そうですけど…………。どうして知ってるんですか?」
自己紹介ではそんな事まで言っていないのに。
「輝と…………あと一緒に居たあの人間もそうだけど。あの町の人間には無い特別な風を
纏っていたわ。アナタたち二人の他にもあと二人。昨日、アナタが一緒に居た人間もそう」
「え? …………どうして知ってるんですか?」
「見てたのよ。と言うよりも目立ってたわ。面白い風を纏っていたから、気になって追い
かけていたの。そうしたら魔物と戦っていたり、ドラゴンと契約したり。
見ていて面白かったわ。今日も面白い物が見られると思ってアナタたちを見てたのよ。
…………そうしたら自分がこうなっちゃったしね。本当は関わるつもりなんて無かったの
に…………。アナタの耳飾りがアタシの興味をそそる物だったのがいけないわね」
「そ、そうですか…………」
つけられていたいたのにも驚いたが、自分の事を知られていた方がもっと驚いた。
ひょっとして…………。
「あの…………エアリム、さん。ひょっとして…………何ですけど…………。守護竜の後
継者になりたいんですか?」
つきまとっていたとは、つまりそう言う事なのだろう。
「そうね…………。それはそれで面白そうだわ。でも…………。そう言うのは巡り合わせ
だから。それにアナタはもう、契約したいドラゴンの当てがあるみたいじゃない」
「それは…………。まだ会ってないから何とも言えないですけど…………」
目印は美しい歌声だけなのだ。実際に会えたとして、契約を承諾をしてくれるか。また
は性格が会うかどうかの重大な問題が残っている。
「そう…………。あらいやだ。アタシとしたら話しが反れちゃったわね。アタシが聞きた
かったのは。アナタ、魔法が使えるの?」
「魔法ですか!? いいいえっ! 使えません!」
そんなの。自分じゃ無理です!
首と手を横に激しく振って否定した。
「そう…………。それは困ったわね。外にいる見張りをアナタの魔法で倒せないかと期待
してたのに…………」
「………………すみません。期待させておいて」
「いいわ。しょうがないわよ。こうなったらアタシがやってあげるから」
「え? 戦えるんですか?」
意外だった。子供の肩に乗れるサイズの小さなドラゴンが人間の大人二人を相手に出来
るなんて。
「やれるだけ、やってみましょう!」
そのセリフで、エアリムが無理をするんだと解ってしまった。
・ ・ ・ ・
「あの…………やっぱり僕も戦います」
そう言うと、エアリムが口をポカンと開けた。
「どうしたの? アナタ…………戦いなんて苦手そうに見えたけど?」
「それは…………。そうです。戦いなんてやった事無いですから。でも…………自分だけ
なにもしないのは嫌なんです」
「そう…………わかったわ。ならアナタにも手伝ってもらうわね」
エアリムが肩にストンと留まる。
「このままドアまで行って。気づかれないように静かにね。……………………そう。それ
でいいわ。それからドアノブを見て――」
「…………こう?」
言われるがまま、しゃがみ込んでドアノブを見る。
「…………鍵がかかってるわね。ま、閉じこめるんですからこれくらいはそんなのは当た
り前ね」
「どうするんです? 鍵なんて無いですよ?」
「大丈夫よ。この鍵、古いから……」
エアリムが翼で鍵穴を撫でる。すると――カチャリと音がした。
「凄いですね。どうやったんですか?」
「風の力を使ったのよ。単純な構造だったから上手くいったのよ。さあ…………。これか
らが問題よ! いい?扉を開けたら一目散に走りなさい。アナタがやる事はそれだけよ」
「それだけ? 戦わなくてもいいんですか?」
「ええ。アナタじゃ戦っても勝ち目は無いわ。大丈夫。私に考えがあるから。さあ、急ぎ
ましょう!」
「はい!」
ドアノブを握る。目と目で合図を交わして――。
「行く!」
合図で飛び出した!
「なっ!?」
「おいっ!?」
外に居た見張り二人はすぐにこちらに気がついた。でも二人とも入り口から離れていた
みたいで、距離がある。
「くっ!」
歯を食いしばりまっすぐ前だけ見て走る。
「くらいなさいっ!」
「うわっ!?」
「おわあっ!?」
エアリムが何かしたようだ。
「…………何を…………した、んですか?」
「大した事はしてないわ。風であいつらの足下をすくって転ばしただけ。すぐに起きあが
って追いかけてくるわ。その前に逃げるわよ!」
「はいっ!」
欠け始めた月の下。まだ明るい夜道を全力で駆ける一人と一羽。
「はぁ…………はぁ…………」
息が切れる。辛いので、気を紛らわせようと空を見上げて星を眺める。
もう夜だ。きっと今頃は皆、心配してるだろうな。
そんな事を考える。
出会って間もないが、皆良い人たちばかりだ。自分に何かあれば泣いてくれるような、
そんな人たちだと信じてる。だからこそ。自分はちゃんと生きて、無事に戻らないといけ
ない!
そう決意する。だから走るのが苦手でも、我慢して走れるのだ!
「待って! 留まって!」
「え!?」
急だった。エアリムが前に飛び出して止めたものだから、足がもつれて倒れてしったで
はないか。
「…………どうしたんですか?」
「…………ダメ」
前方を警戒している?
「前から…………凄く嫌な風が吹いてくるの!」
「凄く…………嫌な風?」
すぐに立ち上がり――身構える。
ちょうど月は雲に隠れていてよく見えない。だが…………。
「誰か居る? …………来ている?」
何となく。嫌な気配を感じた。凄く…………凄く嫌な気配を。
「…………誰?」
もうすぐそこにいる!
その時だ。雲が切れて月明かりが差して来たのは。
「………………え? ヴィクター…………さん?」
目の前に居たのは、騎士団の団長ヴィクターだ。どうして彼が? そんな疑問はすぐに
解ける。
彼は騎士団で、夜になっても戻らない自分を捜していたのだろうと。…………きっと本
人は嫌々だろうが、エマに叱られて渋々来たのだろう。だから自分を見つけたヴィクター
の顔があんなにも不機嫌そうにしてるんだ。
「…………あの。すみません。その…………これには深い事情がありまして…………」
怒鳴られる前に言い訳を始める輝はゆっくりと彼に近寄る。
「ダメよ!」
エアリムが止めてきた。
「え?」
「あの男からよ! 嫌な風が出てるのは!」
「………………え?」
「あいつだけじゃないわ! もう一人。そこにも居る!」
エアリムが翼で指したのはヴィクターのすぐ後ろの木の陰。
「………………チッ!」
距離があっても聞こえる舌打ち。その木の陰から男がゆっくりと姿を現した。
「あ…………!」
その男にも見覚えがあった。赤髪のソフトモヒカンの入れ墨男。自分たちをさらった奴
らのリーダーだ。
「おい。どうしてこいつがここに居る?」
ヴィクターが訪ねる。その相手は目の前の自分ではない。後ろにいる赤髪の男にだ。
「チッ! 使えねぇ奴らだ!」
男が手をかざす。
「ひっ!」
「お許しを!」
後ろから悲鳴が聞こえたので振り返る。いつの間にか追っ手に追いつかれていた。ただ、
そいつらはリーダーを見て恐怖で顔がひきつっていた。
「役立たずが!」
赤髪の男が腕を振る。すると――突風が巻き起こった!
「うわぁあああっあ!?」
「ひぃいいあああぁつ!?」
その突風で体を巻き上げられた追っ手二人は、五メートルくらいの高さから地面に叩き
つけられた。
…………小さく痛いと呻く声が聞こえるので死んではいないようだ。
「…………ひどい。仲間なのに」
「…………マズいわね」
エアリムが肩に留まる。
「あの男。魔法を使うわ。しかもかなり強力な。アタシたちじゃ手も足も出ない」
「そんな…………」
どうするか?
自力でどうにか出来ないならと、目の前のヴィクターに助けを求めるが…………。
「ダメよ。あの男も、もう一人の男と同類よ」
「同類…………? まさか!? 仲間っ!?」
騎士団の団長と人攫いが!?
「…………どうして?」
輝がヴィクターを問いただす。だがヴィクターはこちらなど完全無視を決め込んだ。
「おい、エドモンド。…………簡単に逃げられては困るぞ。もっと人数を増やせなかった
のか?」
「文句を言うな。本来の仕事の為に部下を走らせてるんだ。そもそもこのガキの誘拐なん
て仕事は予定外だ。…………こいつを殺せば話しが早いだろが!」
「っ!?」
物騒な相談を目の前でされて足が震え出す。
「殺すのはダメだ。少なくとも今のタイミングでは」
「チッ! めんどくせぇ!」
エドモンドと呼ばれた赤髪の男がこちらを睨みつける。
「おい、ガキ! 自分の足で戻れ! さもなくば――」
腕を掲げる。
もう一度、風の魔法を使う気だ。
「…………どうしよう?」
エアリムに相談すると、意外な答えが返ってきた。
「大人しく言う事を聞きましょう」
「え? でも…………」
「あいつらの力はアタシたちよりも遙かに上よ。もし逆らって怪我を負わされたら、それ
こそ逃げ出すチャンスが無くなるわ」
「………………わかりました」
輝とエアリムは大人しく元の監禁小屋へと戻った。
・ ・ ・ ・
ぐぅうう。
「……………………」
部屋の隅で体育座りしていた輝は恥ずかしさのあまり、真っ赤な顔を足に埋めた。
ぐきゅるぅ。
「ぅぅぅ…………」
こんな時でも腹が減るなんて、人間の体はなんてタチが悪い。
「ぅぅう…………。お腹が空きました」
部屋中にお腹の音を響かせる恥ずかしさ。でもそれよりも空腹に襲われる辛さの方が勝
ってしまう。
今なら例え大勢に見守られながらでも平気で爆食いできそうだ。
「はぁ…………」
本当に腹が減った。
向こうに居た時は小腹が空いたら適当にお菓子でも食べてその場を凌いでいたのに……
…………。この世界ではそうはいかない。
「こんな事になるなら、お昼ご飯。…………もっとちゃんと食べておけばよかった」
後悔が押し寄せる。
何となく選んだ喫茶店のような店で出された食べ物。
………………あれ? そう言えば、あの食べ物の名前は何だっけ?
いや。そもそも知らない。知ろうともしなかった。あの時は――いや! 自分が常に気
にしてるのは他人の視線。
自分がどう見られているか、なんて。そんな事ばかりを気にしてたから。
もっと他に気にすべき事を見逃してきた。
「………………本当に…………自分って情けないですね」
もっと堂々と生きていたい!
ここでなら、自分を変えられる。そう思っていた矢先にこれだ。
タイミングが悪いか。それともこうなるまでに、自分が何か行動を起こしてれば、そも
そもこうはならなかったのか?
現状は解らない。だから前向きに考えるなら、今からをどうすればいいかを考えるべき
だ。
ただ…………。
「…………。お腹空きました」
この空腹が本当にやっかりだ。気持ちを前向きに考えるのを邪魔し、行動力を奪う。
「…………ねぇ。エアリム」
顔を伏せたまま、小声で隣に座るエアリムに語りかける。
「…………どうしました?」
エアリムは風の魔法を使って自分たちの声を自分たちにしか聞こえないようにしてくれ
た。
これなら入り口でしっかりと見張ってる男にも気づかれないだろう。
「どうやってここから出ましょうか?」
「…………今はまだ待ちましょう。あの男がまだ居るから……」
「あの男?」
ヴィクターとエドモンド。この二人のどっちかだろう。…………と言うことは一人は居
なくなったのか。
「魔法を使う方よ。もう一人はしばらく前に出て行ったわ」
「…………そうですか。それはちょっとマズいですね」
輝は危機感を抱く。エドモンドと言う男はどうも頭のネジが一本どころか何本も抜けて
るような男だ。
この部屋で自分たちを監視する手下の男。この男の顔には痛々しい痣がある。これはさ
っき自分たちに逃げられた罰として風で吹き飛ばされた後にも何発も殴られた後だ。
正直、目の前でそれを見せられたお陰で心が挫けそうになった。今もそう。殴られた男
の痣を見る度にその光景が頭に浮かんでくる。それを見ていたくなくて顔を埋めている方
が視線以上の理由だ。
「あの男の人と…………どうしてヴィクターさんが一緒に居たんでしょうか? それに…
………何かをやるような事も言ってましたし」
「アナタの知り合いの騎士団の男ね。あの男からも嫌な気配を感じたわ」
「…………その嫌な気配って具体的にどういうのですか? …………悪意とか?」
「そうね。それもあるわね。でもそれと限りなく近い気配をアタシは知ってるわ」
「近い気配? …………それは何です?」
「………………魔物よ!」
「えっ!?」
思わず顔を上げて驚く。輝の声に驚いた見張りがビクッと体を震わせて立ち上がり――
こちらへと近づいてくる。
「おいっ! 大人しくしていろ!」
「…………はい。すみません」
よかった。注意だけで気づかなかったようだ。
「………………驚き過ぎよ!」
「ごめんなさい。…………でも本当なんですか? あの二人が魔物だなんて…………。ヴ
ィクターさんは…………人間だと思いますけど?」
神殿の関係者たちからの信頼厚く、守護竜の巫女であるエマとも仲が良いのに。
「人間よ。二人とも。でも気配は…………魔物に凄く近いの」
「…………ひょっとして。魔物に操られているのでは?」
勇汰や友希からの話しでは魔物は人間やドラゴンを操ると。猛の時は事情が違ってたみ
たいだが、今回はそのパターンではないだろうか?
「そうねぇ…………。それは違うかもしれないわね」
「…………え? どうしてですか?」
「魔物に操られた生き物を見た事があるの。自我を失って操り人形になるのよ。でもあの
二人は違うわ。ちゃんと自分の意志で動いている。こんなのは初めてだからアタシにもわ
からないわね」
「そう…………ですか…………」
まったく…………解らない事だらけだ。
目を閉じて、もう一度状況を整理する。何か手は無いかと考えるために行ったのだが―
―。
「ごめんなさいエアリム。君を巻き込んでしまって…………」
よくよく考えてみれば、エアリムは本当に巻き込まれただけの被害者だ。それなのに自
分に付き合ってくれている親切なドラゴンだ。
「別にいいわよ。面白そうだったからね。それに――アナタ一人だと心配だから」
「!? ………………そう、ですか」
エアリムの言葉が胸をチクリと刺した。
「それよりも、脱出の計画を練りましょう。あのエドモンドと言う男が居なくなったら動
きましょう」
「でも…………どうやってです? 見張りも居ますし…………。逃げてもまた外で鉢合わ
せしたら…………」
「多分、大丈夫よ。まず見張りの男ね。彼はアタシの魔法で転ばした後、アナタが気絶さ
せるの。…………これは大事ね。この男は恐怖に縛られているわ。もしもう一度アタシた
ちを逃がしたら、また暴力を振るわれる。だから今度は必死になって襲ってくるわよ。だ
からアタシたちも手を抜くわけにはいかないわ。…………アナタも覚悟を決めなさい!」
「………………はい」
覚悟。人を殴る覚悟を。
………………正直、解らない。理屈では解っていてもいざ、その時が来たら自分がそう
動けるのかなんて。
それでも――やるしかない。
そう自分に言い聞かせる。
「頼んだわよ。アタシの力じゃ、人間を気絶させられるかどうかわからないから…………。
それから外に出たらまずは上を目指すわよ」
「上?」
「ええ。さっき外に出て気がついたのだけれど。どうやらこの建物は崖に沿って建てられ
ているみたいなのよ。崖下の入り口から入って、階段を上って上の入り口から崖上へと出
られるように。…………崖を上る階段と建物が一緒になった建造物みたいね。…………た
だもうこれを使わなくなって年月が経つみたいだから不安だけど…………。取りあえず、
一度崖上に上って遠回りしてから逃げるわよ」
「………………はい。わかりました」
この状況で冷静でいられるエアリムを素直に凄いと関心する。でもそれが逆に輝のある
決意を妨げていた。
・ ・ ・ ・
「………………」
輝は拳を強く握ることで体の震えを押さえ込んだ。
「…………大丈夫? 無理はしないで。そう言ってあげたいけれど、状況が状況だからね。
輝には頑張ってもらわないと」
優しく勇気づけるエアリム。だがこれが逆にプレッシャーになっていた。
「………………」
ダメだ! 震えが留まらない!
一瞬は消えたかと思えた震えがまたぶり返す。
「……………………」
緊張で指先が痺れてきた。
「………………落ち着け! 落ち着くんだ、僕!」
そう自分に言い聞かせる。
「………………」
エアリムから心配してくれる視線を感じる。
「…………大丈夫、です」
そう言葉を返す。でもこれは自分に言った言葉だ。
大丈夫。まずは落ち着こう…………。
まずは頭の中で適当な事を考えて気を逸らす。向こうで見ていたマンガだったり、アニ
メだったり。何でもいいからとにかく考える。
「…………ふぅ」
呼吸も整える。
あれ? そう言えば、さっきまでの空腹はどこに行った?
そんな事を考えたら震えが若干弱まった。
「………………落ち着いた?」
「………………少し…………は」
落ち着いて答える。
「………………どうする? 本当に無理なら別の作戦を考えるけど?」
「いえ…………。大丈夫です」
そう答えても、エアリムの表情は変わらず心配そうにしていた。
大丈夫。作戦は大丈夫なんだ…………。
輝は深く息を吐く。
エアリムが考えてくれた作戦での自分の役割には不満も無いし、問題も無い。
その中には人を殴るかなにかして気絶させるような内容もあるが、それも問題ない。
必要なら暴力を奮う事も――覚悟は出来る。
だけど――!
体が震える本当の理由は別にあった。
それは――覚悟。ある事を伝える覚悟。
「エアリム。僕と契約してください」
実はたったそれだけを言い出せずに、恐怖で震えていたのだ。
………………本当に情けないと思う。暴力行為や殴り合いになる事よりも、血も流さな
ければ痛い思いもしなくてすむ言葉を伝える行為の方がよっぽど怖くて恐ろしいのだから。
別に…………エアリムには何の不満もない。
最初は自分勝手だなと思っていたけれど、ピンチの状況でも冷静に物事を考えられるし、
自分を見捨てないでいてくれる。それがとても心強い。
エアリムが居るお陰で自分もこうして取り乱せずにすんでるのだから。
でも…………だからこそ、余計に言い出せなくなってるのも事実だ。
(僕なんかじゃ…………エアリムには釣り合わない)
自分を卑下する心が契約を踏みとどまらせている。
契約だけじゃない。友達作りも同じだ。
小さい頃から友達を作るのが下手だった。自分から人に話しかける事が出来ないでいた
から。
人と話すのが恥ずかしい。その気持ちが一番で、その次に怖い気持ちもあった。
怖いのは、もしも自分が話しかけても無視されたり、邪険にされたりするんじゃないか
とか。そんな風に考えてしまってブレーキをかけてしまう。
その根底が自身に自信が無い事と、ある特別な価値観だ。
その価値観とは、自分にとって友達とは「対等な存在」だと言う事。
友達になりたい相手が居ても、その子の凄い所を見つけては自分と比較し、自分が劣っ
ていると思うと相手に悪いなと遠慮してしまう。
自分なんかが友達になると、相手の価値を下げてしまうから。そう考えてしまい、友達
を作るのに失敗し続けてきた。
人と話すのが恥ずかしい――自信のない自分自身が恥ずかしい。
人と話すのが怖い――人から自分なんて大した事の無い人間だとハッキリ言われるのが
怖い。
これが自分の人見知りの正体だ。
そして――それはもう輝自身もちゃんと解ってる。こんなのはただの被害妄想だと言う
事に。
物事を悪く考えすぎだと、自覚もしてる。
けれど…………いざ人を目の前にすると考えるよりも体に染み着いた悪癖が真っ先に顔
を出すからいつまで経っても改善しない。
(変わりたい!)
せっかく過去の自分なんか関係ないこの世界に来たのだから、思い切った事をやってみ
たい!
自分を変えるキッカケに――!
ふと顔を上げて指で耳を触る。
「………………あ」
このイヤーカフは自分を変えるキッカケになればと思い買った物だ。だけど結局は自分
を変えられずに、ただの恥ずかしい思い出になってしまった。
昼間までは――。
「………………頑張って………………みようかな?」
勇汰に背中を押されて初めて人前で着けてみた。いざ着けて歩くと…………思ってた程
じゃなくて拍子抜けした。
案外そんなものなのかもしれない。
自分はいつも考えすぎで、やってみると本当に大した事なんてないのかもしれない。
「何も…………考えずに」
予めエアリムに伝えたい言葉を頭の中に用意しておく。
それから――その言葉を押し出す。
何も考えずに!
「エアリム。僕と契約してください!」
あれだけ、言おうとすると怖くて体が震えたのに。拍子抜けするほど、すんなり言葉が
出てきてしまった。