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パジャが広場に戻るとすぐに中尉が寄ってきた。
補給中隊の中隊長を勤める、名をキーラ・ラズベリーという。
パジャの上官になる。
色白の黒い長髪、大きな丸眼鏡がトレードマーク。
軍人と言うよりお嬢様というほうがしっくりくる。
パジャもお嬢様然としていたので、キーラとは気があった。どちらかと言うとキーラの方が一方的になついている感じだ。
「パジャさん、パジャさん、何処に行っていたのです~。
探したんですよ。
今ね。町が大変なことになっているそうなの。
町に駐屯してる大隊の人がきて、力を貸してほしいって。
なんだったかしら。
ゾンビ?そうそう、ゾンビ!
それが町に現れて、大騒ぎなの。」
ぎゅっと、拳を握って、状況を一生懸命説明してくれる。
「ゾンビではなく、リビングデッドですよ。中尉。」
パジャはやんわりと訂正する。
パジャの言葉にキーラはキョトンとする。
「リビングデッド?」
ゾンビもリビングデッドも同じアンデットだが、魔物学的には違う魔物に分類されていた。
ゾンビとは魔法により召喚されたアンデットを意味する。形態が違うため呼称が変わるがスケルトンやコープスゴーレムも広義の意味ではゾンビに分類される。
一番大きな違いはゾンビが召喚した術者に従う点と不死性が高い点だ。リビングデッドは発生原因になる呪いの蓄積された場所、すなわち、感情の源となる頭を破壊されると動きを停止するが、ゾンビ系魔物は頭を破壊しても動きを止めない。ゾンビを止めるには召喚した魔法を無効にするしかない。その代わり、不死感染はしない。
ゾンビとリビングデッドのどちらが対処しやすいかというと答に窮する。ケースバイケースと言わざるを得ない。
今回の場合は、不死感染があるリビングデッドの方が始末が悪いと言えた。
「まぁ、細かな話は後ほど、ゆっくりといたしましょう。
リビングデッドの事は、来る途中で聞きましたから存じております。
それで、大隊の方々は何と言っておられるのですか?」
「町の人達をここに集めるのを手伝って欲しいそうよ。」
キーラ中尉は、大隊の人員が既に広場に防衛線を構築し始めていることと、町の住人の避難を補給中隊で受け持ってくれるよう要請を受けている事を説明した。
「妥当な話ですね。
第1、2小隊の魔導車を使えば足の遅い老人や子供を素早く避難させれます。」
キーラは、嬉しそうに手を叩く。
「じゃあ、パジャさんも賛成してくださるのね。」
「勿論です。」
パジャは、微笑みながら答えた。
パジャとキーラは直ちに補給中隊での避難勧告と避難困難者の輸送計画の立案を始めた。
「第4小隊は所定の場所に到達しましたか?」
「まだです。もう、15分程かかる見込みです。」
導話兵からの回答にアリスは、そうですかと呟く。
アリス大尉は悩んでいた。
手持ちの中隊の内、第3小隊は防衛線構築に投入し、第4小隊は北部の防衛に向かわせている。第1小隊の内、1個分隊は既にアルサにつけて診療所に向かわせていたので、今、アリスの手持ちの予備は1個小隊と1個分隊というところだ。
そんな状況の中、アルサからの連絡が途絶えていた。
よい兆候ではない。
アルサからの最後の連絡は『リビングデッド多数』だった。
町の南西は既にリビングデッドに汚染されていると思うべきだろう。アルサの部隊が壊滅したのなら、すぐに穴を埋めなくてはならない。問題はどのくらいの規模を投入するかだ。
「サリー、ジェシー中尉に1個分隊を南の防衛に充てるように言って頂戴。
診療所の所よ。
可能ならアルサの部隊と合流して、事にあたるように。
リビングデッドの駆逐ではなく、防衛に専念させて。
防衛線構築迄の時間を稼ぐのが目的だと伝えなさい。」
近くにいた当番兵に伝令を頼むと、今度は導話兵に向かっていう。
「バンナ准尉に繋ぎなさい。」
「つまり、南からの侵入と南西部のリビングデッドの拡散を同時に防げ、といってるんですね。
住民の避難勧告は誰がやるんですか?
補給部隊に任せろ?
本気で言ってますか?」
バンナは、何度か導話機に向かって言葉を交わしていたが、最後はため息混じりに導話機を切った。
「今、どんな状況だ?」
と、隣に待機しているマギーに問う。
「手分けして住民の待機をさせています。
この辺は、まだリビングデッドには汚染されてないようです。
町の周縁の監視からはまだなにも言って来てませんね。」
「汚染は南西部の方で起こっているようだ。」
マギーに説明しながら町の地図を示す。
「街道の東側、つまり、我々のいるところはまだ大丈夫の様だ。
外からの攻撃に備えつつ、南西部からのリビングデッドを食い止めろ、との命令だ。」
「同時にこなすのには人が足りないのでは?
そもそも、相手がどのくらいなのか分からなければ人員配置のしょうがないと思いますが。」
マギーの問いに、バンナはなにも言わない。
南西部のリビングデッドは、住民が供給源になるので予想がつかない。南西部全域の住民が全てリビングデッドになるのなら単純計算、250から300体のリビングデッドを相手にしなくてはならない。
片や外から町に向かって来るであろうリビングデッドの数は60体程度と予想できるが1体でも町に侵入を許せば、ねずみ算的にリビングデッドを生み出す可能性がある。
どちらにせよバンナの手勢は30人程度なので、片方だけに対応するとしてもこちらの方が劣勢になる計算だ。にもかかわらず、両方同時に対処せよという指示だ。
基本的に指示に無理がある、とバンナは思う。
思うが、指示は指示だ。
やれることを考えるしかなかった。
バンナは大きく息を吐き、どうすべきかを考え始めた。
***** サーティーンズ クロニクル *****
ポーラー少尉達、第4小隊が町の北部周縁に到達した時、町は完全に闇に包まれていた。
運が悪いことに今夜は新月。町の外に広がる草原を照らすのは星明かりしかない。
双眼鏡を使ってみても暗すぎてなにも見えない。
ポーラーは翻って町を見る。
見た目には異常は見られない。
「今の内に防御体制を整えましょう。背の高い建物に人員を配置させて。住民は広場へ退避させなさい。」
「そこ!中に入って。急いで!」
魔素弾で突進して来るリビングデッドの頭を射ぬきながらアルサは叫ぶ。
アルサの横にいた、タマラが扉に手をかける。
鍵は掛かってはいない。
扉を勢い良く開けると魔素杖を構えて飛び込む。
すぐ後ろを誰かが続く。同じ班のジャンヌだと横目で確認しながら、素早く部屋の中を確認する。
居間の様だ。
真ん中に大きなテーブル。
テーブルの上には今夜の夕食の用意がされていた。
人はいない。倒れた椅子が何脚かあるだけだった。
「クリア!」
外に聞こえるように大声で叫ぶ。
2秒程間を置いて次々と仲間が入って来る。最後がアルサだった。
「扉を閉めて!」
ケリーが扉を占めるとジャンヌがテーブルを押して扉を封鎖する。
テーブルに置いてあったスープが落ち、派手な音を立てて床で砕け散る。
「窓も封鎖して。」
アルサの指示で、二人係りで家具で窓を塞ぐ。
「他に侵入されそうなところを探して封鎖して。」
部屋の奥に扉があった。
タマラが中を伺う。
台所の様だ。
裏庭に続く扉が大きく開け放たれているのが見える。さらに、部屋の隅にリビングデッドが2体、床に倒れている人間に武者ぶりついていた。
反射的に杖を構えるタマラをアルサが制する。
アルサは、指を口に当てる。
静かに部屋の扉を閉め、手近の椅子を使って扉をロックする。
部屋の安全を確保して、ようやく、みんなホッと息をついた。
「生き残ったのはこれだけかしら。」
部屋にいる人間を確認しながら、アルサは呟く。
部屋にはアルサを含めて5人いた。
タマラ、ジャンヌ、ケリー、そして、サラ。
サラは右肩を押さえていた。
「あなた、怪我しているの?
リビングデッドに噛まれたの?」
アルサが見咎め、サラに問う。
サラはなにも答えない。
真っ青で、額に汗が浮かんでいる。かなり、具合が悪そうだった。
サラに近づこうとするアルサの間にケリーが庇うように割って入る。
「ちょ。
何をしようとしてるんですか。」
ケリーは噛みつくような勢いで言う。
「どきなさい。
彼女がリビングデッドに噛まれたかどうかをはっきりさせたいだけよ。」
「はっきりさせてどうするんですか?」
「リビングデッドに傷つけられたら、不死感染する可能性があるわ。そうなったら、可哀想だけど、放っては置けない。」
一瞬のためらいの後、アルサは答えた。
「放っておけないって、どうするつもりですか。」
と、言いながらケリーは魔素杖をアルサに向けた。
「あなたこそ、なんのつもりですか?
ケリー一等兵。どきなさい!」
「どきません。サラは私たちの仲間、?!」
サラが突然、ケリーの首筋に噛みついた。
鮮血が飛び散り、ケリーの魔素杖が暴発する。
魔素弾はアルサの頭を粉砕する。不意の出来事で障壁を張ることもできなかった。即死だった。
部屋はたちまちパニックに陥る。
タマラとジャンヌは魔素杖を構えるが、サラとケリーは絡みあった状態のために狙いがつけれない。
「ヒッ。」
タマラは小さな悲鳴を上げる。
魔素杖が再び暴発して壁を破砕する。
しがみつくサラとそれを引き剥がそうともがくケリーは部屋の中央で、まるでダンスを踊るようにぐるぐる回っている。
噛みつかれる度に、ケリーの魔素杖が暴発する。
タマラもジャンヌも床に伏せ、魔素杖の流れ弾を避ける。
フッと部屋が闇につつまれた。
流れ弾が部屋の光球台を破壊したようだ。
暫くの間、争う音が部屋の中で響いていたが、やがて、静かになった。
「全員、所定の位置につきました。」
ポーラー少尉はセリカ軍曹からの報告を、北へ抜ける街道にある衛士詰所で聞いた。
「ご苦労様。
で、相手はまだ見えないかしら?」
「報告はありません。
しかし、少尉。分散配置し過ぎではないですか?」
ポーラーはセリカ軍曹を暫し、黙って見詰める。
「仕方ないでしょう。どこから来るか分からないんだから。
どこから来ても対処できるようにしておいて、1秒でも早く見つけて押さえ込んでいく。
ノロノロ歩いて来る相手だから、良い射撃の的になるでしょう。
ところで、住民の避難勧告とか進んでいるの?
残っていると戦闘の邪魔になるけど大丈夫かしら。」
「外周の最低限の避難勧告は我々がやりましたが、避難任務は大隊本部が手配していますので、何とも。」
「ふーん。
キャリー、本隊に南部の避難の状況を確認して。」
そう導話兵に指示したポーラーは、耳を澄ます。
微かに魔素杖の発射音が聞こえた。
「どこ?」
「西です。」
ポーラーとセリカは外に出て西を見るが、良く分からない。
「元第4中隊の方達かしらね。
軍曹、1個分隊で迎撃よろしく。
私は、引き続き東を警戒するわ。」
「了解しました。」
敬礼をして走り去るセリカを見送りながら、長い夜が始まったとポーラーは思った。
「それでは、皆さん、宜しくお願いします。
汚染が始まっている南西部担当の方は特に注意してください。
以上です。」
キーラの号令で、即席の避難誘導部隊が一斉に動き出した。
「お疲れ様です。」
パジャは、淹れたてのコーヒーをキーラに手渡す。
「ありがとう。
意外に手間取りましたね。」
「仕方ないです。
でも、広場の近くに衛士舎が会って、良かったです。」
輸送計画の立案に時間がかかると判断したパジャ達は、町の衛士に先行で避難勧告だけでも出すように依頼したのだ。
広場の目と鼻の先に衛士舎があったのは本当に幸運だった。
衛士舎には、宿直の衛士が30人程いた。
衛士とは、軍組織の一つで町の治安維持、犯罪捜査を専門に行う部隊だ。町の治安維持に必要な装備しか持っていないため、戦闘力は期待できないが土地勘があるのは避難誘導には大きな力になる。
衛士達の活躍で、すでに広場近隣の住民達は順次集まって来ていた。
キーラは、そばに待機する兵士に言う。
「避難してきた人は広場の中央に集めて、待機させてください。
希望者には、食べ物とか飲み物を支給してください。
後、検疫は厳重に。
リビングデッドに傷つけられたら者がいたら隔離して。
たとえ、赤ん坊だとしてもね。」
兵士を見送りながら、キーラはため息をつく。
「ああ、嫌だ。
本当に赤ん坊が、リビングデッドに噛まれてでもしていたら・・・。
私、とても決断できそうにないわ。」
「もし、そうなったら、先ず、助ける方法を探しましょう。
そして、駄目だったら・・・、わたしが指示をしてもいいですよ。」
パジャは、キーラの手をそっと握った。
キーラはパジャの顔をじっと見詰めると、泣きそうな笑みを浮かべ答えた。
「ありがとう。
でも、駄目よ。あなたにはさせられない。
それは、わたしの仕事だから。」
「この街道筋、これが我々の防衛線だ。」
と、バンナは言う。
「道幅は約20メートル。リビングデッドの速度なら渡りきる迄に4、50秒かかるだろう。
東側に陣取り、道を越えてくるリビングデッドを狙い撃つ。
簡単な仕事だ。」
小隊全員を一列に並べ、バンナは説明をしていたが、後ろを向く。
「もうちょっと、道幅を拡げた方がいいかもしれない。」
そう言いながら、バンナは魔素錬成杖を構える。
錬成杖は、外観は魔素杖に似ているが全く別の物だ。
魔素杖は弾倉に蓄積された魔素をエネルギーにして魔素弾を撃ち出すものだが、錬成杖は装填された錬成弾を撃ち出す。単発式だ。その代わり、錬成弾に練り込まれた術式により様々な魔法が発動する。
バンナは錬成弾を目の前の建物に撃ち込む。
次の瞬間、建物は大爆発を起こす。
錬成弾に練り込んだ爆裂術式が発動したからだ。
バンナは、無言で爆裂系の術を練り込んだ錬成弾を再装填し、続けて隣の家に撃ち込む、更にもう2回、同じ事をする。
錬成弾を撃ち込まれた建物は爆発し、幅50メートル、長さ100メートル程の空間が瓦礫の山となる。
「これで、道幅が拡がった。
ついでに、バリケードの材料も出来た。
さて、奴等が来る前に手分けして瓦礫でバリケードを作るぞ。
急げ!」
手を叩き、呆気にとられている隊員を正気付かせると、大声で指示を飛ばした。
「そうじゃない。頭を狙いなさい。
じゃないとリビングデッドは止まらないわよ!」
セリカは大声で叫ぶ。
叫ぶが、部下達の射撃は、なかなかリビングデッドの頭に当たらなかった。
本人達は良く狙っているつもりなのだが、体が小刻みに震えている事に気づいていない。
リビングデッド達は、ノロノロではあるが確実に近づいて来る。数も圧倒的に多い。しかも、魔素弾が幾ら命中しても頭でなければ動きは止まらない。そのプレッシャーは想像を越える。まして、隊員達は、半分以上が実戦の経験のない新人だった。浮き足だつのも無理がなかった。
隊全体がパニックを起こす寸前だった。
「少尉に増援を依頼して。」
セリカは、横にいた兵士に小声で指示する。
「退避!
一旦、距離を置いて。」
セリカは体勢を整えようと隊に後退を命じた。
「准尉、来ました。」
マギーの指す方向を見ると、即席で作ったバリケードの先に黒い影が見えた。バリケードの要所に設置しておいた、かがり火に照らされボンヤリと浮き上がって見える。
その数、14、5体。
ゆっくりではあるがバンナ達の方へ近づこうとしている。
しかし、バリケードに阻まれなかなか近づけない。
「時間は充分あるから、落ち着いて狙っていくんだ。」
バンナの言葉を受け、マギーが無言で手を振り下ろす。
同時に小隊全員が一斉にリビングデッドに攻撃を開始する。
ものの数秒でリビングデッドは、頭を粉砕されて動きを停止する。
「次の攻撃に備えて、交代で休みを取らせてくれ。
後、退路を絶たれないように後方の見張りにも人を割いておくように。」
バンナは、ひとしきり指示をすると、暫く小隊の指揮をマギーに委譲する。
導話機をとり、話し始める。通話先はカナレだ。
カナレは、元第2中隊迎撃の為に一人だけ別行動を取っていた。
南側から来るであろう元第2中隊のリビングデッドと南西部の汚染地域から侵攻してくるリビングデッドの両方に対処するような命令されたバンナは、南西部からのリビングデッドに小隊の全戦力を使う事にした。
数で劣るバンナ達が、広範囲に戦力を分散させても数の暴力で押しきられるのは明らかだ。
今回のようなケースは戦力を集中しての各個撃破が常道なのだが、汚染地域から進出してくると予想されるリビングデッドは確個とした本隊というものを持たないので手早く撃破することは難しい。一方、第2中隊のリビングデッドは、位置さえ特定出来れば撃破は可能だ。
問題は二つ。位置の特定とバンナ達の機動力の無さだ。
特に機動力の無さが致命的だった。仮に第2中隊の撃破に成功しても戻って来るのに時間がかかれば南西部のリビングデッドの侵入を許す事になる。
だが、幸いな事にバンナの手駒にはカナレがいた。
カナレなら一人で4、50体のリビングデッドを相手にできる。
更に、都合の良いことにカナレは二重属性持ちだった。
本来、一つしか扱えない魔法の属性を希に複数扱える者が存在する。それを多重属性持ちと呼ぶ。
カナレは、主属性の水以外に副属性として風が扱えるダブルマスターだった。
副属性は主属性程上手くは扱えないのが普通なので、さすがにセリーヌのように空を飛ぶような芸当は出来ないが、探知の魔法程度は難なくできる。
なので、バンナはカナレに単独での第2中隊の迎撃を任せる事にしたのだ。
「カナレ。
カナレ、聞こえるか?」
「聞こえるよー。」
「状況を教えてくれ。」
「捕捉したよ。今、戦闘中。
44とっ。」
「え、何だって?」
「あー、倒した数ね。44人目。」
カナレはそういいながら、アリアンギアの天弓を放つ。
矢は40メートル程離れたリビングデッドの頭を一発で射ぬく。
星明かりしかない状況で、この距離を目視することは不可能なのだが、風の探知魔法とアリアンギアの天弓のホーミング能力の組み合わせで100%の命中率を実現していた。
「45。
残り、14なのねー。全部、倒すと59。
うーん。10人程、数が足りてないかなー。
周辺にはいないね。とりこぼしたかも。」
カナレの言葉に、まぁ、それも想定内、とバンナは思った。
取りこぼしのリスクも見込んで、既にカナレ小隊の残存人員で南東部外周住民の避難を進めていた。
仮に町に侵入を許しても不死感染する住民がいなければ、10体のリビングデッドは10体のままなので、大きな脅威にはなり得ない。
「了解。ある程度、探して見つからないようなら、切り上げて戻って来てくれ。こっちの方も安定しているが、いつ、どうなるか分からないからな。」
「了解。」
カナレとの話を打ち切る。
状況は小康を保っているので、30分ほど余裕がとれそうだった。
「余裕のあるうちにやっておくか。」
バンナは、つぶやくと部屋の片隅に静かに移動した。
「どういうこと?」
思わずアリス大尉は叫ぶ。
ポーラー小尉から第4小隊潰走の報を受けての事だ。
会敵報告から僅か15分での崩壊だった。
引き金は体勢を整えようと、一旦、戦線を後退させようと指示したことだった。
恐慌一歩手前の部隊への後退命令は、留めない後退の呼び水になった。後退指示を受けた者達は留まることをせず再現なく後退を始めたのだ。
崩れた戦線を埋めようとしても、広範囲に部隊を配置していたので対処が間に合わなかった。ポーラー隊は、余りに呆気なくリビングデッドの侵入を許す事になった。
アリスにとっては想定外の出来事だ
アリスは、予備で取っておいた最後の小隊に魔導士を2人つけて北西部に送るよう命令した。
ケンダの町 北東部
一人の年配の女が家から出てくる。
女は、怪訝に東の方を伺う。
叫び声、破裂するような音、ガラスが割れる音も時折聞こえてくる。
なんなのだろうか。
女は、眉をひそめる。
兵隊が来ていたので、また、馬鹿どもが騒ぎを起こしているのだろうか?
ケンダの町は、演習地域に組み込まれていたので毎年、軍隊が駐留する。町の住人と兵士が揉めることも多かった。
実際、女も何度かトラブルに会っていたので兵隊には悪い印象しかなかった。
不意に気配を感じて女は気配のした方を向く。
暗闇の中、人が立っている。
陸軍の制服のようだ。
女は、沸々と怒りがこみ上がるのを実感した。
「なんだい、あんた!
脅かすんじゃよ!
こんなところでなにしてんだ。」
怒気を込めた声をぶつけるが、兵隊は、弁明もたじろぐこともなく、体をゆらゆらと揺らしていた。
それが、余計に女の神経を逆撫でする。
「なんだよ。黙っていないで何か言ったらどうだい。
あの、騒ぎだってあんたらの仕業なんだろ?」
女は詰め寄るように兵隊の方へ一歩近づく。
そのとたん、兵隊が両手を上げ、女に襲いかかる。
女が最後に見たものは、赤紫に爛れた顔と目一杯開かれた真っ赤な口だった。
「お母さん。」
様子を見に行ったまま帰ってこない母親を心配して出てきた少女は、目の前の光景に首を傾げる。
見たものを理解することができなかったからだ。
地面に倒れている人に、誰かがのし掛かっている。
倒れているのは、恐らく自分の母親だろう。
「え?お母さん・・・」
少女の消え入りそうな声に反応したのは、残念な事に、のし掛かっている誰かの方だった。
「!」
白目を剥き、緑色のよだれをダラダラと垂らす顔をみて、少女は声にならない悲鳴を上げて、後ろに下がる。
ドンと背中が何かにぶつかる。
両肩をガッチリ掴まれる。
驚き、振り向く少女の左目に、元第3中隊の兵士であったリビングデッドがかぶりついた。
2017/03/11 初稿
2017/03/23 数ヶ所 誤字修正しました。
次回投稿は、3月26日を予定しています。