2 Fire Rain
廃墟となったテューラ砦から北へ40キロ程いったところ。
快晴。
人気のない街道を一人の女性がのんびりと歩いていた。
亜麻色の髪が風に揺れている。
女はふと、顔を上げ空を見上げた。
そこには雲一つない澄みきった青空がどこまでも広がっている。
女はそのまま虚空の一点をじっと見つめ。
肉眼では何も見えない。
だが、その視線の先、肉眼ではみることができない高高度を一機の飛空機が飛んでいた。
ハルトランサ空軍が誇る最新鋭隠密偵察機シェイフィールドだ。
「やだ。こっちを見てる。」
副操縦席に座る観測員が、気味悪そうに呟く。
コンソールの中央に設置された魔導鏡には空を見上げる女の姿が映し出されていた。
画面のほぼ真ん中に映っている女は真っ直ぐに魔導鏡を見返している。
「そんなはずは無いわよ。」
横に座るパイロットが言う。
地上からこの飛空機を見ようとしてもけし粒程の大きさもないのだ、更にシェイフィールドには視認障害や探知障害の術式が展開されている。
普通なら見ることはおろか、魔法で探知することもできない。
シェイフィールドが発見されるなどあり得えない。
パイロットはこれまで数多くの実戦経験を積んできたが地上から気づかれたことは一度もない。
確かに女はこちらを見ているように見えるが単なる偶然だ。そんなのは臆病風に吹かれた者の戯言に過ぎない、とパイロットは断じた。
「そんなことより司令部に報告をして。」
「了解。」
観測員は導話機をいれる。
「ホークアイからハンマーヘッドへ
ホークアイからハンマーヘッド。
聞こえますか?」
「こちらハンマーヘッド。」
「ターゲットは予定エリアに向かって移動中。
座標2053-452。
街道上を歩いています。
およそ30分で作戦ポイントに達する見込みです。」
「こちらハンマーヘッド。
了解。
そのまま、トレースを続けよ。」
少し間が空いて導話機から指示が返ってくる。
「こちらホークアイ。
了解。トレースを続けます。」
観測員は導話機を切るとサブコンソールの画面をチェックする。
画面には今回の作戦地図が投影されていた。画面の中央に青い光点が点灯しており、そこを中心に同心円が描かれている。青い点から斜め上に赤い点が点滅していた。赤い点はゆっくりだが下に移動している。
それが魔導鏡が映っている女の位置を示していた。赤い光点が青い光点に重なれば炎の雨作戦が発動する。
一介の観測員に作戦の全容は知らされてはいないが空軍と陸軍が共同して行う大規模作戦であることは分かった。
恐らく2000人、ひょっとすると4000人規模の集団が動いている。この魔導鏡に映るたった一人の女を殺す為だけにだ。
「ところでこの女。
一体誰なの?」
観測員はパイロットに質問したがパイロットは肩をすくめるだけだった。
「さあ。
よっぽどの大悪人なんだろうね。
ハルトランサ全部を敵に回しているみたい。」
「魔女かしら?」
「多分ね。じゃなきゃ、こんなまどろっこしいことはしないわ。
ただの人なら爆撃して、オシマイ。
いや、ただの人間に飛空機で爆撃は無いわね。」
「そりゃそうね、・・・、
ねえ、やっぱり、この女、こっちを見てるわよ。」
観測員は少し動揺したように呟いた。
「ずっと視線が外れない。」
「だから、そんなのは偶然だって。」
パイロットは自分が正しい事を証明するために少し大きく機体を動かしてみる。魔導鏡は自動でターゲットを捕捉するので魔導鏡から女がフレームアウトすることはない。
「?!」
魔導鏡に映る女の視線は全くずれることがなくシェイフィールドと捉えていた。偶然という言葉では片付けることはできないものがあった。
見えているのか。
パイロットの背筋に冷たいものが走る。
「た、例え、見えていたとしても、それがどうだと言うの?
地上からはここまでどれだけ離れているか分かっているでしょ。
見えているとしても何もできはしないわ。」
ややムキになるパイロットをなだめるように観測員は無言で首を縦にふる。
内心、相手がただの人間ならば、と思いながら。
相手がただの魔女ならばね。
と、ミュゼは心の中で呟く。
目の前の大型魔導鏡には偵察機から送られてくる画像が映し出されていた。
一人の女が空を見上げている。
ジェシカ・ラチューン。作戦のターゲットだ。
すぐ横にも同じ大きさの魔導鏡が置かれている。
それも偵察機のサブコンソールの画面とほぼ同じで、赤い点が次第に青い点に近づいていく様子が映し出されていた。
違う点もあった。
青い点の下側に白い四角形が四つ半円を描くように配置されていた。更に三角の形をしたものも一つ示されていた。
それは今回のファイアレイン作戦の司令部の位置をしめしており、同時に作戦司令官であるミュゼ・ベルガーナの位置も示していた。
四角は砲兵大隊を表している。
一個砲兵大隊には80門の魔導砲が配備されている。
それが四個。
合計300を超える魔導砲がジェシカを倒すために用意された。
二日前に突然、評議会に現れたジェシカとの戦闘を分析した結果、最大の課題はジェシカが展開する時空結界だった。これがあらゆる攻撃を無効化している。時空結界を何とかしない限りジェシカに髪の毛一本の傷も負わすことができない。
これに対抗するために参謀本部が出した答えが、物量で押す、だった。
時空結界のような高位結界を長時間展開することはできない。体内魔素を消費することになるからだ。ジェシカが大魔女だとしてもその法則は変わらない。
試算に因れば時空結界を連続で展開できる時間は10分程度。
魔導砲で遠距離から10分も連続砲撃を加えれば、魔素が切れて時空結界を展開できなくなったジェシカをミンチにできる、という算段だった。
『シンプルでしょ。
でも、どんな魔女でもこの攻撃に対抗はできないわ。』
作戦概要を説明し終えた参謀長が最後に笑いながら言った言葉をミュゼは反芻する。
そして、ただの魔女であれば、という言葉に戻ってくる。
初めて作戦内容を聞いてからずっとミュゼは大前提がおかしいのではないかと疑っていた。
ジェシカはただの魔女と考えてよいのか、という大前提だ。
とは言え、作戦実施は既に決定事項であり、それをやめさせる権限を一介の大佐であるミュゼは持ち合わしていなかった。
後は、自分にできる範囲で作戦を成功に導く努力をするしかない。
(或いは、被害を最小限にする努力ね。)
ミュゼに与えられた準備時間は1日ちょっとしかなかった。
その限られた時間で当初計画では一個大隊、80門程度だった魔導砲をかき集めた。勿論、弾薬もだ。結果、300門の魔導砲で最大1時間の連続砲撃が可能になった。
更に万一に備え、空軍の爆撃機隊の支援も取り付けた。
そして、転移阻害魔方陣、拘束魔方陣の設置をさせた。
それが作戦地図の青い光点だった。
「514-174
作戦ポイントまで約5分です。」
観測員からの報告が更新される。
赤い点は青い点に吸い込まれるように近づいている。
街道を馬鹿正直に歩いてくる、というミュゼの予想は見事に当たったようだ。
ミュゼは静かに光点を見つめていた。
「60-8、・・・、50-2・・・40-6、」
観測員からの報告が次々と更新される。
そして、カウントダウンに入る。
「5、4、3、2、1、0」
「拘束魔方陣発動。」
ミュゼが指示を飛ばす。
「第一拘束魔方陣発動させます。」
作戦地図の青い光点に紫色の円が被さる。
遅滞の言霊が練り込まれた拘束魔方陣が発動したことを示しているのだ。
「遅滞魔方陣発動確認。
続いて第二拘束魔方陣発動。」
オペレーターの声が淡々と続く。
「砲撃準備。」
「各隊、砲撃」
ミュゼの言葉に魔方陣のオペレーターの横に座る砲撃オペレーターが砲兵隊に指示を出す。
「泥濘魔方陣発動確認。
第三魔方陣発動準備。」
「第一大隊、砲撃準備よし。」
「第二大隊、準備よし。」
「超重魔方陣発動。」
ミュゼは、魔導鏡に写し出されているジェシカをチラリと見る。
ジェシカは膝元まで土の中に埋もれてかけていた。
「第三大隊、砲撃準備よし。」
「転移阻害魔方陣発動。」
「転移阻害魔方陣発動させます。」
「各隊、砲撃開始。」
「各隊砲撃開始せよ。
各隊砲撃開始せよ。」
「むう?」
足元の地面が突然、鈍い光を放つのを見て、唸る。
光は古代魔法語を浮かび上がらせていた。
「遅延魔方陣か。」
そう思った瞬間的、地面が泥の海と化す。
ズブズブと底無し沼に足を踏み入れたように沈んでいく。
「くっ?」
突然体が重くなる。体重を支えられなくなり膝から崩れ落ちる。
ヒュルルルと風を切る音が聞こえきたと思う間もなく、爆音と震動、土煙がジェシカを包む。
何十、何百という砲弾が炎の雨となってジェシカめがけて次々と撃ちだされた。
2017/06/04 初稿
次話投稿は6月11日を予定しています。