6 激突
「この、この。」
バンナは体をよじらせなんとか蛇縛結界を振りほどこうともがく。
だが、蛇縛結界はびくともしない。
バンナは首をねじ曲げファラを見る。
喉元をがっつり掴まれ吊り上げられている。両手をダラリと下げ、ピクリとも動かない。既に抵抗する力も失ったように見えた。
このままではファラが殺される。
バンナが絶望に囚われた時、突然、ファラが両目をカッと見開いた。
と、同時にファラの頭部が炎に包まれる。
「ぬむ。」
慌ててジェシカは手を離す。手のひらに目をやると火膨れを起こしている。
炎は更に激しさを増し、ファラの頭部を包み込み渦巻く。
一体何が起きたのかバンナには理解できない。
ジェシカも同じなのか、ただ黙って見守っているだけだ。
渦巻く炎は成長し天井に届く位になる。
そして、現れた時と同じぐらいの唐突さで炎は消える。
後には悠然と立つファラが残った。
その頭には深紅に輝くヘッドギアのようなものが装着されている。
額のところにオレンジ色の菱形の宝石が煌めいていた。
こめかみの所から昆虫の触角を思わせる物が左右に広がるように伸びている。
後頭部には鳥の尾羽を思わせる形状の物が真ん中と左右に1本ずつ計3本が対照に広がっている。
「ほほう、魔導装陣かえ。」
ジェシカが少し感心するように呟く。
口角をやや上げ左手をファラに向ける、と左手が掻き消える。
パチッ。
ファラの後ろで火花が散る。
そこには空中に浮かぶ左手があった。
手は戸惑ったように少し震え、消える。
顔をしかめながらジェシカは戻ってきた自分の左手を見る。人差し指と中指の先に水脹れかできていた。
魔導装陣。
それは自分の体に魔方陣を纏わす術式のことだ。
実体化した魔方陣を術者が装着することで防御と身体能力が飛躍的に向上する。更に魔方陣に練り込まれた魔法は何時でも発動できる。普通は魔素消費のない外因魔法を選択するので詠唱無し、魔素消費無しで魔法が使え放題になった。
究極の魔法術式とも呼ばれている。
それだけに難度も高い。
難解な古代魔法語による詠唱と術式を発動できるだけの体内蓄積魔素が必要だった。
故に、ジェシカの呟きにバンナは驚いたのだ。
ファラが魔導装陣をできるとは思ってもいなかったからだ。
首を掴まれた後に、漏れていたファラの呻き声は、呻き声ではなく古代語詠唱だったのかとバンナは思い至った。
あの状況で魔導装陣を仕掛けていくとは、ある意味、如何にもファラらしい思いきった行動だとバンナは妙な納得をする。
魔導装陣の能力はどんな魔方陣を練り込むかで変わってくるが、恐らくは自動迎撃機能を持っているのだろう。特定の領域に入ってくるものを自動的に攻撃する能力だ。この能力で自分の首を掴んできたジェシカの右手と死角から奇襲を仕掛けてきた左手を退けたのだろう。恐らくは視線の通ったところをピンポイントで攻撃する能力もあるのだろう。どちらも魔素消費無しで使える。
普通であればほぼ無敵の能力なのだが、相手がジェシカと名乗る女が相手となると事情が変わってくる。
「ふーん。どうした。
折角、魔導装陣を着けたのは良いが、立ったままなのか?」
ジェシカは挑発するように言う。
確かにファラは対峙しているだけでこれということをしていなかった。
理由は察しがついた。
動きがとらないのではなく、動きが取れないのだ。
理由は二つ。
ジェシカが展開している時空結界。これが全ての攻撃を無効にしている。
そして、もう一つの理由は魔導装陣の発動でファラの蓄積魔素が殆ど空になってであろう、ということだ。
つまり、ファラからジェシカを攻撃する有効な手段がなかった。
ジェシカは赤く腫れた自分の手のひらに目を凝らす。すると、みるみる手の腫れがひいていく。
もとに戻った感触を確かめるように何度か手を開いたり閉じたりすると言う。
「本格的にやりあうには、ここは少々手狭じゃの。
場所を変えるとしょう。」
そう言い終わらない内にジェシカとファラの姿が忽然と消える。
転移だ。
「あ、くそ。」
置いていかれてバンナは毒づく。
「おおい、カナレ、ファラ。助けてくれ。」
バンナはゴロゴロと無様に転がりながら気絶しているカナレとパジヤに呼び掛けた。
気がつくと評議会館の前庭に立っている自分に気がついた。
目の前には相変わらずいけすかない女が取り澄まして立っている。
「さて、さて。
よもや、その不完全な姿で妾に勝てると思っているのではなかろうな。」
そのいけすかない女は、さも退屈しているように言う。
それがまた、ファラの神経を逆撫でする。
「そんなものやってみなきゃ分からんだろうがー。」
ファラは一声吠えると猛然とジェシカに向かって走り出した。
ジェシカの手の内がわからない内に近づくのはリスクがあったが、魔素が底をついている以上、魔導装陣が持つ自動迎撃能力に頼るしかなかったのだ。射程にジェシカを納めれば自動迎撃が発動する。相手にしても時空結界をいつまでも展開し続ける事は出来ないはずだ。相手の結界が切れるまでまとわりつく。それがファラの選択だった。
だが、いくら走ってもジェシカとの距離が縮まらない。
なんだ、こりゃ?
ファラは内心困惑する。
「人の足では距離を縮めるのは難しいかの。」
そんなファラの心を見透かすようにジェシカが言う。
そこで気づく。
空間が歪まされているのだ。ファラが近づく分、ジェシカとファラの距離が伸びている。そのため距離が変わらないのだ。
ニヤニヤと笑いながらジェシカが軽く手をふると、紫色の小さな球体が何個か現れる。それはふわふわとファラの方へ漂って行く。
球体が魔導装陣の射程に入ると球体はたちどころに破壊された。
「その魔導装陣には二つ、弱点があるの。
一つは感度が良すぎる、じゃ。」
ジェシカが右手で大きく円を描く。再び、紫の球体が出現する。だが、今度は数えきれないほどの球体が現れる。それが一斉にファラに襲いかかる。
バチ、バチ、バチ。
ファラの迎撃射程に入った球体は次々と弾け飛ぶ、しかし、球体全ては破壊できない。
幾つかが迎撃をすり抜け、ファラの頬や手足に当り、弾けた。
球体が弾けるとチカッとした痛みが走る。
だが、それだけだ。大して痛くない。
「?」
拍子抜けした表情のファラにジェシカは言う。
「当たったとて大して痛くないものにも律儀に反応する。
そして、迎撃できる数に限りがあるのが二つ目の弱点じゃ。」
再びファラの眼前に大量の球体が出現し襲いかかる。
ファラは無数の球体を叩き潰すが、やはり、幾つかは打ち洩らしす。
チカチカと不快な痛みを感じながらもファラは叫ぶ
「舐めんな!こんな攻撃、幾ら喰らっても・・・、!」
みぞおちの当りに痛みを受け、ファラは息を詰まらせる。力が抜け、足がもつれる。
「がはっ。」
顎の当りに更にもう一発強力な一撃をもらい、意識が飛びかける。
無防備な状態になったところに、更に肩、腹、太股にまるで鉄の固まりをぶつけられたような痛みが走る。
たまらず膝をつく。
「大量の見せ玉で迎撃能力を飽和させて痛いのを混ぜれば、この通りじゃ。
他にもこんなやり方もあるぞえ。」
痛みをこらえ、立ち上がろうとするファラの体が地面に叩きつけられる。
「かは。」
全身がぐいぐいと地面に押し付けられ、息も出来ない。
「重力をいじる。これだと迎撃する術がないの。
どうじゃ?
このまま、押し潰してしまってもよいかな?」
ジェシカは苦悶するファラを見下し、コロコロと愉快そうに笑った。
「がは、はっ、はあ、はあ。」
気を失う一歩手前で重力の重しが消え去る。
ファラは懸命に息をし、空っぽになった肺に空気を流し込む。
朦朧とする意識の中、ファラは勝ち誇るジェシカを見上げる。
ジェシカは言う。
「今日はここまでじゃ。
忌々しい誓約のせいで主らを傷つける訳にはいかんのを思い出した。
妾はテューラに戻り、再びここまで歩いてこよう。
もし、主に気概があるなら、妾に会いに来るがよい。
何時でも相手をしてやる。ただし、今度は容赦せんので、それなりの覚悟をして来るのじゃぞ。
ハッ、ハッ、ハッ、楽しみに待っておるぞ。」
そう言い置くとジェシカは現れたのと同じ唐突さで姿を消した。
後にはファラだけが残される。
ごろりと仰向けになると、青い空がのどかに広がっていた。
「くそ、くそ、くそ。」
その青い空に向かってファラは何度も叫んだ。
2017/05/21 初稿
次回投稿は5月28日を予定しています。