鷹かトンビか、いや、あれは、・・・
どこまでも青い空をバンナは草っ原に寝そべり、見つめていた。
雲ひとつない空に小さな黒い点がゆっくりと輪を描いている。
鷹か?
と、思うバンナに応えるように、ピーーという甲高い鳴き声が空に響く。
『本日、伝統あるゼファー魔導学院より新たに六羽の若鳥が羽ばたくことを嬉しく、又、誇らしく思います。』
数日前の学院長の送辞の言葉が甦る。
『あなたたちはまだ未熟ではありますが、力無き存分ではありません。
鋭い爪を持った若鷹です。
あなた達は持って生まれたその力をハルトランサの民を守る為に使う責務が有ります。
ハルトランサは今まで、幾多も脅威に見舞われて来ました。
その度に、あなた達の先輩方が力を尽くし、又、
・・・、
又、時に、その身を犠牲にしてハルトランサを守って来ました。
わたくしは、あなた達に同様の献身を要求します。
それが時にどれ程、過酷で残酷な要求となるか十分に理解しています。
その上で尚、わたくしは、あなた達にそれを要求します。』
鷹ねぇ・・・。
バンナは心の中で呟く。
自分が鷹とは、とても思えない。
せいぜい・・・
「あんた、こんな所で何やってんの。」
バンナが灰色だが、心地よい自虐の思いに浸ろうとするのを、鋭い声が呼び止める。
バンナは、やれやれという感じで声の方に目を向ける。
そして、予想通りの人物をそこに認める。
色白の卵形の顔に栗色のショート。淡いオレンジ色の上着にアクアブルーのミニスカート。
スカートからはすらりと長い美脚が伸びているのだか、残念ながらレギンスに包まれて魅力は半減している。
本人は安心のレギンスと言っている。
彼女の名前はセリーヌ・ハルファナー。
腰に両手を当て土手の上で仁王立ちになり、バンナを睨んでいる。
憮然とした表情。
きっと怒っているのだろう。
そして、怒りの対象は恐らく自分。
そうだとしても、バンナはあまり気にならない。むしろ、今、気にかかるのは・・・
「あれ、鷹かなぁ?それとも、トンビか?』
「・・・、はぃい?』
一瞬で毒気を抜かれた表情のセリーヌ。
なんの事やらと、首を傾げ、バンナの視線の先を追う。
視線は空に向いている。小さな点が見える。
そして、ようやく合点がいく。
いくが、あれが鷹かトンビなのかが、自分達の卒業パーティーよりも重要なのか、全く合点がいかない。とは言え、それは、今日に始まった事ではない。
セリーヌは口元に柔らかな微笑みを浮かべながら言う。
「まったく、あんたって男は。
いいわ。教えてあげる。」
セリーヌは、右手を空に向けると小さく呟き始めた。
『そ、汝。小さきものよ。我が眼となり、耳となりて。我に疾く伝えよ。』
セリーヌの右手を中心に微かな風の流れが生まれる。
風の小精霊を使った探知魔法だ。
風の司であるセリーヌにとっては、息をするのと同じ位の造作のないものだ。
卒業パーティーを抜け出した自分も、この力で見つけたのだろう、とバンナは思う。
セリーヌの腕の周りで遊ぶかのように渦巻いていた風が不意に動きを止める。と、次の瞬間、物凄く勢いで空に向かって飛びたった。
「で。 バンナはどっちだと思うの?
鷹? それともトンビ?」
空の一点を見詰めたまま、軽いため息混じりにセリーヌは言う。
(私も馬鹿だ。何でこんな事に魔法を使っている?)
気付かれないように慎重に視線を移す。
視界の片隅に、半身を起こし空を見上げている男の姿を確認すると胸が微かにざわめく。
さっきまでは自分の腕を見ていた。そして、今は空を見上げている。
それは、明らかに精霊、いや、魔素の動きを感じることができる事の証明。
魔法使いとしての素養を持つ男。
男というだけで希少な存在となるハルトランサで、それは奇跡以外の何物でもない。
だが、しかし、バンナと言う男はまるでその自覚がない。
「あれがトンビか鷹か、判らんが。自分はトンビだな。」
はい、はい、また、それですか、とセリーヌは少しイライラしながら思う。
バンナの自虐発言は今に始まった事ではない。謙虚さの表れかもしれないが過ぎれはイライラの種にしかならない。
いつもの事。
怒っちゃダメ。
反応しちゃダメ。
呪文のように唱え我慢しようとするが、どうにも我慢できない。
「はぁ~~?
なんだか言ってる事が判らなィんですけど。
この流れから、なんであんたがトンビだって話しになる訳?」
セリーヌは、バンナに目を向け感情をぶつける。
あぁ、また、やった、とセリーヌは思う。
自分は決して短気な方ではないと思う。なのに、なんでバンナのこの手の発言に過剰に反応してしまうのか、自分でもいつも不思議だった。
冷静になるためセリーヌは探知の術に集中しようと空の黒い点に視線を戻す。
もうちょっとで探知の風が目標を射程内に捉える。
そうなればトンビか鷹かすぐに分かる。後は、どちらであるか答えて、この話題は終わり。さらっと終わらせれば、この気まずい空気も終わるだろう。
セリーヌは、ふぅと息を吐く。
「ま、いいわ。ちゃっちゃっと終わらせましょう。
トンビだろうと、鷹だろう・・・と・・・って。
えっ?
えっ!
ちょっ、・・・嘘。
待って、こんな。
嘘でしょ。何でこんなのが居るのよ。」
と、突然、セリーヌは狼狽しだした。
その急変ぶりに、バンナも驚く。
「うん。どうした。」
セリーヌはバンナに顔を向ける。
顔が白い。
「バンナ。あれ、鷹でもトンビでもないわ。
あれ、ロクバードよ。」
「ロクバード?」
あり得ない単語にバンナも言葉に詰まる。
ロクバードはここから遥か西にあるサルサ乾燥地帯に棲息する大怪鳥だ。翼を拡げれば空を覆い。一日で4000キロを飛ぶと言われている。
確かにロクバードなら2日あれば、ここまで飛んでこれる距離かも知れない。だが、サルサからここまでにはパロ草原があり、そこは第七飛空団が守りを固めている。その監視の網をくぐり抜け、はるばるここまで飛んでくるなどあり得ないことだ。
「あり得ないだろ。
どうやってここまで来たんだ。そんな話聞いてないぞ。」
「私も聞いてないわよ。
どうやって来たかって?
知らないわ。飛んで来たんでしょ。
とにかく、あいつがここにいるのは事実なの。」
苛立ちよりも恐れや焦りで言葉が荒くなる。
ロクバードを見るのは、今日が初めてだが、ロクバードがいかに獰猛で危険であるかは良く聞いている。
特にガタルのロクバードの話を子供の頃、初めて聞いたときは、怖くて眠れなくなったものだ。
その実物が、頭上を飛んでいるのだ。
「やっばいなぁ。
あいつ、少しずつ高度を落としている。
それに、ぐるぐる回っているように見えるけど徐々に東に移動している。」
セリーヌは不意に空を見上げるのを止めると、目を閉じ、詠唱始めた。
『そ、汝。速きもの。力強きものよ。我もとへ・・・』
「ちょ、セリーヌ。お前、何するつもりだ!」
バンナは驚き、叫ぶが、セリーヌは無視をして詠唱を続ける。
『・・・となれ。我、翼となりて、天空の扉を開かせよ。』
詠唱の完成と共に、猛烈な風の奔流がセリーヌから沸き起こる。
「うぉ。」
あまりの勢いにバンナは後ろに二歩ほどよろめく。
砂混じりの風から顔を庇う手の間から、セリーヌの背中に白く輝く翼が形成されていくのがはっきりと見て取れた。
セリーヌは飛ぶ気だ。
「待て。セリーヌ。何の装備も持たないで、一人でロクバードに挑むのは無理があるだろう。」
セリーヌはバンナを見る。無表情に見えるのは極度の緊張のせいか。
「東に何があるか知ってるでしょ。
誰かがあいつを止めないとダメなの。
今、それが出来るのは私達だけよ。」
バンナは口を開きかけたが何も言えなかった。
ロクバードが旋回していたのは地上の獲物を探っていたため。東に移動しているのはゼファーの街に目をつけた事を意味している。放って置けば、街の人達が襲われのは明らかだ。
セリーヌは正しい。無駄な議論をしている時ではないのだ。
「じゃあ、バンナはみんなにこの事を報せて。
大丈夫、みんななら何とかしてくれる。
それまでは私が頑張る。」
セリーヌは、そう言うとふわりと宙に舞い上がる。
地面から数メートルの所で一旦、止まり、作ったばかりの翼の感覚を体に馴染ませるように何度も翼を羽ばたかせる。
「気をつけろ。無茶するな。」
バンナは大声で叫ぶ。セリーヌは顔を下に向けると、分かった、と言うかの様にちょっと手を上げて見せた。
そして、大きく羽ばたき、一気に上昇する。
あっという間に小さな点になったセリーヌから目を離すと、バンナは息を吐く。
セリーヌはやるべき事をやろうとしている。
ならば、自分もやるべき事をやるだけだ。と、バンナは思う。
今、やることはゼファーの町に戻る事。
一刻も早く、町にいるみんなに、今の状況を報せなくてはならない。
もう一度、大きく深呼吸してから、バンナは東に向かって走り出した。
**** サーティーンズ クロニクル です ****
一気に数百メートル上昇して、セリーヌは一息を入れる。
ロクバードは、まだずっと上だ。
セリーヌのことなどまるで気付いていない様に悠然と旋回をしている。
気付いていないのか、それとも、気付いているが取るに足らない存在として無視しているだけか。
後者なのだろう、とセリーヌは思う。
風属性の生き物は周囲の状況に恐ろしく鋭敏なのだ。
(まぁ、いいわ。)
相手が脅威とも獲物とも認識していないのなら、近づくのには好都合だ。探知の魔法で近くの上昇気流を探す。
手頃な気流はすぐに見つかった。今よりちょっと下だ。
呼吸を整え、セリーヌは気流に飛び込んだ。
次の瞬間、セリーヌは圧倒的な風の流れに包まれる。その全ての風を受けとめようと、魔法で作り出した翼を目一杯拡げる。
まるで、突風に巻き上げられる木の葉のようにセリーヌの身体は上昇する。
と同時に、さっきまでヒューヒューと耳許で鳴っていた風切り音がパタリと止まる。
完全な静寂。
ただ、眼下に広がる地面がみるみる小さくなっていく。
風と一体になった瞬間だ。
この瞬間が、セリーヌはたまらなく好きだった。
このまま、どこまでも高く、高く登って行きたい誘惑にかられる。が、そんなわけには行かない。
ロクバードより上になった所で、気流から離脱する。
再び、風切り音が戻って来た。
ロクバードの上、40メートル位の位置を維持するように速度を調整する。
セリーヌは、ロクバードの大きさに、ただ圧倒された。
真っ直ぐに拡げられた翼は視界に入り切らない。
勢いで飛び出してきたが、こんなのに一人で挑むのは無謀過ぎる。
バンナの忠告は正しかったと、今になって実感する。
実感するが、放って置くわけに行かない、と言う自分の判断も正しかったという確信も湧いて来る。こんなのが地上で暴れたら大惨事になる。
(ううん。考えてもしょうがない。やれる事をするだけよ。)
セリーヌは、弱気になる自分を振り払うと詠唱を開始する。
『そ、汝
猛きモノよ 荒ぶるモノよ
鋭き刃持ちて 我が元に集え
汝 煌めく御剣となりて 我が宿敵を 討ち滅ぼせ
風烈刃 四連弾』
突き出した腕の前方に縦に四筋の煌めく刃が現れる。
「はっ!」
掛け声とともに、ロクバードの翼の根元に風烈刃を開放する。
四つの刃はロクバードの翼に吸い込まれる様に突進するが、不意にパツンとかき消える
「えっ?!」
セリーヌは予想外の光景に目を見張る。一瞬、何が起きたか分からなかったが、直ぐに思い当たる。
「結界か。」
ロクバードは周囲に強力な風属性の結界を展開している。そのため、並みの方法では傷を付けるどころか触れることも難しい。
故に、空飛ぶ要塞と呼ばれていた。
(・・・って、講義でやってたわね
あぁ、すっかり忘れていた。)
こんな基本的なことも忘れてて、どうするのよ。
と、自分を毒づきながら、打開策を考える。
結界を破る方法は大まかに三つ。
結界より大きな力をぶつけて破る。
反属性をぶつけて打ち消す。
最後が、障壁を貫通する特性をもつ特殊な術式を使う。
「うゎ。どれもダメかも。」
まず、ロクバードの魔素量はかなり大きい。それを打ち破る大量の力を集めるのは、出来なくはないが時間がかかる。自前で飛びながら、それをやるのは難しい。
反属性もムリ。セリーヌもロクバードと同じ風属性なので反属性なぞは論外だ。
残るは貫通術式だが・・・
「障壁貫通術式かぁ。どうするんだっけ。」
額に手を当てて、悩む。そもそも、やったことがない、というのが正直なところだ。
風属性の障壁貫通系統はかなり上位の術式になるので後回しにしていたのだ。とはいえ、今さら後悔してもどうにかなるものではない。
選択肢は限りなく少ない。
セリーヌは、意を決するとロクバードに接近する。
近づくにつれ身体に抵抗を感じる始める。目に見えないものが纏いついて来る。まるで、水飴の中にいるように自由がきかなくなる。
それがロクバードの結界の影響であることは分かっている。
これ以上近づくと絡めとられて身動きが取れなくなる所まで接近すると詠唱を開始する。
『我が名において 請い奉る
アリアンギアよ 天空の守護者よ
我に 御身の宝具を貸し与えよ
蒼き天空の弓 虚空貫く破点の矢
我が元に
来たれ!
アリアンギアの天弓 』
詠唱が終わるとともにセリーヌの目の前に弓が忽然と現れる。
驚くこともなく、セリーヌは弓を取り、そのまま引き絞る。
絞る手元がチカチカと光り始める。光りの粒子は渦巻きながら濃さを増し、やがて一本の矢となった。
セリーヌはロクバードの後頭部と首の接続点に狙いをつけ、矢を放つ。しかし、ロクバードの結界が矢を阻む。セリーヌの手元を離れた矢は急速に勢いを失い静止し、すぐにガラスが砕けるように飛散する。
「はっ!」
セリーヌは、間を置かず第二矢を放つ。
第二矢は最初の矢をなぞる様に結界の中を進む。最初の矢が進んだ所まで到達し、さらに結界の中を突き進む。が、すぐに勢いがなくなり最後には第一矢と同じ様に砕け散る。
「はっ! はっ!」
かまわずセリーヌは第三、第四と矢を撃ち込む。
三矢も四矢も第一、第二と同じで結界に止められ消滅したが、第三矢は第二矢より、第四矢は第三矢より結界の奥へ進んでいく。
あと少しで結界を抜ける。
と、第五矢を放ちながらセリーヌは思う。
そして、第六矢をつがえようとした時、セリーヌは背筋に悪寒を覚える。
(なに?)
自動発動させている探知魔法が危険を報せているのだが、それが何かがすぐにはわからない。
周囲に目をやると、まともにロクバードと目が合う。
さっきまで悠然と飛んでいたロクバードが首を曲げ、自分を凝視しているのだ。
うはぁ、と思わず声が出た。
次の瞬間、セリーヌの周囲の結界の密度が一気に上がる。
「きゃっ!」
結界が膨れ、セリーヌは外に弾き飛ばされる。
制御を失い、セリーヌはクルクルと回転する。何度も天地が逆転する。
「くっ!」
体内の魔素を放出して強引に制動をかける。
なんとか制御は取り戻したが前後左右の方向感覚を完全に失った。
慌てて周囲を確認するがロクバードがどこにもいない。
「どこいった?!」
小さく舌打ちする。完全に見失っている。探知の術が急速に接近する存在を知らせてくる。
(上?)
上を向くセリーヌの視界がオレンジ色に染まる。
展開の早さに理解が追いつかない。
オレンジ色がロクバードの腹の体毛で、自分に向かってロクバードが急降下している、ということを認識するのに二呼吸かかった。致命的な遅れだ。
自分の身体の優に三倍はあるロクバードのカギヅメが目の前に迫る。
回避するには、もう遅すぎた。
**** サーティーンズ クロニクル だぜ ****
「あいよ。持って来たぜぇー。」
ファラが両手に皿を持って帰って来た。手に二皿持った上に手首にも一皿ずつ乗せて、都合六皿。肉、果物、サラダにパイ、プチケーキ、何でもありの状態だ。
「やたぁ。さっすが、ファラっち。頼りになる。」
テーブルで待っていた少女がピョコンと立ち上がり皿に手を伸ばした。しかし、角度が悪い。指が手首に乗せていた皿に当たり、皿がグラリとバランスを崩す。
「あっ、コラ、カナレ。急に手ェ出すんじゃない。落ちるだろ!」
「わっ!わわわぁ!」
ずり落ちそうになる皿を別の手が押さえた。
二人は、同時に手の持ち主に目を向ける。
そこには、長い黒髪の女性が微笑みをたたえながら立っている。
「おう、パジャ。助かった。」
「いえいえ。お礼を言われるような事は何もしていませんわ。」
皿の果物の匂いをうっとりと楽しみながらパジャは答える。
「何より、大地の司として大地の恵みを無為にするわけはまいりません。」
優雅な仕草で果物の皿をテーブルに置くと、パジャは小脇にある台座に置かれたコップもテーブルに置き直す。
コップを取り除いたとたんに、台座はサラサラと崩れ去る。
魔法で作った砂の台座だ。魔法で砂の台座を作るのは難しくはないが、ファラ達の皿が落ちそうになった一瞬で造り出すのは容易ではない。
(それを、さらっとやって見せるところが、侮れない女なんだよね。)
椅子に腰掛け二人にコップを渡すパジャを、串に差した肉を頬張りながら、ファラは思う。
どこから見ても落ち着いた大人の女性だ。
それから、もう片方をチラリと見る。
こちらは、コップのエールを幸せそうに飲んでいる。
とにかく幼く見える。未成年はお酒飲んではダメと注意されてもおかしくない容姿だ。
三人とも同年代。数日前、一緒にゼファー魔導学院の卒業式を終えたばかりだ。
(あたしら、差ありすぎだよね。)
ま、それは置いておくとして、と串に差した肉に手を伸ばしながらファラは別の事に思いを巡らす。
「ところでバンナは?」
と、ファラ。
「あーー。さっきから見当たらないのよねー。
今、セリーヌが探してる。いつもの雲隠れだねー。」
そっか、と呟き、何気に向けた人混みの中から、当の本人が姿を現した。
「あれ。バンナじゃね?」
「あー、バンナだね。
おーい!バンナ。こっち、こっち!」
バンナを認めるとカナレは、ブンブンと手を振る。
バンナの方もカナレ達を認識し、駆け寄ってくる。
「何か、あわただしいな。」
「だねー。」
と、カナレ。
「珍しい事。」
コップに手をやりながら、ポツリと呟いたのはパジャ。
「たい、ハァ、ハァ、へん、たいへん、ハァ、ハァ、ハァ、だ。
ハァ、ロクバー、ハァ、フー、ハァ、フウ、フウ・・・」
数秒後、息を切らせながら、懸命に話をしようとするバンナを前にして、三人は互いに顔を見合せる。
「何が言いたいのかさっぱり分からん。」
「だねー。ただの変な人だねー。」
「まあ、まあ。とりあえず落ち着いて。深呼吸でもしましょうか。」
「あぁ、あぁ、すまん。」
額に手をやり、懸命に呼吸を整える。
「ロクバードだ。」
そして、ようやく一言、言葉を絞り出した。
「ロクバード?」
三人が同時に聞き返す。
「ああ、ロクバードだ。ロクバードがいるんだ。」
バンナは、そう言うと空の一点を指差す。
三人が指の先へと視線を移す。
・・・暫しの沈黙。
「分からん。」
「うーん。見えないねー。」
「見えませんね。」
指を空の彼方にズンズンと、指差しながらバンナは叫ぶ。
「良く見ろ。あそこだ。」
バンナの気迫に気圧され、目を凝らして空を見上げる事、数秒。
「あぁ、あれか。確かに黒いものがあるな。
でも、あれがロクバードって言われてもなぁ。」
と、ファラ。
「カナレ。望遠。」
「えー。あれ面倒なんだよね。いろいろ調整とか。」
「いいから、やんな。」
むーー、と口を尖らせながらもカナレは片手を上げ、意識を集中させる。
バンナたちがいるすぐ上の空間が、陽炎の様にユラユラと歪み始め、やがて直径2メートルぐらいの物体が現れた。
カナレが空気中の水分を集めて作り出したレンズだ。
レンズの中央には黒い影の様なものが映っている。
「見えないぞ。」
文句を言うファラ。
「今、やってます。」
返すカナレ。
滑る様な滑らかさでピントがあい、レンズにくっきりと一羽の鳥が映し出された。
鷹の様だか明らかに違う。鷹よりも首が長い。全体的なフォルムは鳩に近い。だが、鋭いクチバシや目付きは猛禽類のそれだ。
何より特徴的なのは喉元から腹全体にかけてが鮮やかなオレンジ色な点だろうか。
「見たことない鳥だけど、本当にロクバードか?」
「だねぇ。大きいのか小さいのか分かんないね。」
「いや。だから、ロクバードだって!」
もどかしそうに叫ぶバンナを、じとっとした目付きで見るファラとカナレ。
なんと説明しようと悩むバンナ。その時、パジャの声が響く。
「あら、まあ、大変。皆さん、鳥さんのカギヅメのところを見てください。」
その言葉に、一同、再びレンズへ目を向ける。
レンズには、丁度、鳥がそのカギヅメで何かを捕まえようとしているところが映し出されていた。
大きく広げられたカギヅメの真ん中辺り、煌めく翼を持った人の姿が映し出されている。
翼を除くとカギヅメ全体の3分の1位の大きさだ。
「あれ人だよな・・・って。
うわっ、鳥、でかっ。」
「うわー。ロクバードだねー。」
驚くファラ。
なぜか嬉しそうなカナレ。
そんな二人とは別に冷静なパジャの声が言う。
「それより、あそこに映っているのはどなたでしょう。」
「セリーヌだよ。街を守るためにロクバードと戦っているんだ。」
「一人でロクバードってヤバいだろ。
風使いとロクバードは相性良くないんだろ。確か。
それを早く言えよ。助けなきゃ。」
「助けるって言ってもね。あんなに高いとどうにもならないかな。
2000メートルはあるよ。」
「どうにもならないじゃない。何とかするんだよ。
とりあえず、衛士に連絡しよう。」
「ここに来る前に連絡はしてる。だけど、余り当てには出来ないな。上に連絡とか、確認とか言っていたが、何をするにしてもここの駐屯してる軍でどうにか出来るとは思えない。連絡が取れて助けが来るにしても何時間もかかるだろうな。」
「じゃあ、どうするんだよ。」
イライラしながらファラが言う。
「学院にいきましょう。」
パジャが決然と応える。
「学院の先生ならロクバードに対抗出来る力を持っておられる方もいるでしょう。」
「あーー!!」
突然、カナレが大声を上げる。
「なんだよ、急に。」
「ファラっち、あれだよ、あれ。」
「あん?なんだよ、あれって。」
「あれだよ、あれ、あれ!飛空機だよ!!」
「飛空機って、昔、実習で使ったあれか?」
ファラの質問に、カナレはウンウンと頷く。
それにパジャがパチリと手を叩き、同調する。
「なるほど、それは名案です。
どちらにしても学院に行かなくてはなりませんね。
急ぎましょう。」
「だな。まずは学長と話をするか。」
「じゃあ、競争~。お先ー。」
「あっ!こら。待て。」
言うが早いか、カナレはトテテテと走り出す。
それを慌ててファラが追いかける。
その場に取り残されるパジャとバンナ。
セリーヌが気になり、もう一度空を見るバンナ。カナレがいないので望遠レンズは跡形もない。巨大であろうロクバードですら青い空に小さな点としてしか見えない。まして、セリーヌがどうなっているかは分かりようがない。
「バンナ。」
パジャの声にバンナは我に帰る。
「心配なのは分かりますが、ここにいても何も出来ませんよ。」
「ああ、そうだな。俺たちも行こう。」
バンナは、そう言いながら、もう一度だけ空を見上げた。
**** サーティーンズ クロニクル だよ(⌒‐⌒) ****
「ハヒ、ハヒ・・・、もうダメ。吐きそう。」
カナレは、学院の正門で手をつき、ぜぇぜぇ、息をついていた。
「あんなに食べて飲んでしてから、ここまで走れってくればそうなるわな。」
と、ファラ。
こちらも、肩で息をしているがカナレほどではない。
額の汗を拭いながら、ファラは少し考える。
学院長室に行こうか、事務所に行くか、だ。
悩むのには理由がある。
と言うのは、パジャが二人が来るよりずっと早くに到着しているからだ。競争を始めて30秒もしない内に二人はパジャに追い抜かれている。そして、次の30秒でパジャは二人の視界から消えた。
あのペースなら10分は早くついている。
「なんでパジャは、あんなに速いわけ?」
よろよろと立ち上がりながらカナレは文句を言う。
「なんでって、魔法に決まってるだろ。」
パジャは走りながら、足元の地面を動かしていた。例えるなら動く歩道の上を走っている様なものだから速くて当たり前なのだ。
「ずるい!そんなの卑怯よ。」
「卑怯じゃないだろう。別に競争してたわけではないんだから。」
「してたわよ。」
「してたのは、カナレだけだろ。」
口を尖らせて文句を言うカナレを適当にあしらっているところにパジャが、学院長を引き連れて現れた。
「おお、パジャ。どうだった。」
「話はパジャから聞きました。」
ファラの質問に答えたのは学院長だった。
学院長はきびきびと言葉を続ける。
「先生方にも説明はしました。
今、手分けをして街中に避難勧告を出すよう動いてもらっています。とにかく、最寄りの建物に避難をしてもらうのですが、防御を考えると出来るだけ一ヶ所に固まってもらった方が都合が良いでしょう。学院の生徒たちは皆、講堂に集まってもらってます。
パジャには、講堂の防御をお願いします。
それで、あなた方も・・・」
「わたし達、飛空機を借りたいのです!」
「飛空機?あなた達、何をしようと・・・。」
言いかけて、学院長は言葉を飲み込む。この状況で飛空機を使う理由は一つしかない。
「いえいえ、ダメです。危険過ぎます。空を飛べても、あれには戦うものが有りません。」
「空が飛べればいいんです。後は自前で何とかします。」
「何をバカなことを。これは遊びではないのですよ。」
「そうだよ。遊びじゃない。」
ファラは学長を真っ直ぐ見据え、空を指差す。
「今、あそこであたし達の友達が戦っている。遊んでなんかいない。助けたいんだ。頼みます、やらせて下さい。」
「しかし、それはあまりに・・・」
ファラの気迫に押されながらも決断できない学院長に、パジャが言う。
「学院長、いえ、お祖母様。わたし達はゼファーの卒業生です。学院長は卒業式の時、おっしゃいました。人々の為に力を使え、と。
今が、その時だと思います。」
学院長はパジャをまじまじと見詰める。見慣れた孫娘の顔がそこにあるはずなのだが、まるで初めて会う人の様にも見える。そして、十数年前に死に別れた娘、すなわち、パジャの母親の顔がだぶって見える。
学院長は深い溜め息をつく。
「分かりました。許可しましょう。
但し、決して無茶をしない事。危なくなったら逃げる様に。
これは、学院長として命令です。そして、わたくし、個人としてのお願いです。命を粗末にしない事。あなた達の命は、あなた達が守ろうとしている人達の命と同じに尊いのですからね。」
「わっかりました。」
ファラは敬礼をすると飛空機のある格納庫に向かって走り出した。
「えーー。まだ走るのぉ~。」
カナレは悲鳴を上げながらもファラを追いかけて行った。
「本当に大丈夫かしら。」
走り去って行く二人を見ながら、学院長は不安気に呟く。
「大丈夫ですよ。ファラは、頭に血が昇ると無茶しそうですが、バンナがいます。」
パジャの言葉に、学院長は眉をひそめる。
「今、バンナはいましたか?」
「いいえ。居ませんでした。」
ますます、ハテナな顔になる学院長のために、パジャは言葉を続ける。
「ずっと姿を見ません。どこで何をしてるのか。何かを準備してるのでしょうけど。」
「何かとは何を?」
さぁ、とパジャは首を横に振る。
「それでは、大丈夫と言えないではないですか。」
呆れた表情で学院長はパジャを見るが、パジャは少し嬉しそうに言葉を続けた。
「大丈夫です。わたし達が必要とした時に必ず、バンナはいてくれますから。」
孫娘のこの全幅の信頼感がどこから来るのか、学院長には全くの謎だった。もちろん、バンナの事を知らない訳ではない。学業、生活態度等々、バンナのさまざまな情報資料に目を通しているし、直接話をしたことも何度もある。それらを加味した上でこの信頼感が解せないと言うことだ。
魔法を使うという点ではバンナはあまりに当てには出来ない。
少なくとも、パジャやカナレ、ファラが魔法でバンナの下に来ることはあり得ない。
それが、何十年と学院で様々な生徒を見てきた学院長としての評価だった。だが、パジャの評価は明らかに違っていた。
一体何がそうさせているのか?ウルナガンの男はそれほどの者なのか?好奇心がふつふつと湧いて来るが、今は孫娘に問いただす時間はない。学院長は、この話題を打ち切った。
「いいでしょう。あなたはここを守る準備をして。街の避難勧告と誘導をする人はこちらで手配します。
こちらには後で手伝いも手配します。」
学院長は、パジャに言い置くと足早に去って行った。
**** サーティーンズ クロニクル だぜ ****
「えっと、どうするんだっけ?
確かどっちかの手を入れて魔素を注入するんだよな。」
ファラは、恐る恐る横にある筒に左手を突っ込み、意識を集中させる。
しかし、コックピットのパネルに変化はない。
「なんだよ。なにも変わらないぞ。」
「属性の設定が合ってないんじゃないの?」
「あーー。そんなのあったな。設定スイッチ、スイッチと・・・
えっと、どこだっけ?」
情けない顔でファラは、後部座席に座っているカナレに助けを求める。
「もう。左下の色のついたレバーあるでしょ。それだよ。炎は赤ね。」
と、言いながらカナレは自分のパネルの設定を青色、すなわち、自分の属性である水に合わせる。
「ほんじゃ、先に入れるよ。」
カナレは、座席脇の筒に手を入れると魔素を注入し始めた。
設定スイッチのすぐ上に位置する魔素計が少しずつ上がっていく。
今、ファラとカナレが乗っている飛空機は複座で前、後のどちらでも操縦できる。そのため、コックピットの作りはほぼ同じなのだ。
魔素計の針の上がり具合が早くなる。ファラも魔素を注入を始めたからだ。
「これ、満タンにしないと飛べないんだっけ?」
「飛べるよ。二人がかりなら飛んでても補充できるから、半分ぐらい入ったらいってもいいんじゃない。」
「そっか。んじゃ、とりあえず滑走路に出ますか。」
ファラは、筒の中にあるレバーをちょっとだけ前に出す。
ゴオ、という音とともに両翼の付け根から魔素が噴き出され、その反動で飛空機はゆっくりと前に進み始める。
「やっぱ、難しいな、これ。」
左右の推力レバーを調整しながらヨタヨタと飛空機を滑走路の前までもっていく。
「で、レバー一杯にして適当な所でこの棒を手前に引くんだっけ?」
ファラは、目の前にある操縦捍を握りながらカナレにきく。
「そうだよ。なんなら、離陸はこっちでやろうか?
ファラっち、苦手でしょ。」
「イヤ、いい。今のうち慣れておきたい。それに、多少の操作ミスは、魔素制御でなんとかなるんだろ。前が確かそうだった覚えがある。」
「まぁね。ぶっちゃけ、ファラっちのパワーなら力業で何とかなったりするんだけどねー。魔素の無駄遣いなだけ。
ほんじゃ、まかすね。離陸の合図するからゆっくり操縦捍引いてね。」
「よし、いくか。」
その時、二人を呼ぶ声がした。
「あ、バンナだ。」
カナレの言葉にファラが後を見ると、バンナがこっちに向かって走って来るのが見えた。
ほどなく、バンナは二人のもとに駆けつけると肩で息をしながら言う。
「・・・良かった。間に合った。
悪い、自分も乗せてくれ。」
「乗せてくれって、これ、二人しか席ないぞ。あたしかカナレに降りろって言ってる?」
イヤイヤイヤとバンナは首を横に振る。
「後席の後ろにある貨物入れは臨時の三席目に出来るんだ。三分、時間をくれ。」
バンナは、言うが早いか機体によじ登ると、貨物入れの天蓋を外し、次に床をひっくり返し補助椅子を出す。慣れた手つきで、あっというまに、カナレと背中合わせになる三席目を作り出した。
「はーー。そんな仕掛けになってるんだ。」
「相変わらず、変なことに詳しいな。」
感心するカナレと呆れるファラを余所に、バンナは三席目に身体を滑り込ませ、身体を椅子に固定する。
「準備O.K. だ。行こう。」
「あいよ。」
と、ファラは一言いうとレバーをグィと押した。
飛空機は前進し始める。最初はゆっくりだが、すぐに、グングンと加速する。
ファラは、小気味良い振動を身体に感じながら操縦捍をゆっくり引く。飛空機がフワリと浮く。さらにレバーを押して機体を加速させる。
「カナレ。ロクバード、どこ?」
「うんっと。5時の方向。高さ、2000って処かな。」
「了解。一端、高度合わせてから向きを変える。」
「あっ!高度下げ始めた。」
「不味いな。何かに狙いをつけたのか?セリーヌはどうした?」
「こっからじゃ、わかんない。」
「しょうがない、旋回する。」
ファラはそう言うと、機体を旋回させた。
**** サーティーンズ クロニクル です ****
セリーヌは、恐る恐る目を開く。
目の前にロクバードの巨大なカギヅメがある。
とっさに張った結界がすんでの所で間に合った。
本当にギリギリだった。三重に張った結界のうち二枚を簡単に破られ、最後の一枚でようやく止まっている。
しかし、これで助かった訳ではない。
むしろ、退っ引きならない状況に陥っている事をセリーヌは自覚していた。
球形に展開している結界をガッチリ、ロクバードに掴まれて前にも後ろにも動けない状況なのだ。
結界には今も圧力がかけられており、支えていないとメリメリと潰れそうだった。
いつまでも、この状態、結界を展開する事は出来ない。
体内に蓄積している魔素を使いきったら、それ以上、結界を張る事は出来ないからだ。
かといって、結界を止めれば、たちまちカギヅメに潰される。
選択肢は一つしかない。
結界を解除。
更に、無詠唱の内因魔術による爆裂系統の魔法を至近距離で実行し、その爆風で離脱する。
爆風から身を守る為に、前面集中型の結界も間髪いれずに発動させる。
以上、三つの事をほぼ同時にやらなくてはならない。
一つでもタイミングがずれたら悲惨なことになるが、躊躇している暇はない。どれも蓄積魔素を消費する行為なので、実行できる魔素量がある、今やるしかない。
「たっ!」
気合いとともに魔法を発動させる。
と、同時に目の前が真っ赤に染まり、物凄い衝撃に襲われる。
息がつまり、意識が飛ぶ。
だが、衝撃を受けたのはセリーヌだけではない。突然の爆発に、ロクバードも翼をばたつかせて後退する。
「うっ・・・!」
ほんの一瞬だが、意識を失っていたようだ。
意識を取り戻すと、セリーヌは体勢をすぐさま整える。
興奮と緊張が収まってくるに従い、ズキンズキンと周期的な痛みを感じる様になる。
セリーヌは左胸に手をやった。呼吸をする度に鈍い痛みと骨がずれる様な違和感がある。
(きっと、肋骨が折れてるわね。
あんな、無茶をしたからしょうがないけど。)
ロクバードの方はと、そちらをうかがうと、向こうはセリーヌの存在を忘れたように地表を見ながら旋回している。
ロクバードの方へ移動しようとした時。
「ギヤァ、ギャギャ。」
スッとセリーヌの方を見るとけたたましい声を上げる。
忘れたなんて、とんでもない。
ロクバードは十分セリーヌを意識していた。
取るに足らないがひねり潰すには、ちと手強い。だから、見逃してやるが、突っかかって来るなら容赦はしない。と言うロクバードの明確な意思表示にセリーヌは悩む。
何より攻め手がない。
迂闊に近づけば、さっきのように強襲される。あの攻防で体内の蓄積魔素もかなり消費している。結界は後二、三回しか展開できないだろう。
かといって、遠距離攻撃は、あの結界で全て防がれる。
とりあえず、つかず、離れずの距離を維持しながら様子を見るぐらいしかやれる事がなかった。
ロクバードはゆったりと円を描きながら地上を伺っているようだ。
このまま、援軍がくるまでおとなしくしていてくれれば良いけど、と思った所でロクバードが動いた。
旋回を止め、ゆっくりと下降し始める。
行く先に目をやる。どうやら街の大広場の付近を目指しているようだ。大広場には祭りの人が大勢いる。
(まずい。まずい。まずい。)
セリーヌは焦る。やれる事は一つしかない。
翼を羽ばたかせロクバードに突っ込む。
ロクバードは、さっきと同じ様に警告しようとセリーヌの方を見る。そこへカギヅメから脱出する時に使った爆裂魔法、但し、ずっと規模の大きなものを撃ち込む。それはロクバードの眼前で盛大に爆発する。結界に阻まれ、本体に傷を付けることはできなかったが、目の前での突然の爆発はロクバードを驚かすには十分だった。
「ギャ、ギャッ」
ロクバードは驚きの声を上げ、体勢を崩す。
が、それも一瞬の事だ。すぐに体勢を整えると、鋭い眼光でセリーヌを睨み付ける。
完全に怒っている。
翼を大きく拡げると猛然とセリーヌに突っ込んできた。
それを、ひらりとかわす。
セリーヌがやれること。それは、ロクバードの気を引いて時間を稼ぐ事だ。
『そ、汝
小さき風の暴君よ 渦巻く風の奔流よ
そは、汝の怒りなり そは、我が怒りなり
その怒りもちて 我が敵を 打ち砕け
双流竜牙 』
詠唱の完了と共にセリーヌの両手に小型の竜巻が現れる。
すぐに右手の竜巻を投げつける。
しかし、結果は同じ。竜巻は結界に簡単に弾かれ、ロクバードは何事もないかの様に突っ込んで来る。
ギリギリの所で左手の竜巻をゼロ距離開放する。
セリーヌは力を抜き、風に体を預ける。
竜巻にもみくちゃにされながらセリーヌの体は急速に上空に巻き上げられる。その下をロクバードが急速に通り過ぎた。
セリーヌは竜巻の頭の所まで巻き上げられる。竜巻から脱出したセリーヌの両手には双流竜牙が装填されていた。
外因魔術は、周囲の魔素を使うので魔素量を気にする必要はない。しかし、複雑な術式を行使する必要がある。詠唱もその一環だが、とにかく、術の行使には時間と術者の集中が必要で、それが大きな隙を作ることになる。
そこで、双流竜牙で巻き上げられている間に術式を完成させる。それが、セリーヌの戦術だった。
「こっちよ。」
双流竜牙をロクバードに投げつけながらセリーヌは叫ぶ。
何度やっても簡単に弾かれるが、挑発をするのが目的なので気にはしない。
ふたたび、突っ込んで来るロクバードを同じ要領で回避する。
そして、双流竜牙装填。
片一方の双流竜牙をぶつける。ロクバードが怒りに任せて突っ込んで来る、竜巻に乗る。ここまでは一緒だ。
「うっ?」
詠唱をしようとした時、竜巻が大きく揺らぎ、消滅した。それと同時にセリーヌは中空に放り出される。
一瞬、何が起こったかわからない。体勢を整えようとしたところに突風に体を持っていかれる。
突風の出所はロクバードだ。その巨体な翼の羽ばたきで生み出されたという事を吹き飛ばされながらセリーヌは理解した。
竜巻もこの突風で消されたのだろう。
(まずい。)
ロクバードが突っ込んで来る。体勢をすぐ立て直さなければ終わりだ。
魔素を開放して急制動をかけ、止める。
止まる事はできたが回避は間に合わない。内因魔術で結界を展開するしかないのだが、展開しても、さっきの二の舞だ。正確には二の舞ではない。前より悪い。魔素量が少ない状況では、先の方法が使えないからだ。
一瞬の迷い。
致命的だった。結界の展開が遅れた。
(あぁ、間に合わないか。)
そう思った時、突進してくるロクバードの横っ腹に巨大な水球がぶつかる。
一つ、二つ、三つ。
全て結界に阻まれ、ロクバードに傷を付けることは出来なかったが、水球の圧力は物凄く、ロクバードの軌道がずれる。
中空に浮くセリーヌの横をロクバードがかすめていく。
間一髪だった。
セリーヌは水球が飛んできた方向へ目を凝らす。
三角形の黒いものがこっちにむかってくるのがわかる。
(何?飛空機?)
探知の風を飛ばす。
そして、悟る。
張りつめていた緊張の糸が一瞬弛み、思わず泣きそうになるのをグッと堪える。
まだ、なにも終わっていない。安心してはいけない、と自分に言い聞かせる。だが、もう一人ではないのも事実だった。
今まで孤独な戦いをしてきたセリーヌにとって、それがどれ程心強いことか。
セリーヌは手を振り、叫んだ。
「ファラ。 カナレ。 バ、ン、ナー!
ここよ。みんな。
ありがとー!」
**** サーティーンズ クロニクル だよ(⌒‐⌒) ****
「全弾 命、中!
ね、ね。あたしってすごくない?」
飛空機の後部席で片手を上げて、はしゃぐカナレ。
「いや。ダメだ。効いてない。」
それをバンナは冷静に否定する。
「ウッソ。あれ三倍水球弾の三連射よ。」
「質量があるんでよろけただけだ。全部、結界で止まっている。
本体には届いていない。あいつを倒すには、結界を何とかしないとダメだ。」
「エーーー。
だったら、なんでBB (バブルバレット)使えって言うかなぁ。
しかも、トリプルとか魔素大変なのにぃ。 」
「あれは、あれで正確だ。」
セリーヌを助けるため、ロクバードの軌道を変える必要があった。それには大質量のBBが最適だった。
「カナレ、次、準備!
次は障壁貫通術式だ。」
「なぁにが、次は障壁貫通よ。気安く言っちゃって。」
「いいから。文句は後で聞くよ。」
むぅ、と口を尖らせながらもカナレは詠唱を開始する。
『バークレア バークレア
地獄の毒の湖の 黒き汚泥に 眠れかし
地獄の毒蛇 バークレア
我が 囁きに 耳傾けよ 我が 言の葉に 眼開け
汝の 黒き 毒牙にて
万物 腐らす その毒牙にて
我が 目の前に 立ち塞がる
我が 宿敵を うち腐らせよ
バークレアの毒牙 』
詠唱終了と共に、カナレの右手から肘のところまで黒い紐状のものが巻きつく。まるで、黒い蛇がカナレの腕にとぐろを巻いている様にも見える。
「来た、来た。カナレ、準備はいいか?」
ファラが少し緊張した様に声をかける。
さっきの一撃でロクバードのターゲットは完全にカナレたちに移っていた。カナレたちに向かって一直線に突っ混んでくる。
「いっつでも。」
軽く答えながらも、狙いは慎重につける。十分、近づいた所でカナレはベノムファングを打ち出す。
ファングは狙い違わずロクバードに吸い込まれる。
が、命中する寸前、ロクバードは体を横に滑らせファングをかわす。
「へ?」
まさか、避けられるとは。
想定外の事にカナレは間抜けな声をあげたが、すぐに詠唱し直し、バークレアベノムファングを再装填する。
今度は両手に装填し、狙いをつけて撃つ。
ヒラリ。
ヒラリ。
それを、ロクバードは軽やかに避ける。
「なーー。
避けるナー。」
カナレはキレ気味に叫ぶ。
駄目だな、とバンナは思う。
とはいえ、それは半分予想していた事だ。ロクバードの結界は単なる防御障壁ではなく、風属性の探知の能力も兼ね備えていると聞く。つまり、自分に向けられる攻撃を瞬時に把握して、避ける事が出来るのだ。結界で止める事が出来る攻撃ならば、それも正確に把握して避けることすらしない。
カナレは再再詠唱を開始する。
それを見て、バンナは慌てる。ロクバードは既に回避行動から立ち直り、一直線に突っ込ん来る。あの距離と速度で、この詠唱タイミングでは間に合わない。
操縦担当のファラも、バンナと同じ判断のようだ。
「あっ、コラ。
それはまずいだろ!」
毒づくが、カナレを止めることは出来ない。
詠唱を始めた術者は一種のトランス状態になるので自力で止めるのは至難。第三者が邪魔することは出来るが、術者に与える影響を考えると論外だ。
しょうがないので回避運動に入ろうとするところをバンナが止める。
「このまま真っ直ぐ。」
バンナの言葉にファラがチラリと振り返る。
目が大丈夫かと訴えている。
バンナは、小さく頷き返しながら、棒状のものを前方につき出す。
(ロクバード。
迫る脅威を正確に把握出来ると言うのであれば、これをどう判断するか見せて見ろ。)
そう心の中で呟きながら、バンナは棒に、ほんのちょっぴり魔素を込める。
パシュ。
空気が漏れるような音と共に棒の先から何が飛び出す。
小さなものだ。人間の尺度から見ても小さい。ましてやロクバードにとっては脅威になり得ない。当然、避けるつもりをまったく見せない。
だが。
バンナたちとロクバードのちょうど真ん中辺りで、それは鋭い光りを放つ。そして、光りが消えた後に、岩の塊が現れた。棒状で先が尖っている。色は黒。黒曜石から削り出した槍、といった感じだ。黒曜石と違うのは、それが全く光りを反射しない事だ。この世のものではない不気味さがあった。
結界にぶつかる。だが、今までの攻撃とは異なり結界に弾かれない。結界に突き刺さった状態で止まる。いや、止まってはいない。槍は突き刺さった状態からゆっくりと回転を始める。初めはゆっくり、じょじよに早くなる。槍は、ドリルが地面を穿つ様に結界の中にゆっくりだが力強く結界に浸透していく。
「ヒュー。
貫通術式 石槍衾
魔素錬成弾、すげぇ。」
ファラが感嘆の声を上げる。
魔素錬成弾とは、バンナが打ち出したものの事だ。
文字通り、魔素を錬成し術式を練り込んだもので、長さ5から10センチの細長い筒のようなものだ。
高速で打ち出された後、一定距離で練り込まれた術式が発動する仕掛けになっている。
とるに足りないと判断していたものから突然、危険レベルのものが現れたことで反応が遅れ、回避ができずロクバードは結界に致命的なものを食いつかせてしまった。
石槍衾はグイグイと結界を抜けて行く。後少しで貫通するというところで、急に槍は力尽きたかの様に落下していく。
「ほう。結界を捨てたか?
思いきったな。」
ロクバードが石槍衾を結界ごと破棄した判断に感心する。
野生の魔獣にそんな知恵があるものなのか、或いは本能の為せる業か。
色々、興味は尽きないが全て後回しだとばかりに、バンナは杖、魔素銃と呼んでいる、をロクバードに向けて次弾を放つ。
新しく結界を展開するには少し時間がかかる。その一瞬を狙った必殺の一撃。
の、はずだったのだが、ロクバードは素早い反応を示す。
魔素弾の術式が発動するより前に回避に入り、難なく避ける。
術が発動して現れた巨大な水球、四倍水球弾はむなしくロクバードの横を通り過ぎて行く。
術式が発動していない魔素弾も脅威になるときっちり認識した動きだ。
ロクバードとはこんなに頭の良い生き物なのかと内心、舌を巻きながら、バンナは次の策を考える。
(さて、困った。)
厚い結界、素早い回避、同じ手が通じない対応力。
打つ手無し、と言うのが正直な所だ。
「ファラ。
セリーヌに寄せてくれ。
カナレは牽制を頼む。」
バンナは、少し考えてからそう言った。
**** サーティーンズ クロニクル です ****
セリーヌは、バンナ達の攻防をヤキモキしながら見守っていた。
苦戦してると言って良い状況だ。
カナレのベノムファングは難なく避けられ、バンナの魔素弾の連携も不発に終わった。四倍水球弾をかわされるの見た時は、思わず悲鳴をあげそうになった。バンナがあの魔素弾にどれ程の労力を費やしたか想像出来たからだ。
何とかしたいがなにも出来ず、ジリジリしていた所に飛空機が自分の方に近づいて来るのがわかった。
すぐにセリーヌとバンナ達は合流した。
並んで飛びながら、バンナが声をかける。
「セリーヌ、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫。」
痛む胸を微かに庇いながらセリーヌは答える。
本当は、かなり大丈夫ではない。さっき、咳き込んだ時、口の中に血の味が拡がった。折れた肋骨が肺に刺さっているかも知れない。
ほんの少し躊躇する様子を見せたが、バンナはセリーヌの方に手を伸ばす。
「これを、」
バンナの手には魔素弾が握られていた。セリーヌも手を伸ばし受けとる。
「これを、あいつに撃ち込んでほしい。」
「撃ち込んでくれって、無理よ。
私、貫通術式、その、使えないし、」
セリーヌはバツが悪そうにいいよどむ。
「貫通する必要はない。同化すればいい。」
「同化・・・?」
バンナが何を言っているのか、すぐには 分からなかったが、それが対象と同じ結界を展開して結界をすり抜ける方法を言っていることに思い当たった。いわば、結界を無効化する裏技的な方法だった。
だが、セリーヌは首を激しく横に振る。
「無理、無理。
あの結界を真似るのなんて絶対無理。」
「いや、セリーヌなら出来るよ。」
事も無げにいい放つバンナをセリーヌは見詰める。
「落ち着いて探知の術を使って結界を読めば、時間はかかるかも知れないがセリーヌなら再現出来る。
それまでの時間は、こっちで稼ぐ。」
そして、セリーヌを勇気づけようと思ったのか笑って見せた。
(ああ、この男は、やっぱり何を考えているかわからない。)
と、内心思いながら、渡された魔素弾を持つ手に力を込め、答える。
「いいわ。分かった。やる。」
「よし。結界を抜けたら、ロクバードの背中辺りを狙ってくれ。
魔素弾の発動距離は最短にしてる。
撃ち込んだら、直ぐに逃げて。」
バンナの指示に、セリーヌは分かったと頷く。
「ファラ。行こう。
ロクバードの注意をこっちに向けさせるんだ。」
再びロクバードと格闘し始めた飛空機を遠目に見ながら、セリーヌは子供の頃を思い出していた。別に思い出に浸ろうとしているわけではない。幼い頃、二人の姉と遊んだ結界同調の事を思い出していたのだ。互いに結界を展開した状態で相手に触れるという単純な遊びだったが、今からロクバード相手にやろうとしているのがまさしく、それだった。子供が張れる単純な結界だったがセリーヌは余り得意とは言い難かった。まして、今回はロクバードという全く異質な存在が作る結界が相手だ、出来るとは思えない、仮に出来たとして、今、手に持っている、こんな小さな魔素弾で、あの巨大なロクバードを倒せるのか?
出来るとは思えないことばかりだったが、バンナが出来るというのなら出来るのだろう。セリーヌは心を決めるとロクバードの背中をとるために高度を上げる。
ロクバードの背後は簡単に取れた。カナレが適度にロクバードの気を惹いてくれたからだ。
探知の能力で結界を探る。一口に風属性の結界と言ってもいろいろなタイプがある。ロクバードの結界は空気の密度と粘度を上げて対象を絡めとるタイプと分かる。セリーヌは水飴の中にある気泡を、そして、自分がその中にいるイメージを思い描く。
身体まとわりつく感覚がスーっと消えるのを感じる。同調に成功したのだ。
(ありゃ?成功しちゃった。)
自分でも拍子抜けするほど簡単に結界の同調に成功してしまった。これでは当時、十二歳だった姉のマリアが展開していた結界の方が遥かに複雑だ。姉を偉大と思うか、ロクバードをヘタレと思うべきか真剣に悩みそうになるところをぐっと堪え、セリーヌは当初の目的である結界のすり抜けを実行しようにとした。
、が。
(う、動かない。)
水飴の中の気泡は水飴に包まれて動かない。当たり前な話だ。
何故、動けないのかを落ち着いて考える。それは、四方から同じ圧力をかけられているから。ならば、自分の展開している結界の形を変えれば、例えば、進行方向の圧力を下げ、進む方向の逆の圧力を上げれば良い。
セリーヌは早速、結界の形を変える。
効果があった。
ゆっくりだが、セリーヌはロクバードの結界の中を進み始めた。
**** サーティーンズ クロニクル ****
「セリーヌの調子はどう?」
「うーん。同調はできたみたいだね。結界に取りついてる。
でも、何か身動き取れなくなってる見たい。」
左目の前に固定した小型望遠レンズでロクバードを確認しながらカナレは答える。
「結界を抜くにはもう少し時間がかかるか。
カナレ、ロクバードの気を惹いてくれ。」
「もう。私ばっか、働いてないですか?」
「無い、無い。みんな働いているよ。」
「ファラっち、さっきから飛空機しか動かしていないし。」
「私は飛空機に魔素も供給してる。」
と、ファラ。
「むー。
じゃあ、バンナは?」
「俺は防御担当。後、頭脳も担当してる。
いいから、やる。」
「ヘイ、ヘイ。」
カナレは片手を上げる。直上には氷で出来た槍が七本浮かんでいた。外因魔法の一種、ペールギュントの七本槍だ。一回の詠唱で七本の槍が召喚できるコストパフォーマンスの良い術式。通称、アイスジャベリンと呼ばれている。
「いっけー。」
カナレの掛け声と共に槍の内の一本がロクバードに向けて撃ち出されるが、突進してくるロクバードのかなり手前で結界に弾かれる。
「避けもしないのが何かムカつく。
って、何か撃って来たー。」
愚痴が途中で叫びに変わる。
ロクバードの両翼の付け根のところが円形に滲んで見える。陽炎のようなものだ。肉眼で捉えるのは難しいが魔素感知の能力で見れば高密度の魔素の塊が急速に接近してくるのが分かる。
結界の一部を変形させて撃って来たのだ。
「任せろ。」
当然、バンナも気付いている。魔素銃を構え、撃つ。
魔素弾は一定距離進むと発動。空中に蜘蛛の巣状の砂の壁が出現しロクバードの攻撃を阻む。
さっきから似たような攻防の繰り返しだった。
どちらも決め手にかける。
(状況を打開できるのはセリーヌだけだな。)
すれ違う時にセリーヌの様子を伺う。かなり結界の中に食い込んでいるようにも見えたが、良く分からない。
頑張れ、とバンナは心の中で呟いた。
(後、少し。)
セリーヌは結界の中で精一杯手を伸ばしていた。
手には魔素弾が握られている。後、もう少し時間があれば結界を突き抜ける。だが、その時間が問題だった。魔素がもう底を尽きかけているのだ。
(もう、ダメ。
ごめん、バンナ、みんな。)
結界が消え、セリーヌはロクバードの結界に押し潰された。
(・・・!)
偶然だった。神の采配と言ってもいい。セリーヌの結界が潰れた時の微妙な結界圧力の変化がセリーヌの身体を前に一寸だけ押し出した。その結果、セリーヌの手首が結界を抜けた。
(抜けた。)
手首以外、結界に押し潰されて髪の毛一本動かせず、呼吸も出来ない状況だが、セリーヌは結界を抜けた。
体内に残っている魔素の全てを手首に集中させる。
それは魔素だけではなく、セリーヌに残された酸素もガリガリと削って行く。
視界が暗く、狭くなって行く。
ブラックアウト寸前、セリーヌは何とか魔素弾を撃った。
「うん?」
ロクバードの背中の辺りで何が光ったように見えた。
カナレは目を凝らす。
なにも起きない。目の錯覚だったかと思った瞬間、ロクバードの背中から突然、白い紐のようなものが飛び出した。
「ほぇ?」
紐の先端は放物線を描きながら落下する。落下したと思ったら、ロクバードの胴を回って背中に戻ってくる。
何が起こっているのか良く分からないでいると、もう一本、紐がロクバードの背中から飛び出した。一本だけではない。二本、三本と次々、飛び出してくる。飛び出た紐は、これまた、グルリと胴を回して背中に帰ってくる。あっという間にロクバードの背中と翼が白い紐に包まれる。
急なことにロクバードも驚くが、すでに身動き取れない状況に陥っている。
「ぎょぎよ。気持ち悪い。何あれ?」
「やったか。
蛇縛結界だ。
貫通術式を!」
結界は健在なので、まだ、攻撃は届かない。だが、動きさえ封じてしまえば対処は容易い。
バンナは急いで魔素弾を変更し、撃つ。
結界に魔素弾から発動した石槍衾が命中する。
蛇縛に捕らわれて、飛ぶのがやっとの状態では避けることは出来ない。そこへカナレのベノムファングが追い打ちをかける。
二つの貫通術式に浸食され、ロクバードの結界が砕け散る。
「カナレ、止めを。」
「了解。
カナレちゃんの本気。見せちゃうよ。」
カナレは、両手を上げる。
ポツンと宙空に黒い球が現れ、急速に膨れ上がる。
超高密度水球五倍弾(スーパーハイデンシティーバブルバレットペンタ)、魔法の力で普通の水より重く、硬くした直径四メートルの水球。本来は要害攻略に使う術式だ。
「えぃ。」
掛け声と共に投げる。
水球は、狙い違わず、ロクバードの肩口に命中。翼の根本と胴体に半分程めり込み、炸裂する。術を解放することで無理やり圧縮していた水がもとに戻ろうとして爆発現象を起こすのだ。
ロクバードは、一瞬で絶命、きりもみをかきながら落下していく。
「やったー。」
ガッツポーズをとるカナレ。
「やったよ、セリーヌ・・・
って、落ちてるよー!」
落下して行くロクバードの横を、同じように落ちていくセリーヌがいた。
「なっ、ファラ、セリーヌを・・・、うぉ。」
機体が急に下降したのでバンナは舌を噛みそうになる。
ファラも気付いて飛空機を急降下させたのだ。
飛空機はセリーヌを追いかけて、猛烈に降下していく。
だが、距離は遠い。
(届くのか?)
「駄目だ、追いつかない。」
ファラが絞り出すように言う。
ドンドン地面が近づいてくる。だが、セリーヌとの距離は遅々として縮まらない。このままでは、ファラがいうように届かない。
バンナはベルトの弾帯に指を走らせ、使えそうな魔素弾を探る。
そして、一つの魔素弾を取りだし素早く発動距離を調整し魔素銃に放り込む。
危険だがやるしかない、と思いながらセリーヌに狙いをつける。
撃つ。
もとよりセリーヌに当てるつもりはない。
魔素弾は、セリーヌを通り抜け、ちょっと下で炸裂する。その爆風に煽られ、セリーヌの落下速度がグンと落ちる。
ゆっくりとセリーヌが近づいてくる。地面は、もうすぐそこだ。
並んだ。
バンナは手を伸ばす。
一回、二回と掴み損ねる。
三度目でようやく袖を掴まえた。
渾身の力で引き寄せながら、ファラに向かって叫ぶ。
「掴まえた。上げろ!」
「この」
懸命に機首を上げようとするが、思うようには上がらない。
「あ、が、れってー!」
バチンと何がはぜるような音と同時にファラの身体から膨大な量の魔素が放出される。
魔素を使って強制的に機体を持ち上げようとしているのだ。
機体のそこかしこから、メリメリ、ミシミシと嫌な音をさせながら飛空機の機首が徐々に上がってくる。
地面に激突する寸前、機首はようやく落下を止め、水平飛行に入る。地面から10メートル位の高さだ。両脇を標識やら、二階建、三階建ての建物が物凄く勢いで通り過ぎて行く。
「わっ、わっ、わわっ」
カナレは、恐怖で叫びにならない短い叫びを上げている。
バンナはセリーヌを庇いながら、ここが学院に続く大通りだと気づく。
であれば、と前を見ると果たして、学院が誇る壮麗な正門が立ち塞がっていた。いまの飛空機よりも高い。グングン近づいてくる。
「ファラ、機首上げて。」
「分かってるって、こなクソ。」
カナレの悲鳴にファラは懸命に機首を上げようとする。
少し上を向き、飛空機は上昇し始める。だが、門はすぐそこに迫っている。
おぉーーー
バンナも心の中で叫んでいた。いや、悲鳴と言うべきか。
ーーーぉぉ!
ギリギリで、本当にギリギリで飛空機は門を飛び越した。
「危なっ、う、うわぁ?!」
ほっとしたのも一瞬のこと。門を過ぎると、更に学院が誇る大講堂が立ち塞がっていた。
飛空機は、まっしぐらに突っ込んでいく。
三階建てで、屋根には魔法の十三の属性を象徴する塔が立ち並んでいる。避けるのも、飛び越すことも出来ない。
「ダメだ、ぶつかる。」
ファラが諦めの声を漏らす。
ドゴン。
突如飛来してきた巨石が塔を根こそぎ破壊した。
次の瞬間、飛空機は塔のあった空間を通り抜けた。
なんだ、何が起きた?
混乱しながら巨石が飛んで来た方に、バンナは目を向ける。
そこには、黒髪の女がこちらに手を振っているのが見えた。
「パジャ・・・、か。」
バンナは、安堵のため息と共に呟いた。
「あわわわわ。時空の塔が・・・」
崩壊していく塔を目の当たりにして絶句する少女の傍らでパジャは、何物もなかったように飛空機に手を振りながら、呟く。
「良かったですわ。無事ですんで。」
「あ、あれが無事なの?!」
少女の問いに、パジャは、口元に指を当てて、少し考えるように小首を傾げる。
「うーん、そうですねぇ。
後でお祖母さまに謝らないと、
いけませんかねぇ。」
飛び去って行く飛空機を見送りながら、パジャはのんびりと、そう答えた。
そこはどこなのだろう。
ほの暗い部屋に、女が一人座っていた。
家具らしいものは、その椅子以外なにもない。ただ、石の床と石の壁に囲まれた部屋だ。
女の目の前には風景が浮かんでいる。窓から外が見えているのではない。ましてや、風景画でもない。文字通り風景が空間に浮かんでいるのだ。それも一つではない、海や砂漠、のどかな田舎道かと思えば、街の大通り等、無数の異なる風景が浮かんでいた。
女の視線は、その中の一つ、飛空機に乗る男が映っている風景、に注がれていた。
「バンナ、ウルナガン。・・・面白いのぅ。」
呟き、クックッという忍び笑い。
忍び笑いは、堪えきれない笑いと変わる。
「アハハ、あのウルナガンの男とな。
面白い。誠に面白いわ。
ハハハハ、アハハハハハ・・・」
そのどこか狂気を帯びた笑いは、石の部屋で幾重にも木霊して続けた。