15:瞑想&マッサージ・美咲
自分の妄想を反省した、その瞬間のことだった。
制服の上から二の腕を触られ、居留守は椅子から数センチ飛び上がった。
「驚きすぎよ、もう。でも、そうね……良かったらマッサージしてあげようか」
「い、いえいえっ! そんな、別荘もない!」
「学生が別荘持っているわけないでしょ、居留守くん?」
(うっ、『滅相もない』を言い間違えてしまった……)
「まぁ私は持ってるんだけどね。別荘」
「うそっ!?」
「この部室が別荘よ」
「ちゃんと家に帰って!」
会話しつつも、美咲の腕が空中を切る気配がした。いつのまにか居留守は、学ランを脱がされて、ワイシャツだけになった。
そして肩から、意外と力強い美咲の指に揉み解される。
「リラックスするのは、本当に大事なの。脳の働きを抑えて、アルファ波が出るようにするの。そうすると顕在意識が取り払われて、潜在意識にアクセスしやすくなるのよ。理想的には、もっと周波数の少ないシータ波がいいんだけど。バリバリに超能力が開発されまくった人や、チベットの高僧なんかは、即座に脳波の状態をそこまで持っていけるらしいよ? でも、初心者の居留守くんにそこまで求めるのは、ちょっと行き過ぎだけどね」
「は、はぁ……」
「『はぁ』じゃなくって。もっと、深く息をして。それも、リラックスするには重要だから」
「は、はぁ~~~~っ……」
肩から背中、二の腕、前腕、と――マッサージされることは、意外と気持ちが良く感じられた。美咲に指示されなくとも、居留守はきっと、心地よさのあまり自然に深呼吸していたことだろう。
(気持ちはいいけど……な、なんだこの状況。暗闇で女子にマッサージされるって……ちょっと、怪しいお店か何か!?)
美咲の細い指が肌に、筋肉にめり込むたび、疲労物質が溶け去るような感覚を覚える。居留守は、思わず目を細め、天を仰いでしまった。
「よしよし、だいたいいいかな? リラックスできた?」
「ええ、それはもう……」
居留守は大嘘をついた。本当はリラックスどころではない。
彼は、愛想はあるほうだ。が、しかし、それを損なって余りある影の薄さがある。
いままで恋人はおろか、ろくに女子の友達と触れ合ったことはなかった。
(み、美咲さん……なんか今の……! 今のは、ちょっと……!)
そんな彼にとっては、荷が勝ちすぎた。暗闇で、異性に優しく体を揉まれるなど……。「マッサージ」「リラックス」という言葉が、何かいかがわしい意味をもつ言葉として、彼の脳内辞書に登録されてしまいそうだった。
「じゃあ次は、私をお願いね」
おもむろに、美咲が上着を脱ぐ。衣擦れの音が、やけに大きく響いた。
「はいっ♪」
「えっ、ええ~?! 僕が、美咲さんを……ですか?」
「当ったり前でしょ? 自分だけやってもらって、はいおしまいで済ませる気? 冷たいなぁ~居留守くんは」
「わっ、分かりましたよ! 分かりました! やればいいんでしょう、やれば!」
もはや捨て鉢になる。ほぼ暗闇の部室の中で、美咲の後ろに回りこんだ。背中、肩、腕、くび――などなど、触っても「マッサージ」という目的なら問題ない部位を選び、ひかえめに力をこめる。
(万が一にも……いや、億が一にも、セクハラ扱いされるわけには……! ここはあくまで、紳士的に……。美咲さんに、喜んでもらわないと……! そうだ。美咲さんに奉仕するぞ。奉仕するぞ! 奉仕するぞ!)
居留守の理性がフル稼働する。脳みその原始的な部位が発する強烈な、本能的な煩悩を、がっつりと押さえ込んだ。
「ちょっとぉ、それじゃ力が足りないよー。なんだか蚊に刺されているみたい」
「あ、すいません……考え事してて」
居留守は、ぎゅっ! と指を皮膚にねじこんだ。
「あいたたたっ! こんどは強い! 強すぎ! もっと優しくして!」
「す、すいませんっ! こ……こんな感じ、でしょーか……?」
「うん……そうそう。いいねー、そのくらいの力で、優しくやって。はぁ~、気持ちいいな~……! なーんか人にされるのって、自分でするより全然気持ちいいんだよねぇ。なんでだろうね?」
「え、えぇ……」
妙におっさん臭い反応を返す美咲。
が、居留守は極度の興奮状態にあり、うまく答えることができなかった。とにかく、「マッサージをいろんな意味で無事に終わらす」という目的で、頭がいっぱいになっている。
つい力を入れすぎてしまったり。慌てて力を弱めたり――といったムラのある指圧の仕方になってしまった。
それが、かえっていいスパイスとなったようだ。
「んぁ、あっ……ふぅ~っ……い、いいね、居留守くん」
「はい……」
「うんっ、すごい……上手ぅ……! うあっ、は、ぁ! ……くうぅっ! そう、そこそこっ! あぁ~っ……すっご、効く効くぅ~っ!」
「はいっ……!」
居留守が指先で(背中を)刺激する。
そのたびに、悩ましげな吐息を漏らす美咲。
そのつどに、体をえびぞりにさせる美咲。
その反応は、演技でやっているわけでもなさそうだった。
緩急のある刺激が、美咲のツボに心地よい感覚をもたらす。それは、ただ一様な刺激を加えられるよりも、はるかに新鮮なようだった。
「うまくやろう」と焦りまくったら、大抵のことは失敗するものだが……今回は、それが良い形に働いたのだ。
もはや揉む少年からは、揉まれる少女からも、冗談味やおふざけ成分はとうに消えうせていた。本気で揉み/揉まれる、真剣空間が展開されている。
「……うぁっ! …………あ、…………ふっ、あ…………!」
「んっ…………………………くふっ、う…………………………!」
「ちょっ、そこ……………ひだりっ…………………………ぅんっ!」
いつしか、美咲は言葉少なになっていた。指の感覚を味わうのでいっぱいいっぱいで、声をあげることもできないようだ。
(なんだ……なんだよ……なんなんだよ、この状況……!? 僕たち、これから……いったい、どうなっちゃうんだよ……!?)
たかが指圧しているだけで、対してエネルギーは使っていないはず。なのに、居留守の心臓の鼓動は、全力疾走中のように速過ぎるビートを打っている。
「はぁっ、はぁ……!」
呼吸も、荒くなる。
美咲の体をマッサージする――という、どこか役得な行為に、居留守は極限まで没頭していた。部屋が真暗で、はっきりとは見えない。そのことが、冷静な判断を妨げている。
「あぁぁっ! ……………んくぅっ…………! い、居留守くん……………もっと……………あっ、やだ…………!」
美咲の声に、妙に艶が混じりだしていた。
(これはヤバい。ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバいヤバい! 何とは言えないけど、絶対に、これはヤバい……! どうすればいいんだ! 僕は……僕はっ?!)
ずっ、ずっ――と、美咲の背中を、親指の腹で押し、あるいは強く撫でるように動かす。そのポイントがかなり凝っているのか、美咲はひときわ大きな声を出した。
「わっ、ふあっ! …………あああぁぁっ!!」
悲鳴というより歓声。
上半身を、イヤイヤするようによじっている。
歯軋りして、心地よさに耐えている。
ほぼ真っ暗闇なのに、美咲の必死な表情がわかる。
まるで、高嶺の花のように考えていた美咲。その彼女が、自分の指先で、文字通り踊らされている――という身に余る事実が、居留守の目の前に示される。チカチカという幻の火花が、視界の中ではじける。
(も、もっと……もっと……美咲さんに、喜んでもらいたい! 喜ばせなきゃ。僕が……僕だけが……美咲さんを……よろこばっ、喜ばせるんだ!)
「美咲、さん」
「いっ……るす、くん……っ!」