宇宙人の来る町
宇宙人の来る町。
駅前にはよく分からないオブジェが転がり、ちょっと変わった砂浜と宇宙人の働く博物館があって、江戸時代からUFOの目撃証言がある……そんな風に言い張って町おこしをしている。
それが僕の住んでいる町だ。
あの日は、一学期も終わり高校生活最後の夏休みが始まる前日。
晴れ渡った夏空の下、午前授業が終わり学校からの帰り道の茹るようなアスファルトを自転車を押しながら僕は歩く。
真っ直ぐに伸びた道の先にはアスファルトが揺れて陽炎が浮かんでいた。
「ねぇ、そーちゃん」
「んー?」
海岸線の砂浜に沿って続く道を歩いていると、海から吹く風が熱と潮の匂いを運んでくる。
「どこの大学に行くかもう決めた?」
「……今頃になってそんな話してるやつはかなりヤバいんじゃないか?」
僕の後ろから同じように自転車を押しながら歩く幼馴染に答えた。
小栗 那奈。
少しウェーブのかかったセミロングの髪に、どこか柔らかな印象を与える顔付き。
隣の家に住んでいて、保育園から幼稚園、小学校、中学校、高校までもずっと一緒な正真正銘の幼馴染。
「だって、あたし志望は専門だもん」
「学校推薦だろ?」
「うん、美容師のね。家から通えるとこの」
いつもと変わらない、大したことのない、何回も繰り返された会話。
からからと、自転車の車輪の回転する音が響いている。
「しっかし、あっちーね今日も」
「また最高気温更新したんじゃない?」
「もういいよぅー。冬が恋しいよぅー」
車輪の音と共に、ぱたぱたと何か翻っているような音が聞こえた。
幼馴染の那奈がどうにか涼をとろうと仰いでいるのだろう。
「あ、そーちゃん。今日の夜って暇?」
「特に何にもないけど、なんで?」
「んーん、なんにもー? あ、でもちゃんと予定空けといてね」
「いいけど……」
少し、機嫌の良くなった那奈の声が聞こえる。
照り付ける太陽のせいで頬に流れた汗を肩で拭った。
ふと、砂浜へと顔を向けると砂浜には多くの海水浴客で賑わいをみせていた。そして、その砂浜を走る車も途切れる事無く列を成している。
町おこしもそれなりに成功しているようだった。
今年もこの夏は、町を観光客で埋め尽くす事だろう。
そんな風に僕は思った。
「今年の夏休みはどうするの? どっか旅行いくの?」
「流石に勉強するよ。あとたまにバイト」
「バイトしてる余裕あるの?」
「いつもの叔父さんのところだから。そんなに時間取られないし」
「あぁ、あの博物館? また今年もやるんだ」
「夏場はみんな嫌がるからだってさ」
この町の博物館。宇宙人が従業員を務めるという町おこしの一環を担う重要な施設。その博物館の館長をしているのが僕の叔父だった。高校生に上がってからは親戚ということもあって、こうやって長期の休みがある時には助っ人として呼ばれる事が何度もあった。
……手伝った分、ちゃんと小遣いとしてもらえるので僕としても有難かったが。
「ねぇ、そーちゃん」
僕らは歩く足を止めずに話し続ける。
「高校卒業したら、この町、出ていくってホント?」
那奈の声が一段階程下がった。
「……受かればだけどね」
暫しの沈黙。耳に入ってくるのは車輪と道路を走り去る車の音と、蝉の鳴く声。
「あたしは、この町が好きだから離れるとか考えられないなー……。海も近いし、山も綺麗だし。商店街のおじさんも、おばさんもみんな優しいし。遊べる場所はそんなないけど……ずっとこの町で育てられてきたから」
宇宙人の来る町。
駅前にはちょっとお茶目なオブジェが置いてあって、シーズンになると観光客でごった返す砂浜が有名で、町の中には宇宙人が務める博物館があり、UFOをつかって町おこしをしていてそれなりに成果もあって――。
「そーちゃんはさ、この町、好き?」
――あの頃僕は、この町が嫌いだった。
◇
「それじゃ、また夜になったら迎えに来るからー」
「ん、うん……」
家の前に着いて、那奈と別れる。と言っても、隣の家なので別れる程でもないが。普段なら、このままどちらかの家で夕飯時まで暇つぶしがてら駄弁る事も多い。
それが、その日、那奈はそそくさと自分の家へと引っ込んでいった。
その様子を僕は不思議そうに眺めたが、那奈が家に入る寸前でその視線に気づき更に挙動不審にしているのに頭を捻る。
那奈の姿が見えなくなると、僕も自分の家へと向き直った。
表札には『西秋』と書かれた、二階建ての家。
西秋 夏空。それが僕の名前だ。
苗字と名前に季節が入り、「一年の半分も入ってて贅沢じゃない?」とは母の談。何が贅沢なのかはよく分からない。
「ただいまー」
玄関を開けて靴を脱ぎリビングへと向かう。玄関を開けた時、外とは違い冷えた空気を肌で感じ、どこか安堵感を得た。
「おかえり、やっぱりアンタも早かったのね」
「出かける前に今日は半日だって言わなかった?」
「……ちゃんと聞いて無かったかなー」
額を小突き、あちゃーなどと大袈裟にリアクションをとって見せるのは僕の母だった。
「冷蔵庫にお弁当入ってるから」
「うん、知ってた」
朝の時点で既に用意されていた弁当に対して言ったのが先ほどの事だ。
「おかえー……」
リビングのソファーでは身体を投げ出して気だるげにうつ伏せになり、クーラーからの風が当たる場所を一人占めする妹の姿があった。
二本に分かれたお下げの片方が絨毯へと垂れ下がっている。
西秋 小春。
僕と同じく、名前に季節が入った中学生の妹。
もし、弟か妹が更にいれば、そいつの名前には冬が入っていたことだろう。
「ただいま。制服、皺になるよ?」
制服のままで寝そべる妹へと向けて僕は言う。
「どうせ明日から着ないからいいー」
ぞんざいに手を振って小春は僕に答えた。
「那奈姉ぇは?」
「夜に来るって。なんか予定空けとけって言われたけど……何か聞いてる?」
「いいやー、別にー?」
それ以上は特に話す事も無く、ただ昼食を食べ、自室へと向かった。
母と妹、それと僕。父は単身赴任中のごく普通のサラリーマン。それが僕の家族構成。
自室のドアを開けて中へと入る。
「……あっつ」
換気されず、密閉された部屋の中はまるでサウナのような暑さとなっていた。
すぐさま部屋のクーラーの電源を入れる。
制服を脱ぎ捨てて部屋着へと着替える。先ほど妹に言った言葉など忘れて、僕は部屋の椅子へと制服を投げ出した。
ベッドへと身体を投げ出して、寝転がりながら帰り道での事を思い出していた。
『そーちゃんはさ、この町、好き?』
那奈のその言葉が、耳に残っていた。
◇
気が付けば、時刻は夕方で、僕はいつの間にか眠りこけてしまっていた。
夕飯を食べ終わる頃に、ふいに、携帯の着信音が鳴る。那奈からの電話だった。
「もしもし?」
『おーす。今から外、出られる?』
「いいよ、でももう晩御飯食べたよ?」
『あたしも食べたからいいよ。んで、ご飯じゃなくて……』
とにかく待ってるから、と矢継ぎ早に通話が途切れる。
「出掛けてくるよ」
「コンビニ?」
「那奈から呼び出し。一緒に行く?」
「あー、私パス。お邪魔する気ないしー」
「邪魔?」
「なんでもないー」
近くにいた妹へと出掛ける旨を伝える。
妹の反応は素っ気ないものだったかどこか含んだ笑みを浮かべていた。
玄関を開けて、外へと出ると家の門の前に那奈が自転車を押して待っているのが目に入る。外はまだアスファルトの熱が籠ったままで若干の蒸し暑さを感じさせる。
「……おっす」
「おっす、でどっか行くの?」
少し年季の入った門は閉開させる度に軋んだ音を大きく上げるようになっていた。
「んっと、ね、天体観測、しない?」
「天体観測?」
那奈の目の前を通り過ぎて、僕は自転車の用意をしながら尋ねた。
「そう! 天体観測、しよう!」
拳を握りしめて那奈は力一杯そう言う。
「いいけどさ……」
日が暮れて、暫くたっても熱は冷めず、肌にじわりと汗が噴き出るのを感じた。
そんな暑さの中を那奈と二人並んで自転車を漕ぐ。
「で、どこに向かってんの?」
「森の奥。そこからだとよく見えるんだって」
「だって、って誰に聞いたの? そんな場所」
「えーと、小春ちゃんから……」
「小春か……」
家を出る前に見た妹の含み笑いを僕は思い出す。
やはり小春は知らん顔しながら、那奈が何をしようとしているのか全て知っていたのだろう。
「それで、小春ちゃんは叔父さんからだって」
「叔父さんなら、そういう場所もよく知ってるか……」
「身内以外にはあんまり言いふらさないように、だってさ。穴場なんだって」
「それ、那奈が知ってる時点でもう遅いんじゃない?」
「あたしは別なんですぅー」
「それに、天体観測って星の事が知りたいなら叔父さんに聞いたほうが早いと思うけど」
「そういうんじゃなくてぇ……、とにかくゴー!」
誘っておきながら、そういう事じゃないとはどういう事か僕には分からなかったが、目的の場所へと向かった。
暫くの間、二人でああだこうだ話をしている間に目的の場所が見えた。
森と言っても小高い山の上で、整備された山道を自転車を押して二人で上がっていくと開けた所へと辿り着く。
「とう、ちゃく……」
「結構、しんどかったね……」
街灯の無く先も見えない程に暗かったが、自転車のライトを頼りに黙々と山道を上った。
森の中は風が吹き抜けて少し涼しく感じたが、それでも二人とも額からは汗が流れ出している。
呼吸を落ち着けて、汗が噴き出るのが止まるのを待ち、上を見上げるとそこには満点の星空が広がっていた。
「プラネタリウムみたい……」
那奈が声を漏らした。そちらを見ると、那奈も同じようにして空を見上げている。
星降る夜そんな言葉が似合うような空だった。
「今日は雲も少なくてよく見えるね」
僕は那奈へとそう返した。
「こんなにも見えるものなんだ……」
「ここら辺まで来れば邪魔な街灯の明かりが無いからね。町から見るのと比べてよく見えると思うよ」
「へぇー……」
尚も首を真っ直ぐに上へと向けて那奈は空を見続けている。
「……あの真上近くの空に見える『こと座』のベガ、『わし座』のアルタイル、『はくちょう座』のデネブ。その三つを結んで出来るのが『夏の大三角』だね。一番上に見えてるベガ、これは七夕伝説の織姫で……そこから右下に見える明るい星がアルタイル、これが彦星。その間に流れるたくさんの小さな星が天の川で……」
「あれ? そーちゃんって星座とかに詳しかったっけ?」
「全部叔父さんの受け売り。……っていってもそんな詳しいわけじゃないよ。七夕とかイベントで呼び出されてそれを覚えてただけだから」
本当に、星座の名前と位置を覚えているのはそれ位だった。そこまで興味を持ってもいなかったし、説明したがりの叔父を上手く躱すことが出来ずに耳にたこができる程聞かされた為に丸暗記していただけの事で……。
叔父が長々と説明を始め出すと、小春はいつの間にかいなくなり叔父の好意による話を無碍に断ることも出来ない僕は何回でも聞く羽目になった。
そうやって、何度も話す叔父の姿はいつも子供のように無邪気な顔をしていた。
ただ上を見上げて星を眺める時間が過ぎていく。
その沈黙を破ったのは那奈だった。
「ねぇ、そーちゃん?」
「何?」
「昼間の続きだけどさ、あたしはこの町を離れるとか全然想像もつかなくてさ」
「うん……」
「このままずっと一緒で、何も変わらず毎日が続いていくんだーって思ってて……。お母さんもお父さんも」
那奈の家は商店街の中でおじさんとおばさんの二人で美容室を営んでいる。
一人っ子の那奈は、子供の頃からおじさんおばさんが店を開いている間はほぼ毎日と言っても良いぐらいにウチに預けられていて、その為、僕らは三人兄妹のように育ってきた。
「そー……、それで、そのね、その……」
「うん?」
顔を赤らめて、那奈が口ごもる。
「そー…………………っ!」
そこから先が那奈の口から告げられる事はなかった。
そして、『それ』は突然にその姿を現したのだった。
急激な、目の眩むような発光。
突如現れたそれは、この開けた場所の半分程を埋め尽くすような大きさで僕らの頭のすぐ上に現れ、黄金色の光を放っていた。
「そう、はち……ぼん?」
江戸時代から噂される『それ』はその仏具に似た特徴的な形から『そうはちぼん』と呼ばれ、この地域で親しまれているもので、円盤の姿をしている。
星も見えなくなるような暴力的な光は次第に収まり、その大きさもまた小さくなっていく。
全てが収まり切る頃に、『それ』はある形状へと変わって地面へと降り立つ。
僕らの見つめる先には、眩い光を閉じ込めたような蒼い髪の少女が立っていた。
そして、これが僕の『宇宙人』との初めての遭遇だった。
ご意見ご感想頂けると有難いです。
早めに更新できるようがんばります。