黒い月と思い出
話は書きながら考えたので、はじめと終わりで設定にずれがあるかも。ごめんなさい。
黒い月は何でも食べる。
時間も。
場所も。
何でも食べる。
誰にも、自分でも止められない。
でも食べられないものもある。
それは自分自身。
遺跡の壁画に記された文章の一節
ザク、ザクと雪を踏みしめる音が、なにもない雪原に響く。
空には雲ひとつなく、うっすらと星々が瞬き始めている。
そんな雪原には影がひとつ、地平線にかくれ始めた太陽を背に延びている。
その影の持ち主は、白い吐息をふかしながら歩を進めている。
そのなりは、大きめのテンガロンハットに、刺繍の入ったポンチョが印象的である。
深めに被った帽子からは解りづらいが、若く透き通った肌が見え隠れしている。
彼女は、目的地への道を急いでいた。
暗くなってしまっては、まばらに残る足跡をたどれなくなってしまう。
幸い雪が降ることはこの季節にはないとのことなので、目印が消えてしまうことがないのが唯一の救いか。
(…雪原で一泊はご遠慮したいね)
内心彼女は呟く。
こんな場所では満足に火をつけることは叶いそうもないからだ。
そうこうしていると、太陽はすっかりと姿を隠してしまった。
(…しかし、ここの月は明るいな)
真っ暗闇になるかと思われた雪原を、太陽と入れ違いに登り始めた大きな月が照らしている。
太陽とは比べるまでもないが、それでも遠くに見える山の麓の木々を視認できるくらいには明るかった。
これならば目的地に着くまで歩くことができそうだ。
「なぁ、お前とこうしてどれくらいになるかな」
誰もいない雪原に彼女は語りかける。
しかし、それに答える声が響く。
「さて、三日くらいではないか。何度も飽きもせず歩くものだ」
どことなく無機質な男の声。
それは彼女が腰に巻いたガンベルトから聞こえているようだ。
「仕方がないだろう。やっと見つけた手がかりだ。必ず見つけてやる」
男の声に彼女は少し苛立った様子で返答する。
「そもそも、これはお前のためでもあるんだ。ガタガタ言うな」
「分かっているさ。もちろんお前のためでもあるがな」
「優しいことだ。もっぱら苦労は俺なのに」
「私にも足があれば歩くがな」
「まあ、話し相手になるだけマシか」
彼女はそういうと、ベルトに下げた一丁の銃を撫でる。
「しかし黒の月か…本当にあの村にあるのだろうか」
銃から聞こえる声は話を変えるように呟く。
「あるさ、今度は必ず見つける。お前と同じ"古き遺産"なら、お前の手がかりも見つかるさ」
そういうと彼女は優しく微笑んだ。
「そうだな…、そう願いたいものだ」
"古き遺産"と呼ばれた銃はそう答えた。
"古き遺産"とは、この世界では存在し得ない物の総称で、どの遺産も例に漏れず、超状的な現象を引き起こすといわれている。
そして今、彼女たちは、何かしらの目的を胸に、その遺産を探しているところなのだろう。
「さて…そろそろ。お、見えてきたぞ」
会話をすると、黙って歩くよりも体感時間は短くなって良い。彼女はそう思った。
少し丘のように盛り上がった場所から見下ろしたところに、小さな灯りがポツポツと浮かんでいるのがわかる。
日はくれたが、月明かりのお陰でなんとか目的の村にたどり着くことができた。
「ようやくか。お疲れさま、だな」
銃の言葉にありがとう。と短く礼を言うと、浅いとは言えぬ雪を踏みしめて、転ばぬように雪原を進んでいった。
村のなかは夜だけあってほとんど人の気配はしなかったけれど、村の中心部にある広場に隣接した建物には、煌々と灯りが点っていた。
「ああ、宿だ。遠かったなぁ…」
先ほどまでの会話からするとずいぶんと柔らかくなった語気で彼女は呟いた。
「はやく行け。慣れてきたとはいえ風邪を引かぬとも限らん。引かれては困るしな」
彼女は恥ずかしそうにコツンと銃を叩くと、宿の扉をくぐった。
宿のなかは暖炉で燃える薪のお陰で暖かく、雪道の行軍をして来た身にとってはまさに天国とも言える至福の空間であった。
部屋の様子をぐるりと見ると、大小様々なテーブルと椅子が並べられており、普段は食堂としても使われていることが推測された。
(…誰もいないのは、この雪のせいかね?)
そんなことを考えていると、奥のほうから人がやって来る気配がした。
ドタドタと慌てた様子の足音で、彼女の方へ近づいてくる。
「あら、ほんとにお客さんだわ!ようこそ月の兎亭へ。まさかお一人なの?」
月夜の晩のお客に、大層驚いた様子で宿屋の娘が現れた。
カーキ色のエプロンドレスをまとい、茶色い髪を細いリボンで後ろに束ね、雪原で多少日に焼け、赤くなった雪のような白い顔には、青くすんだ目が非常によく映えていた。この宿の看板娘と言ったところだろう。
「うん、一人だ。今晩の宿と食事を頼みたい」
手短に用件を伝える。
「ええ、もちろん。ホラ!入り口に突っ立ってないではやく入って!食事を持ってくるから暖炉の近くに座って待っててね」
促された通りに、彼女は暖炉の前に行く。
帽子を脱ぎ、ポンチョを脱ぐ。
雪は降らなかったが、それらは少し湿っていた。
さらに着込んでいたコートを脱ぎ捨てると、ようやく開放感を味わうことができたようで、彼女は大きく背伸びをした。
暖炉の熱に当てられ、ブーツについた雪が溶け始めたので、手近なイスに腰を下ろしてそれを脱ぎ捨てる。
グッショリと濡れた靴下も脱ぎ暖炉のそばで乾かすことにする。
ズボンの裾も濡れているが、これくらいならばすぐに乾きそうだった。
冷たくなった足先を暖めるべく、足を暖炉に伸ばす。
じわりじわりと指先に熱がめぐってくるのが感じられる。
長手のシャツとジーンズ一枚になった彼女は、椅子に大きく持たれ、再度全身を大きく伸ばす。
「くぁ~!疲れたぁ!」
そういうと、伸ばした全身を一気に弛緩させる。
トロリとした疲労感が体をめぐる。
フと一息ついていると、奥のほうから看板娘が料理の乗ったトレーを持ってやってきた。
「ウソ、あなた女の子だったの!?よく一人で無事だったわね」
看板娘は服を脱ぎ散らかした彼女を見て驚いた様子だった。
たしかにコートやポンチョ姿では体のラインは分からないし、帽子を深く被っていたので、顔もよく見えなかったから気づかなくても無理はない。
それに、女の身で一人旅などよほどの理由がない限りあり得ないことも、看板娘の驚きに拍車をかけていた。それが自分と同じ年頃の少女に見えたのならなおさらであった。
看板娘があっけにとられていると。
キュルルと猫なで声のような高い音が部屋に響く。
温かな湯気を放つ料理は、見ていただけの彼女の腹の虫をならしたのだ。気の抜けた音に、看板娘は笑う。彼女も照れ臭そうに笑う。
「フフ、おまちどうさま。ゆっくり食べてね、結構熱いから」
そういうと、料理を卓に並べていく。
琥珀色をしたスープに、きつね色に焼けたパン。
それらの香ばしい香りと、野菜の甘い香りが混じりあい、押さえていた食欲が口のなかの唾液とともに溢れてくるのを彼女は感じていた。
「じゃあ、遠慮なく」
そういうと、彼女はスプーンを手にする。
木でできたそれは、熱いスープでも抵抗なく口に運んでくれた。ごろごろとした、大きな野菜を噛み締める。素材の旨味をたっぷりと吸った熱々の野菜を、口のなかで冷ましつつ味わう。
「ああ、旨い!暖かい飯はそれだけで価値があるなぁ」
ゆっくり食べろと言う忠告は無駄だったようで、すさまじい勢いで食べ進めている。
その様子を看板娘は微笑みながら見つめる。
「ねぇあなた、名前は何て言うの?わたしはエレナ、ここの宿の娘よ」
物心ついたころから宿の切り盛りを手伝っていたと言うエレナにとって、同年代の友人というのは少なかった。
なので、一人旅をする不思議な宿泊客の少女のことが気になるのは無理からぬことであろう。
「俺は…ルカ。こんななりでもディスカバラ…トレジャーハンターなんだ」
トレジャーハンター、正式にはディスカバラと言われる。この世界ではポピュラーな職業である。各地に存在するいつ作られたとも知れない遺跡を探索し、遺物と呼ばれる様々な優れた技術や、道具を持ち帰る人々のことをいう。
遺跡から持ち帰られた様々な技術によって、この時代の進歩、発展は支えられている。そのため、遺跡は鉱山などと同じく資源の一種とみなされ、国によって厳格に管理されており、ディスカバラという資格を持たなくては自由に探索することはできない。おまけに、発見した遺物は国のものであるから、自分の財産として認められず、その価値に見あった賃金と引き換えになる。
とはいっても、技術の価値など見た目では計り知れないので、大抵は国側の言い値で支払われる。しかしながら、発見されていない遺跡はその限りではない。
ルカの持つ銃も、そういった遺跡の中から発見されたものである。
「トレジャーハンター!私と大して年は変わらないのに、そんなことしてるのね!」
女の身でトレジャーハンターは別段珍しいことではない。ルカのような若さで、となると話は別だが。
興奮した様子でエレナは食いついてくる。
「年はいくつなの?ディスカバラ資格って取るのすごい難しいんでしょ?」
ディスカバラの資格取得には、年齢制限はとくにもうけられていない。とは言え、常に危険が付きまとう職業ゆえに若くして取得するものは少ない。
「えーっと、17?だったかな。しっかり数えてないけど…」
「やっぱり!私とおんなじね!」
エレナは胸を弾ませて喜びを表現している。
「資格は…まあ、師匠が良かったんだろうね」
懐かしそうに目を細めて、ルカは言った。
トレジャーハンターは誰かに師事することが多い。
学校なんかがあるわけではないし、なにより実力主義の世界である。実戦で学ぶことが一人立ちへの一番の近道であり、唯一の道だからである。
「師匠ってどんな人なの?やっぱり女の人なの?」
楽しげにエレナは尋ねる。
「いや、俺の師匠は。変わった…ほんとに変なじいさんだったよ。いろいろと常識はずれな人でなぁ…」
ルカは苦い顔でその頃のことを思い出す。修行と称して数えきれないほどの辛酸をなめさせられたあの頃を。端から見ているだけで、語りたくない思い出であることがひしひしと伝わってくる。いつのまにかルカはそんな顔をしていた。エレナが慌ててフォローする。
「そ、その。大変だったのね。なんだかごめんなさい」
いいんだと、涙をぬぐうそぶりを見せるルカ。泣くほどの事だったのかとエレナは困惑する。そこで、話題を変えることにした。
「あの…あ!そのベルトの銃!とっても不思議なデザインね」
ルカの腰のベルトに下げられた銃を指差す。よく確認せずに苦し紛れに良い放った言葉だったが、見てみると本当に変わったデザインをしていた。自警団の人が持ち歩く拳銃というものによく似たデザインであったが、銀色に輝くそれは見慣れたものとは明らかに違うといった雰囲気をかもしていた。
「ああ、これは特別製でね。俺の相棒みたいなものさ」
すっと銃を撫でる。
「すごいわね!見せてもらっても良い?」
右手を銃になぞらえて、人差し指をつき出して、バン!と銃を打つジェスチャーを交えてエレナは楽しそうに聞いてくる。
「これは…その、そういうものじゃないんだ。ごめん」
少し歯切れ悪く、ルカは答える。
「あ、ごめんなさい。大切なものなのね」
どう思ったかは知れないが、そう言うとエレナは申し訳なさそうにうつむいてしまった。
「まあね。だからあまり人に見せたくないんだ」
そっけなくルカは答えたが、この銃は"古き遺産"である。本来なら特別どころの騒ぎではない。世界中の国が喉から手が出るほど欲しがるレベルの代物である。深く追求しないのは、宿屋の娘らしい客への気遣いであろう。
「その、ゴメンね」
するとエレナは慌ててブンブンと首を横に降った。
「え!?イヤイヤイヤ!こっちこそ初対面なのに踏み込んだこと聞いてごめんなさい!同い年の女の子なんていなかったからつい調子に乗っちゃって…」
「そんな、いいよ。気にしてないし」
「でも…」
エレナの申し訳なさそうな表情はなかなか直らない。そこでルカは条件を出すことにした。
「それじゃあ、なにかお話をしてよ。面白い話なら許してあげる」
「面白い話?…ええっと、何かあったかしら…?」
もちろん、ルカはどんな話だろうとかまわない。
楽しそうなエレナを見れるなら、それで十分だからだ。
夜も大分深くなってきた頃になっても、エレナの話は続いていた。今まで溜め込んできた話が、堰をきったかのようにルカに押し寄せていた。
(女の子の話っていうのは、こんなに長いものなのか…?)
内心うんざりしていたが、話をするよう頼んだのがこちらである以上、なかなか止めることができないでいた。
「それでね!アルケンさんってばね…」
ああ、床屋の次男坊がどうしたって…と、相づちを打とうかと考えたその時、宿のドアが開いた。
こんな夜遅くに、誰だろうか。
野党なんかの類いならば直ぐさま対処できるように、ホルスターの銃、"古き遺産"とは別の銃に手をかける。真夜中の闖入者の姿は開いた扉の影にかくれてわからない。気配は一人。
扉を睨み付け、警戒心むき出しのルカとは対照的に、エレナは落ち着いている。
扉が閉められ、隠れていた姿が現れると、エレナが声をあげた。
「神父さま!今日はずいぶん遅かったのね!」
エレナに神父と呼ばれた男は、白髪を撫で付けたオールバックの、いかにも物腰の柔らかそうな表情の老人であった。老人は拍子抜けしたようすのルカを見て驚いた様子であった。
「おや、この村にお客とはなんとも珍しい…」
するとエレナが、老人を座席に案内しつつ説明をする。
「あの子はルカっていってね!トレジャーハンターなんだって!私と同い年なのにすごいわよね!」
自分のことのようにエレナは嬉しそうに語る。
席まで案内すると、料理を持ってくると言って店の奥に引っ込んでいった。
ルカはエレナの言葉に悪い気分はしなかった、が内心は穏やかではなかった。ルカの勘が、この老人を信じさせなかった。
(…なにかひっかかる)
「その若さでトレジャーハンターとは、剛毅なことですね。ここにはもう、何も残ってはいませんが…」
もう、ということは。
「やはり、遺跡があるんですね」
ルカは毅然と問いかける。
ええ、と老人は答える。
「もうずいぶんと昔のことです。いまでは掘り尽くされて、忘れ去られた遺跡です」
「では、聞きたいことがあるのです。よろしいでしょうか」
はやる気持ちを押さえ、確認をとる。組みかかってでも聞き出したいという心境だ。
老人はため息をつき、構いませんよと答えた。
「あなたは、"黒い月"を知っていますか」
この言葉に老人は明らかな動揺を見せた。
やはり、この村で間違いはなかった。
"古き遺産"、"黒い月"はここにあるのだ。
うろたえる老人は言葉をなんとか繋げる。
「どこからその事を聞いたのか…、外に伝わることはないはずなのに…」
「初めてこの村に来たときに見つけたものです」
そういって、ルカは胸ポケットに納めた小さな本を取り出し、老人に手渡す。
「ああ、これは私の日記だ。そうか、これは食われていなかったのか。忘れていた」
そうか、そうかと老人はうなずく。
老人は手帳を見る。
失った記憶を取り戻す作業。
ただ黙々と日記を読み進める。
そして最後のページを読み終わると、老人のほほには涙が伝っていた。
「ああ、思い出した。君には、ずいぶんと迷惑をかけたようだね」
老人が語るまでじっと待っていたルカは、黙ってうなずく。
「構いません。ここで何があったんです」
老人は、重い口を開く。
「そう、あれは50年前のことだ…
当時私は、駆け出しのトレジャーハンターだった。実家を次ぐのがイヤでね。親の制止を聞かずに故郷を飛び出して、ディスカバラ資格を取ったんだ。意気揚々と帰ってきたは良いけれど、やっぱり親は認めてはくれなかった。そんなとき、村の近くで遺跡が見つかった。鉱山の採掘中に偶然見つけたそうだ。このとき俺はチャンスだと思った。危険を省みず遺跡を探索すれば勇敢な男として認めてもらえると。今から考えると何をバカなことをと思う。けれども私は無謀にも遺跡へ潜り、不幸なことに無事に生還してしまった。黒い石を持ち帰ってしまった」
持ち帰った黒い石、それが"黒い月"だったのだろう。老人は続ける。
「村に帰った私は暖かく迎えられた。たった一人で遺跡に潜り、財宝を持ち帰った英雄として。そして村のみんなが集まる前で、私は黒い石を見せつけた。ああ、あのときは本当に嬉しかったよ。ようやく認められると、そう思っていた」
老人の顔がいっそう曇る、
「その時だった、石のなかから真っ暗な闇が吹き出してきたのは。吹き出した闇は一瞬で村を飲み込んだ。何も見えなかったが、手に取っていてわかった。この石は食べていると。しばらくするとあたりがシンと静かになった、広場に集まった人はみんな消えていた。手元にあった石は無くなっていたよ。私は恐ろしくなった。分かってしまったのだ、この石は私の一部だと。村の人は皆、この石に食われたのだと」
老人は祈るように、両手を合わせて言葉を紡ぐ。
ルカはただ老人の話に耳を傾ける。
「この石は人だけじゃなく、時間も食ってしまった。だから、この村に明日は来ない。ずっと同じ一日を繰り返している。君も何日かさ迷ったことだろう」
「大変でした」
ルカは笑って答える。
老人は苦笑する。
「ただそんな私にも、ひとつだけ救いがあった。それがエレナだ。彼女はあのとき広場にいなかった。ずっと宿にいる子だからね。だからかは分からないが、とにかく彼女だけ無事だった。嬉しかったよ。ところが何年も過ごすうち、おかしなことに気がついた。何度も同じ日々を繰り返すはずなのに、私は年を取っていた」
老人はたんたんと語る。
ルカも薄々感づいては来ている。
あの手帳を見つけたときから。
料理を持ってくるといって、いまだ戻らないエレナを思う。
「そして気がついた。これは私の夢だったのだと。気づいたとき、あの闇がまた食おうとうごめきだした。私の夢を、エレナとの思い出を!」
老人の語気が荒くなる。
いま、宿のそとでは闇がうごめいているのだろう。
ルカは周囲をなにかが這いずり回る気配を感じていた。しかし、彼女はただじっと老人の話を聞く。
「そこで私は思い出の世界を残そうと、思い出す以前の記憶をすべて、奴にくれてやった。だがまさか、もとの世界に私の日記が残っているとは思わなかったよ」
老人の話が一区切りついた。
それを確認すると、話を聞いていたルカが語り始める。
「見つけたのは偶然でした。俺たちは"古き遺産"を探して旅をしています。その途中、地図には乗ってない村を見つけました。誰もおらず、朽ちた家がならんだその村で一冊の手帳を見つけたのです。"黒い月"について詳細に書かれたその手帳はとても興味深いものでした。でも、そこからおかしなことになりました。村から歩けども歩けども、もとの街道にたどり着かない。気がつけば夜になって、途方にくれていると、明かりを見つけました。廃村があったはずの場所に、です。その時初めてエレナさんに会ったのです。さっきと同じように、他愛ない話をしたのを覚えています」
「一晩泊まって、また歩きました。自分達の足あとを頼りに。けどなぜかまた、昨晩の村に戻ってきてしまうのです。このときすでに、この世界に入り込んでいたのでしょうね」
「私の手帳を持っていたことが原因だろうね」
「そしてまた、エレナさんと会いました。はじめましてと俺のことは覚えていないようでした。そして昨日と同じ会話をし、俺はまた歩きました」
そこで、ルカは会話を区切る。
「そして今日、昨日とは違うことがあった。それが、あなたの来店です。最初は異分子の俺を排除する機構かと疑いました。迷い混んで3日になるわけですし」
ルカはにっこりと笑う。
この三日間はルカにとって苦痛の日々であった。
昼間は歩けども見渡す限りの雪原。
いくらまっすぐ歩いても、夜にはこの宿に行き着いてしまう。
「本当に、君には迷惑をかけたようだね。すまなかった」
老人は謝罪する。
すると、宿が大きくきしんだ。
外をうごめく闇が、この世界を食わんと騒ぎだす。
「もうこの世界も終わりだ、君も早く逃げなさい。君は逃げる方法を知っているのだろう?」
老人は言う。
「その通りだ、時間がないぞ。ルカ早くしろ!」
無機質な男の声が響く。
突然の声に、老人は驚いたようすだったが、すぐにその声の主に気づく。
「ああ、君もまた、魅いられた類いだったか」
と、呟く。
ああもう、わかったと。何やら銃と言い争いをしていてルカは気づかない。すると、話がまとまったのか、ベルトの銃"古き遺産"を抜き、老人に銃口を向ける。
「じいさん、今からあんたの中の"黒い月"を撃つ!この銃なら"黒い月"だけを殺せる!そうすれば、きっと!」
その言葉に老人は目を丸くする。
この娘は、私を救おうと言うのか。
だが、老人は知っている。
"黒い月であるがゆえに"。
"黒い月"は、自分自身を食うことができない。だから、自分が死ぬことはない。この闇に飲まれても、きっとどうと言うことはないだろう。だが彼女は別だ。彼女は私ではない。きっと、私を殺さなければもとの世界に帰ることはできないだろう。
だから、言わない。
渦巻く闇は宿をとうに消し去り、老人とルカを取り囲むように渦巻いている。
「早く撃て!ルカ!」
「じいさん!信じてくれるか!」
もちろん、信じている。
「ああ、やってくれ」
カシンと、引き金と撃鉄が降りる音が響くと、重厚から光がほとばしった。
ルカは雪のなかに埋もれていることに気がついた。
「冷たい」
ふと呟く。
「ああ、起きたのか。こんなところで死なれたらどうしようかと思ったよ」
相変わらず口の減らない奴だ、と思うと同時に安心感が襲う。
「そうだ!あのじいさんは!」
ルカは辺りを見る。
一面の雪景色。
その白い絨毯には誰の痕跡もない。
「なんでだ!"黒い月"を撃ったはずだ!」
手元の銃に向かって叫ぶ。
「なんでだ!ランズディール!なんで…」
ルカはうつむき声を震わせる。
無機質な声は答える。
「私が撃った感覚では、あの男と"黒い月"は同一の個体だった」
その言葉にルカは顔をあげる。
「そんな…あの人は記憶を食われてた!"黒い月"は自分を食えないはずだ」
そう、だから救えると思った。
あの日記で記憶を取り戻したのが何よりの…
そこまで考えて、ルカは気づく。
"黒い月"について詳細に書かれた日記。
朽ちた村に落ちていた日記。
もう一度辺りをよくみる。
ここは、あの日記を拾った朽ちた村だ。
ランズディールと呼ばれた、銃は語る。
「あの男は、50年前にもう、食われていたのだろう。いままで見ていたのは"黒い月"の、いや、あの男の思い出だったのだろうな」
「ああ、そうか…」
"黒い月"は、夢を見ていたのだ。
本当に楽しい夢を。
あるとき本能が、その夢を食べろと言った。
だから、食べたいと思う記憶を食うことにした。
そして自分を食えない"黒い月"は、その異物を吐き出した。
記憶は一冊の手帳になった。
「でも、なんでエレナさんはあいつの思い出なのに食われそうになったんだ」
ルカは疑問を口にする。
「自分の中の他人の思い出だからじゃなかろうか」
ランズディールは答える。
そして、思い出す。
老人がいった、"黒い月"が起動した瞬間を。
「自分のことしか見えていなかったからなのかな」
「今となってはわからんさ」
元宿屋に散らばっていた、自分の服を着る。
服がなくなっていないことに胸を撫で下ろす。
「さて、つぎの"古き遺産"を探しますか」
「そうだな」
新雪を踏みしめて、ルカは歩き始めた。
俺たちの戦いはこれからだ!
会話多すぎました。
次はもっとバランスよく。