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人生でたった四、五度の母との面会は彼女を知るには少なすぎるもので、その上それは短い時間しかなく夜に行われた。
彼女は十九キロほど離れた場所でスチュワート氏に雇われていた。彼女は私に会うため、夜、終業後に遠路を歩いてやってきた。
彼女は農場で働いていたが、奴隷は彼または彼女の主人の許可がない限り、日の出とともに農場にいなかった場合鞭打ちの刑を食らった。その許可は滅多にしか与えられず、与えたものは優しい主人であると誇っていいものだ。
陽の光を浴びるころに母親を見たことはない。彼女は夜の間だけ私と共にいた。彼女は私とともに横たわり私を眠りにつかせたが、私が起きるころには彼女はすでにいなかった。
私たちの間にはわずかな交流しか行われなかった。死は彼女が生きている間のみ私たちが行えたものを終わらせ、彼女の苦労と苦痛も終わらせた。
私がおよそ七歳の時、彼女はリー工場の近くにある私の主人のうちの一人の農場で死んだ。私は彼女の体調不良、死、そして葬式のいずれにも立ち会うことは許されなかった。私がそれらを知るころには、彼女はとっくに逝っていた。
たくさんの彼女の宥め、優しさ、そして用心深い世話のいずれもわたしには恵まれなかったものだった。私が彼女の死の便りを受け取った時、私が得た感情はおそらく知らない人の死を聞いた時と同じものであった。
最後のところは訳が微妙なので原文を置いておきます。
Never having enjoyed, to any considerable extent, her soothing presence, her tender and watchful care, I received the tidings of her death with much the same emotions I should have probably felt at the death of a stranger.
ダグラスはとても上品な言葉を使うと聞いておりますので、enjoyを恵まれると訳しました。