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私はメリーランド州タルバット群、タッカホーはヒルズバラーフの近く、そしてイーストンから十九キロほどあるところに生まれた。
私は自分自身の正しい年齢を知らない。というのも、自分の年齢について書かれた確実な記録と言うのを見たことがないのだ。馬が自分たちの年齢をなんとなく知っているように、多くの奴隷は彼ら自身の年齢を曖昧にしか知らない。私の知識で言わせてもらうと、奴隷をこのように無知にしておくというのがたいていの主人の願いなのだ。私は自分の誕生日を言える奴隷に一度も会った記憶がない。春夏秋冬の作付け期、収穫期、桜の時期、芽生えの時期というのは誕生日より近くに感じられるものであった。自分自身の年齢の情報への欲求は幼い私を憂鬱にさせた。
白人の子供は自分たちの年齢を言うことができた。私がなぜその権利を奪われなければならないのかとは言えなかった。私は主人へ質問することを許されてはいなかった。主人にとってそれは口答えであり、質問した奴隷は不適切で無礼、落ち着かない奴隷である証拠だった。
私が考えるに、自分の年齢はおそらく十七歳と十八歳の間である。1835年のいつだったか、私はおよそ十七歳ぐらいだと主人が言っていたのを聞いた。
ダグラス自身は自分を1817年だと思っていたのですが、後の調査で1818年生まれである可能性が高いという結果が出ています。