先輩の力
試験開始と同時に石場の前にデカい影が現れる。
その黒い影は牛の形をしていて、両目だけぼんやり光っている。
全身からは黒い炎のように淡い影がゆらゆらと立ち上り、額にはサイのような角が生え、4本の脚は途中でぼやけ、幽霊のように宙に浮いている。
「どうです? 先輩。これが俺の魔物『ファントム』っすよ。こいつの体当たり喰らったら全身の骨バキバキだぜ」
対する節家先輩はファイティングポーズのまま無表情で石場をまっすぐ見返す。
踵を浮かした状態でゆっくり体を揺らし続ける。
「あれ、もしかしてビビった? 先輩もはやく召喚したほうがいいっすよ」
石場の挑発にも先輩は全く動じない。小刻みに動きながら構え続ける。
「おいおい、勿体つけてねーでさっさと化け物出せよ。あー、それとも自分の魔物がショボすぎて呼ぶの恥ずかしーか」
先輩はなおも無言のままだ。
ばさばさっと不意に物音がした。建物内にある倉庫のわずかに開いた扉から、カラスがひょこひょこ歩いて出てきた。
壁伝いにうろうろ歩いていると、それを追うように2羽め、3羽めが扉の隙間から出てくる。
「おいおい、試験前に倉庫の確認ぐらいしとけよ」
みんなの視線が3羽のカラスにむけられるが、先輩だけは相変わらず正面を見据えている。
「ああ、気にせず続けてくれ。特に問題はない」
梅田先生が2人に続けるよう促す。
「ったく無能ばっかだな、この学園は。生徒も教師も。まあいいや。先輩、そろそろ飽きたんで死んでくださいよ」
石場の体が微かに光り、それに応じるようにファントムがゆっくり進みだす。
徐々にその突進はスピードを増し、節家先輩にまっすぐ突進する。
先輩はそれでもステップを続け、正面のファントムを睨みつける。
『当たるっ』と思った瞬間、華麗なサイドステップで右に回り込み、間一髪で猛牛の突進をかわす。
ファントムはそのまま猛スピードで建物の壁に突っ込む。
ズドンッという地響きがしたが、魔力防護膜のお陰で壁は無傷だった。
何事もなかったかのようにファントムが体勢を立て直し、再び先輩に狙いを定める。
「避けてんじゃねーよ、クソ白髪がっ!」
石場が吠えるのと同時に猛牛列車がまたゆっくり動き始めた。
「こりゃダメだ」
隣に座る白衣の箱入先生がため息をつく。
僕らはもう何十回と牛が壁にぶち当たるのを見ていた。
「……はあ、はあ……避けんなっつってんだろがっ! さっさとそいつをブチ殺せっ、バカ牛がっ!」
石場がゼエゼエいいながらファントムに命じる。
先輩に向かってまたファントムがゆっくり進みはじめる。
そう、ゆっくりなのだ。その巨体をトップスピードにもっていくまでおよそ5秒。
節家先輩はそれをじっくり眺め、何十回と繰り返した動きで加速のついた巨体を軽くかわす。
もう1つの欠点がその巨体からか、軌道修正が効かないこと。
一度走りはじめたらまっすぐにしか進まない。もちろん止まることもなく、壁にぶち当たるまで走り続ける。
どんなに破壊力のある攻撃も、当たらなければ何の意味もない。
ぼくは勘違いをしていた。こいつが試験を受けるのは性格云々ではなく、単に無能発現者だからだった。
こいつが自信満々だったのは今まで発現者と戦ったことがなかったからではないだろうか。
普通の人間相手ならこんなデカい魔物出しただけで大抵はビビってしまう。相手はファントムを見ただけで戦意喪失か、恐怖と緊張で足がすくむ。
そんな人間にならあの攻撃は脅威かもしれないが、魔物を見慣れている発現者が相手だとあの動き出しの遅さは致命的だ。
ファントムが壁にぶち当たったのを確認し、先輩がとうとう石場に近づいて行く。相手が魔力切れとみて仕留める頃合いと踏んだのだろう。
ガードの構えを崩さず素早く間合いを詰め、拳を繰り出す。
パンパンッ ドスンッ
「ぐおあっ! ぐうぅ」
丁寧な左のリードブロウを顔面に放ち、続けざまみぞおちに正確に右を打ち込む。
すでに魔力を使い果たしクタクタの石場はガードも避けもせず、まともに喰らって悶絶している。
だが先輩は容赦なく拳を打ち込み続ける。
バスッ ドスッ ドズン
「……ぐあぁ、こいつを……こいつを轢き殺せファントムっ!」
鼻血を流しながら石場が再び魔物を突っ込ませる。
猛牛が先輩の左後方から突っ込んでくる。だが、構わず目の前の相手をサンドバッグ代わりに殴り続ける。
暴走牛がすぐ後ろまで接近したところで殴るのを止め、石場の胸倉をひっつかんで自分と場所を入れ替える。
ファントムの額の角が石場の背中に突き刺さり、そのまま壁まで突っ走る。
ドシンッという衝突音とともにゴキゴキッと骨の砕ける嫌な音が聞こえた。
石場がはじめに説明した通り、ファントムに潰された体はあちこち骨折し、まともに立てる状態ではなかった。
ただ、本人は自分の体で証明することになるとは思ってなかっただろう。
召喚者の魔力が弱まったためファントムは姿を消し、ズタボロのヤンキーだけが残った。
「おい、先公ども……はやく、救急車呼べよ……くそぉ、はやく助けろっ!」
こうなるとバカを通り越して可哀そうに思えてくる。
「石場、てめー何いまさら寝言言ってんだ? てめーの親に高い金はらって、2週間もタダ飯喰らっといて先公助けろってなんだよバカが。
おめーみたいなゴミクズをこの学園に入れてやったのは訓練用の噛ませ犬としてにきまってんだろうが! 死ぬ前に1発くらい相手殴って根性見せてみろ、ウジムシ野郎がっ!!」
一瞬、その場が凍りつく。
僕は自分の目と耳を疑った。
鬼のような形相で霧真者先生が石場に怒号を浴びせている。遠く離れた僕のところにまでその気迫と怒りが体を射抜くように伝わってくる。いつも優しい先生が死にかけの生徒をボロクソに罵っている姿はかなりショッキングだった。
「うわー、知華ちゃんガチギレしちゃってるよ」
隣の箱入先生も若干引いている。
当の石場はあまりのショックからか、自分の絶望的な立場を改めて理解したのか、震えながら泣き出してしまった。
「ちくしょうぅ、まだ死にたくねえよ……うぐぅ、こんなとこで……俺はぁ……」
全身骨折の体を引きずりながら、鍵の掛かった扉へと歩いてゆく。
当然、出口が開くはずもなく、それでも外に出ようと必死に扉を引っ張る。
「うっ、うっ……あけろ、ころされる……ひっぐ……人殺しだぁ、人殺しがここにいるぞぉ!」
必死に叫ぶが誰一人助けるはずもない。次は我が身かと思うと背筋が凍る。
「もういいだろう。節家、片づけてやれ」
「はい」
梅田先生の指示に節家先輩が無表情で頷く。
気のせいか、先輩の体から光が溢れだしたように見えた。すると模擬戦場の隅っこで地面をつついていたカラスのうちの1羽が羽ばたいて扉へと飛んでいく。
扉にしがみつく石場の頭上で減速したかと思うと、不意に口から炎を吐き出した。
「うぉああっ! ひああっ! ……ふぁあっ、あっ! ……」
”ゴオオー”という炎が吹き付ける音の轟く中、叫び声とも泣き声ともつかない悲鳴が建物内にひびいたがすぐにそれは止み、炎の轟音だけが鳴り続ける。
カラスはホバリングしながら火炎放射器のごとく石場を燃やしつづけ、1分ほどで瀕死のヤンキーは黒焦げの燃えカスに変わった。