初詣前の一コマ。楓、頑張る
坂下家の居間である。
両親は年末最後の仕事を片付けるために出社中であり、綾音は和田部教諭と時間を見つけて会っているようで、なかなかいい進捗具合の模様。
この場にいるのは五人。
郁己と、勇太と、心葉と、そして、楓と上田。
らしくもなく、楓は腕組みをして難しい顔をして、どーんと立っている。
「そ、それで楓ちゃん、どういうことなの……」
恐る恐るといった感じで、勇太が親友を見上げた。
郁己と勇太は席に腰掛けて、まるでお見合いでもするかのように向かい合っている。
先日から、こうやって顔を合わせているだけでもなんとなく居心地が悪くて、この三日間ろくに会話なんてしていない。
そんな気持ちは郁己も一緒だったようで、なんだかムズムズするのか肩を揺らしている。
「仲直り、してもらいます」
「仲ッ」
「直りっ」
分かっていることだったけれど、二人の口からオウム返しに言葉が飛び出してくる。
そりゃあ、このままではいけないなんてのは重々承知だけれど、かと言ってどうやってこの空気を変えればいいのだ。
「楓ちゃん、助けてくれるって言ってくれたのは凄く嬉しいけど、やっぱりこういうのは時間が解決」
「だめっ」
鋭い声はまるで楓ではないようだった。
彼女は真剣な眼差しで二人を見ると、
「放っておいて、治る、傷と、悪くなるの、あるから。二人の、は、悪いけど、私、良くなるって、思えな、い」
ひどく興奮しているのだろう。
つっかえつっかえながら、強い語気で言い切った。
横で分かったように、心葉が目を閉じて強く何度も頷いている。
「だか、ら、私、お節介、焼くの」
楓はそこまで言うと、一瞬、背後に控える上田に視線をやった。
上田は楓に向かって、いつもの笑顔でうなずいてみせる。楓を全肯定する顔である。こうして自分を認めてくれる人がいるだけで、勇気が湧いてくる。これはとっても大事なこと。
「ねえ、二人、は、どうして、そんなに話せなく、なってるの? カラオケの、キスが原因?」
「……うーむ」
改めて尋ねられると、それが直接の一因ではあろうが、唯一絶対の原因ではない、と思えてしまう郁己である。
なんだろう、この据わりの悪さは。
「キスがやり過ぎだったっていうのは、俺たちでも分かってるんだ、楓ちゃん。だからそれは封印するって郁己にも話したんだけど……」
「ああ、それは俺も同感。あれは危険だし俺たちには早過ぎる……。だけど、つっかえてるのはそこじゃなくて……なんつうのかな」
上手く言葉にできない。
自分たちが悩んでるのは、扱いかねているのは……そういう近いことだけじゃなく。
「俺たちさ、このまま付き合ってくんだって思って、そしたら、またこういう凄いキスしたりして、その先は、エッチだってしたりするでしょ? そこが分かんなくなっちゃって……」
多分、二人が普通のカップルだったら理解できなかったであろう感情。
この場にいる人間だと、二人以外では心葉しか事情を知らない。
金城勇太は元々男で、郁己とは付き合いの長い幼馴染で親友。
「怖く、なっちゃった……?」
「それもあると思う。だけど……ううううう、これ、多分、すっ飛ばすと話がまとまらなくなるよね」
勇太が救いを求めるように郁己を見る。
郁己も難しい顔をする。この問題には、郁己が今まで全てを賭けて守り通してきた、勇太の秘密が深く関わっているのだ。
だから、その秘密を誤魔化してしまっていては、真実に辿りつけない。
今まで秘めていたことを、この少女に打ち明けてしまっていいものなのだろうか。
勇太は拒絶される事が怖かった。
同時に、別の予感も強くある。
心葉が理解したようで、姿を消した。坂下家の扉が閉まる音がする。
「実はね、楓ちゃん。俺たち、こういう風になっちゃってるの、理由があるんだ。その……引いちゃうかもしれないけど、すっごく大事な理由」
「……うん。 ……あ、上田、くん、別に、トイレ行ってもいい、よ」
「あっ、すまない。限界だったんだ!」
雰囲気ぶち壊しだが、上田が慌ててトイレに走っていった。
あれは友人の家だろうが構わず大きい方をするつもりの男の顔だ。
毒気を抜かれて、勇太は彼が去っていった方を見送る。郁己は苦笑ながらも、内心、この空気を読まない友人に頭を下げていた。
あいつは得難い存在である。
「それで、そのー。楓ちゃんは、俺が例えば男だったりしたら、今みたいに友達になれたかな」
郁己は驚愕に目を見開いた。
牽制球のつもりかもしれないけど、勇太、ド直球だよそれ!!
だが、脳みそまで筋肉で出来ている疑惑がある恋人のことである。そんな微妙なニュアンスなど分かりはしない。
いきなりの勇太の発言に、楓は一瞬戸惑ったように見えたが、
「あ、やっぱ、り?」
驚くべき反応であった。
「!? な、なんで!?」
勇太はさっきの郁己以上に驚いて、椅子からずり落ちて床に尻餅をついた。
「私、本とか、よく読む、もの。不思議なこと、や、想像しちゃうこと、とかは結構、大丈夫な方、だよ。最初会った、時、勇ちゃん、男の子みたいな子だって、思ったもの。だから、私、だって、想像したんだよ? 勇ちゃんが男の子、だったら、お付き合いしてたのか、なって」
これは上田くんには秘密、と、楓がウィンクしてみせる。
「まあ、それに、私と友達付き合いしていたら、勇太の事情なんて隠し通せるわけないですしね」
呆れ顔で心葉がやってきた。
持っていたのは勇太の卒業アルバム。
そこには、学ラン詰め襟の勇太が載っている。
写真にある彼女の姿は、最初は完全に男の子で、時をへるごとに、だんだん今の勇太になっていっている。
「それで、ね。小鞠ちゃん、の、こととか聞いてる、し、今までの、坂下くんの行動、考えて、全部、腑に落ちるの。勇ちゃんが、男の子だったと、したら。……秘密を、守ろうとして、いたんだとしたら」
郁己と勇太は、息を呑む。
一体どの辺りから気づかれていたんだろう。
この、大人しいようで、実は勘が鋭くて、そのくせ、想像力豊かでどこまでも空想の翼をひろげてしまう、楓という少女には。
「お答え、するね。答えは、はい。私は勇ちゃんが男の子でも、友達になっていました。だから、これからも友達でいてください」
淀みのない言葉が溢れてきた。
これは考えるまでもない言葉。
楓の中にあった、紛れも無い本当の気持だから、するりと彼女の唇から溢れだした。
勇太はちょっとの間、呆然としていたけれど、徐々に両目に涙が溢れてきて、すぐにぼろぼろとこぼれおちてくる。
「ああ……あーー……」
何だか言葉にできなくて、声ばかりを漏らした。
なんだこれは。すごく気持ちがあったかいのに、涙が止まらない。
「だから、ね、坂下くん。勇ちゃん、を、今まで通り、愛して、あげて」
「はい」
気がつけば、心のなかのわだかまりは嘘のように消えている。
何故悩んでいたのだろう。相手は勇太なのだ。それは変わらない。告白してきた小鞠を断ってまで選んだ相手なのだ。ここで道を違えるなんて、あるわけがないじゃないか。
「それに十八歳になれば、裁判所で戸籍上の性別だって変えられますからね」
「そう、な、の!?」
心葉と楓が何か言っていたが、もう耳に入らない。
郁己は勇太との間にあったテーブルを、文字通り物理的に押しのけると、今も呆然と涙を流し続ける恋人を、ギュッと抱きしめた。
「勇太」
「う……ん……」
「堂々と胸を張って……子作りしよう」
「う……ん…んんんん!?」
郁己の身体が宙を舞った。
玄帝流の龍尾返しの型である。ここまで綺麗に決めるには、相当な修練が必要だ。
郁己はひどい格好で居間に転がりながら、逆さになった股間から、戻ってくる上田を出迎えた。
「うひょお! どうしたんだ坂下!?」
「ああ、聞いてくれ上田」
懲りない郁己は凛々しい声で告げた。
「俺、勇太とエッチするわ」
真っ赤になった勇太が、郁己の股間を蹴った。
切ない悲鳴が坂下邸に響き渡る。




