考古学へのお誘い、由布上街道を征く
「やあ、来てくれたね郁己君」
郁己は内心ちょっとブルっていたが、
「は、はい」
と親友……いや、恋人の父親に向けて頷いた。
彼、金城尊の背後で、勇太ががんばれっ、と声に出さずに口を動かしている。
「お手柔らかにお願いします。お、お嬢さんとは清い交際を……」
「? 郁己くん、何か勘違いしていないか」
やべえ、まずったか!? と郁己は死を覚悟……、
「僕は君を案内したい場所があるから、勇太に連れてくるようにお願いしたんだよ」
お前に娘はやらん!というアレではなかった。
ホッと胸をなでおろす郁己。
目の前にいる温厚そうな男性は、冗談抜きで地上で三本の指に入る(フィジカルな)実力者である。
そんなものと向き合って平静でいるなど、多少なりとも武をかじった人間には無理な話だ。
「君は中々の逸材だと心葉から聞いているよ。僕は大学では、考古学を中心に教えていてね。専門分野も、考古学や民俗学、ものによっては文化人類学をやっている」
「あ、はい、存じあげてます。テレビでたり、本を出したりされてますよね」
「知ってくれているのかい。嬉しいね。先人たちの足跡を追うことで、過去に生きた人々の息吹を知る学問だ。話を伝え聞く限りでは、君にはその才能がありそうだと僕は思っていた。その予想は、先日君に会って真実だと知ったよ」
「は、はあ」
何だか分からんが、とりあえず認められているらしい。
尊さんは熱のこもった言葉を口にしながら、郁己の肩をがっしり掴んだ。
「勇太とともに、今日は僕についてきたまえ。身近な民俗学から学んで行ってみようじゃないか」
「郁己、これ父さんの趣味だから。ごめんな」
本当に申し訳無さそうに勇太が言う。
ということで、四人はバスに乗り込んだ。
後一人加わったのは心葉である。
「父さんのフィールドワークには慣れてますから。でもこれ、インドネシアの島をめぐった時に比べれば、初心者用もいいところですよ」
インドネシアとかまで付き合ったのか。
意外な心葉のバイタリティに郁己は驚く。
「でも、車じゃなくてバスで行くんだな」
「父さん免許持って無いんだ」
「ええ。父さん、船舶免許はあるんですが、車はダメで」
「ははは、これは恥ずかしいな」
なんでだよ。
心のなかで突っ込む。
ちなみに、バスが行くのは由布上街道。
かつて、伊勢参りが一生に一度の大旅行だった時代、人々が通った道なのだと言う。
城聖学園がある市をまたいでいるから、行こうと思えばいつでも行ける距離にあるのに、今まで一度も来たことが無い場所だった。
踏切を渡ると、周囲の光景がいきなりタイムスリップする。
そこは昭和のような町並みをわざと作っていて、あちこちに映画看板。昭和のやつだ。
郁己も勇太も直接見たことは無かったが、テレビなんかで知っていた。
自分が生まれてもいない時代のものなのに、何故かノスタルジックな気持ちになる。
「私は、この街が好きかもしれません」
心葉の言葉に同意したい気分だ。
いつも停車する駅から二駅先に行くだけで、こうやって全く違う世界が広がっている。
「由布上街道はかつて宿場町でね。旅往く人々もいれば、商人たちも西の街へ向かうため、この道を通った。その頃、由布上には養蚕農家が多く存在していたんだ。日本で最も古い養蚕農家の屋敷が、完全な形で現存している。今日はそれを見に行こう」
さも楽しげに、尊さんは言った。
まるで講義のようだったが、これは彼なりの娯楽の提供なのだ。
一行は、まるっきり昭和40年代のような駅前を通過して、幾つか目のバス停で降りると、少し歩いた。
道がやや細くなり、車がすれ違うのがやっとになる。
左手側にあった家々が消え、多摩川の流れが見えた。
突然見晴らしがよくなる。
「おお……。いきなり風景が変わったぜ……」
「家が消えた!」
正確には、左手側が川にえぐられて谷になっていて、そこから橋を渡ると家々が連なっているのだ。
だが、ここからは緑もやたらと多く、右手は小山が連なり、その裾を巻くように家が点々としていて、左手は木々と家が半々で、まるで現代のこの国の風景ではない。
きょろきょろと辺りを見回しながら歩く内に、それなりに時間が経っていたたらしい。
一行は谷に近い古い町並みに辿り着いていた。
「さあ、これが由布上の古民家だよ。二階の屋根が高いだろう? 屋根裏になっていて、そこで蚕子を育てたんだ」
観光地になっているようで、お年を召した方たちがカメラをぶら下げて何人かいる。
とりあえずここで、郁己達は尊さんの講義を色々聞いた。
多分勇太は内容を半分も分かってない。
おばかな子だ。
近くの土産物屋に食事処がついていたので、そこで昼食にする。
「ついでだから御岳渓谷も見ていこうか」
「普通観光ならそっちがメインですよね?」
「メインは養蚕農家だからね。古民家に残された養蚕の記憶と、文化。人々の息づきを感じないかい? これはまさに街の宝だね」
よく分からん。
勇太はついに、尊さんの説明の途中で寝る技を身につけたようだ。
説明が終わると目が覚める。
しかし、この人は俺達に何を伝えたいんだろう、と郁己は首をひねる。
今まで近くに通っていながら、見ることがなかった世界を教えてもらえた。これは凄いことであると思う。
当たり前と思っていた日常が、どういう歴史を経て作り上げられ、自分たちへ受け渡されてきたのか。そういったものも、尊さんが専門とする考古学や民俗学は調べているのだろう。
それらを知ることはとても大切だとは思う。
だが、何故それが今で、しかも俺なのだ、と郁己は疑問を感じるのだ。
あれか、舅の新手のイビリみたいなやつか。いや、まさか。
「多分、父さんは郁己さんと兄さんの関係を祝福したいんだと思いますよ。ただ、あの人はちょっと次元が違う不器用ですから、こういう表現方法しかないんです」
「なんと面倒な」
「どうしたんだい?」
「いえ、なんでもないです!」
勇太と並んでずんずん先を言っていた尊さんが振り返った。
地獄耳だ。
果たして、御岳渓谷は終わり際の紅葉である。
あたり一面の木々は葉を落としつつ、青々としていた夏の残滓が、赤に黄色に色を変えて舞い落ちる。
絵になる風景だ。
「よし、心葉、ちょっと僕とそこまで行こう」
「父さん、露骨過ぎます」
二人がさっさと何処かへ行ってしまう。
残されたのは郁己と勇太二人。
「えっと……これは認めてくれたってことでいいんだよな?」
「きっとそうだと思うよ」
勇太がすぐ近くに来て微笑んだ。
「もしかして、父さん、自分の後釜として郁己に目をつけたのかもしれない」
「うへえ」
それは有り難いような、困ったことのような。
難しい顔をした郁己の頭に、黄色く染まった落ち葉がこぼれ落ちる。
勇太が軽くジャンプをして、葉っぱを取り上げた。
「ま、いいじゃん。なんか俺たち難しく考えてたけど、要はあれなんじゃない。クラスのみんなもそうだし、父さんもそうだし。きっと、周りが見てると、収まる所に収まったって、そんな風になってるんじゃないかな」
「そんなもんかね」
「そんなもんだよ」
遊歩道を戻ってくる人たちがいて、挨拶を交わす。
歳を重ねたご夫婦である。仲睦まじい様子で、山々の美しさを互いに口にしている。
「ね?」
勇太が言った。
主語が無かったけれど、
彼女の視線を追えば、言わんとしていることはわかる。
いや、まあ、視線なんか追わなくてもわかる。付き合いが長いのだ。
だから今更緊張するというのもおかしいのかもしれない。
「そうかもな」
郁己が発した言葉も主語は無かったけど、きっと勇太には伝わっているのだと、そう分かるのだ。




