体育祭、開催式とパン食い競走
体育祭が始まった。
本日は秋晴れ。雲が高く、空気は澄み渡る。
城聖学園グループ高等部の体育祭は、敷地のある本校のグラウンドで行われる。
なにせ山一つを削りだして作られた学校だ。その気になれば土地などいくらでもある。
通常の学校なら、校内のクラスや学年でチーム分けをしていくところだが、城聖学園は少々違う。
本校と亜香里野キャンパスで、キャンパス間対抗を行うのだ。
紅白戦というやつである。
そのため、本校と亜香里野の対立構造が生まれている。
本校のほうが偏差値が高く、制服も独自のものを採用しているため、入学や編入の競争率が高い。
かつて本校側では選民意識があったし、亜香里野側にはそんな本校に対する対抗意識や敵愾心が存在していた。
だが、今年の一年生辺りから、そういった考えが両校ともに薄らいできているようである。
「時代だろうな」
大沼女史が教員席で深く腰掛けながらそう呟いた。
彼女が本校高等部を卒業した頃には、まだ体育祭は戦争だった。
大学を卒業してこの学校に赴任してからは、年々とそのギラギラしたオーラが薄れていくのが分かる。
きっと、本校と亜香里野は緩い関係になっていくのだろう。
さて、参加者側である。
坂下郁己は悲しんでいた。
何故こんな秋も深まる季節に体育祭なのか。
見渡せば、学園指定のジャージの色が鮮やかに周囲を埋め尽くしている。
亜香里野の女子は紅色、こちらの女子は藤色である。こちら側のほうが艶やかな色を使っている分、部分ごとに濃淡を変えていて、妙に凝っている気がする。
男子はみんな藍色だ。
この男女でデザイナーが力の入れ方を露骨に変えているのがいっそ清々しい。
だが、それはいいのだ。
問題は、ジャージが辺りを埋め尽くしているということ。
つまり冬服なのだ。
露出が少ない。
これは由々しき事態だ。
郁己の周囲にも、それらを悲しむ男たちは多かった、
ちょっと前の方では、勇太が周囲の女子と談笑している。
勇太はジャージでも可愛い。
郁己は確信する。
さて、壇上には本校の生徒会長と亜香里野の生徒会長が上がってくる。
亜香里野の村越由香生徒会長のオーラがとにかく凄い。うちの会長が霞んで見える。
二人が選手宣誓を行う。
「宣誓! 我々は! スポーツマンシップに則り! 正々堂々、競い合うことを! ここに、誓います!」
由香会長の声はよく響く。
声質もやや低音ながら、α波出てるんじゃないかってくらい聞くものを安らがせる。
風体は、ストレートの黒髪を腰のあたりまで伸ばし、背筋は良くて長身。
顔立ちは凛々しく、身のこなしもキビキビとしてかっこいい。
かと思うと、ふとした時に見せる表情は実に女らしい。
カリスマと女の魅力を同時に併せ持った完璧超人。
それが彼女、村越由香だった。
そんな超人がなぜ亜香里野にいるんだろう。
「村越会長、亜香里野から徒歩10分で実家らしいぞ」
和泉からの極秘情報が!
家が近いから入学してるのかよ!
そんなに完璧超人ではなかった。それなりにズボラらしい。
「和泉詳しいな?」
「委員会の先輩が去年まで亜香里野にいた特進組なんだよ。やっぱり村越会長の人気は凄いらしいぞ。生徒会役員選挙でトップ当選。その圧倒的なカリスマに物を言わせ、生徒会メンバーを決定したらしい。うちみたいに、会長から世襲で副会長が持ち上がるようなところとは大違いだな」
学園祭にはニットを羽織った夏服で来ていたから、なんとなく体型も分かる。
それなりにぼんきゅぼんだ。
D……もしかするとEくらいあるのでは、と郁己は目算する。
さぞやあちらでは人気が有ることだろう。もはや崇拝の域ではあるまいか。
選手宣誓が終わると、二校のチームがそれぞれの居場所へ戻り、賑やかになる。
三年、二年、一年と、学年が下がるに連れて、緊張感が薄れてきているように思う。
自分たちも特に、亜香里野のことは意識してないしな、と郁己は思う。
さあ、第一競技が始まる。
最初の種目はパン食い競走。
定番といえば定番である。
本校側と亜香里野側から数名ずつが出場し、六回の対決の後、順位に応じた点数が紅組と白組に入れられる。
選手として、一年一組からは小鞠が出場していた。
小さな体格ながら食い意地は一人前である。
スタート地点につくと、周囲よりも明らかにちっちゃいので非常に目立つ。
だが、本人は戦意充分。
鼻息も荒くクラウチングスタートの構え。
「小鞠ちゃんファイトー!!」
勇太の声援に、振り返らず拳を天に突き上げてアピール!
アピールしてる間にスタートである。露骨に出遅れる小鞠。
彼女は理想的な姿勢からスタート、遅れを取り戻そうとする。
だが、遅い。圧倒的に遅い……!
傲然と胸を張って疾走するものの、小鞠は脚が遅いのである。
誰もが諦めを胸に、せめて少女の完走を願う。
だがしかし……板澤小鞠の辞書に諦めの二文字はない。
少女たちは、風に揺られて揺れ動くパンを、口だけで捉えねばならない。
だが、人前で大口を開けることを恥ずかしがれば、パンを咥えることなどできまい。
一度補足に失敗したパンは、暴れ馬の如く揺れ動く。
鞍もない馬を乗りこなせるほど、少女たちの腕は熟達していなかった。
まさに泥沼。
パンを誰が先に咥えられるのか、五十歩百歩の戦いが繰り広げられていた。
男子達からすると跳びはねる女子達の体の一点が、大きく揺れ動くのを見逃すことは出来ない。
パン食い競走はその競技の性質上、激しい運動量を必要とする。
まだ序盤の競技でジャージを汗塗れにしたくない少女たちは、自然とその下に隠された半袖体操服で競技に挑むことになる。
揺れる。
彼女たちがパンと格闘するたび、跳ねまわる生きのいいパンを捉えようと足掻くたび、柔らかな男たちの夢が衝撃ではずむのである。
だがそこに、揺れなどという軟弱な現象とは無縁の捕食者が出現する。
板澤小鞠。
彼女は脱落したのではない。
この日のために、己の肉体、胃袋、走法を、すべてパン食い競走という競技に特化させてきた。
その成果が今現れる。
胸も含めて一切揺れること無く、傲然たるフォームで駆け込んできた小鞠。
最短距離を走り、助走は十分。
標的を見据えて跳躍する。
一撃である。
彼女の鍛えぬかれた強靭な顎は、恥じらいなどという脆弱な精神の薄皮を端から脱ぎ捨て、吊るされた糸ごとパンを食いちぎる。
大きく口を開けたればこそ、パンは競技者の唇に宿る!
小鞠は華麗に着地すると、無様に足掻く競技者たちを刹那の間だけ睥睨。
むっしゃむっしゃ優雅に咀嚼しながら疾走を再開した。
小さな少女の跳躍は、まるで水中から天空の虫へ食らいつく魚のようであったと、見たものは語っている。
悠然と胸を張ってゴールを突き抜けてくるその姿は、まさにパン食い競走の女王であった。
「パンとは鏡よ。アンタ達がふらふら揺れ動いているから、パンはそれを写しだして捉えどころなく動き続ける……。明鏡止水の心を持ってすれば、揺れ動くパンも静止したパンの如し……!! ごちそうさまでした」
彼女の朝食だったらしい。
出番が増え始めた小鞠である




