何もない日。家でごろごろ、外でぶらぶら
宿題もあらかた片付いたところで、夏休み終盤となった。
「宿題が残ってない夏休みなんて……初めてだよ」
ちょっと感動したような顔で勇太が言う。
「もう、一日中ごろごろしてても、何も罪悪感を感じることはないんだね……」
一応罪悪感を覚えていたらしい。
あの読書感想文以来、勇太は心葉の部屋に入り浸って、彼女の蔵書を読んでいるらしい。
心葉としてはその辺は別に気にならないらしく、双子の片割れの前で遠慮無くぬいぐるみを抱きしめて転がっているとか。
心葉ちゃん友達とかいるんだろうか。
ともかく、今日は本当に何もない。
やることもない一日である。
珍しく勇太は郁己の家に遊びに来て、彼の部屋でゲームなどやったりしている。
時折とことこやってきて、無造作にベッドの下を漁ったり、本棚の裏を探ったりする。
「おっ、増えてる」
「やめろよ勇太ー。男の秘密の園を荒らすなよー」
この春先まで、一緒にこういういかがわしい本を読んでいた仲である。
いや、今でもこういうのが好きらしくて、ほくほく顔で集めた郁己の蔵書をベッドの上で読み出す。
「うわ」
とか、
「ひええ、ひゃあー」
とか言っている。ぱたぱたベッドの上で足を動かしながら悶えるのは、見てるこっちもカッとなりそうになるのでやめて欲しい。
勇太はハーフパンツタイプの普段着が大好きなようで、今日もノースリーブのシャツにハーフパンツである。
シャツは実家で買ってきたらしい。黒字に金の玄武マークで非常に厨二テイストを感じる。いや、厨二っていうかDQNテイストかもしれない。
黒いシャツで浮き彫りになる背中のラインとか肩甲骨とか、ハーフパンツを押し上げるむちっとしたお尻とかを凝視していると、
「ねえ郁己ー」
「はっ、なんですかな」
「郁己、趣味変わったよね」
なんて言われる。
「ははは、ご冗談を」
「いや、絶対変わったって。なんかボーイッシュな子の本が増えてる」
……マジか。
どうやら郁己、無意識のうちにそういう本を集めていたらしい。それもこれも、毎日こうもムラムラするものが目の前にあるせいである。
そうだ、勇太が悪い。
「俺は雑食系だからなあ。そういうのが読みたい時もある……」
「ふーん、フクザツな男心だね」
とか言いつつぺらっとページをめくったら、極めて際どいシーンで勇太が押し黙る。
無言でじっと写真を凝視しながら、ページを捲り、
「おおお」
とか、
「ふはーー!」
とか年頃の男子っぽい反応を見せ始める。
だが君には反応するパーツがもうあるまい。
しばらくして満足したらしく、蔵書を返却してきた。
「結構なお点前で」
「お粗末さまです」
見た目はクールを装っているが、勇太はチラチラ郁己の全身を見ている。
何か良からぬことを考えている。郁己は毎日勇太を見て良からぬ事を考えているが。
「い、家の中だけだと体が鈍っちゃうよね。外行こう!」
とは、毎日朝稽古で体をいじめているスポーツ系男子っぽい女子のお言葉である。
部屋から外に出ると、隣から綾音がじっと覗いていた。
「何もなかったか……。チッ、ヘタレめ」
「あんたはさっさと彼氏とか作れよ!?」
二人は冷房の効いた坂下邸を後にし、街へと繰り出すのである。
今回、勇太が律子さんから渡された特殊装備。それは日傘である。
8月の半ばはまさに夏真っ盛り。晩夏が見えてきたとはいえ、その日差しや暑さに陰りなどない。
「大きいのもらってきたから、郁己も入りなよ!」
「おう、強い日差しは男子の肌の大敵だぜ」
二人で日傘の下に収まりながら、遠くで蜃気楼渦巻く街を行く。
近所の家の庭先では、日陰に逃げ込んだ犬がぐったりしている。
この暑気では、毛皮を着込んだ動物はさぞや暑かろう。
こうやって一緒に歩いているだけで、汗がじわりとにじんでくる。
途中、見知った顔とすれ違った。
確か中学の頃の同級生だ。
勇太はちょっと身を竦めるようにして、郁己の影に隠れていた。
だが、ノースリーブの少女が金城勇太だとは全く気づかないようだった。
もう、卒業からは五ヶ月ちかく経つのか。
彼らの中からも、徐々に勇太という人間の記憶は薄れていっているのかもしれない。
「ふー、なんか、息が止まるかと思った」
「気にしなくていいのに。勇太だってみんな分からないんじゃない?」
「いや、まだちょっと抵抗が……」
中学の同級生たちと勇太の間には溝がある。
勇太が強かったから、いじめのような形にはならなかっただけだ。
そういう意味で、あの環境は郁己も好きではなかった。
「こればっかりは、パッと解決することもできないものな」
呟くと、勇太が腕を強く掴んできた。
「ごめん。も少しだけ、強くなるからさ」
「焦らなくていいよ」
郁己は、少し伸びて、女の子らしくなった彼女の髪を撫でた。
自然、同級生の集まりそうな場所を避けるとなると、一駅ほど歩くことになる。
この炎天下の下でその距離はきつい、ということで、二人は定期券を使って電車に乗った。
ちょっと進めば、もう地元の人間なんてほとんどいない別天地である。
駅前はこじんまりした商店街だが、敷地が少ないせいか、大きなショッピングモールが進出できず、各商店には活気があった。
勇太が興味を示したのは小さな本屋である。
「勇太が本に興味を示すなんて!」
郁己は驚愕した。
冷房のきいた店内で、楽しそうに本を選ぶ勇太にさらに衝撃を覚えた。
しかも活字の本である。
白い鳥文庫という名の、活字が大きく、ふりがなも振ってある児童向けの新書サイズの本ではあっても、紛うことなき活字を楽しむ本である。
「ふふふ、俺に活字の喜びを教えたのは君だよ郁己!」
「うおお、勇太が成長している……!!」
お小遣いで一冊本を買い、ほくほく顔の勇太。
近場のドーナツチェーンで一休み。その間に包装紙を解き、中身に目を通し始める。
「あのさ」
十分くらいしただろうか。
郁己がまったりしていると、勇太が声を上げる。
「俺、文芸部に入ろうかと思って」
「ぶふっ」
思わず口に含んでいたコーヒーをちょっと吹いた。
「わ、なんだよ郁己、きったないなあ」
「いやいや、だって勇太、お前なんで文芸部!? 体育会系じゃなくて!?」
「いや、そのさあ。俺ってずっと、食わず嫌いだったみたいでさ、結構面白いんだよね……本」
「本を読むだけなら図書館や図書室だってあるだろ?」
「うん、だけど俺、自分でも書いてみたいんだよね。そりゃ、まだまだ見れたもんじゃないと思うけど」
勇太が文芸……。
今までのイメージとは余りにも違う彼女の言葉に、しばし混乱する郁己。
だがまあ、ようやく親友が自分の足で一歩踏み出そうとしているのだ。
「いいんじゃないか? 確か水森さんもいるんだろ?」
「うん! 一緒には帰れない日も増えるかもしれないけど、いいかな?」
「俺に聞かないでも、勇太が決めたんだろ? 応援する」
「……えへへ、さんきゅ、親友」
郁己はなんだか脱力してしまった。
今まで、勇太を守らねばと思って気を張ってきたのだ。
これで一つの区切りなんだろうか?
そういえば、自分のやりたいことなんか考えてこなかったな……。
そう思って、新学期からの身の振り方を考え始める。
もう考えていられる猶予も少ない。
郁己は、楽しそうに本を開く勇太を見て、嬉しさ半分、戸惑い半分。
さて……。
次回からまた学校編、ややおばかな展開に戻ります




