勇太、里帰りする。池に棲まう主と川釣り
三日目である。
玄帝流宗家は特に娯楽施設があるわけでもない、観光地ではない田舎。
何か楽しみを見つけようと思ったら、自分で足を使わねばならない。
朝のラジオ体操と稽古を終えて、今日も郁己と勇太は外へ繰り出す。
本日は快晴なれど、雲高く。
夕立の予報あり、
「池まで行ってみようか」
勇太が提案したので、そうしようということになった。
二人でぶらぶらと池の方に向かう。
『危険! 遊泳禁止』の立て看板。かなり古い。
「今の時代、こういう池で遊ぶ子はもう少ないのかもね」
「時代だよなあ。この村の子供だって、ゲーム機で遊んでるんだと思うよ」
池の縁でしゃがみこんで、二人水底を見る。
そこそこの深さまでは光が入って見えたが、ある程度からは泥のようなものが溜まって伺うことができない。
小川からやってきているらしい魚がおり、ぷらぷらと泳ぎまわっている。
人影を見ても近づいてこないのは、近隣の住民が餌をやったりしていないからのようだ。
「おうい、池に入っちゃ危ないぞ」
村人登場。
「いえ、覗いてるだけですー」
郁己が振り返ると、村人は「そうかー」と返した。
「お前さんがた山向の町の子だろ。こっちはなんもないぞ。せいぜいその池に主がいるくらいだ」
「主?」
村人はじいさんである。
釣りに行くらしく、バケツとカバンを下げて、釣り竿を担いでいる。
「おうさ。もともと上帝翁神社やそこのご神木は、この主を鎮めるためにつくられたって伝説だな」
「主ってなんなんです?」
勇太は知っているらしく、静かである。
むしろ釣り竿に興味があるらしく、おじいさんの装備をジロジロ見ている。
「でかい亀さ。大人三人でも抱えきれないほど大きいやつが、おれのじいさんのじいさん位のころからずっとこの池にいるんだとさ」
「亀は長生きっていいますけど、そんなに長くだと、もう生きてないんじゃないですかねえ」
「そりゃあもう化物になってるだろうなあ」
おじいさんがわっはっは、と笑う。
「ねえねえおじさん、釣り行くの? 俺、釣りってしたこと無いんだけど」
勇太が興味に抗えず、おじいさんの釣り竿を指差した。
「お、釣りに興味あるのか。じゃあついてこい」
歩き出すじいさんに、勇太がてくてくついていく。なんと無防備な!と郁己も後に従った。
向かったのは、池に注ぎ込む川である。
流れはゆるやかで、そこそこの水深がある。幅は狭い。
山奥から何本かの流れが池に注ぎこみ、池からは海に向かって川が生まれているようだった。
「タモロコやナマズが釣れるんだよ。唐揚げにすると美味い」
「ふむふむ」
じいさん、女子高生が川釣りに興味があるのが嬉しいらしく、色々説明してくれる。
適当な岩場で腰掛けると、勇太を隣に座らせて色々レクチャーを始めた。
おのれ、すけべじじいめ! 郁己は内心憤慨する。
釣りを教えるふりをしながらこっそり太ももを触るんじゃない!
一方、勇太は釣り竿を握らせてもらい、なかなかご満悦の様子である。
横でヤキモキしながら見つめる郁己をよそに、すぐさま青い小魚を釣り上げた。これがタモロコである。
手のひらに収まるような小さな魚だ。
「こいつはよく釣れるからなー。池の入り口ならナマズもいけるわ」
「ふむふむ」
「お嬢さんセンスあるな。おれは下手の横好きで釣りやってるけど、おれの指導を受けてこんなにぽんぽん釣る人は初めてだわ」
確かに、見てるそばから勇太はひょいひょい魚を釣っていく。
郁己的には釣りは待ちの一手で、餌やルアーに工夫して、あとは運にまかせるもの、みたいなイメージがある。
だが、何かしら釣りにも向き不向きがあるのだろう。
「俺は退屈なの苦手だけど、釣りは好きかもなー」
そう言いながら、また一匹タモロコを釣って、バケツにぽちゃんと入れる。
結構な数の魚が釣れたが、ある時を境に一匹もかからなくなった。
「あれえ……?」
「こりゃあ、主様がもうその辺にしとけって言ってるんだな」
じいさんがニヤニヤしながら言った。
「こんなことあるんですか」
急にヒットしなくなったのはちょっと不思議だが、そういうこともあるかもしれない。
見れば小川に魚の姿もなくなっている気がする。
郁己の言葉に、じいさんは頷いた。
「不思議とよ、この池周りはそこそこ釣れるんだけど、そこそこより上には絶対ならないのな。秋口は遡上してくる魚もいるけれど、そいつらだってそこそこまでしか釣れない。なんだかんだでどれくらい釣れるか決まってるような川なのよ」
変わった話もあるものだ。
「だからな、ここいらの奴は昔から、釣りすぎると池の主様が、もうその辺にしとけーって言って、魚を追っ払っちまうんだって言うんだわ」
「それはなんとも……」
言い伝えって言うやつだろう。
確かに、この村の空気や池の雰囲気にはよく似合った話であると思う。
なんとはなしに、周囲の空気感も変化してきた気がする。
勇太がぶるっと震えた。
「なんか、ちょっと肌寒いんだけど」
そんなことはない。気温は暑いまま、日差しはやや陰りつつあるけれど、夏真っ盛りである。
勇太の目線が池に注がれていて、何かと目を合わせているふうに見えたので、郁己は「まさかな」と肩をすくめた。
雲が太陽を覆い隠し、ほんの少し薄暗くなってくる。
雨のにおいがした。
「一雨くるな、こりゃ」
「ですね」
傘は持ってきてない。さっさと戻ることにしよう。
「それじゃあ、俺たち帰ります。ありがとうございました」
「じゃあね、おじいさん」
「何、また会ったらよろしくな。おれ、あそこの神社を管理してるからよう」
じいさんが指差したのは、上帝翁神社。
「お嬢ちゃん、主さんに気に入られたかもな」
じいさん、かっかっか、と笑った。
冗談にしても笑えねえなあ、なんて郁己は思った。
目線を落とした時、なんだか池の何かと目が合った気がして、ちょっとゾッとした。
とんだオカルトだ。
「おれ……私は、上帝翁の神様のお嫁さんにはならないですよ」
勇太はちょっと余裕がある感じで答えて、ステップ混じりの足取り。小川から離れていった。
「おい、勇太……!」
郁己もじいさんへ一礼。
幼馴染の後を追う。
「なるほどねえ……」
彼は去っていく若者たちを見送って微笑んだ。
最後に勇太が囁いた言葉を、彼は聞き取っている。
「売約済み、だそうですぞ、玄神様」
池がコポっと音を立て、泡が一つだけ浮かび上がった。




