海水浴、終わりの時間と微睡みの車内
「結構浅いところにも生き物がいるんだねえ」
しゃがみこんだ勇太の手のひらが、ヒトデをすくい上げる。
水面から上がったヒトデは動きを止めて、じーっとしている。
勇太がヒトデの中心に指を当てて、むぎゅーっと押し込み始めたので、郁己は慌てて止めた。
「穴開くでしょ」
「いや、なんか思ってたより硬いなーって思って」
「だからって押し込んじゃだめ」
「はーい」
ヒトデを開放する。
向こうでは、心葉が泳げない同盟を作ったのか、楓と水際で山を作っている。
二人共あまり喋らないが、表情はなんだか楽しそうだ。
よく見ると山の下に上田の顔だけが出ている。
夏芽はエネルギー補給をするというので、また海の家に何か食べに行っている。
燃費の悪い子だ。
和泉は荷物番の様子を見に行くというので、きっと目覚めた綾音に絡まれていることだろう。
男たちは大体、肌が赤く焼けてきていて、女の子たちもUVカットを塗り忘れた部分なんかが赤い。
真っ白だった楓もきっと、少ししたら肌が小麦色になっていることだろう。
心葉は流石というか、全く焼けた気配が無い。
今、みんなの肌が赤く見えるのは、きっと昼間の太陽のせいばかりではない。
こうして降り注ぐ日差しが傾いて、海の向こうに沈んでいこうとするせいもあるのだろう、なんて郁己は思うのだ。
海水浴場を包んでいた喧騒も落ち着き始め、還っていく家族連れ、カップル、集団。
一部は海の家近くで施設を借りて、BBQを始めたりしている。
なんでああいう輩はBBQが死ぬ程好きなんだろう。
「どうなんだろうねー。私は食べられるならなんでもいいけど」
どうやら声に出ていたらしい。すぐ近くの砂浜に腰掛けていた夏芽が、イカ焼きを食べながら言う。
イカの丸焼きなんか売ってるのか、あの海の家は。
「私はBBQ好きだよ? お肉たっぷりなら凄く嬉しい!」
勇太は肉好きだもんなあ、と、親友の頭をなでなでする郁己。
「ん? どうしたの郁己。それより濡れた手で頭なでなでするなよう」
「もう塩水被ってるし、あんまり関係ないんじゃね?」
「そりゃそうだけどさー」
なんてことをやっていたら、向こうから和泉が戻ってくる。
「みんな、そろそろ帰る時間だってさ。シャワー浴びて着替えだ!」
「おー!」
帰る途中、砂山に埋もれた上田を、楓と心葉がせっせと救出していたので、夏芽がダッシュからのキックで上の砂山をぶっ飛ばした。
半分くらい上田の顔にかかる。
「ぶへあっ」
「う、上田、くん!?」
「やべ、やり過ぎた」
「上田を助けろー!」
結局みんなで、せっせと上田にかかった砂を除ける羽目になった。
なんとか大事に至る前に救出は成功したのだが、あの大人しい楓が、目を三角にして夏芽を叱っていた光景が新鮮だった。
「夏芽、ちゃん」
「はい」
「上田、くん、大変、な、ことになるところ、だったでしょ」
「はい」
「ふざけてて、も、危ないこと、しちゃ、だめ、だよ」
「はい」
「もうちょっと、おしとやかに、ね」
「はい」
「水森さん、もういいから、そのへんでいいから……」
「う、ん、上田くん、がそう、言う、なら……」
海の家前に据え付けられた水のシャワーを被りながら、勇太はまんべんなく髪についた潮を落とす。
少し髪も伸びてきているので、前よりも洗うのに手間がかかる気がする。
海の上の軒先には郁己が座っていて、
「まあ、思ってたよりも楽しかったな」
なんて言ってくるので、
「中学の分は取り返したよ」
って言い返してやった。
たった一日だったけれど、勇太や郁己だけじゃない、楓や上田たちにとっても有意義な一日だったみたいだ。
特に楓は、ちょっと活発になった気がする。
気難しい心葉と話があうようになるとは思わなかった。
更衣室で着替えると、日焼け止めの上から焼けた肌がヒリヒリして、それがまた海の余韻を感じて心地いい。
みんなで戻って行くと、すっかり素面になった綾音と、人の良さそうなおじさんが話し込んでいた。
おじさんが運転代行の人なのだそうだ。
「海水浴に車で来て、お酒飲んじゃう人も多いんだよね。だから、意外と出動の機会があるっていうわけ」
おじさんが車の運転席に乗り込み、助手席に綾音。
ここではたと気がつく。
「姉貴、席足りなくね?」
来た時は、心葉が助手席で、他、中の席に三人、後部座席に三人で来たのだ。
まさか、一人だけ罰ゲームの最後部で荷物と一緒ということだろうか。
すると、綾音がにやりと笑った。
「マジか」
郁己の顔が引きつる。
しかし、確かにそうする他ないだろう。女の子や勇太を後ろにやるのは忍びないし、男どもだと狭すぎる。
郁己は真っ先に乗り込むと、
「よし、来い、勇!」
自分の太ももをパーンと叩いた。
「へ?」
「ここだよここ。席が足りないんだから」
「……ま、マジで?」
「マジもマジ、大マジだよ。お前軽いから、行けるだろう」
「いや、その、ちょっとそれは……」
勇太が助けを求めるように振り返ると、夏芽も和泉も楓も上田もにっこりしている。
「いい考えだと思うわよ」
「好意に甘えるといいよ、金城さん」
「膝に座る、の、うらやましい、かも?」
「ならば俺の膝に、水森さんも……!」
逃げ場は無い。
泣く泣く、勇太は郁己の膝の上に腰を下ろした。
お互いのにおいが分かるくらいの密着だ。高鳴ってる鼓動の音だって分かる。
郁己が勇太を固定したまま動かなくなってしまい、勇太もまた静かになってしまった。
中の座席は、心葉、楓、上田。後部座席は、郁己勇太に、和泉と夏芽である。
ワンボックスカーぎゅうぎゅう詰めで帰路についた。
早速綾音は助手席で爆睡していて、中の座席は楓と心葉が文学作品の話題で盛り上がっている。本読みという点で、二人は共通点があるのだろう。
上田はそれを横から、ほっこりしながら眺めている。
夏芽はうとうと船を漕いでいて、和泉は夏芽越しに、外の風景を見ている。
なんとなく、郁己と勇太は言葉が出てこない。
恥ずかしいっていう感情と、なんとなく安心する気持ち。
「寝てもいいって」
郁己がそれだけ言った。
「重くない?」
「まあ大丈夫。お前だって気を張ってたら疲れちゃうだろ」
「まあね……」
膝の上の勇太が力を抜くのが分かる。
胸に、重さがかかってくる。
「なんかさ、変だよね、俺たち」
「何が?」
郁己は尋ねながら、横目で和泉を見る。
彼もまた、眠りのそこに落ちてしまっていた。
心葉と楓の会話も止まっている。上田はまあ寝てるだろう。
代行のおじさんがかけているラジオが、車内に流れている。とりとめもない会話が妙に心地いい。
「去年の今頃はさ」
「ああ」
「なんか、馬鹿やって、勉強して、二人でエロ本とか見てさ、でも学力とか違ったから、高校で別々になって、こいつとはもう一緒に馬鹿なことできなくなるのかなって、俺、そう思ってたんだ」
「そうか……。俺はそんなに気にしてなかったんだけどなあ」
勇太は、郁己とバラバラになってしまうことを気にしていたらしい。
確かに長い付き合いだ。保育園、小学校、中学校と同じで、家だって隣同士。
性の目覚めも多分一緒くらい。勇太の初恋は綾音だっていうことも、郁己は知っている。今では駄目な所とか見過ぎてて、すっかり残念なお姉さん扱いだが。
勇太が荒れた時は彼の周りから友達が消えていったが、郁己だけは変わらずに近くにいた。
だからこそ、勇太は郁己に依存しているところもあったのだろう。
今はどうだろう。
勇太と郁己の周りには、たくさんの仲間達が集まってきている。
「色々あって、不安は希望に変わったんじゃないかね」
「なんだよそれ、かっこつけてんの」
ぷっと勇太は笑った。
毎日、勇太と会話をしている。
だから、小さな変化には気づかないのかもしれない。だが、あの頃と比べてみると、勇太の中にあった刺々しい物の角が取れ、徐々に丸くなっていっているのを感じる。
それはまあ、いいことなんじゃないかな、と言うのが郁己の思いだ。
すっかり体も女になってしまっていて、最近ではメンタリティも、少しずつ女の子よりになってきている。
この後どうなってしまうかなんてのは考えもつかないけれど、まあ俺ができるかぎりついていてやろう、と郁己は考えるのだ。
気が付くと、勇太はすっかり郁己に体重を預け、眠りに落ちていた。
郁己の肩を枕にして、やや横向きになって寝息を立てている。
すぐ近くに顔があった。中学の頃よりふんわりとした、女の子の寝顔だ。
郁己は、シートベルト代わりに彼女の腰をしっかり抱くと、自分もまた、まぶたを閉じていった。
七月が終わり、8月になります




