長雨と、梅雨の季節のお弁当。雨も止めば……
全くイベントが無い時だって、日常のちょっとしたことが、それだけで立派にイベントになるのです。
雨模様の下で、毎日の登校はちょっと憂鬱になるものだ。
湿った空気、ぬかるむ足元、跳ねて衣類を濡らす水飛沫。
手にした傘も邪魔なら、コートだって暑苦しくて重い。
だから、学園に通う生徒たちは皆、雨が好きではない。
「はははははは! 全然濡れない! 全然濡れないぞ!」
「待て勇太ぁっ! こっちは傘付きなんだぞぉぉっ!!」
窓の下を二人で走りすぎていく影を見て、生徒たちは目を丸くした。
何であの人達あんなテンション高いの。
勇太の、レインコートと長靴から生み出される雨中の全能感。コートのフードには透明なひさしが付いているから、前から振りかかる雨にも無敵。
既に郁己も、傘の下にはレインコートを着用していた。
この幼なじみと戦うためにはフル装備でなければ衣服が持たない。
体力をガンガン使って走り続け、ようやく到着した学校。
郁己は勇太に肩を支えられて教室に入る。
「おおー、お前ら夫婦、雨の中で異常に元気なのな」
和泉に声をかけられて、
「だっ、誰が夫婦かっ」
と返す元気があるのは勇太だけ。郁己はしんなりとしおれて、大体一時間目が始まるまでは復活してこない。
死んだ魚のような目で、郁己はクラスを見回す。
薄着になったクラスメイト達は、この絡みつくような湿気の中で開放感に包まれているのか、饒舌である。
クラスはいつもよりも賑やかで、ホームルームが始まるまでのひと時を、みな好き勝手に動きまわっている。
男子は普通のワイシャツだが、女子のピンクのブラウスは可愛い。
人によっては身体のラインが出るので、気にしてニットやベストを着ている子もいる。
勇太は暑苦しいのが嫌だとかで、どうどうとブラウス一枚。
先日も見たとおり、レインコート派の彼女は汗で布地が透けて見える。
意識が朦朧としているから、その艶やかな姿がまるで幻影のように映るのだ。
いよいよ一週間連続の雨。
生徒たちの気持ちも心なしかどんより。
男子たちの気持ちは薄着の女子たちに、少しウキウキ。
もちろん、女子たちだってイケてる男子の薄着には目がないわけで。
「坂下、最近、身の危険を感じるんだ」
和泉がさも辛そうに、唐揚げを口に運んだ。
弁当時である。
この季節の弁当は傷みやすい。和泉のご飯の上には、燦然と日の丸が輝いていた。クエン酸パワーである。
「女子たちの憧れが柔肌に突き刺さるってか。もてる男はつらいよな」
「もてるのは本当に好きな女だけでいいのだ」
「お前は男にもそのうち刺されそうだなー」
二人でもっしゃもっしゃと飯を食う。
坂下家は何を考えたのか、弁当が寿司である。わさびたっぷりである。
冷茶で流しこみつつ、ひたすら食う。かっぱ巻き、いなりずし、卵巻き、カリフォルニアロール。
「坂下の弁当、アバンギャルドだな」
「よし、俺のカリフォルニアロールをやろう」
「俺は昼飯でアボカドが食えるとは思ってもいなかったよ」
男二人で顔をつきあわせているが、こうでもしないと和泉は女子たちにさらわれてしまう。
イケメンも辛いのだ。
特に、和泉の内面はおバカなことをしたい男子である。
女子たちの理想を押し付けられるのはいささか辛い。
と、そこへ、
「どーん!!」
机が2つ叩きつけられた。
「ぎゃぴい」
か弱い男二人が悲鳴を上げる。
見ると、でっかい女子とちっちゃい女子が机をくっつけてきていた。
「オカズ交換してんの? お…私もやるやる!」
今、勇太、俺って言いかけたな。
「私の弁当は出来合いのお惣菜詰めてきてるんだけど」
勇太からはガッツリ系の肉巻き野菜、夏芽からはレンジでチンする春巻きがしんなりした奴が来た。
思いの外バリエーションに富んだ昼食になったものである。
四人は互いにおかずをトレードしながら食事を楽しんだ。
「坂下、昼ごはんアバンギャルドだよね」
「おう、さっき和泉に言われたわ」
「郁己、なんでお寿司なの?」
「姉貴が今寿司作るのにはまってるんだよ」
「あー」
勇太が生暖かい笑顔を浮かべる。
「じゃあ、しばらく不思議なお寿司が昼ごはんだねえ」
「うむ、いつでも分けてやるぜ」
「うん、協力するよ」
二人のやりとりを見て、和泉も夏芽も、こいつら通じあってるなあ、って顔になる。
そりゃもう、周囲からは付き合ってる認定をされるに決まっているのだ。
やがて、昼食が終わる頃になると、長雨は次第にぱらつき、教室の窓から望める山間に一条の光が差し込むようになった。
昼休み時間は終わろうとしていたが、雲間から差した陽の光は、山をまたぐような、見事な虹を描き出す。ふと顔を上げた勇太がそれに気づいて、身を乗り出した。
すぐ真横には郁己。
「うわあ、でっかい虹だ……!」
「むぎゅう」
窓と勇太の胸の間で押しつぶされる郁己。
「雨もいいけど、晴れもいいよね!」
城聖学園は山一つを削って作られた学校。
勇太の言葉に、今日は一緒に遊歩道をぶらつこうかな、なんて考える郁己だった。
もしかしたら、こんな虹がまた見られるかもしれない。
次回、郁己が一歳年をとる。




