5
本編に戻りました
旅路は順調に進んでいた。
一行は馬車を進めつつ、数日にわたり街々を経由した。
クラウディア領内の街道は整備が行き届き、小さな宿場町も活気を保っている。立ち寄った街では、商人や旅人たちが夕餉の席を賑わせ、子どもたちが路地を駆け回る姿があった。
先頭には若い護衛兵ロニーが馬を走らせ、街道の様子を絶えずうかがっている。
そのすぐ後ろを数名の護衛が続き、馬車の隣にはキミトフが並走していた。
窓越しに横へ視線を向ければ、クラウディアの眼差しに気付いたキミトフがわずかに顎を引く。
無言の合図に、馬車の揺れとは別の安心感が生まれる。
窓越しにその様子を眺めながら、クラウディアは小さく呟いた。
「――領内は、まだ安定を保っているな」
やがて領地を抜け、境界を越えてグラーツェル領へと足を踏み入れた。
――変化はすぐには現れなかった。
だが進むごとに、違和感は確かに積み重なっていった。
街道脇の草刈りは滞り、雑草が石畳を侵食している。かつて見張りに使われた小屋は扉が外れ、雨風にさらされていた。
馬上のキミトフが振り返り、声を潜める。
「……管理の手が追いついていないな」
そのとき、先頭を行くロニーが手を高く掲げた。
異変を察したキミトフは即座に声を張り上げる。
「――止まれ!」
護衛たちが一斉に手綱を引き、馬車の進みも緩む。
キミトフは馬を進め、ロニーのもとへ駆け寄った。
道端には、割れた荷箱や焦げた布切れが散らばっている。
ロニーは鞍の上から身を乗り出し、低く呟いた。
「……旅人が襲われた痕跡かもしれません」
キミトフは短く頷き、状況を確かめると馬首を返す。
そして馬車の窓辺に寄り、クラウディアへと報告した。
「クラウディア様、前方に荷の残骸があります。おそらく賊に襲われた跡と見られます」
クラウディアは小さく目を細める。
つい最近、グラーツェル領の商業ギルド長から一通の手紙が届いていた。
――もしお立ち寄りいただけるのなら、ぜひお会いしたい、と。
「……やはり、ただの噂ではなさそうね」
クラウディアは低く呟き、前方へ視線を向けた。
キミトフは馬首を寄せ、声を潜める。
「クラウディア様……進まれますか、それとも一度引き返されますか」
窓辺から彼を見やり、クラウディアは一瞬きょとんとした表情を見せた。
「賊に道を譲る習慣は、うちにはないわ。まして――あなたがいるのでしょう、キミトフ」
キミトフは短く息を吐き、頬をわずかに緩めた。
「承知しました。――全員、警戒を高めつつ前進!」
号令を受け、ロニーが馬を走らせる。
重苦しい空気を抱えつつ、一行は再び街道を進み始めた。
その刹那――。
ヒュッ、と風を裂く音が走り、先頭のロニーの肩口をかすめて矢が突き刺さる。
「敵襲!」
ロニーが声を張り上げ、馬を翻す。護衛たちは一斉に剣を抜いた。
キミトフは馬車の脇に位置を移し、迫り来る賊を横合いから斬り払う。
剛剣がうなり、ひと振りごとに賊が地に沈んでいく。
「バカ共が……!」
外では剣戟と怒号が飛び交い、馬のいななきが混じり合っていた。
だがそのすぐ横で、クラウディアは馬車の中に腰を掛け、涼しい顔でティーカップを傾けていた。
熱を失いつつある香気を確かめると、細い指がカップの縁をなぞり、わずかに肩が落ちる。
「……香りが少し飛んでしまったな」
やがて戦いの喧騒は途切れ、残るはロニーと一人の賊のみ。
若い護衛は必死に剣を振るい、ついに賊を地に伏せさせた。
キミトフはその様子を見届け、口の端をわずかに上げる。
「……聞いた通り、腕は立つようだな」
息を整えたロニーが、馬首を巡らせ報告する。
「賊、排除完了!」
だがキミトフは首を振り、街道脇の林を指差した。
「まだ終わりじゃない。矢は最初、あの方向から飛んできた。――見てこい。一人で行けるな」
「了解!」
小柄な体を鞍に沈め、ロニーは馬腹を蹴り、矢のように森へと駆けていった。
一方その頃、クラウディアは新しい茶器へと手を伸ばしかけ、ふと動きを止めた。
外の喧騒をよそに、二杯目を口にするべきか否か――その些細な選択に、静かに思案を巡らせていた。