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タリヤは一瞬だけ目を見開き、元気よく返事をした。
「……はいっ!」
クラウディアはその声音を聞き届けると、机上の書類へ視線を戻す。
さらさらと走るペン先が、要点を淡々と記していく。
王都の治安悪化、王宮の動向、影の監視、そして近隣領主や商業ギルドの情報。
諜報員の報告を整理し、今後の方針を簡潔にまとめると、クラウディアはインクの染みを乾かすように軽く紙を振った。
「……よし」
静かに息を吐き、立ち上がる。
外套を肩にかける仕草に、執務室の空気が一段と張り詰めた。
「それでは、今から領地を離れる」
唐突な言葉に、マイルズとキミトフが同時に顔を上げる。
「も、もう出られるのですか?」
クラウディアは一瞥をくれ、迷いなく答えた。
「さっきも言った通り、現在の王都は導火線に火がついた爆弾だ。
導火線の長さが分からぬ以上、動けるうちに動くしかない」
マイルズが唾を飲み込む。
キミトフは眉間に皺を寄せ、机上の紙束へ視線を落とした。
クラウディアは静かに続ける。
「大まかな方針はここに記したとおりだ。細部や不明点は随時確認すればいい。
緊急時には現場で判断して構わない。……状況に変化がなくても報告を上げろ。
“変化がない”ということが、時にもっとも重要な情報になる」
力強い言葉に、二人は即座に頷いた。
「……で、どこへ向かわれるのです?」
クラウディアはわずかに間を置き、低い声で答えた。
「――グラーツェルだ」
交易都市グラーツェル、兵站の要であり、商人たちの往来が絶えぬ街。
王都の混乱が波及すれば、最も早く、最も深く揺らぐ場所でもある。
クラウディアの瞳に迷いはなかった。
その一言に逆らえず、執務室の空気が静かに収束する。
「では……私が代わりに向かいましょうか」
マイルズが控えめに進言する。
クラウディアは一瞬だけ視線を向け、淡々と首を振った。
「却下だ。平時なら任せても問題はない。だが今は時間がない。――マイルズ、お前は屋敷に残り、司令室として報告と伝令を統括しろ」
「……承知しました」
悔しさを隠しきれずに眉をひそめながらも、マイルズは頷く。
クラウディアは次にキミトフへ視線を移す。
「キミトフ。兵舎から数人、腕利きを連れてこい。護衛に当てる」
「了解です」
短く答えるキミトフの声音には、任務を得た誇らしさがにじんでいた。
「それと、タリヤ」
名を呼ばれた諜報員は、少し肩を跳ねさせる。
「は、はいっ」
クラウディアは淡々と告げた。
「両親に顔を出してやれ。心配していたぞ」
一瞬きょとんとした後、タリヤは苦笑を浮かべる。
「……クラウディア様らしいっすね。……わかりました、行ってきます」
「私も一旦部屋に戻り、支度を整える。太陽が落ちる前に出立だ。準備が整い次第、屋敷の前に集合せよ。――わかったな」
「はい!」
三人の声が揃い、クラウディアは背を向けて執務室を出ていった。
扉が閉じる。
残された三人はしばし黙し、それぞれの胸に思いを抱いた。
「……クラウディア様、働き過ぎで倒れないか心配っす」
タリヤがぽつりと漏らす。
キミトフは腕を組み、険しい表情で応じた。
「状況が状況だ。仕方がない。俺たちは準備を急ぐぞ」
マイルズは小さく息をつき、机上の書類をまとめ直す。
「出る前に、皆に渡された報告書を複写しておこう。キミトフ、兵舎で最近入った新入りがなかなか腕が立つらしい。連れていけ。……部隊長のお墨付きだ」
「ほう……あの地獄の部隊長が認めるなら問題ないな」
キミトフの目が鋭さを増す。
「私は王都に戻る前に、親に顔を見せてきますよ」
タリヤが軽口を叩きながらも、その声色にはほんのわずかに寂しさが混じる。
マイルズは淡々と帳簿にペンを走らせながら答えた。
「俺は今回はお留守番か……。タリヤ、キミトフ、何かあったら即座に連絡をくれ」
二人が同時に頷く。
やがて執務室の空気は再び動き出し、それぞれが任務に向けて散っていった。
物語の構成は正直、この先きちんと収まるかどうかはまだ未知数です。
ただ、大まかな道筋は見えてきているので、このまま一歩ずつ進めていこうと思います。
それから今回、執筆中のノリで次回紹介されるであろう新入りを登場させてみました。
まだ性格や立ち位置は固まっていませんが、面白いスパイスになる可能性もあるので、様子を見ながら膨らませていければと。
(出番が増えるかどうかは、執筆の流れ次第です)
また、今後は登場人物が多くなりすぎないようにバランスを見ながら進めたいと思います。
メインとなるクラウディアを中心に据えつつ、脇役は必要に応じて整理していく予定です。
引き続きお付き合いいただければ幸いです。