2【短編の続きはここから】
ここからが短編からの続きになります。
今までのあらすじ
シュトラール家令嬢クラウディアは、学院食堂で王子からの婚約破棄を受け入れた。
だが彼女は動揺することなく領兵と監査役を引き上げ、自らも領地へ帰還する。
その結果、王都は規律を失い、腐敗と混乱へと傾いていく――
――
春先の婚約破棄騒動から、すでに夏の盛りを迎えていた。
王都では未だ余波が尾を引き、腐敗と不満がじわじわと膨らみ続けていると噂が届く。
だがシュトラール邸では、日々の政務が変わることなく積み重ねられていた。
シュトラール邸・執務室。
クラウディアは机上に積まれた書類へ視線を落とし、マイルズとキミトフを相手に淡々と仕事を進めていた。
机の脇に控えるマイルズは、すらりとした立ち姿を崩さず、整った所作で書類を手渡す。
護衛部隊あがりとは思えぬほど端正だが、その落ち着きの奥には実務と武を兼ね備えた柔軟さが潜んでいた。
一方、斜め前に腰掛けるキミトフは、がっしりとした体格に似合わず帳簿を几帳面に捌いている。
兵舎で鍛えた実直さと、戦場仕込みの冷静さがにじむ彼は、言葉少なながらも場を支える柱だった。
その最中、扉が二度、軽やかにノックされる。
「……入れ」
クラウディアの低い声に応じて、扉が開いた。
現れたのは、旅装に身を包んだ女――諜報員のタリヤだった。
「おつかれさまでーす、クラウディア様! 只今戻りましたっす!」
返事を待ちながら足取りも軽く弾むタリヤ。
栗色のショートボブが肩先で静かに揺れ、人懐っこい笑みがこぼれる。
陽気な声と仕草は軽やかだが、その瞳の奥には常に油断のない観察眼が光っていた。
元気よく片手を上げる仕草に、室内の空気が一瞬だけ緩む。
クラウディアはふっと口元に笑みを浮かべた。
「……口調が戻っていないぞ、タリヤ」
「あちゃー……やっぱ口調戻ってなかったっすか。こういう仕事してると、もうどっちが本当の自分かわからなくなってきたっすよ」
彼女の明るい声に、キミトフとマイルズが苦笑する。
クラウディアは視線を落とし、淡々と答えた。
「人間は誰しも仮面をかぶって生きている。場に応じて姿を変えるのは弱さではなく、力だ」
クラウディアは少し言葉を区切り、ペン先を机に置いた。
「そして大事なのは、仮面の数ではない。自分という軸が揺らがぬ限り、どの仮面をかぶろうとも問題はない」
クラウディアの冷徹な言葉に、タリヤは首を傾げた。
「本当にそうなんすか? ……じゃあ、クラウディア様も?」
クラウディアは一瞬だけ視線を外し、窓の外に目をやる。
曇天の向こうに、淡い光が差し込んでいた。
「……私も、人並みに夢を見ることはある。王都のゴタゴタを気にせず、静かな家庭を築いて、ささやかな幸せを享受する――そんな生活を」
クラウディアはわずかに目を細め、続けた。
「もしそんな時が訪れるなら……そのときは私も、それにふさわしい仮面をかぶるだろう」
タリヤは目を丸くした。
「だが、それは選べぬ道だ。私には領民を守る役目がある。……それに、この仕事が嫌いなわけでもない」
短い沈黙が流れる。
タリヤは苦笑し、肩をすくめた。
「……クラウディア様にも、そういう夢があるんすね」
クラウディアは再び机上の書類へ視線を落とし、口調を引き締めた。
「さて、報告を聞こう」
タリヤは一歩前に出て、背筋を正す。
「はっ!」
声に勢いがこもり、室内の空気が張り詰める。
「では報告を。王都の治安は緩やかに悪化傾向にあります。王室に対する抗議やデモはまだ起きていませんが、市民の不満は確実に溜まりつつある状況です」
クラウディアは頷き、続きを促した。
「王宮では、シュトラール領に軍を率いて攻めるといった案は現状出ていません。……ですが、いずれ不満の矛先を逸らすために、我らがスケープゴートにされる可能性は考えられます」
タリヤは報告を区切ると、一度視線を上げた。
クラウディアが静かに問いかける。
「――王家の影はどう動いている?」
「確認できた限りでは、大きな動きはありません。今のところ表立った弾圧はまだ行われていませんが、王家の影が人々を監視し、不満が大規模化しないよう細かく動いているようです」
クラウディアは短く頷き、手元の書類に視線を戻す。
「……そうか」
ペン先が一瞬止まり、低い声が続いた。
「暴動が起き、弾圧で死人が出るのも時間の問題だ。王都から離れた我が領地とはいえ、最悪のケースに備えねばならんな」
クラウディアの声は低く、しかし揺るぎなかった。
「兵站を見直し、備蓄を増やせ。難民が流れてきても混乱せぬようにしておけ。
タリヤ、王都の情報網をさらに拡張しろ。王家の影がどう動くか逐一報告せよ。
……そして民に伝えろ。我らの領地は揺るがぬ、と」
キミトフとマイルズが力強く頷く。
タリヤもまた「はっ!」と勢いよく返答した。
クラウディアは一呼吸置いてから、淡々と続けた。
「加えて、近隣の友好領主や商人ギルドとは私の方で直接連携を取る。
王都が混乱すれば、まず物流と通商が止まる。――その時に備え、こちらの網を張っておく」
そして彼女は最後にタリヤへ視線を向ける。
「最後に王都に潜んでいる諜報員全員に伝えろ。――私の許可なく死ぬな。これは命令だ」
タリヤは一瞬だけ目を見開き、元気よく返事をした。
「……はいっ!」
規律の令嬢 ― 婚約破棄は王都崩壊の序曲の続編、如何でしょうか?
短編からわざわざ来ていただいた方も新規で見つけてくださった方も、読んでいただきありがとうございます。
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