第九話
士官学校入学から1か月後、第四講義室に候補生たちが集められた。
一班5人。初めての小隊級図上演習が始まろうとしていた。
今回の舞台は、ボスニア=ヘルツェゴヴィナ北部に設定された架空の村。
小さな川と段丘、数軒の農家と二本の街道が描かれている。
与えられた任務は、友軍から切り離された歩兵小隊として翌朝までその村を保持すること。
黒板の脇には訓練教官が直立していた。動かない姿勢、簡潔な声。
「各班、自主的に指揮構造を定め、戦術計画を三十分以内にまとめよ。諸君、これが現場での初任務だと思え」
アントンの班には、ユーリの姿がある。
彼のおかげか、最近では多くの同期がアントンの立場を過剰に意識することなく、集中できるようになっていた。
班の卓についたアントンの班はすぐに議論を始めた。
「敵は南西から侵入する可能性が高い。見通しのある段丘に選抜射手班を配置して、ここを主火点にするべきだ」
ラインハルトが言った。シュタイアーマルク州出身の農地貴族の息子で、講義では時折、大胆な案を口にしていた。
「だがあそこは砲兵の格好の標的になる」
すかさずヨセフが返す。
オロモウツの士官家庭に育ち、戦術理論には明るい。
アントンは黙って地図を見つめて思考していた。
ユーリも同じく口を開かない。
だがそのとき、低い声が空気を切った。
「本質的な話をしていいでしょうか?」
アロイス・クレンナーだった。ウィーンの古貴族の家系に生まれながら、思想的には異色で、共和主義的な傾向を隠そうとしない。
表面上は礼儀正しいが、時折、共和国への熱情を隠しきれないような鋭い言葉を放つ。
「こういう演習で、君主のために村を守れと考えるから発想が硬直するのです。共和国であればもっと合理的に兵の命を使えます」
一瞬、空気が張り詰めた。
ユーリがわずかに動きかけたが、アントンが手を挙げて制した。
「君の言う合理性は興味深い。では、君ならこの任務をどう遂行する?」
アロイスは少し目を細める。
「捨てるべき村は捨てます。高地を使って戦力を保持し、夜間に撤退して友軍と再合流。
…大公殿下が納得されるとは思いませんが」
「それは教科書にある正しい撤退戦術だ。否定はしない」
アントンの声は静かだった。
「ただ、村を保持せよという命令が現場に降りたなら、指揮官がまず守るべきは命令そのものだ。共和国でも命令には従うだろう?」
アロイスは黙った。
机の下で、ユーリが小さく拳を握っているのがアントンの視界に入った。
沈黙した空気の中、やがてラインハルトが口を開いた。
「段丘の火点は捨てがたいが、夜明け前に移動可能な予備陣地を北林に設けよう。そこに二人配置して交代制にすれば、砲撃にも耐えられる」
ヨセフがうなずく。
「砲兵の問題が解決されたとは言いがたいが、時間も限られている。今回はそれでいこう。大公殿下、今回の司令役を引き受けていただけますか?」
アントンは少し息を吸ったのち、応じた。
「いいだろう。だが命令は最小限にする。君たちの判断を信頼する」
こうして、彼らの初めての演習が始まった。