第八話
昼食後の短い休憩時間。
アントンは構内の小庭園に出て、騎兵学の教本を読んでいた。
周囲のベンチには同期が何人かで固まって座り、話をしている。
アントンの方へ向く者はいなかったが、当初の緊張はもうそれほど感じなかった。
そのとき、背後から少し硬い声が聞こえた。
「……ご一緒してもよろしいですか、大公殿下。」
振り返ると、
濃い栗色の髪の候補生が一人立っていた。身なりは清潔で、姿勢も軍人らしく直立している。
アントンは少し驚きつつも返した。
「もちろんどうぞ」
候補生は礼儀正しく一礼してから、アントンの右側に腰を下ろした。
彼は少し深呼吸をし、用意していた自己紹介をした。
「士官候補生、ユーリ・メフコです。クラーゲンフルト近郊、ラディリュシャの出身です」
ラディリュシャはスロベニア南部、カルニオラ地方に位置する静かな村だった。
「ユーリ・メフコ候補生。自分からこのように名乗ってくれたのは君が初めてだよ」
そう口にしてから、少し自分でも驚いた。
言葉にしたことで、自分の中にあった孤独の形が明確になるのを感じた。
現代日本人としての記憶があるとはいえ、それでも彼はまだ14歳なのである。
ユーリは少し困ったような笑みを浮かべた。
「正直に申し上げれば、私も迷っておりました。殿下の周囲では、何か一つのミスを犯せばそれだけでよくない空気に成るので……」
「うん。私もそれは感じていた」
アントンの口調は軽かったが、その背後にある疲労感は隠せなかった。
少し沈黙が流れた。
ユーリが静かに口を開いた。
「昨日の敵襲下の防衛行動における決定案提出課題、私の寮部屋内では話題になっていました。かなり練られていたと」
アントンは驚いた。あの課題は、自分なりにかなり準備して臨んだものだったが、評価されたとは思っていなかった。
「ありがとう、私が自分で考えたんだ。ただ…皆はあまり、そういう話はしてこないね」
「皆、大公殿下に関わると報告されると思っているんです。けれど私は、大公殿下も私たちと同じ候補生であるべきだと、軍人として当然のことと思いました。」
その一言に、アントンはまっすぐ目を向けた。
彼の声には虚勢がなかった。地方の貴族階級にはない苗字、なまりのあるドイツ語、けれど教科書の言い回しには忠実で、言葉選びにも礼儀があった。
「私の父は軍人として、帝国に仕えることを誇りにしています。私も、父のような誇り高い軍人に、そう在りたいと思っているのです」
アントンは少し視線を落とし、芝の先を見つめた。
その顔には喜びを隠せない微かな緩みが浮かんでいた。
「君のような人と話せてよかった。ありがとう」
ユーリは再び小さく礼をして、黙って隣に座っていた。
しばらく二人は並んで本を読み、その時間の終わりまで、誰にも話しかけられることはなかった。
だがアントンの胸の奥には、はっきりとした変化の兆しが芽生えていた。