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第六話

入校式の翌日、初講義の朝。

アントンは自室の机に座り、硬い空気の中、講義の始まりを待っていた。


皇族がいるという緊張感が、講義室の隅々にまで染み込んでいた。


初講義は「帝国の作戦区分と軍構成」。

1年次にとっては初めて軍そのものを学ぶ機会だった。

講義室にはおよそ40名の士官候補生が整列し、木製の椅子に着席していた。アントンは中央列の最前列に指定されている。後ろに目を向ければ、誰も彼と目を合わせようとはしなかった。


その時、教官室の扉が開いた。


現れたのは教官と、その後ろに、黒髪の青年がひとり付き従っていた。上等な軍服を着こなし、年齢は20ほど。だがその動きは静かで無駄がなく、目元には冷静な光があった。

教官が彼を紹介する。


「本日の補助教官、ミロシュ・ドラゴミール候補生教官である」


その名を聞いた瞬間、アントンは目を見開いた。


忘れるはずがない。

三年前、シェーンブルンの庭園で言葉を交わしたスラヴ系の若者。

ドナウ南岸の配属を望み、祖父を敬う眼差しが印象的だった。


教官は話を続けた。

「ドラゴミールは、第3年次を最優秀で修了したが、補助教官制度により今年度まで当校に留まり、1年次の講義支援を担当している。質問などは彼にも向けてよい」


講義が始まった。

内容は帝国陸軍の構成区分――北部第1軍管区から始まり、ボヘミア、ハンガリー、ガリツィア、クロアチア、ドナウ以南の第5軍団まで。アントンは自然と、ミロシュが望んだその地名に神経を尖らせた。


ミロシュは板書を静かに進めながら、ときおり候補生に問いを投げかけた。

「第3軍管区の司令部所在地は?」

「予備師団の展開条件は?」


その口調は威圧的ではなかったが、鋭さがあった。

知識だけではなく、その人物の内面を測っているようだった。


やがて、ミロシュはアントンの方へ視線を向けた。


「アントン大公候補生。第5軍団の主要駐屯地は?」


一瞬、空気が張り詰めた。

大公殿下と呼ばずに名で呼んだことに対する戸惑いが教室全体を走った。


しかしミロシュの問いかけは、誰に対しても変わらぬ厳格なものであり、それはアントン自身にも伝わっていた。


「ブダペスト、コマーロム、そしてペーチ……です」


ミロシュはわずかに頷いた。

「よろしい。ただし、第5軍団の本部はプレスブルクである」


ミロシュはそれ以上言葉を加えず、再び別の候補生に視線を移した。


アントンは息を吐いた。

ミロシュは、あくまで一候補生として自分に問うてきた。


士官学校で受けた初めての平等な扱い。

そしてそれが、なによりも胸に響いた。


講義が終わり、候補生たちが静かに退出する。アントンは最後に席を立った。

部屋の扉近くで、ミロシュが待っていた。


「お久しぶりです、アントン殿下」


「あのとき、話してくれた第5軍団のこと……覚えています。君の故郷と、祖父のことも」


ミロシュは微笑んだ。だがその表情は、かつての庭園の時のままではなかった。

士官学校と軍で鍛え抜かれた姿だった。


「アントン殿下のご記憶に残っていたことを光栄に思います。しかし、ここでは私はただの補助教官です。職務上の距離はお守りします」


「ありがとうございます」


アントンは笑顔でそれに応えた。


それから二人はほんの一瞬目を合わせ、それぞれの方向へ歩き出した。


階級と立場を超えて再会した二人。

それはかつての庭園の対話に続く、新たな関係の始まりだった。

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