第五話
「本当に、辛い三年間だった……」
そう呟いたのは、入校式の前夜だった。本日やっと王宮での軍式教育が終了したのだ。
アントンは南方のウィーナー・ノイシュタットへと、揺れる馬車の中で静かに身を預けていた。
十四歳となった彼は、フランツ・ヨーゼフ皇帝の許しを得て、
テレジアニウム陸軍士官学校――帝国陸軍が誇る最高の士官養成機関へ、入学を果たそうとしていた。
本来、皇族は守られるべき存在である。
しかし前年のカール・フランツ・ヨーゼフ大公に続き、一つの個室が与えられ、教育係のビッシンゲン少佐が監督と記録係として寮内に常駐することで入校を認められていた。
本人は特別扱いと思っていなかったが、周囲がそう見ないであろうことも理解していた。
入校式の朝。
アントンは新しい軍服に袖を通し、礼帽を手にした。
鏡に映るのは、まだ少年の面影を残した顔。だがその瞳には、年齢には見合わない覚悟が映っていた。
「アントン様、準備は整っております」
扉を開けて告げたビッシンゲン少佐に、アントンは軽く微笑んだ。
「ここではもう大公殿下とは呼ばれたくないな」
「……いいえ。皇族である以上、どう足掻いても大公殿下は大公殿下なのです」
静かな口調に、現実の冷たさが滲んでいた。
アントンは黙って頷いた。
実際、入学前の通達で、全生徒には大公殿下に対する敬意と規律を忘れるな、という明確な指示が出されていた。
彼の存在は、士官候補生の中の一人ではなく、“皇帝の血を引く特別枠”として見なされていたのだ。
式典会場に足を踏み入れた瞬間、空気が微かに張り詰めた。
整列する制服、無言で立ち敬礼を交わす生徒たち――
士官学校でアントンに最初に与えられたものは、友情や期待などではなく、敬意のある距離と緊張だった。
その中心に立ったアントンは、深く一礼した。
「よろしくお願いします」と口にした小さな声が、誰に届いたかはわからなかった。
だが彼は、まだ知らない。
この孤独な入学の日が、やがて数多くの同志と絆を結び、
帝国の命運を背負う旅路の、確かな第一歩となることを――。
今回話に出たカール・フランツ・ヨーゼフは、オーストリア=ハンガリー帝国最後の皇帝であるカール1世のことです。
記録によると、身分上、教官や同期には常に敬意を払われており、親しい友人などを作ることは難しく、常に節度を守る必要があったとされております。また、カール大公の伝記には孤立の懸念の様子が描かれてます。