第三十九話
アントンが士官学校に戻ってから数か月が経ち、とうとう2年の冬学期が始まった。同時に、掲示板には冬季現地視察と書かれた、新しい紙が貼り出されていた。
第三分隊 行先:クロアチア ザグレブ 引率:工兵大尉カール・ホーファー
アントンの所属する第三分隊の行き先はクロアチアのザグレブ。ハンガリー管轄下にある場所であった。
——
第四講義室に行くと、ホーファー大尉が先に入口で待っていた。
「今回の現地視察について説明する。まず席についてくれ」
第三分隊の面々が席に着いたことを確認した後、軽くうなずいてから話し始める。
「よし、話を聞く準備はできたな。今回の視察は基本的に部隊の実務に準じる。期間は二週間。初週は県庁・憲兵詰所・郡倉庫と橋梁、次週は郊外と峠の路線に視察。士官学校に帰還してからレポートの提出という流れになる」
大尉は名簿をめくり、それぞれに指示を配った。
「今回の分隊長はアントン殿下。しかし、現地での交渉は私が持つ。記録係はヨセフ、測量はアロイス、時刻照合と列車運用はユーリ、道路と交通量はラインハルト。担当は日替わりで回す。それらの情報はすべて配布する用紙に記入するように」
「集合は南駅、二十時。ジダニ・モストで乗り換えになる可能性がある。ユーリはしっかりと調べておくこと。身支度は簡装。ただ凍結対策と筆記具だけは絶対に忘れるな。それと質問は現地にて受け付ける。以上。もう解散で大丈夫だ」
解散の声と同時に、五人は軽く目配せをし、軽くうなずいてからそれぞれ準備に散った。二年を共にした彼らにはそれだけで十分だった。
——
翌朝、南駅は暗く、吐いた息が白い。ホーファー大尉が先着しており、時計を見て短く言った。
「二週間。初週は市内と近郊、次週は峠と支線。列車の遅延は見込め。到着後は県庁に直行。紹介状は私が持つ。現場では見る、測る、書くこれだけだ。口論は戻ってきてからだ」
点呼。大尉が名を呼び、各自が応じる。
「ユーリ」「はい」
「アロイス」「はい」
「ラインハルト」「はい」
「ヨセフ」「はい」
「アントン殿下」「はい」
大尉は名簿を鞄に収め、乗車口を指した。
「よし、では乗れ。荷は網棚。器材は通路側に寄せるな」
扉が開き、アントンが足板を踏んで乗り込む。それに分隊が続く。車内は冷え、金具がきしむ。席に着くと、頭上の棚に荷を上げる音が続いた。
時刻照合を任されているユーリは、出発時刻に印をつけ、到着予定に小さく丸を書きこんだ。
扉が閉まり、車輪がゆっくり回り始める。窓外の街並みが後ろへ流れ、薄い雪の畑が広がる。
ホーファー大尉が通路に立ったまま、最後の確認を落とす。
「初日の配分を繰り返す。記録ヨセフ、測量アロイス、時刻ユーリ、道路ラインハルト。分隊長代理はアントン殿下。現地で指示が出るまで勝手に動くな。以上。私は隣の区画にいるから、自分の仕事をやりつつ着くまでは休んでいてくれ」
そう言い残すと、大尉は廊下の先へと消えていった。
大尉の背中を見送る沈黙を破るように、ユーリが時刻表を閉じて言う。
「一度、役割の手順を合わせておきたいです。それと遅延が出た場合の切り替えも確認させてください」
ラインハルトが頷いた。
「道路の実見は二人一組で行く。俺と大公殿下で先に線形を押さえよう。交代の合図は通路側で手短に。時間を食いたくない」
ヨセフは用紙を見ながら言う。
「項目の順番を固定したい。管轄、鍵の管理者名、容量、損耗。倉庫ではこの四つを先に書く」
アロイスは鉛筆を置いて話始める。
「橋の径間は現地基準で統一。欄干と路面は別欄に、凍結による滑りの程度は主観が混じりがちですので、できるだけ数値に寄せます」
やがて列車は小さな停車場を過ぎ、速度を上げた。駅の光が遠のき、車内の影が暗くなる。
ユーリが腕時計に視線を落とす。
「ジダニ・モストでの乗り換えが近づいてきたのでこれくらいにしましょうか」
アントンは手元の用紙から目線を上げた。
「そうだな。ではこの後は乗り換え後に仮眠をとり、明日に備えよう」
アントンの人生で最も長い二週間となる視察は、すでに始まっていた。
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