第三話
赤い絨毯で飾られた小謁見室には、暖炉の火がはぜる音だけが静かに響いていた。
この日は週に一度の定期謁見。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の前で、近況を報告する日である。
アントンは礼服に身を包み、皇帝の前で一礼した。
その所作は洗練されていたが、緊張の気配を完全には隠しきれていなかった。
皇帝は書類から目を離さぬまま、淡々と声を発した。
「アントン、こちらへ」
アントンは数歩進み、再び深く頭を下げる。
「記録係の報告を読んだ。機関銃と塹壕について言及したそうだな」
皇帝はようやく視線を上げ、その言葉にわずかな揺さぶりを込めていた。
アントンは表情を動かさぬよう努めながら、静かに答える。
「はい。これからの戦場の変化について、自分なりに考えたことを申し上げました。未熟な意見だったかもしれません」
皇帝はうなずき、椅子に身を預けた。
「学問は順調だと聞いている。だが、戦術を語るには、机上の理屈だけでは足りぬ。現場で命令の重みを知る必要がある」
そして、少し間を置いて言葉を続けた。
「テレジアニウム士官学校への進学を、考えておくように」
アントンはわずかに息を呑んだ。
たった一度、記憶の片鱗を洩らしただけで未来が動いた。
皇族として進む道の一つではあるが、皇帝自らの言葉は、ただの進路の選択ではない重さを持っていた。
「はっ。陛下」
アントンは驚きを隠しつつも深く礼をし、ゆっくりと後退しながら謁見室を退出する。
皇帝はその後ろ姿を静かに見つめ、小さく呟いた。
「ハプスブルクの未来には……おまえのような者が、必要になるやもしれんな」
その言葉がアントンの耳に届くことはなかった。




