第二十一話
あっという間に一年後期の時間は終了した。後期では、野外演習後は前期と変わらず、慣れたものであったが、アントン自身の目線は少しずつ変わっていた。
皇族としての上からの視線だけではなく、士官候補として同じ地平に立つという意識が芽生えはじめていたのだ。命令の意味を以前より深く考えるようになり、状況の一歩先を読む努力も重ねていた。
アントンは間違いなく士官候補生として成長しつつあった。
そして今日、6月。テレジアニウム陸軍士官学校一年次の昇級試験の日がやってきた。
実技、戦術知識、そして応用判断。どれもが、ただ記憶や要領では乗り越えられない。
アントンは制服の裾を整えると、廊下を静かに歩きながら心を落ち着けていた。
廊下の壁には、偉大な歴代卒業生たちの名が刻まれている。皇族、貴族、将軍、戦没者。そのどれもが「帝国の柱」として教えられてきた。
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教室に入ると、試験官たちの視線が並ぶ。
中央にいたのはベテランの戦術教官。そして、目立たぬ位置には、陸軍省の高等参事官も座っていた。
「候補生、アントン大公殿下」
「入ります」
一礼し、地図の前に立つ。机上の演習地図は、架空の村とその周囲の丘陵を描いていた。
「状況はこうです。村は一個小隊で防衛中。敵部隊は正面から接近、しかし側面への迂回の兆候もあります。補給は二日後。連絡は制限的。大公殿下なら、どう布陣し、どう判断を下しますか?」
アントンは地図に視線を落とす。山と川、斜面と小道。頭の中で風景を構築する。
(戦力が限られているなら、正面を固めすぎては駄目だ。視認と展開に余地を残す必要がある)
彼は静かに口を開いた。
「防衛線は村の東端ではなく、一段下がった地点に設けます。狙撃点は丘上。側面の迂回に備え、第二分隊は逆斜面に潜ませ、敵主力の分断を狙います」
試験官たちの手が、何かを記録していた。
回答を終えると、しばらくの沈黙が続いた。
最後に、戦術教官が口を開いた。
「大公殿下。全体として論理は一貫していますが、同時に指示された中で最も安全な解を選んだように思えました」
アントンは顔を上げた。
「大公殿下が志すのは将校です。部隊を導く者が、時に判断を恐れれば、それは部下の死を意味します。いざという時には、安全な策よりも最適な策があるという事を、覚えておいてください」
中佐は、アントンの目をまっすぐに見つめた。
「命令に従うのは兵士の美徳です。しかし、命令を超えて考えるのが士官の責務でもあります。大公殿下には今後。それができるようになれる事を期待しています」
それは叱責ではなく、期待の表れだった。
数日後、試験結果が告げられた。
「アントン大公候補生。総合成績は上位。全課程修了と進級を許可する」
教官の口調は淡々としていたが、文言の中には確かな評価が込められていた。だがそのあと、担当の中尉が一歩前に出て、低い声で付け加えた。
「非公式ではありますが、殿下には特別課程への打診が来ております。皇帝陛下ご自身の関心も、少なからずあるようです」
アントンは少しだけ眉を動かした。
「打診ということは、私が選ぶことなのですか?」
「はい、大公殿下。命令ではなく、打診です。選択の自由がございます」
「その内容は教えてもらえますか?」
「いえ、まだ内容はお教えすることはできません。正式な打診が届いた時に説明いたします。その時にご判断ください。ただ、私が思うに、この話は大公殿下に取って良い選択だと思います」
アントンは一瞬だけ思考し、静かに頷いた。
(この打診は、私の世界を広げるために必要なことかもしれないな)
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その夜、寄宿舎の窓を開けると、夏の空にまだ淡く残る夕映えが広がっていた。喧騒も、威光もない静かな時間のなかで、彼は遠い地平を見つめていた。
彼は今、走り始めたばかりだ。
何を目指しているかはまだ分かっていない。だが、それでも彼は走っているのだ。
文字数についてアドバイスをいただけたので、次から取り入れてみたいと思います。ありがとうございました。




