第十八話
夜の帳が静かに下りる頃、テレジアニウム陸軍士官学校の寄宿舎は、いつもとは違う空気に包まれていた。
廊下には靴音が交差し、食堂では誰もがいつも以上に口数が少なかった。それは、壁掛け時計の針が進む音が、やけに大きく感じられるほどだ。
アントンは自室の机に向かって、明朝の集合時刻が記された命令書を確認していた。今期の野外演習、それは入学後初めての本格的な戦術行動であり、教室の中とは比べものにならない実地経験が求められる。
野外演習にアントンは、一候補生として、班の一員として行動する。
それは校内で行う訓練とは、緊張感が違うことは分かっている。
灯火を落とす前、窓の外に目をやると、雪が静かに降り始めていた。
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夜明けとともに、候補生たちは荷を背負い、ノイシュタット郊外の演習地へと向かう列に加わった。
白く閉ざされた原野の先に、林と小高い丘が連なっていた。息は白く、風は頬に鋭くあたる。
アントンの班の第三班は、各小隊の中でも最も移動距離のある補助行動部隊として割り当てられた。
雪をかき分け、重い足取りで丘を越え、林の中へ入る。銃と毛布と簡易な携帯食を持ち、泥に足を取られながらの行軍は、思った以上に骨が折れた。
(これは机の上では学べなかったな)
次第に息が切れ、膝に痛みが走る。それでも口に出す者はいなかった。誰もが互いを見ながら、励まし合うわけでもなく、ただ一歩ずつ進んだ。
正午を過ぎ、ようやく最初の宿営地点に着く。
「ここを仮設野営地とする。火の確保と監視班をローテで」
上級候補生の指示が飛ぶと、それぞれが黙々と手を動かし始めた。
アントンは雪をかき分けて薪を探し、小枝を集め、火床を整えた。誰かが鍋を持ち、誰かが雪を溶かして湯を沸かす。
軍人である前に、人としての最低限の生活がここにはあった。
焚き火にあたりながら、アントンは少しだけ目を閉じた。
(ここで何を学べと言われているのだろう)
教本には書かれていない経験を、アントンは確かに実感していた。
同じ地面で寝て、同じ空気を吸って、同じ重さを背負う。
命令が上から降りてくるだけのものではないと、少しだけ思えた。
命じる側も、命じられる側も、雪で手を濡らしていた。
「大公殿下、交代の時間です」
声に気づき、アントンはゆっくり顔を上げた。
そこには、白い吐息の中、寒さに肩をすぼめた同期の候補生が立っている。
手に残る焚き火のぬくもりを名残惜しみながら、アントンは静かに立ち上がった。
演習初日、空は夕刻に染まり、日が落ちる頃にはすっかり空気が凍りついていた。
だが、アントンの表情に戸惑いはなかった。
演習内で、見えるものは確かにあった。
それは、学問でも血統でもない、共にいるという感覚だった。
まだ答えは出ていない。
だがそれは、将来道を選ぶための、大切な起点になる気がした。




