第十六話
クリスマスの祭が過ぎた後、街には年の瀬特有の空気と、どこか乾いた余韻が漂っていた。
その朝、アントンは、宮廷の厩舎前で立ち止まっていた。
肩に外套をかけ、軍制礼服の襟を正すと、深く冷え込んだ空気が胸を満たす。
「あなたは、制服でよろしいの?」
母であるマリア・テレジア大公妃がそう声をかける。
「はい。こういう場所だからこそ、きちんとしていた方が良いと思いました」
「あなたらしいわね」
その言葉には、どこかしら割り切った響きがあった。
アントンが士官学校に入学したのは、自分の望みではない。
皇帝フランツ・ヨーゼフが「テレジアニウム士官学校への進学を、考えておくように」と一言述べた。それがすべての始まりだった。
彼はただ、命じられたから軍人になった。
馬車はヴェーリンガー通りを進み、やがて児童保護施設の前で止まった。
出迎えた修道女は丁寧に礼を取り、母とアントンを施設の中へと案内する。
中庭には、子どもたちが毛布にくるまりながら整列していた。
「ようこそお越しくださいました、大公妃殿下、大公殿下」
母は軽くうなずき、そっと視線を落とした。
アントンもそれに倣って帽子を取り、一歩前に出る。
ひとりの少女が、アントンの制服を見上げて目を見張った。
「君の名前は?」
「マリア…父様は、役場の夜警中…誰かに刺されて…」
言葉に詰まったその少女に、アントンはしばらく何も言えなかった。
アントンの父も、幼い頃に腸チフスで亡くなった。だがアントンにとってその事実は、彼女とは違い、どこか出来事としてしか残っていない。
彼はふと、無表情に言った。
「私の父も、同じようにいなくなったよ。だから、わかるとは言わないけれど…」
少女は、何も言わずに頷いた。
その小さな動きが、アントンにはどんな言葉よりも重かった。
少女の次は、6歳ほどの少年が話しかけてきた。
「殿下って、戦う人なの?」
「…たぶん、そうなると思う」
「じゃあ、なんで軍人になるの?」
その問いは、正直だった。まるで心をそのまま投げかけられるようだった。
アントンは一瞬迷ったが、ありのままを答えた。
「命じられたからだ。…皇帝陛下から命を受けた。それがきっかけだった。でも…今はどうなんだろうな」
少年は少し黙ってから、ぽつりと返した。
「それって寂しくない?」
アントンは返せなかった。
その問いの裏にあったものを理解するには、まだ彼自身の中でも答えが足りなかった。
母はその間、女官と共に手袋や飴、乾いた果物の包みを子どもたちに配っていた。
そのどれもは小さな贈り物にすぎないが、母は一人一人と目を合わせて微笑みを贈っていた。
アントンはその様子を眺めながら、ふと自分の手元を見つめる。
自分には何ができたのか。何を渡すべきだったのか。
その答えはまだわからない。ただ、彼は今日、声を聞いた。それだけは確かだった。
帰りの馬車で、母がぽつりとつぶやいた。
「あなたは、与えるよりも受け取ることの方が多かったのかもしれないわね」
「…どういう意味ですか?」
「与える立場のつもりでも、人の目を見て、耳を傾けて、気づいたことがたくさんあったでしょう? それは受け取ったということよ」
アントンはしばらく外を見つめていた。雪の降りかける街角を、馬車はゆっくり進む。
「今日、私は誰かと向き合う者であろうとしたのかもしれません」




