表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/38

第十六話

クリスマスの祭が過ぎた後、街には年の瀬特有の空気と、どこか乾いた余韻が漂っていた。


その朝、アントンは、宮廷の厩舎前で立ち止まっていた。

肩に外套をかけ、軍制礼服の襟を正すと、深く冷え込んだ空気が胸を満たす。


「あなたは、制服でよろしいの?」

母であるマリア・テレジア大公妃がそう声をかける。


「はい。こういう場所だからこそ、きちんとしていた方が良いと思いました」


「あなたらしいわね」


その言葉には、どこかしら割り切った響きがあった。

アントンが士官学校に入学したのは、自分の望みではない。

皇帝フランツ・ヨーゼフが「テレジアニウム士官学校への進学を、考えておくように」と一言述べた。それがすべての始まりだった。


彼はただ、命じられたから軍人になった。



馬車はヴェーリンガー通りを進み、やがて児童保護施設の前で止まった。


出迎えた修道女は丁寧に礼を取り、母とアントンを施設の中へと案内する。

中庭には、子どもたちが毛布にくるまりながら整列していた。


「ようこそお越しくださいました、大公妃殿下、大公殿下」


母は軽くうなずき、そっと視線を落とした。

アントンもそれに倣って帽子を取り、一歩前に出る。


ひとりの少女が、アントンの制服を見上げて目を見張った。


「君の名前は?」


「マリア…父様は、役場の夜警中…誰かに刺されて…」


言葉に詰まったその少女に、アントンはしばらく何も言えなかった。

アントンの父も、幼い頃に腸チフスで亡くなった。だがアントンにとってその事実は、彼女とは違い、どこか出来事としてしか残っていない。


彼はふと、無表情に言った。


「私の父も、同じようにいなくなったよ。だから、わかるとは言わないけれど…」


少女は、何も言わずに頷いた。

その小さな動きが、アントンにはどんな言葉よりも重かった。


少女の次は、6歳ほどの少年が話しかけてきた。


「殿下って、戦う人なの?」


「…たぶん、そうなると思う」


「じゃあ、なんで軍人になるの?」


その問いは、正直だった。まるで心をそのまま投げかけられるようだった。


アントンは一瞬迷ったが、ありのままを答えた。


「命じられたからだ。…皇帝陛下から命を受けた。それがきっかけだった。でも…今はどうなんだろうな」


少年は少し黙ってから、ぽつりと返した。


「それって寂しくない?」


アントンは返せなかった。

その問いの裏にあったものを理解するには、まだ彼自身の中でも答えが足りなかった。


母はその間、女官と共に手袋や飴、乾いた果物の包みを子どもたちに配っていた。

そのどれもは小さな贈り物にすぎないが、母は一人一人と目を合わせて微笑みを贈っていた。


アントンはその様子を眺めながら、ふと自分の手元を見つめる。


自分には何ができたのか。何を渡すべきだったのか。


その答えはまだわからない。ただ、彼は今日、声を聞いた。それだけは確かだった。



帰りの馬車で、母がぽつりとつぶやいた。


「あなたは、与えるよりも受け取ることの方が多かったのかもしれないわね」


「…どういう意味ですか?」


「与える立場のつもりでも、人の目を見て、耳を傾けて、気づいたことがたくさんあったでしょう? それは受け取ったということよ」


アントンはしばらく外を見つめていた。雪の降りかける街角を、馬車はゆっくり進む。


「今日、私は誰かと向き合う者であろうとしたのかもしれません」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ