第一話
1895年夏、ヘッツェンドルフ宮殿自室
朝日が差し込む部屋で、乳母が起こしに来るには早いというのに、5歳のアントン・マリア・フェルディナントはベッドの縁に腰を掛け、茫然としていた。
つい先ほどまで見ていた夢を、どうしても忘れることができなかったのだ。
見たこともないほど眩しい街並み。高層の建物が立ち並び、鉄の乗り物が無数に走り回っている――そんな場所で暮らしている夢だった。
夢にしてはあまりにも鮮明で、気がつくと目からは涙があふれていた。
夢の最後に聞こえた「さようなら」という声。その言葉が、耳から離れない。
「……これは……僕の記憶?」
その瞬間、頭にバチッと電撃が走ったような感覚があった。
まるで、それが“正解”だと告げられたかのように。
アントンはふらふらと立ち上がり、机に向かう。その上には誕生日にお母様—大公妃マリア・テレジアが贈ってくれた地図帳が置かれていた。
ゆっくりとページを捲り目的の場所を探す。
ヨーロッパ、アジア、そして目的の場所をついに見つけた。
開かれたページには極東の島国である【日本】が描かれていた。
「……知っている。でも……どうして?」
その言葉に答える者はなかった。
不意に、扉の向こうからノックの音がした。
「殿下、そろそろお着替えの時間でございますよ」
乳母の声だった。
アントンは慌てて地図を閉じると、ベッドに戻った。
まだ言葉にはできない。しかし、アントンの心の奥底で何かが確かに目を覚ました。
それは彼に、そしてハプスブルクに、いったい何をもたらすのか――。
史実には存在しないフェルディナント・カール・ルートヴィヒ大公の3男が今回の主人公です。
母となるマリア・テレサが、主人公が生まれた1890年に35なのであり得るかなって思いました。
血筋としてはサラエボ事件で暗殺された皇太子であるフランツ・フェルディナント大公の弟で、最後の皇帝であるカール1世の叔父(カール1世よりも主人公は年下)となります。
主人公の正式名称は
アントン・マリア・フェルディナント・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン
とかになるんですかね。