航平の誕生日
「転勤…?」
「ああ」
都市部の車が行き交うビル街の大通りの前に多門が勤める大手食品メーカー「丸川食品」はあった。
その社内の一室で多門と人事部長が話している。
部長はブラインドから外を眺めながら続ける。
「営業所の所長が急病で退職する事になってな。急遽経験者が必要になった」
「そうなんですか…」
「なに、うまくいけば5、6年で戻って来れるだろう。それに、君もあんな事があって今はお客様相談室に回されているが、これを機にまた上を目指せるかもしれん」
「や、しかし私は」
多門が渋る。
「君には願ってもないチャンスだろう?まあ、よく考えておいてくれ。こんな機会はもうないかもしれんぞ」
ワシは…。
多門は考え込んだ。
多門は大学卒業後丸川食品に就職し、食べる事や料理が好きな事、持ち前の愛嬌や社交性を武器に出世街道を歩んでいた。
若手の期待の星であり、早くも課長職を拝命されたそんな多門に取引先の会社の社長令嬢との結婚話が持ち上がった。
多門は若い頃から同性愛者である自分に気が付いてはいた。
しかし当時は30代を超えて結婚をしない男は変わり者扱いされ、社会的に認められない風潮が強く結婚をしないという選択肢はその頃の多門にはなかった。
若くて出世欲も強かった頃の多門には仕事で成功する事だけが生き甲斐だった。
幸い結婚相手はさばけた女性で多門としてもそこまで強い抵抗なく結婚生活は進んだ。当然性交渉は気が進まずあまり上手くいかなかったが、それでも40過ぎてからやっと男の子を授かった。それが多門の息子、敦だった。
生まれた息子はそれは可愛くて可愛くて、多門は敦を溺愛した。
しかしそんなある日、多門の自室に保管されていた同性愛者向け雑誌が部屋掃除中の妻に発見され、大騒ぎになった。
「あなた息子できてからも全然求めてこないと思ったら…変態に息子は任せられないわよ!」
同性愛の趣味があるという事で妻や一部の親族から散々責められ、縁を切られ、多門は離婚に追い込まれた。
多門の元妻はその後縁談があり敦を連れて取引先会社の関係者とすぐに再婚。そして多門は妻と敦の新しい住所も知らされず離れ離れになる事となった。
取引先の令嬢との離婚という事で営業課長も解任となり、一度はエリートコースを歩んでいたはずの多門は半ば左遷のような形で閑職に追いやられた。
ぼろぼろに傷つき、ひたすら孤独で寂しい生活をしていた多門はたまたま参加していたゴルフで芝次郎と出会い、同い年だった二人は意気投合して仲良くなった。
同性愛者として芝次郎に惹かれ、その息子の航平に敦の事を重ね、そんな日々で多門は癒されていた。
ワシにとっては今の生活が何より大事や…。今更出世なんかどうでもええ…!
多門はそう思っていた。
「わぁっ!おっちゃんすごいケーキ!ありがとう!」
立派なイチゴのショートケーキを前に、航平が目をキラキラさせる。
航平の7歳の誕生日の夜、日曜日だったのもあり芝次郎、多門達はゆったりとした時間を楽しんでいた。
多門や芝次郎が部屋を飾りつけ、3人はパーティー用の円錐型の帽子を被った。
航平が喜ぶようお手製のハンバーグ入りのお子様ランチを振る舞った後に出したケーキは多門が前日から力を入れて作った力作で、定番のショートケーキでイチゴと生クリームがたっぷり。上には「航ちゃん7歳。誕生日おめでとう」と書かれたチョコレートのプレートと、砂糖菓子で出来たサンタのような姿の芝次郎と航平、そして芝次郎より少しだけ小さい丸い男の人形が航平を囲むように飾られていた。
「ど、どうや、航ちゃん。美味そうやろ?」
「うん!おっちゃんすごい!ぼくと、パパとおっちゃんもいるよ!」
とても嬉しそうにはしゃぐ航平の言葉に多門は照れながらも笑顔を抑えきれなかった。
ケーキに立った7本のロウソクに多門が火を付け、芝次郎が部屋の電気を消した。
ケーキの上でゆらめくロウソクの光が航平の嬉しそうな顔を照らす。
「ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデーディア航ちゃん~。ハッピバースデートゥーユ~♪」
多門と芝次郎が太い声で歌った。航平が嬉しそうに笑っている。
「さぁ、航ちゃん、火を吹き消すんやで」
「うん!」
航平が頷き、ロウソクの火を一気にふぅ~っと吹き消す。
「航平、おめでとう」「おめでとう~」
芝次郎と多門が拍手と共にお祝いを口にする。
「パパ、おっちゃん、ありがとう!」
航平の嬉しそうに喜ぶ顔に芝次郎と多門にも笑みがこぼれた。
「ああ」
「さっ、ワシ、ケーキ切ったげるから食べよか」
「うん!」
ピンポーーン
そんな時、玄関からチャイムの音が鳴った。
「ん?誰だ、こんな時間に…」
芝次郎が怪訝な顔をして立ち上がり玄関へ向かう。
それを芝次郎に任せ、多門は航平とケーキのお皿を並べていた。
「お、お前…!」
玄関扉を開けた芝次郎の前に現れたのは、数か月前に家を出て行った芝次郎の妻、玉子だった。
「も、モンちゃん、航平を連れて奥へ行っててくれ」
少し焦った様子の芝次郎がドアを抑えたまま家の中を振り返り、多門に言った。
「わ、わかったで」
奥さん、帰ってきたんか…?察した多門の胸が急に不安で締め付けられる。
多門はきょとんとしている航平の肩を抱き、奥の部屋へ連れて行った。
「あなた…」
「い、今更何しに来たんだ!あんな事して…」
「あんな事って…?」
「何を白々しい、パートの奥さんから聞いたぞ。男と一緒に消えたと…」
「違うのよ。あれはパート先の主任の坂崎さんが入院したから付き添ってただけよ。私は実家にいたわ」
「ふざけるな!航平の事を放ってこんなに家を空けておいて、今更そんな事信じられるわけないだろう!」
「何よ!あなたこそいつもいつも週末は航平を放って遊びに出かけて、話も聞いてくれなかったじゃない!」
「だから勝手に家を空けて男と会っててもいいっていうのか?お前はもう信用ならん。二度と帰ってくるな!!」
芝次郎が激昂する。
多門はハラハラしながら奥の部屋に隠れてその様子を伺っていた。
芝次郎の言葉に悪いと思いつつも、これならこれからも三人で暮らせるのかも…と隠しきれない嬉しさも感じてしまう。
しかし多門はその時隣で小さな体を震わせている航平に気付いた。
航平は静かに涙を流していた。大粒の涙が顎まで伝っている。
久しぶりに会えたママ、でもパパと喧嘩をして、もう帰って来ないかもしれない…。
その顔を見て多門は激しいショックを受けた。
(父ちゃん!)
多門の脳裏に過去の記憶が蘇った。
あの日、父との別れに泣きながら多門に手を伸ばしていた敦の姿の事を…。
多門は暫く俯いて黙り込み、そしてふっと決意したかのように顔を上げた。
「シバちゃん、ワシそろそろ…」
そう言って鞄を持ち玄関へ出て行った多門は玉子と言い合いをしていた芝次郎にそっと耳打ちした。
「ごめんな芝ちゃん、ワシ転勤で当分シバちゃん家来れなくなりそうやねん。そやからもうメシも作れんし、玉子さんとよく話し合った方がエエで」
え、そうなのか…と少しトーンダウンする芝次郎。
そして多門は芝次郎に目配せした。そこには泣いている航平の姿があった。
それを見て肩を落とし、仕方ないな…という表情をする芝次郎。
多門はにこっと笑い、航平の背中を押した。
「ほら、航ちゃん。ママやで」
「ママ!!」
航平は叫ぶと泣きながら玉子に向かって駆け出した。
そんな久しぶりの息子をしゃがんで受け止める玉子。
「航ちゃん…ごめんね…」
母親に抱かれて今までの寂しさを埋めるように航平は泣いた。
それを見て多門は一人で去って行った。
「シバちゃん、航ちゃん、ほなな…」
食べられなかったケーキの上では芝次郎と航平、多門の人形が三人で幸せそうに笑っていた。
つづく…。




