パパとママが離婚?
マンションのある一室、一人の少年が毛布をかけられてすやすや眠っている。
短めの髪、いかにも無垢であどけない顔、6歳くらいに見える。
「航ちゃん…ごめんね…」
その顔を眺めていた母親であろう女。年は30~40くらいだろうか。外出でもするのか、外着に大きめのバッグを抱えている。
憮然とした表情である一枚の紙をテーブルに置き、くるりと玄関に向けて歩き出した。
「ただいま」
同じ部屋にスーツ姿の男が帰ってきたのはその数時間後の事だった。
外はもうとっぷりと夜が暮れている。
その男は40、50歳くらい。随分恰幅が良く、豊かな口髭と整えられた髪。紳士的かつ、丸い体型と男らしくも穏やかな顔つきはいかにも良い父親である事を感じさせる。
碇 芝次郎、今年で46歳になる。
「パパ!たいへんだよ」
先程まで毛布の中で眠っていた少年がころころと父親の元に駆け寄ってくる。
「おお航平。ママはどうした?」
「それが…」
航平が困った顔をする。
ふと芝次郎がテーブルに目をやると、一枚のある紙が目に入ってきた。
「え…」
芝次郎がそれを手にして見ると、それは離婚届の用紙であった。
「り…離婚…!?」
ショックを受ける芝次郎。
プルルル
その時家のFAX機能付き電話機から着信音が鳴った。妻だろうか。
「もしもし!?」急いで電話に出る芝次郎。そこに聞き慣れた大きな声が響いてくる。
「おーーシバちゃん、今週も行くやろ?ゴルフ」
芝次郎の趣味友達の斧山多門だった。同年代のバツイチ独身男で、仕事でのゴルフをきっかけにここ数年頻繁にゴルフや釣りなどを一緒に楽しむ仲だ。
「モンちゃんか…。いやそれが」
「えーーっ嫁はんに逃げられたぁ!?」
電話越しに関西弁の大きな声が響く。
「そうなんか…ワシ責任感じるわ。ここんとこ週末はゴルフか釣りばっかやったやろ」
それはその通りで芝次郎はここ数年、家族サービスが疎かになっていた部分は否めなかった。
「まあそれは…」
ぐぅううう…。芝次郎の腹から大きく腹の音が鳴った。
「…飯作りに行ったろか?明日休みやし…」
「パパおなかすいた…」航平が芝次郎の服を引っ張る。
「…モンちゃん、頼める?」
「さあできたで~」
マンションの一室から関西弁の声が響く。
芝次郎の友人、斧山多門が対面型カウンターキッチンから両手に湯気の上がる皿を持ち木製のテーブルに運んでくる。食欲をそそる良い香りが立ち上る。
背は芝次郎より少し低いくらいだが、同じくらいどっしりした体形、丸い腹。笑い皺のある愛嬌のある顔に芝次郎ほど濃くはないまばらなちょび髭、少し額が進行している短髪。
いかにも親しみやすいおっちゃんという感じの男だった。
「わぁっおいしそう!」
航平が待ってましたとばかりに駆け寄ってくる。
「はは、いっぱい食べや」
「いただきます!」
子供専用の小さな椅子に座り早速航平が食べ始める。
「モンちゃん、スマンな」
スーツを脱ぎネクタイを外した芝次郎が礼を言う。
「ええよええよ。で…嫁はんどうやったん」
航平から少し距離を取り、多門が芝次郎に耳打ちする。
「いや…それが実家にも帰ってないみたいでな。今までも何度か家出はあったから帰ってくるとは思うんだが…」
芝次郎が腕組みをしながら言う。
「おいしかった!」
よほどお腹が空いていたのだろう。航平はきれいにお皿を平らげていた。
「ほら航平。アレは?」
航平の肩を抱き、芝次郎がウィンクする。
一瞬不思議そうにした航平が、はっと上を向く。
「!」
ガバッ
「おっちゃんありがとう!」
航平は突然多門に抱き着いていた。
ドッキーン
多門は驚いて顔を赤くしている。
芝次郎が満足そうに笑う。
「え…ええねん。ええねん。これくらいいつでも作りに来たるわ」
多門は照れつつも航平を抱っこし頭を撫でながら言う。
「助かるよモンちゃん。さ、モンちゃんも飲んでくれ」
言いながら芝次郎が多門にもビールを勧めてくる。
「いやいや、嫁はんがこんな時に…」
航平は満腹になり別の部屋で布団をかけられ眠った。
ぼんやりした頭の中に、航平と芝次郎の声が響いてくる。
「おっちゃん、おかえり!」
「モンちゃんおかえり」
航平と芝次郎が穏やかに笑っている。
「さあ今日は皆で御馳走だぞ」
「やったー!」
温かい料理の乗ったテーブル。それを囲む芝次郎と航平、そして自分。
そんな幸せなイメージの後、陶然とした頭の中に優しい目で多門を見つめてくる芝次郎の顔が浮かんでくる。
「モンちゃん…」
うたた寝していた多門はハッと夢から覚めた。
どうやらビールを飲んで酔って少し眠ってしまったようだ。
(ワシ何を考えとるんやろ…アホやな)
多門は一人暮らしだった。寂しい一人暮らしで荒んだ生活を送っていた数年前、仕事でのゴルフで芝次郎と知り合った。
気が合った二人はすぐに仲良くなり、たまに食事に呼ばれたり、一緒にゴルフや釣りを楽しむ仲になった。航平も気さくで面倒見の良い多門によく懐き、一緒に釣りに連れて行った事もある。
「モンちゃん起きたか」
隣で晩酌を続けていた芝次郎が多門に声をかける。
「あ…ワシちょっとうとうとしてたみたいや。スマンな」
「いやいや、今日は仕事で疲れてるのにありがとな。助かったよ」
「え、ええねん。そ…それより奥さん探すんやろ。心当たりあるんか?」
「いや…それが普段何をしてたのか分からなくてな」
芝次郎が少し困ったような顔をして言う。
「あかんで。夫婦は会話が大事…ってバツイチのワシがゆうても説得力ないけど」
多門は少し寂し気に笑った。
「いやいや…まあ、とりあえずあいつが行きそうな所から行ってみるよ」
「そおか…」
うーん、と体を伸ばした多門を一瞥した芝次郎は笑いながら言った。
「モンちゃんもまだまだ若いな」
しまった、と顔を赤くする多門。
「はっ!?何言うてんねん。ワ、ワシトイレいこ…」
そう言って立ち上がる多門もどこか楽しげだった。
つづく…




