ナタリアと悪党と婚約者(2)
月が顔を覗かせ、町の喧騒がすっかり落ち着いた頃、ナタリア達は酒を煽り、食事に舌鼓を打った。
「今まで一人で旅することが多かったけど、やっぱりこうやって人と旅するのも悪くないね」
ナタリアは歯に挟まったアスパラを必死にほじくりながら言った。
「…お前な、いい事言ってるのに全部台無しになってるぞ」
フィリップが冷ややかな視線を向けた。
「でも、本当にそうだと思うよ。私は旅自体久しぶりだから何もかもが刺激的だよー」
ダリアの声にはいつもよりもハリがなく、酩酊しているのが一目瞭然だった。
「…おいおい、まだ感傷的になるには早すぎやしないか?まだ初日だぜ?……っていうかそんな事言っといて、こっから仲が悪くなるとか御免だからな、頼むぜ本当に」
「愚問だね。なあフィリップさんよ…、あたしらが旅の途中でケンカしてるの想像つく?」
ナタリアがグイッと顔を近づけ、フィリップの目の奥を睨みつけた。
「…いや、想像つかねえ」
「だろぉ?」
「…悪いな、どうしても暗い想像ばっかりしがちなんでね、俺は。嫌になるぜ」
「いいじゃん、それも立派なフィリップの個性だよ。大事にしなよ」
フィリップはグラスのワインを一気に飲み干し、言った。
「ありがとな、いつも。本当に助かってるよ」
「…あ!フィリップくん飲みすぎ!今日はもう飲んじゃだめだよーーー!」
「…へいへい、わかってるよ。飲まねえよ」
「はは、こういうのひさびさだね!最近飲む機会なかったしね」
「…確かにな」
「うん…。…ねえ、ナタリアちゃん。ごめんなんだけど…、あたし眠くなってきちゃって…。部屋戻ってもいい?」
「全然いいよ!でも今日はいつもより飲む量少ないね?」
「…普通に疲れてんだろ。寝かせてやれ」
「そうだね。じゃあ今日はお開きにしよっかー」
「……ああ、そうするか」
ナタリア達は会計を済ませて部屋に戻った。ダリアはベッドに横になるとすぐに眠ってしまった。
「フィリップの言った通りだったね。一瞬で寝ちゃった。…やっぱりすごいね、フィリップは。ちゃんと気使えるし、いろんな事よく見てるし」
「…そんな事ねーよ。俺だってわがままになる事結構あるぜ」
「そーお?…ふああ、ごめん」
ナタリアはまぶたを擦りながら欠伸をした。
「疲れたんだろ。今日はもう休みな」
「あんがとお…、寝るわー」
「ああ、おやすみ」
「あーい、おやすみー」
日付けが変わるまでは、ナタリア達の身には何もなかった。
だが、深夜一時を超えた頃、何者かがナタリア達の部屋の扉の鍵を開けた。
ナタリアは鍵を開けた何者かから放たれた"敵意"を感じ取り目を覚ました。
…誰だ。
フィリップとダリアは完全に寝入っている。…人質を取られても困る。
…とりあえず寝たふりをしておいて、隙を見てぶちのめすか。
扉が静かに開き、ある人物が中に侵入してきた。それは、昼間にナタリア達を宿まで案内した男だった。
…この野郎、ふざけやがって。
頭にきてしょうがないけど、ベルトに括りつけてるハンマーで殴ると殺しかねない。
素手で、倒す。
男が抜き足差し足でナタリア達に一歩一歩近づいているのが、ベッドの中のナタリアにもわかった。
…もう我慢ならねえ。ぶっ潰す。
ナタリアは勢いよく掛け布団を男の方に放り投げた。
「な!?」
布団が目眩しになり、男は最初ナタリアの存在を視認できず、気づけば男は顔面に強烈なパンチを食らっていた。
「グハァッ……!!」
ナタリアはそのまま男の顔面を蹴り飛ばそうとしたが、男に致命傷を与えることはできなかった。男がナタリアの蹴りを肩で受け止めたからだ。
「いでぇっ…!」
「チッ…!」
ナタリアは足を掴まれるのを警戒し、男から一瞬距離を取った。
だが、これが命取りだった。
「『ゴ・ビオルグ』!!」
しまった、と思った時はもう遅かった。ナタリアは金縛りにあったように、体の自由が効かなくなり、声さえも出せなくなってしまった。
「くそったれが…!なんで薬が効いてねえんだ!!」
男は部屋に備え付けてある呼び鈴を引いた。それから一分もかからず、下のバーでバーテンダーをしていた大男が、ずかずかとナタリア達の部屋に入ってきた。
「…どういう事だこれは。何が起きている?」
「知るかよ。お前が薬盛り損ねたんじゃねえの?」
「そんな筈はない。その証拠にそこの二人はしっかりおねんねしてるだろ?」
「おい『蛇』、俺にはフツーに寝てるようにしか見えねえぜ?…まあいい。ちと早いが、こいつら縛ってさっさと発つぞ」
「ああ、そうだな」
ナタリアは両手両足を後ろ手で縛られ、目隠しと猿ぐつわをされた。そのまま2、3分ほど男に担がれ、やがてどこかに体を放り投げられた。
…痛え。どこだここ。
ドタドタと忙しなく何者かが出入りし、しばらくしてナタリアは自分の身体がどこかに運ばれている感覚になった。
…馬車の中か。
どこかに人身売買する気なのだろうか。最悪な宿だな。
…しかもこいつら、日常的にこれをやってやがるな。手際がよすぎる。
…だけど、ツメが甘い。
両手両足を縛ったといっても、この程度なら隠し持ってるナイフで千切れる。…しかも、こいつらハンマーもそのままにしてるし、危機感がなさすぎる。
さっさと拘束を解いてこいつらをぶちのめそう。
…そういえば、フィリップとダリアはどこだろう。
…一緒に連れていかれているのだろうか。
離れ離れにされてたら、相当面倒くさいけども、…でも、あたしにできることは結局こいつらをぶちのめす事だけだから。
ナタリアは意を決し、シャツの袖に隠していたナイフを手に取った。
…よし、身体が動く。『ゴ・ビオルグ』は確かに身体の自由を奪う事ができる呪文だが、その効果が適用される時間は長くて4〜5分程だ。
…やるか。ナタリアは時間をかけてゆっくりと確実に、縄を痛めつけ、完全に破壊した。
よし。ナタリアはそのまま、足を縛っている縄を引きちぎった。
「ん?何だ?」
見張りに気づかれたが、もう遅い。ナタリアは目隠しと猿ぐつわを一瞬で外した。
「おい、『カラス』、やべえぞ、女が…!」
「『解放』」
ナタリアはハンマーを巨大化させ、男を思い切りぶん殴った。
「ぎゃあああああ!!!!」
馬車はハンマーの衝撃に耐え切れず真っ二つに割れた。
ナタリアは後ろを軽く見た。…フィリップとダリアが、拘束されているのが見えた。ナタリアは二人と離れ離れにされていなくてよかったと安堵したが、同時に凄まじい怒りがナタリアを支配した。
…ぶちのめす。
馬車を運転していた『カラス』と呼ばれた男がナタリアに相対するよりも先に、ナタリアはハンマーを握りしめ動いた。
…あたしの見立てだと、ハンマーが間に合うか、先に呪文を詠唱されるか、正直五分五分だが、やるしかない。
「うおおおおお!」
「『ゴ・ビオルグ』!」
くそっ。間に合わなかった。
ナタリアのハンマーが振り下ろされる寸前に、『カラス』は対象の動きを停止させる呪文、『ゴ・ビオルグ』を使用した。
「…小娘が!ふざけやがって!大損害じゃねえか!もういい、てめえは死ぬより苦しい目に合わせてやらぁ!『ラ・アポロジ』、ああああっ!?」
どこからか矢が放たれ、『カラス』の膝に突き刺さった。
「…体がっ!…動くっ!」
「ちょ、待っ」
ナタリアは渾身の力を込めて、『カラス』にハンマーを振り下ろした。
「ぎゃああああああああっっっ!!!!!」
『カラス』は、気を失った。
「…死なない程度に加減しておいたよ。ありがたく思いな」
「…ナタリアちゃん、ありがと〜!おかげで助かったよ〜!」
ナタリアが声のする方を振り返ると、…驚くべきことにフィリップとダリアが立っていた。
「え!?…二人とも、どうやって拘束解いたの!?」
「ふふん、メイドっていうのはねえ、常にどこかに暗器を隠し持ってるものなんだよー!…ごめんね、ずっと寝てて…」
「いいよー別に。なんか薬盛られてたみたいだし」
「…俺からも、謝らせてくれ。俺が目覚めてたらもっと楽に勝ててた筈だ。…すまなかった。お前一人に戦わせて」
「いいって別に。フィリップはどうやって拘束解いたの?」
「俺は靴に刃物を仕込んでたからな、それでなんとかなった」
「へえ〜すげえじゃん。器用だねー。…じゃあさっきの矢ってフィリップが放ったの?」
「…?いや、俺は何もしてないが…」
「え?じゃあフィリップじゃないとしたら、誰?」
その時だった。
「俺だよ、ナタリア。生きてたんだね」
枢密院の制服を着た男女が、ナタリアの前に現れた。その内の男の方は、ナタリアもよく知っている人物であった。
「ダンテ…!」
フィリップは眉をひそめた。
「…誰?」
ダリアがナタリアに尋ねた。
「あれ?ダリアは知らなかったっけ。…この人はダンテ・ジャアノーネ。あたしの婚約者だよ」