ナタリアの新たな旅立ち(3)
ロゼッティ伯邸には無数の隠し通路が縦横に張り巡らされており、この屋敷で生まれ育ったナタリアですらそれを完全に把握しきれていない。ましてや彼女の継母のアマータは隠し通路の存在すら知らない。
地下道の闇に臆することなく、しかしほとんど足音を立てることなくナタリアは慎重に足を進め、やがてナタリアはアマータの部屋に通ずる階段の前にたどり着いた。ナタリアは逡巡し、階段室の扉とにらめっこした。
だが、それもほんの一瞬の事であった。
ナタリアはすぐに扉を開き、足音を殺しながらも、階段を二段飛ばしでアマータの部屋へと上っていった。アマータの部屋の本棚の裏に隠し通路が存在しており、階段はそこへと通じている。ナタリアは息を殺して隠し部屋に足を踏み入れ、覗き穴から部屋の様子を伺った。
…誰かいる。アマータさんと、…だれ?
白衣を纏っている事から教会の関係者だと思われるが、その人物はナタリアが全く知らない者だった。
…何か喋ってる。ナタリアは穴に耳をそば立てて盗み聞きした。
「…本当に、ナタリアさんの魂は救われたのですか?」
「ええ、彼女の魂は無事に天国へと迎え入れられました。間違いありません」
「そうですか…。…あの、他に何か方法はなかったのでしょうか?天国へと迎え入れられたのだとしても、ナタリアさんの命を奪ったことを私は少し後悔しています…」
「…アマータさん、予言をお忘れか?」
「いえ、何度も聞かせていただいたので…」
「…『悪魔歴1506年に、魔王が再び力を取り戻す。魔王から逃れるにはその者の魂を浄化させなければならない』。…彼女の魂を浄化させる方法が、あの日に彼女の命を奪う他なかった。…僕も他に彼女を救う方法を見つけられなかったを後悔しています」
…なるほど。あたしの命を狙ったのは理由はそれか。……でも、なんでそれであたしが死ななきゃならないんだろう。…意味がわからない。
「そんな…、あなたがお気になさる事はないです。命を奪うように指図したのは私なのですから…」
「アマータさん…」
その時、聞き慣れない異音がナタリアの耳に飛び込んできた。何事かとナタリアが再び覗き穴に目をやると、…アマータと宗教家がキスをしていた。しかもただのキスではない。舌を絡ませた濃厚な接吻だ。この人とアマータさんがそういう関係なのだということを知ってしまってナタリアはげっそりした。
「うへえ…」
その時だった。
ナタリアは後ろから肩をポンと叩かれた。
驚いて後ろを振り返ると、そこにはナタリアの幼馴染でロゼッティ家のメイドであるダリアが立っていた。
「ナタリアちゃん…、なの……?」
ダリアは今にも泣き出しそうに目を潤ませた。
マズい。ダリアが今泣くとアマータさんに聞かれてしまう。咄嗟にナタリアはダリアの口を塞いで耳元で囁いた。
「ごめん、ダリア。泣くのはちょっと待って。…少し移動しようか」
二人は階段室を降りて、少しだけ開けた場所に移動した。
「ここならいいかな。ごめんね、あそこは壁の向こうに人がいたから、」
「ナタリアちゃん…、……ナタリアちゃん!!!!」
ダリアは、ナタリアに抱きついて慟哭した。
「…どうしてあたしがここにいるってわかったの?」
一通りダリアが泣いた後、彼女の頭を撫でながらナタリアは聞いた。
「うん。外から地下通路に入っていってる人が見えたから、もしかしてナタリアちゃんなのかなって思って…」
「え、マジか…。他の誰かに見られてないかな?」
「それは大丈夫だと思うけど…、…ねえ、何があったの?どういうことなの?」
「それについて話したいんだけど…、フィリップはいる?また後でここに連れてきて欲しいんだけど」
「いいけど…。とりあえずみんなに生きてること伝えてからでいい?」
「あ、それはやめといて。あたしは死んだってことにしといてほしいんだ」
「え、どういうこと?」
「まあ、それもフィリップがいる時に話すよ…。とりあえずフィリップ連れてきてくれると嬉しい」
「いいよ。けど今日はもう少ししたら、…ナタリアちゃんの葬儀をすることになるだろうし、私もフィリップくんも参列するから遅くなると思う」
「あたしの葬儀か…。なんか面白いね」
「何も面白くないよ……!本当に、本当に悲しかったんだから………!!!」
ダリアは涙ぐんだ。
「ごめんね、よくないこと言っちゃったね。許しておくれよー」
「うん、許す〜。じゃあ、またフィリップくんをここに連れてくるよ」
「ありがとうー、よろしく」
「うん!」
「…松明なくて大丈夫?」
「うん、大丈夫!私暗いとこでも目が利くから!」
「そうだったね。…じゃあ、よろしく」
ナタリアは深々と頭を下げた。
「やめてよ、私らの仲じゃない…!…じゃあ、行ってくるね!」
「ありがとう!」
ナタリアはぶんぶんと松明を振って見送った。ダリアも手を振り返しているのが、ナタリアの目にもわかった。
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フィリップとダリアが地下道を訪れたのは、それから2時間ほどが経過した頃だ。二人が着いた時にはナタリアは寝息を立てて寝ていたが、二人の気配を察知したのか大欠伸をしながら目を覚ました。
「まったく、呑気だな。誰か来たらどうすんだ?」
「散々待たせといて第一声がそれはなくない?それにちゃんと誰か来たら目覚ましますよ〜だ、今みたいにね」
「…俺もな、色々あって忙しかったんだよ。第一、お前ツリーハウスで待ってるって言ったじゃねえか。あまり突飛な事をしないでくれよ。まあ検問を突破したのは素直にすごいと思うけど。…どうやったんだ?」
「…門を見張ってたら悪魔が出てきたからさ、…皆がそれに気を取られてる隙に壁を乗り越えて入った」
ナタリアは悪魔を愚弄し、挑発して町まで誘き寄せたことを隠した。なぜフィリップに隠したのかは、ナタリア自身にもよくわからなかった。
「…ああ、そういや悪魔が出たって誰か言ってたな、一瞬で討伐されたみたいだけど。…それで俺とダリアに話すことってのは、何なんだ?」
悪魔が一瞬で倒されたということに少し安堵しつつ、ナタリアは二人の話に耳を傾けた。
「…そうだよ。命を狙われてるっていうのはフィリップくんから聞いたけど…。…フィリップくんを呼ぶってことは、ある程度確信に触れたってことだよね。…教えてほしいな」
「うん、勿論。…すごいの見ちゃったんだ、さっき…」
ナタリアは、隠し部屋で見聞きした事を全て二人に話した。
「そうか…、なんて言えばいいのかわかんねえや、すまない」
「いいよ別に。あたしだって整理し切れてないし」
「…しかし、お前の命を狙う理由が『予言』っていうのはなんか腑に落ちねえな。そんな魔王復活の予言なんて聞いたこともないし。…何かアマータか教会に裏があるのかもしれん」
「そうだね。…もっと必要だね、情報が」
「…しかし、旦那様が亡くなられてから一ヶ月も経ってないのに、…節操がないな、あの人は」
「わかんないよ、お父様が亡くなった悲しみにつけ込まれてそういう関係を持ってしまったかもしれないよ?」
「…確かに、可能性としてはありそうだな。まあ、本当のところはどうなのかわからんが」
「…でも、ひどいねアマータさん。…これってアマータさん殺せば解決?」
その静かな口調とは裏腹に、ダリアの瞳には明確な殺意が宿っていた。
「物騒な事言わないでくれよダリア…。それに、事はそんな簡単じゃないと思うんだ」
「…どういう事?」
「いや、もしアマータさんが死んだとしても、あたしが生きてること知ったら教会の人たちはどう思う?…『予言』以外にもアマータさんがあたしの命を狙う理由はそれなりに考えられるけど、でもね、今回の件で裏で糸引いてるのはやっぱり教会だと思うんだよね」
「へえ…。どうしてそう思うんだ?」
フィリップは神妙な表情でナタリアに問うた。
「前にも言ったけど、アマータさんは虫も殺せないし、血を見るのも嫌いな平和主義者だからさ、…今回の事件がアマータさんの意思によるものとは到底思えないんだよ。だから一緒にいた恋人らしき聖職者の指図な気がするんだ」
「なるほどな。…まあ、なくはないな。とにかく今の神聖教会は腐ってやがるからな。何をしでかしてもおかしくないし、…神聖教会の全てが敵ぐらいに思っておいた方がいいのかもしれん」
「でっしょー!?…でね、あたしはこの状況を打開するために、一つの作戦を思いついたんですよ!」
「へえ…、どんな?」
フィリップが興味深そうに聞いた。
「…名付けて、『悪魔と魔王ぜんいんまとめてぶっ飛ばして全部解決大作戦』〜!!!」
「…なんだそりゃ」
「いや、解放戦争の時の生き残りの悪魔を全部ぶちのめしたらさ、流石に黙ってないと思うんだよね、魔王が。んでもってのこのこツラを見せた魔王を倒せば大団円!って感じにならない?」
フィリップは大きなため息をついた。
「…何?あたしの作戦が気に入らないの?」
「…あのな、言いたい事は色々あるんだが、…もし仮にその作戦に成功したら、教会は間違いなく俺らを亡き者にしようとするだろうな。なんてったって教会は悪魔から人々を守ることでその地位を守っているんだからな。…てか大体な、そんな事したらお前だって廃業しちまうだろ。悪魔がいなけりゃ退魔師に用はないんだからな。お前はそれでいいのか?」
「うん、いいよ。あたし別にそんなに退魔師やりたくないし。本当は農業やりたいんだよね、あたし」
「え、そうなの?」フィリップは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「そうだよ。今まではそういう事言うと家に迷惑がかかると思って言わなかったけどさ、もういいかなって」
「…確かに、ナタリアちゃん農家業の手伝いすごい頑張ってたもんね!よく考えたら納得がいくね!」
「ふふふ、さっすがダリア、よく見てるね!」
「わーい、ナタリアちゃんに褒められたー!やったー!」
ナタリアとダリアはお互いに頭を撫でて戯れあった。
「…で?結局これからどうすんだ?」
フィリップはぶっきらぼうにナタリアに問うた。
「え?そりゃあれだよ、全ての悪魔を倒す旅に出るよ」
ナタリアはさもそれが当たり前の事であるかのように言い放った。
「…本気か?」
「うん、本気」
「…ねえ、私は反対だよ、ナタリアちゃん」
ダリアは今にも泣き出しそうな顔でナタリアを見つめた。
「ナタリアちゃんが死んだって聞いてさ、…ちょっと前まで私さ、生きてる意味ないから死のうって思ってたんだから…。……もう、これ以上、遠くへ行かないで…。…それか、どうしても旅に出るっていうなら、私も連れてって。絶対に、ナタリアちゃんを死なせないから」
ダリアが鼻水をすする音が地下通路に響いた。
「悲しい思いをさせてごめんね、ダリア。…うん、そうだね。ダリアも一緒に来てくれると、あたしは嬉しい。…でも、今の仕事はどうするの?」
「…うん、どっちみち近々辞めようと思ってたんだ。お爺様が亡くなられて久しいし」
「そっか…、ウチで働いてくれてたのって、ダリアのおじいちゃんがウチの料理長してくれてたからってのもあるもんね。…わかった。正式にお願いするね。あたしと一緒に、旅に出てくれますか?」
「…勿論!喜んで!」
ナタリアとダリアは固い握手を交わした。
「よし!じゃあ二人とも、明日の昼ぐらいに出発したいからしっかり準備しといて頂戴な!あたしはもうちょい寝たいから奥の隠し部屋で休ませてもらうよー」
「…俺は強制参加なんだな」
フィリップは呆れたようにそう言ったが、その口ぶりとは裏腹に、ナタリアには心なしか嬉しそうでいるように見えた。
「いや、当然来てくれるものだと思ってだんだけど…、嫌?」
「嫌なわけあるか、一緒に行ってやるよ」
「ありがとう。じゃあ、出発はさっき提案したように明日の昼でいいかい?」
「いいけど…、検問をどうするかはちゃんと考えてるのか?」
「別大丈夫でしょ、トレノの検問は町から出る時は厳しくチェックされないからさ。馬車調達して、あたしをその中に隠れさせてよ」
「サラッとめんどくさい事頼みやがったなお前…。…まあいいだろうよ、やってやるよ」
「ありがとう!恩にきるよ、あたしのお姫様!」ナタリアは跪いてフィリップの手の甲にキスをした。
「……何やってんだお前」
フィリップにとってはそれだけ言うのが精一杯だった。
「いや、あたしが子どもの時に君がよくやってくれてた事じゃん。忘れたの?」
「……忘れてはない。ただびっくりしただけだ」
「…もしかして嫌だった?ごめんよ、もうしないから」
「別に嫌じゃねーよ。本当に突然でびっくりしただけだからさ、…まあ悪い気がしないこともないこともないこともなかったよ」
「え、どういうこと…?よくわかんねえ…」ナタリアは困惑した。
「別にそれでいい。…つーか、こんなこと言ってる場合じゃねえ。俺はともかくダリアはやることが山のようにあるんだからさ。とりあえず他に何もなければ、今日はこれで解散にしようぜ」
「まあ、あたしはそれでいーよ。ダリアはなんかある?」
「…一つだけ、言わせてもらってもいい?」
「別に一つと言わず何個でも意見してよ?色々言ってくれる方がありがたいからさ」
「ありがとう…。…私さ、正直言うとさっきのナタリアちゃんとフィリップくんのやり取りで、なんかこう…、胸にじんわりと、あったかい気持ちが生まれて、…気づいたら涙が溢れてたんだ。ついさっきまで、私はもうそういう光景を二度と見ることができないと思ってたからさ。だから…、…なんだろう、そう…、…ずっと二人と、これからも一緒にいたいって、そう思ったんだ」
少し照れくさそうにしているダリアと、恥ずかしそうにしているフィリップ。ナタリアはそんな二人の肩に腕を掛け、ギュッと抱き寄せた。
「…心の友よ。あたしのワガママに付き合ってくれてありがとう。…きっと、きっと最後には全てうまくいくよ。あたしにはわかるんだ」
「…俺もそうなるように切に願っているよ。…いや、そうしよう、俺たちで」
「そうだね、私達ならどこまでもいけるよ。絶対大丈夫」
「…ありがとう、二人とも」
ナタリアは目に涙を浮かべて感謝を伝えた。
「…じゃ、とりあえずこれで一旦解散にするか。また明日の夜になったら迎えに行くぜ、健闘を祈る」
「うん、ありがと!Arrivederci!」
「ああ、気をつけてな」
ナタリアは暗闇を掻き分けて隠し部屋へと向かった。
どれだけの年月を重ねようとも、あたしは今日という日を忘れることはないだろうと、ナタリアは信じて疑わなかった。
確実に、ナタリアの瞳は、遥か先の希望の光を見据えていた。
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『銀の道』と呼ばれる主要街道に続く小路を、ナタリア達を乗せた馬車が駆け抜ける。天気は雲一つない快晴。旅立ちには持ってこいの天気だ。
ナタリアは隠れていた木の箱の中から退屈そうに顔を出し、フィリップに喋りかけた。
「ねえ、最初はどこ行く?六魔晶の生き残りが南にいるらしいからそいつ潰しに行く?」
「誰か見てるかもしれないから箱から顔を出すんじゃねえ。…あと六魔晶はそんな気軽に戦いを挑んでいい相手じゃねえぞ?バカなの?」
「そうだよナタリアちゃん。六魔晶舐めすぎじゃない?死ぬよ?」
「…二人ともそこまで言わなくても良くない?」
「…まあでも!特にすることないし、南に行くか!」
「そうだね!今すぐ勝つのは無理でも、しっかり準備したら勝てるかもしれないしね!」
思いの他ナタリアが落ち込んだので、フィリップとダリアは必死でフォローした。
「ごめんよ二人とも…。じゃあ、行こうか、南へ!」
「おうよ」「うん!」
生まれ育った町が離れていくのをナタリアはぼうっとしながら眺めた。
悲しくないといえば嘘になる。だが、それ以上に、これからの旅のワクワクと、解放の喜びの方がそれを遥かに上回っていた。
鼻歌さえ口遊み、ナタリア達は南へと向かった。