ナタリアの新たな旅立ち(1)
「しっかし、あれだけ戦闘を嫌がってた叔父さんも遂に退魔師デビューかあ。なんだか感慨深いねえ」
叔父であるニコロ・ロゼッティ手綱を握る馬車の中で、ナタリア・ロゼッティは偉そうにふんぞり返った。
「…まあ、いい年してお前らばかりに仕事をさせるのも申し訳ないんでね、できることはしようと思ってな」
「へえ、42になってやっと申し訳なさが芽生えたの?…遅くない?」
「…なんとでも言ってくれ、俺はここからのしあがっていくからよ。…そのためになんでも利用できるものは利用するだけだ。…力を貸してくれ。頼むよ」
ナタリアとニコロが帰属するロゼッティ家は、かつてロゼッティ家の先祖が退魔師として優れた働きを発揮したことにより爵位を与えられた貴族家である。ニコロは地方貴族とはいえ、貴族であるということにあぐらをかいてこれまでほとんど退魔師として働いたことはなかったが、この度一念発起して退魔師を志した。それ故、退魔師として経験豊富な姪のナタリアに教えを乞おうと決意し、ナタリアと話した結果、トレーニングも兼ねてちょっとしたバカンスに行こうということになった。
「もちろんいいよ。あたしは叔父さんの半分くらいしか生きてないから力になれるかはわからないけど、私から叔父さんに教えられるものは全て教えさせてもらうね。…にしても、なんでまた退魔師になろうと思ったの?ひょっとして女か?」
ナタリアはニコロの背中を肘でうりうりと小突いた。
「……バレちゃ仕方ねえな。今狙ってる女が退魔師がカッコいいとか言ってたんでな。…カッコいいとこ見せてやろうじゃねえかって思ってよ」
「やっぱりね〜〜」ナタリアはニヤニヤしながらポリポリと首を掻いた。
「張り切るのはいいけどさ、悪魔舐めてると普通に死ぬよ?…調子に乗りすぎないようにね」
「…わーったよ。ありがとなー」
ニコロは軽快な口調で答えた。しかし、その声のトーンとは裏腹に、彼の顔に生気が宿っておらず、その瞳がドス黒く澱んでいるということを、この時のナタリアは知る由もなかった。
「もうすぐ暗くなりそうだから、今日はここいらで野宿にするか」
ニコロは海を見下ろせる少しだけ開けた場所に馬車を停めた。
「野宿かあ…」
「…なんか不満があんの?」
「いや、普通に嫌でしょ。せっかくのバカンスだしさ。野良の悪魔に遭遇しても嫌だし」
「俺だって野宿はヤだけど、ここいらは民家がないしここで休もうよ。悪魔が出てきたらその時に考えようぜ?」
「えー、何それ…。…まあ、いいよ。民家探すのも面倒くさいし、ここで野宿にしようか」
「おう。ありがとな」
…いくらここがナタリア達にとって馴染みのない場所とはいえ、いささか野宿をするには早すぎる。…ナタリアの中の、ニコロに対しての疑念が強まった。
…やはり、いや、まさか…。
…やめやめ、終わり。ナタリアは頭をよぎった考えを無理矢理拭い去ることにした。
そんな下らない、荒唐無稽なことを考えている暇はない。やらなければいけないことは山ほどある。ナタリアは己にそう言い聞かせた。
「じゃあちょっとご飯の用意するよ!自慢のパスタをご馳走するわ」
「いや、お前は休んでろよ。俺に任せとけって」
「いいって、今日早起きして来てくれたんだからさ」
「…じゃあ飲み物だけ用意させてもらおうかな。特上の水を用意させてもらうよ〜」
「あら、お優しいことで〜。じゃ、よろしく〜」
「あいよー」
ナタリアの中でモヤついていた思考が一気に澄み渡った。ベーコンをフライパンで炒めながら、ナタリアはこの先自分がすべき事を頭の中にはっきりと思い浮かべた。
「…確かにうまいね、これ。ありがとうな。お前料理下手そうなイメージがあったから意外だったわ」
太陽が大地に隠れ、夜の帷が下りた頃、ナタリアはベーコンと卵のパスタをニコロに振る舞った。
「失礼だなー。じゃあ食べなくていいよーだ」
ナタリアはニコロの皿に手を伸ばそうとした。
「嘘ウソ。やっっぱナタリアは繊細で丁寧だからこういうの作れるの納得だよなー」
「よろしい!」
「俺が用意した特製の水もぜひぜひ飲んでくれよー。お前のパスタによく合うと思うからさ」
「ほんと?じゃいただこうかなー。……うん、おいしい」
「…よかった」
少しの間、二人は焚き火を囲んで他愛のない話をしながらパスタに手をつけていたが、ナタリアは全て平らげた頃、猛烈な睡魔が彼女を襲った。
「…ごめん、叔父さんの方がしっかり働いてくれたのに…。すごい眠くなってきた…。」
「いいよ、先に寝なよ。何かあったら起こすからさ」
「ごめん、そうさせてもらうわ…。…おやすみ」
「ああ、おやすみ」
ナタリアが完全に眠ったのを見届けると、ニコロは自身のベルトに括りつけた短剣を取り出した。
「悪いな、ナタリア。…お前には恨みはないけど、こうするしかないんだよ…。…永遠に、おやすみ」
ニコロは勢いよく短剣を振り上げた。
「…く、そ…」
ニコロは小刻みに震えながらも、歯をしっかりと食いしばり、剣を振り下ろそうとした。
「くそ…、…くそ!うおおおおおお」
その時、闇の中から放たれた矢がニコロの背に突き刺さり、ニコロの絶叫が辺りに響き渡った。
「うぎゃああああああ!!!!」
ニコロがバランスを崩したその一瞬で何者かが背後に這い寄り、首筋に剣を突き立てた。ニコロに強烈な敵意を向けたその者は、ナタリアの幼馴染、フィリップ・アハートだった。
「動くな」
地獄の底から轟くようなその声は、ニコロを恐怖で支配するのに十分だった。
「は、はい…」
「…なーんだ、誰かと思ったらフィリップかよ、どこぞの野盗かと思ったわ」
ニコロが声がした方を見ると、完全に目を覚ましたナタリアがハンマーを片手に彼を見下ろしていた。
「…お前、睡眠薬を盛ったはずじゃ…」
「ああ、ごめん。あたしどんなに熟睡しても『敵意』を向けられると目が覚めちゃうんだ」
「…そうか……」
ニコロは力なく膝から崩れ落ちた。
「ちょっとそのままでいてね、フィリップ。今から叔父さんの手足縛るから」
「その必要はない、こいつは今この場で殺す」
「ヒッ…!」
ニコロは恐怖の余り失禁した。
「やめてよ、もうちょい落ち着いてよフィリップ…」
「…あのな?お前の命が狙われてんだぞ?これが冷静でいられるかよ」
「…感情的になっちゃって、フィリップらしくないな。それにどっちみち叔父さんにあたしは殺せなかったと思うよ」
ナタリアは縄でニコロの手を後ろ手に縛りながら語った。
「…どうしてそう思うんだ?」
フィリップは疑問をナタリアにぶつけた。
「…あたしと叔父さんは退魔師なんだ。退魔師は悪魔から人々を守るのが仕事。人を傷つけるのは仕事じゃないよ」
「…ありがとなナタリア。…そうだな、ナタリア。退魔師が人を殺すなんてご法度だよな。…嫌なことをするもんじゃないね、ほんとに、」
ニコロが全て言い終わる前に、フィリップはニコロの股間を蹴り上げた。
「ぐえっっへぇーーーーっっっ!!」
「ふざけんなよ、だったら最初からやるんじゃねえよ…!それにな、退魔師が人を殺さないなんてのはただの綺麗事だよ。ナタリアが今までどれだけの血を流してきたか知ってんのか…!」
「いいよ、フィリップ、いいから、」
「よくねーよ、こいつみたいな人間が俺は一番嫌いなんだよ。…ナタリアはな、悪魔と契約した人間だとか悪魔に体を乗っ取られた人間だとかを数知れず屠ってきたんだよ。お前が手を汚さず何も知らずに安全圏で過ごしてきた間にな」
「そんなバカな、そういうのは枢密院委員会の仕事のはずだろ」ニコロは反論した。
「…枢密院委員会、及び教会は忠誠心を示させるために、長きに渡って退魔の貴族家に”生贄”を用意させてきた。己に代わって汚れ仕事を実行する”生贄”をな。まあ退魔の仕事もせずにぬくぬくと生きてきたあんたは知らなくて当然だろうな」
「なんてことだ…」ニコロは言葉を失った。
「もういいよ、フィリップ。もういいから…。…さっきさ、『お前には恨みはない』って言ってたじゃん、叔父さん。…誰かに指図されたの?あたしを殺すこと」
「…」
「…答えねえのなら、耳か鼻を削ぎ落とすぞ」
フィリップが短剣のグリップに力を込め、ニコロの首筋に金属の冷たい質感が伝わった。
「わかった!すまない、答えるから命だけは助けてくれ!…ナタリア、俺はある人物に君の暗殺を依頼された。その人物は…、……君の母、アマータ・ロゼッティだ」
「…ふざけるな!そんな出まかせを口にした事を地獄で後悔しろ!…死で償え!」
フィリップは勢いよく剣を振り上げた。
「ヒィッ……!」
「やめてよフィリップ!」
ナタリアはフィリップの手首を掴んで必死で制止した。
「はなせ!こいつはお前の母君を愚弄したんだぞ!」
「やめてってば!!!!」
「バガアアアアッッッッッッ!?」
ナタリアはフィリップの腰に飛び膝蹴りを食らわせ、フィリップを地べたに倒れ込ませた。
「い、痛えじゃねえかよ…。なんなんだよ…」
「…それはこっちのセリフだよ。どうしたの今日?いつもの冷静なフィリップはどこ行っちゃったのさ…。…あのね、叔父さんが言っていることは多分本当だよ」
「あ…、んだと…!」
フィリップは背中をさすりながら立ち上がった。
「本当に…、お前の母君が…?」
「うん、そうだと思う。あの人であれば、そういうことを”やりかねない”からね。…それで、叔父さんにお願いがあるんだけどさ、…あたし殺そうとしてたことは見逃すからさ、…見逃すんだけどさ、叔父さんは『確かにナタリアの殺害に成功した』ってアマータさんに報告してほしいんだよね」
「はあ!?こいつ殺さねえのか!?それにお前が死んだことにするってどういうことだ!そんなことになったらずっと身分を隠して生きていかなきゃならなくなるかも知れねえじゃねえか!お前がそんな器用なことできるわけねえだろうが!…それによ、……お前、何も悪くねえのに、これだとお前ばっか我慢してんじゃん…」
フィリップの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「フィリップ…、大丈夫だよ、大丈夫だから…。…あたしはね、もっとアマータさんのことしっかり調べて、全て明らかにしたいと思ってるんだ。…そのためには、やっぱり君の力が必要なんだよ。…フィリップ、手伝ってくれるかい?」
ナタリアは、フィリップの頭を優しく撫でた。
フィリップは涙を拭い、自身の頬をパチンと叩いて、ナタリアの手を取った。
「俺でよければ、いくらでもお前の力になる。協力させてくれ」