6. ハービンジャー
〈時刻2413時。インド、ムンバイ〉
直樹達は戦闘準備を開始した。防弾強化された車に乗り込む三人。運転手席には珠子、助手席には直樹。後部座席には由恵が搭乗している。さらに由恵がプログラムしたHX‐5アンドロイド十二体が四体ずつ、車両三台に分乗していた。車両は計四台。
「まさか俺達がテロリストになるとはな」
直樹、珠子、由恵はブラックレインボー・スペード兵士と全く同じ格好をし、装備もスペードに準じたものを携行している。主武器はMK‐74C(CR)。予備武器としてはCQN‐8D(PDW)。CQN‐8Dは専用弾薬と専用付属ホロサイトを使用し、装弾数は40+1発。片手でもフルオート射撃でき、ブラックレインボー・スペード部隊で主に使用される。
零課の特徴である光学迷彩機能付き戦闘スーツやNXF‐09、NXA‐05等は一切装備していない。三人はスペード兵士に扮していた。
「衛星からの映像は正常。標的車両をロック。基地内のセキュリティシステム、監視カメラ、ドローン、ジャマーも全てハッキング済み」
由恵が人工衛星及び監視カメラから標的車両と基地内部を監視。さらに、サンタクルズ空軍基地、アフリカのツシェム空軍基地、フィセム・アフリカ社も念のため人工衛星でそれぞれ見張っていた。由恵の得た情報はすぐさま戦術解析が施され、直樹と珠子のUCGに同期された。
標的車両の位置が赤い丸で囲まれ、脅威となるものは対象頭上に赤い点が表示される。
「由恵、情報リンクを確認したわ」
珠子は同期した情報がUCGに正しく反映されていることを確認した。
「了解。はあ、私なんかが海外任務に参加することになるとは……」
由恵がそういうのも無理はなかった。彼女は元々、民間人。警察官でもなければ軍人でもない。しかし彼女がただの民間人というと少々語弊があるかもしれない。
「伝説のハッカー〝レインマン〟が何言ってるの」
現に今、由恵はクローバー・グローバル・トランスポート、アリュエット・スペース・システムズ、インド軍、アメリカ軍の人工衛星をハッキングしていた。これはブラックレインボーや第三勢力への情報伝達遅滞を目的としたものである。
「いや、それは昔の話だし」
「ちょっと待て。レインマンって、あの雨男事件のレインマンか?」
《レインマン事件》
八年前、とあるハッカーが世界を席巻した。国際刑事警察機構、零課を含む各国諜報機関、政府中枢、大企業へハッキングし、機密情報を洗いざらい盗み取っていったのだ。それもわずか二日で。そして、ここからが本題だ。通常のハッカーとは違い、スタンドアローン型コンピュータ内や紙媒体の最高機密情報までも盗み去った。後の捜査で、所内アンドロイドや警備ロボット、情報処理型サイボーグ等にハッキングをかけ、彼らに情報を盗ませたことが判明。いわゆる間接的なハッキング攻撃も実施されていたのだ。
その後、そのハッカーは身代わりアンドロイド(アバター)を用いて、メディアや市民の前に現れるようになる。「見えぬ闇が世界を蝕んでいる」と。事件名の由来は必ず雨の日に現れることから。これは由恵なりの光学迷彩対処だった。由恵はブラックレインボーに関する機密情報を手に入れたことで、ブラックレインボーに命を狙われることになり、結果、零課が保護することとなった。これは由恵の持つハッキング能力と情報が零課にとって有益なものになるという判断からである。
「そうよ。由恵って超O級ハッカーなの。公安の中では有名」
珠子は警察庁警備局警備企画課(第八課)の出身。世間ではゼロの異名で知られている公安だ。レインマン事件当時、珠子はレインマンである由恵を追っていた。
「そうだったのか。知らなかったな」
一方、直樹は広島県警の特殊部隊HRT出身である。公安警察官ではない。そのためレインマン事件にそれほど関与していなかった。
「あの時、結果として零課にハッキングしておいて良かった。いい加減、私もブラックレインボーとお別れしたい」
レインマン事件当時に由恵が入手した情報を元に、今回ナミビアのブラックレインボー・ハート部門地下研究所を特定。零、一、響の三人がナミビアに派遣されたのだった。現状、由恵のハッキング能力は零課一である。
「それじゃ、行くよ」
珠子の言葉を合図に、四台の車が一斉にサンタクルズ空軍基地へ発進した。
〈サンタクルズ空軍基地〉
インド空軍基地の一つであるが、無人航空機の発展により有人機の離着陸訓練は減少。さらに、スクランブル発進もほとんどが無人機にうって変わっていた。そのため、サンタクルズ空軍基地では政府による承認と空軍との契約により、民間企業でも滑走路と格納庫の使用が可能である。ただし、利用のためには空軍側が提示した条件及び多額の契約金が必要である。なお、このような民間企業の空軍基地利用は他の国でも少数ではあるが見られる。
世界一の輸送企業クローバー・グローバル・トランスポート(CGT)は自前の空輸網に空軍基地を組み込んでいる。また、輸送機の護送任務は世界一の民間軍事警備企業アリュエット・セキュリティ・サービス(ASS)へ委託されており、その様子はさながら本物の空軍のようだ。CGTの顧客としてフィセム社やトクロス社が挙げられる。
「こちらシヴ。サンタクルズ空軍基地に到着。入国手続きと各車両のメンテナンスが終了次第、トクロス社ムンバイ支社へ移動を開始する」
ブラックレインボーの輸送を担うクラブ部門のクイーン、シヴ。彼女は直属のアンドロイド兵AS‐5Qとクラブの人間精鋭部隊〈クラブ・エース〉隊を引き連れ、周囲を警戒していた。彼女達は表向きASS社員であるが、フィセム・アフリカ社の荷物を輸送しているのは間違いない。まさか、ASSやCGTが国際犯罪シンジケート〝ブラックレインボー〟と繋がっているなんて、インド政府、インド空軍は想像もしていないだろう。
『シヴ、気を付けろ。サイファーは間違いなく我々の邪魔をしてくるはずだ』
通信相手はクラブのキングにして、CGTのCEOミラー・レッドフィールド。ブラックレインボーの巨大な密輸ネットワークを支え、同時に国際社会の物流ネットワークを支えている。そう。ブラックレインボーは既に表世界を、人々が暮らしている世界を大きく侵食していた。
「……噂をすれば。お客さんが来た」
『総員に告ぐ、テロリストの襲撃だ!これは演習ではない!繰り返す!これは演習ではない!』
基地内に響き渡る襲撃アナウンスと激しい銃声。
「イズンの仇は私が取らせてもらう。奴らは私の獲物だ。通信終了」
〈サンタクルズ空軍基地(ゲート付近)〉
「滝、左から2、右から3だ!」
「了解!」
基地ゲートを車でそのまま突き破り、直樹達は任務を開始した。
侵入者を止めるべく守衛が小銃を構えるが、その額に直樹が銃弾を命中させた。零課は本来、インド軍と敵対する必要はない。しかし、零課の存在は秘匿されるべきものであり、なおかつ、どこまでブラックレインボーが浸透しているのか分からない。
そのため、相手の意表を突くべく、直樹達はブラックレインボーの犯行として事に当たることにしたのだった。元々、直樹達がインドに訪れた理由はアダマス・ハイ・インダストリーズのアンドロイド工場への侵入及び工作任務。この任務は零達がナミビアで行動をしていた時刻とほぼ同時刻に実施され、完遂された。
「よし、由恵! ヘクスを展開して!」
「了解。行っけ。私のヘクス達!」
後続の車両にいるHX‐5を車両から降車させ、追手のインド兵を相手させる。
「そろそろ俺らも降りるぞ。相手はどうやらクイーンのようだからな」
「カバーする。由恵そっちは?」
「大丈夫。降車済み」
直樹と珠子は前衛を務めながら、障害となるインド兵とASS兵を排除していく。
「敵選抜射手を排除する」
後衛には由恵が控えている。彼女の手足であるアンドロイド兵HX‐5は高度な連携を取りつつ、確実に周囲を制圧していた。由恵も自身のMK‐74Cで降りかかる火の粉を払い、前進していた。由恵が放った弾丸は二人のASSの選抜射手を撃ち抜いた。
「来たか、サイファー。クラブ精鋭のエース隊とインド兵の両方を相手しながら、それでもなお向かってくる。やはり人間は面白い」
シヴは配下のAS‐5Qを護送車両中心に散開させつつ、エース隊を前線に上げ、さらにインド政府へ支援を要請していた。名目は〝サンタクルズ空軍基地を襲撃しているブラックレインボーの武力制圧〟である。
「来い、ブラックレインボー。この私が滅してくれる」
彼女の手にはウィドー・ファイア・アームズが開発したUxE‐03が握られている。
UxE‐03はクイーン用の兵器として開発された、携行式多用途可変型高出力レーザーキャノン。収納された銃身を延長することで射程と威力を向上させることができる。最小長1.25メートル、最大長1.87メートル、重量29.3キログラム。付属品は距離測定器、不可視レーザーサイト、出力調整タッチパネル。
銃本体上前部に取り付けられたキャリングハンドルと上後部のレバー式エルゴノミックグリップを持ち使用する。通常時は連射式レーザー銃として使用でき、さらにレーザーを放射し続けることでレーザーブレードとしても使用可能。レーザーキャノン時には銃身がレールガンのように上下に展開し、エネルギーの増幅と収束を行う。最大出力で使用すれば対光学装甲を持つ戦車ですらただでは済まない。
すぐそこで由恵のHX‐5二体が見るも無残にバラバラになった。
「くそっ! レーザー機銃か! すげえもん出して来たな!」
「当たれば一瞬であの世行きだ」
直樹の言葉に対し、珠子がつぶやいた。
レーザー機銃の光速射撃を避けるため、三人はそれぞれ格納庫や基地内に置かれた戦闘機の背後に隠れた。
「隠れ続けることはできないぞ。逃げ場などない。ここがお前達の墓場となる」
対ブラックレインボー戦闘という名目とはいえ、シヴであってもインド空軍所有物である戦闘機や攻撃機、無人機を闇雲に破壊するわけにはいかない。表向きはASS社員なのだ。もし、これらを損壊すればインド空軍と責任問題や賠償金問題に発展する可能性が高い。
「私が試してみる」
由恵のHX‐5四体がシヴに対し、左右から同時攻撃を仕掛ける。
だが、シヴはその場を動かなかった。
「甘い」
シヴの周囲をシールドが覆い、HX‐5からの銃撃を偏向、無力化した。
それだけではない。シヴはシールドを展開したまま、UxE‐03によるレーザー射撃を行い、全てのHX‐5を蜂の巣にした。
「おおっと、まさかの非対称透過シールド。これは予想外」
由恵が驚いたのも無理はない。ブラックレインボーが非対称透過シールドを実用化していたのは想定外だった。通常、シールドを展開した場合、相手からの攻撃を防ぐだけでなく、使用者の攻撃も遮ってしまう。対照的に、非対称透過シールドは〝相手の攻撃を防ぎながら、使用者の攻撃を通すシールド〟を指す。使用者からの攻撃を透過し、敵からの攻撃を防ぐ。この非対称性が非対称透過シールドの強さである。
「どうする? このままだとインド軍やASSの増援が来てしまう」
直樹は用心のため、ゲート付近に高性能爆薬P3を四つ設置しているが、本格的な応援部隊が来れば足止めにもならないだろう。それにサイボーグ兵やアンドロイド兵がいれば爆薬を見破られる可能性が高い。
「どうにかしてあのシールドを取り除かないと。由恵、何か方法はない?」
「直接は取り除けないけど、間接的になら除けるかもしれない。おそらくレーザーもシールドもエネルギー供給源として、サテライト太陽光発電システムにかなり依存している。発電衛星をハッキングすればエネルギー供給が停止し、シールドが消えるかもしれない。ただそうなったとしても、あいつは内蔵されたパワージェネレーターで対応してくると思う。油断は禁物」
由恵が注目したのはシヴのエネルギー源。高出力レーザー兵器やシールドを使用するには膨大なエネルギーが必要である。通常、携行式レーザー機銃やパーソナル・シールドを安定的かつ持続的に使用するには背中に大容量パワーセルを背負うか、サテライト太陽光発電システムによる遠隔高速充電が必要だった。
見たところシヴの背中にはパワーセルではなく、予備武器と思われる実弾銃VE‐94U(PDW)二丁が確認できる。一方、UxE‐03の上部にはサテライト太陽光発電システムからの電気エネルギーを受容する小型パネルとアンテナが付いていた。
「二人にはハッキングの時間稼ぎをお願い」
「分かった」
「任せておいて」
直樹と珠子はASS兵を排除しつつ、標的車両へ前進。シヴの気をこちらに誘導する。
「そこか。もはや後はない」
直樹がシヴに見つかった。レーザー掃射を間一髪髪ローリングでかわし、大型輸送機SC‐3の陰に隠れることに成功。だが、シヴがこのまま距離を詰めてくれば命は助からない。遮蔽物は何もなく、走って逃げられるような相手ではない。
「お前は私の獲物だ」
直樹の元に迫るシヴ。直樹は反対周りに移動しながら距離を取ることにした。
しかし、それはあまりにも苦しい選択だった。
その行動はシヴに見透かされていた。
シヴはUxE‐03によるレーザー照射で、SC‐3の胴体部を垂直方向に切断し、直樹を見つけた。
「見つけたぞ」
由恵はシヴに電力を供給している人工衛星を探し始めた。各国軍事衛星、世界企業連盟、それら以外の衛星。無数にある候補の中からインドのサンタクルズ空軍基地に供給座標を合わせているものを絞っていく。
「これだ」
ASSの人工衛星〝ASS2245M〟とCGTの人工衛星〝CGT3F55H4P〟の二つが見事ヒット。この二つはシヴに向けて電力を供給していた。
「早くこの二つを停止させないと。くっ、想像以上にセキュリティが強固だね」
衛星のセキュリティシステムは並大抵のハッカーが突破できるような代物ではなかった。
「これは人工知能が構成したプログラム。人間が組めるはずがない」
電子戦特化型サイボーグである由恵であっても、即座に突破できない。これほどのセキュリティシステムを見たのは久しぶりだ。
「国連の人工知能プロビデンスによる国連軍次世代電子防衛構想……それに基づいた新世代セキュリティだ」
彼女は以前、これと似た防衛プログラムを見たことがある。国連軍の電子防衛網だ。八年前、国連軍にハッキングした時に見た。
「間違いない。このプログラムはプロビデンスのものだ。だけど、今はそんなことどうでもいい。これでシャットダウン!」
人工衛星〝ASS2245M〟と〝CGT3F55H4P〟の機能は完全に停止した。加えて、由恵はシヴへ他の人工衛星が電力供給を行わないよう、サテライト太陽光発電システムに関連する全ての人工衛星に若干の細工を施した。
「見つけたぞ」
シヴの冷徹な眼光。相手は標的を目の前にして、みすみす逃すような存在ではない。
(ここまでか……)
直樹はシヴと正面と対面し、死を覚悟した。
自力ではどうにもならない状況。
幸いなことに死を覚悟したのは人生でこれが最初ではない。
恐怖はそこまで感じなかった。
「ここで死ぬがいい、サイファー」
シヴのUxE‐03が眼前に迫る。
しかし突然、シヴの非対称透過シールドが消失した。
「何だ!?」
この異常事態にシヴは驚きを隠せなかった。
「今だ!」
直樹は左へサイドステップし、その後ろで隠れていた珠子がタイミングよくシヴを狙撃した。
「くっ、サブシールド起動!」
非対称透過シールドを失ったシヴは内蔵パワージェネレーターからエネルギーを流用し、予備シールドを展開。珠子の狙撃を無効化した。
「この私に相対したことを後悔しろ!」
サブシールドを解除し、報復として珠子へレーザーを連射した。
「ご機嫌斜めな女王様だ」
体勢を立て直した直樹はすぐにシヴへ狙いを定め、MK‐74Cの引き金を引いた。またしても攻撃を避ける気配のないシヴ。
(まだ何か隠しているのか?)
直樹の不安をよそに、シヴは銃弾をまともに受けた。計十六発。撃った全弾が命中したのだ。それでも彼女は物ともせず、珠子への攻撃を続けた。彼女は機動性を犠牲にし、火力と防御力に特化したクイーン。全身は重装甲多用途戦車にも採用されるエレクスド・カーバイン複合装甲で構成されており、関節部はバイオ・ナノ複合素材であるプロテオ・フェゲムミックスが使用されている。ライフルの銃撃ぐらいでは彼女に十分なダメージを与えることができない。
「おいおい、シールド無くても随分頑丈じゃないか女王様」
直樹はMK‐74Cのダブルマガジンを交換。片方を対重サイボーグ用徹甲弾、もう片方を対人用炸裂弾のマガジンにした。
「これならいけるか」
『シヴ、聞こえるか』
「はい、ボス。現在、サンタクルズ空軍基地で戦闘中です」
『手こずっているようだな』
「いえ、そんなことはありません」
『遠慮しなくてもよい。基地が炎上しようが、インド兵が死のうが構うことはない。やれ』
「イエス・ユア・マジェスティ。フィンブルヴェト・モード」
ボスの命令を受け、シヴはUxE‐03の銃身を伸長させた。これにより、UxE‐03の射程と威力及びレーザーキャノン充填時のエネルギー収束速度が向上することとなった。彼女は早速レーザーの収束を開始。UxE‐03に充填されたエネルギーの輝きが徐々に強くなっていく。
「何だか嫌な予感がする。鶴間! そっちは無事か!?」
「えぇ、何とかね。あいつは基地ごと吹き飛ばすつもり?」
「多分、私達〝ブラックレインボー〟のせいにするつもり」
三人の考えていることは全て当たっていた。
シヴはレーザーキャノンを直樹に向ける。
「嘘だろ」
直樹は傍で倒れていたASS戦闘員のコンバットベストからA1ソニック・エクスプローダーを取り出し、自身の前へ投擲した。
A1ソニック・エクスプローダーが空中で起動。一瞬にして周囲の大気を圧縮したかと思うと高圧縮された大気が即座に解放され、広範囲に衝撃波を発生させた。衝撃波はレーザーキャノンの軌道を逸らし、直樹とは関係のない場所に着弾した。外れたレーザーキャノンは地面に大きな穴を開けており、その強力な威力を物語っていた。
「危ないところだったな」
「衝撃波で軌道を逸らすとは味な真似を」
ソニック・エクスプローダーは小型衝撃爆弾。強烈な衝撃波によって敵を無力化する準非殺傷兵器である。完全な非殺傷兵器ではなく、爆心地に近ければ近いほど、衝撃が強いため、人間ならば肋骨を折る可能性があった。
「直樹、離れて!」
由恵の声に直樹はすぐさま反応した。シヴから距離を取る。特徴のある爆音が空に響いていた。
「ん? この音は……」
シヴは接近してくるエンジン音を拾った。この音は軍用ジェット機のものである。
「まさか無人機か」
上空にはインド空軍の無人多用途戦闘機UM‐22が三機。これらの無人機は由恵が完全にシステムを掌握している。インド空軍防空網もだ。つまり全てハッキング済み。由恵はUM‐22の火器管制システムを遠隔操作し、使用兵装として無誘導爆弾BK‐8vを選択した。
「これならどうだ」
シヴへ向けて三機の無人機が無誘導爆弾BK‐8vを投下、一気に地上を粉砕した。少なくとも六回の爆発が生じ、爆炎が上がる。
「……やったの?」
「どうだかな」
珠子と直樹が様子をうかがう。
爆炎の中はよく見えない。
「さすがに今のは厳しかったぞ。この私に傷を付けるとは」
三人は爆炎をかき分け、歩み寄って来る影を見た。シヴだ。
「だが、私を仕留めることはできなかったようだな」
「ちっ……あれでも駄目か」
直樹は再び銃を構えた。
UM‐22による爆撃自体は成功したが、シヴはシールドによる自己防衛で爆撃の被害を軽減していた。ただシヴも無傷というわけにはいかなかった。サブシールドへのエネルギー供給で過負荷を受けた内蔵パワージェネレーターは機能が大幅に低下。シールドを安定して発動することは不可能となり、レーザーキャノンの使用も不可能となっていた。
しかし三人の持っている武器ではシヴに致命的なダメージを与えることは難しい。相手はエレクスド・カーバイン複合装甲で構成されている。つまりシヴは歩く戦車だ。火力が落ちたとはいえ、UxE‐03が恐ろしい武器であることには変わりない。
『シヴ、聞こえるか。所属不明のティルトローター機が南西からそちらに向かっている。今は空中で停止しているようだ。距離にしておよそ10キロ』
突然、クラブのキングであるミラーから通信が入った。
「所属不明機?」
所属不明。それがシヴとミラーにとって想定外のものだった。なぜならブラックレインボーはあらゆる人工衛星と各国軍の防空レーダーを掌握しているからだ。ASSやCGTといった大企業の私有衛星もある。これらによりブラックレインボーは組織の動きを制御し、世界を操ってきた。インド空軍の防空システムがサイファーに掌握されているのは先の無人機による爆撃で分かっている。だからこそ〝所属不明〟であることが問題であった。インド軍機ならばブラックレインボーの情報網に引っ掛かるはずがない。
「何者だ?」
さらに理解しがたいのが、空中で停止しているということ。Rz‐72の最大速度は時速605キロ、巡航速度は時速552キロ。この基地まで来ようとすればすぐに来れるはずだ。シヴには全く意味が分からなかった。
ヒュン!
ガシャッン!
シヴの右腕がいきなり吹き飛び、手にしていたUxE‐03を地面に落とした。
「なっ……狙撃だと……」
正確無比な狙撃。それも狙撃地点は約十キロ先の上空。先ほど報告のあった所属不明機からだ。間違いない。
「ふざけっ……」
ヒュン!
ガンッ! ドンッ……
次はシヴの頭が胴体から離れ、地面を転がった。胴体の真ん中には大きな穴が開き、パワージェネレーターは完全に破壊されていた。身体はもはや使い物にならない。だが頭部は胴体から離れても独立して機能しており、シヴは意識を保っていた。彼女はアンドロイド。そのためサイボーグ以上の完全性を有していた。にも関わらず、人間相手にこの様だ。
「ボス、相手はやはり一筋縄ではいかないようです」
ヒュン!
最期の刹那、シヴは自身へ飛来してくる弾丸を見た。
文字通り、自身へのとどめを刺すためのもの。
とても人間業とは思えない。
それでもこの弾は紛れもなく人間が放ったものだ。
「おのれ……」
バシャッン!
シヴの頭部は見る影もない程、綺麗に、そして無残に吹き飛んだ。
「隠れろ! 狙撃だ!」
直樹は状況を飲み込めない。が、目の前に映るのは飛散したシヴ。間違いなく対物ライフルの類だ。エレクスド・カーバイン複合装甲を貫通できる銃はそうそうない。
「ヘリの音?」
通常のヘリコプターよりは静かな音だが、高速で接近してきている機体が一つ。
「あれ見て。Rz‐72よ」
「おいおい。また敵か?」
三人は武器のマガジンを換え敵襲に備える。
『基地襲撃犯に告ぐ! 全員武器を捨てて投降せよ! 我々はアメリカ海軍だ! 無駄な抵抗は止めよ! 繰り返す! 全員武器を捨てて投降せよ! 我々はアメリカ海軍だ!』
Rz‐72機体下部のライトに照らされた三人。状況からして逃げることも、強行突破するのも無理だろう。ここはこの場をどうにか忍ぶことの方が重要だ。直樹達は相手の要求を飲み、武器を捨て、相手に分かるよう両手を挙げた。
機体側面からロープを伝って降下してくる水兵達。
直樹は彼らの格好を確認した。特殊部隊用ヘルメットと目出し帽、UCG、戦闘スーツを着用し、武器としてはMK‐54Fカービンライフルを装備していた。左肩には所属部隊を表すパッチが見える。パッチには円状に〝WE'RE NOWHERE, EVERYWHERE〟と書いてあるだけで、他は何も描かれていない。目出し帽で顔は見えないが、相手の目つきから恐るべき実力を秘めていることは伝わってきた。
(MK‐54F? ということはシールズか?)
MK‐54Fは水中での使用も想定して開発された特殊部隊向けカービンライフル。装弾数は25発+1の計26発。MK‐74Cと比べると有効射程が若干短い。しかしながら、MK‐54Fの方が耐久性と静音性に優れている。隠密任務にはうってつけの銃だ。
水兵達が直樹達を取り囲み終えると、Rz‐72が完全に着陸した。後部ランプが開き、中から指揮官らしき軍服の女性がやってくる。
「私はヘカティア・ブリューゲル。貴様達を迎えに来た」
よく知っている顔を見て三人は安堵した。彼女ならば地平の彼方にいる標的でも射抜けそうである。寸分の狂いもない理想的な狙撃。シヴを狙撃したのは彼女に間違いなかった。
「どうした? さっさと乗れ」
ヘカティア、もとい零に促され、三人はニンマリとするしかなかった。
〈Rz‐72〝ブルーバード7〟機内〉
「おかげで助かりました」
救出された直樹達は席に座り、体力の回復に努めていた。
「三人とも無事で何よりだ。今のうちに休んでおけ」
機内にはシールズ隊員の格好をした一や響、ブライアン、進、健がいる。今は全員、ヘルメット、UCG、目出し帽等を外してその素顔を出していた。
「次の任務も甘くはないからな」
先の狙撃で使ったのだろうか。隅にあるガンケースには新型のスナイパーライフルXSR‐99Lが収められている。この銃は試作銃XR‐99超電磁式スナイパーライフルを基に誘導弾狙撃システムを排し、狙撃手の腕を反映する長距離狙撃銃へと改造されたものだった。
XR‐99は零課のケナンと国防省先進技術開発局が協力して開発した次世代試作型超電磁式スナイパーライフル。超長距離の標的を正確に射抜くためのハイテク狙撃銃であり、偵察衛星、偵察ドローン等の偵察デバイスによってマーキングされた標的を専用の誘導弾で狙撃する。放たれた誘導弾は自動で軌道を修正し、標的に目がけて飛翔するため、非常に高い精度で標的を射抜くことが可能。これらの最新鋭狙撃システムは狙撃手の負担を大きく軽減し、狙撃技術を会得していない者でも超長距離狙撃を可能にさせていた。ただし欠点も多い。まず高度なシステムで費用が高額であること。次に電子攻撃耐性に難があり重量があること。最後に誘導弾そのものが妨害される可能性がある。ハイテク銃であるがゆえの弱点だ。
「これから我々はアメリカへ向かう。作戦名はワイルドファイア。任務はBCOの救出とブラックレインボー勢力の排除。向こうには課長のツテで話が通っている。おそらくこの任務が世界の分け目になるだろう」
零は次の任務概要を皆へ話し始めた。
〈某国、某所〉
ボスはシヴが倒されたことに驚きを隠せなかった。まさに想定外の事態だ。
「レインマンは死んでいなかった、というわけか。実に忌々しい」
ボスの想定外を引き起こしたのは由恵の存在。八年前、レインマンの名で世界を震撼させた伝説のハッカーである。ブラックレインボーでもレインマンを超えるハッカーを見つけ出すことは出来ず、そして育成することも出来なかった。
「《新秩序》への障害は必ず排除する。サイファーもだ」
プルルッ。
『総帥、BCO副局長ラリー・C・ベア氏と同エージェントのサム・クライン氏がお見えになりました』
近衛兵であるアンドロイド兵ASN‐5Gがデスク上にホログラム映像として表示される。来客の知らせだ。
「分かった。ここに通しなさい」
予測通りだった。国連軍総司令官ニンバスはこの二人が来るのを待っていた。
〈国連軍 総司令官執務室〉
サムとハワードの調査報告を受け、事態を重く見たBCO局長は国連軍総司令部に副局長とサムを派遣した。軍中枢や政府関係者にブラックレインボーの内通者がいるとなれば、もはやアメリカだけで解決できる事態ではない。その判断は当然といえた。
総司令官執務室に招き入れられたラリーとサムはさっそく本題に入る。
「アルヴェーン総帥、率直に申し上げます。アメリカ軍はブラックレインボーによって裏から操られている可能性があります。このところ、MTF214の失態が続いていますが、これも彼らによる手のものかと思われます」
ラリーはMTF214に関する報告書をニンバスに手渡し、さらにホログラム映像でシャドウ・リーパーに関するデータも表示した。
「そして、彼らの次の目的はシャドウ・リーパーの壊滅と推測されます」
「確かにこれは重要な問題だ。まさか、ブラックレインボーがここまで深く入り込んでいるとは。エージェント・クライン、ブラックレインボーが次にどのような手段を取るのか、君の率直な意見を聞かせてはもらえないだろうか」
ニンバスに促され、サムは自分の思っていることを述べることにした。
「アメリカ軍を操ることで国連軍の弱体化を狙っているのは間違いありません。最悪の想定としては国連軍がブラックレインボーの手に落ちることです。内通者がいる可能性は捨てきれませんし、BCOの調査では世界企業連盟がブラックレインボーと繋がっているとの報告もあります。人々の生活を支えている大企業がもしも国家や国際社会に反旗を翻せば、その影響は想像もできません。さらに、国連軍まで掌握されてしまっては、世界はブラックレインボーの意のままに操られることでしょう。私はブラックレインボーがただの犯罪組織だと思っていません。彼らは最初から世界を転覆させるつもりで、長年活動してきたと思っています」
サムの意見はこの場にいないエージェント、ハワードと一致していた。ブラックレインボーは闇雲にテロ行為や戦闘行為をしているわけではない。世論を、世界を上手く誘導していた。全ては計算なのだ。
「突拍子もない話に聞こえるが、ここまでデータが揃っている。貴方達の言う通り、ブラックレインボーはことごとく我々を欺いてきた。無視するわけにはいかない。まずは裏切り者を炙り出さなければ……衛兵」
ニンバスの言葉に合わせて、アンドロイド兵ASN‐5G二体が執務室に入って来た。
「一体、これは!」
ラリーの叫びも虚しく、彼はアンドロイド兵のスタンバトンで気絶させられてしまった。
一方、サムはすぐに気絶しなかった。しかし、それは偶然の数秒に過ぎない。薄っすらと、霞がかった意識が辛うじて残っていた。
プルルル……
ニンバスは卓上のホットラインを使って、誰かと連絡を取り始める。
「大統領、裏切り者は貴方の身内だったようだ。分かるな? 為すべきことをしたまえ。慈悲は無用。BCOを粛清せよ」
ニンバスの相手はアメリカ合衆国大統領。元々、BCOはニンバスの催促を受け、現大統領が創設したものだ。狙い通り、アメリカとブラックレインボーの戦いは激化した。これにより世界企業連盟の利益は右肩上がり。特に軍需産業大手であるアリュエット・セキュリティ・サービス、アダマス・ハイ・インダストリーズ、ウィドー・ファイア・アームズは莫大な利益を上げた。対ブラックレインボーを名目とし、国連軍が編成され、国連常備軍は軍事費が二倍以上になった。BCOは上手く機能した。期待通りの成果だ。
そう、もはや彼にとってBCOは用済みとなっていた。
アメリカにはブラックレインボーの用意した偽装資料が提供され、まもなくBCO関係者は全員、生死問わず国際指名手配となるだろう。
(まさか貴方が……)
意識が完全になくなる頃にはアンドロイド兵によって、二人は総司令官執務室から連れ出された。
そして、二秒後。
隣の部屋から二発の銃声が響いた。
ブラックレインボーのボス、ニンバス・アルヴェーン。彼は国連軍及び国連常備軍の総司令官であり、世界企業連盟を影から操る事実上の指導者でもある。地球上、最も恐ろしい頭脳の持ち主だろう。その証拠に今、この世界で最も権力を握っているのは彼であった。
ニンバスは義眼からブラックレインボー幹部達を呼び出した。
「機は熟した。〝レクイエム〟を実行せよ」
キングやクイーンを含む各地全ての幹部らに〝レクイエム〟の実行命令を下した。
〈パキスタン、ISI本部〉
ブレインシェイカーによる洗脳戦闘兵や内通者の工作もあって、パキスタン政府、軍、警察は大きく混乱していた。さらに交通システムの停止とそれに起因する交通渋滞によって、警察や軍の到着もままならず、政府は非常事態宣言を行うのがやっとであった。加えて報道機関やネットニュースもブラックレインボーにより、正確な情報の把握が困難になっている。
ジョーカーはスペード第七中隊、第十中隊、第二無人兵器群を率いてISI(Directorate for Inter-Services Intelligence:軍統合情報局)本部を襲撃。それは一方的な虐殺といってもいい。その時間、その瞬間、ISI本部にいた職員を次々と抹殺していった。戦闘員、非戦闘員を問わず、徹底的に殺戮し、去り際には建物に火を放った。
「こちらジョーカー、ISI本部は陥落。これよりインドへ向かう」
〈ウクライナ、某所〉
ロシア諜報機関の一つSVR。略称としてはエスヴェーエルとも呼ばれる。本来、SVRはCIS(Commonwealth of Independent States:独立国家共同体)諸国での諜報活動は協定により禁止されている。ゆえにCIS諸国での諜報活動はFSB(Federal Security Service of the Russian Federation:ロシア連邦保安庁)又はGRU(Glavnoye Razvedyvatelnoye Upravleniye:ロシア連邦軍参謀本部情報総局)の管轄である。しかしながら現在、ウクライナとロシアの関係はブラックレインボーの謀略もあって悪化し、ロシアは協定を事実上白紙化。強硬姿勢を崩さないロシアは自国の安全保障問題解決のため、ウクライナへSVR隷下の特殊部隊ザスローンを秘密裏に派遣した。
問題なのはウクライナへのザスローン部隊派遣をさせたのもブラックレインボーであり、ソールはザスローン部隊の殲滅という任務を既に遂行し終えていた。
「いよいよ宴の時間だ」
戦闘部門スペードのクイーン、ソール。彼女は強襲及び掃討用として開発されたアンドロイドである。他のクイーンと異なり、幼い女の子の姿をしているが、これは主に三つの効果を期待している。一つ目は戦場において相手を油断させるため。二つ目は被弾面積を減らすため。三つ目は重量軽量化のためである。
主兵装は携行式多用途レールガンUxE‐07。榴弾、徹甲弾、閃光弾、焼夷弾、EMP弾といった各種弾頭を使用可能。全長1.52メートル、重量12.7キログラム。連続射撃することを前提に大型給弾箱と専用給弾ベルトを装備している。副兵装は両大腿部ホルスターのガンブレード及びイビルアイ(遠隔支援ユニット。デッドアイよりも小型であり、自己防衛シールド、ステルス・スキャナーを内蔵)七基。さらに補助兵装としてハイマニューバ・フロートスラスター(空戦特化型フロートウイング。通常型を上回る旋回力、推進力、航続時間、レーダー非探知を実現)、広域ストラテジック・ジャマーを装備している。
ソールはハイマニューバ・フロートスラスターを使用し、空を飛翔。低高度を維持したままウクライナ対外情報庁に到着した。彼女は空中で止まり、UxE‐07を構える。
「これは私からの贈り物だ」
ソールの無慈悲な笑み。UxE‐07の引き金が引かれ、弾頭が超音速で発射された。
発射された弾頭は〝エリミネーター〟
完全掃討用として開発された対消滅弾頭で核兵器に代わる新世代戦略兵器〈反物質兵器〉である。
ウクライナ対外情報庁に命中した〝エリミネーター〟は着弾地点から渦を巻くよう球状に拡がっていき、対消滅が進行。建物は見る見るうちに消えていく。最終的には地面までえぐり、小さなクレーターが形成された。
そこに生き物の姿はない。
「次はウクライナ保安庁と国防省情報総局」
ソールは続けざまにウクライナの諜報機関へエリミネーターを放った。
「あぁ、実に素晴らしい光景。これからが本番だ」
ベラルーシ共和国に侵入したソールはベラルーシ国家保安委員会の中枢ビルをエリミネーターで消去。さらにロシア領土へ進み、SVR、FSB、GRUの各本部へエリミネーターを撃ち込み、ロシアの脅威勢力を一掃した。その後、スロバキア共和国の「情報庁」「国防軍情報部」「国防省情報本部」、ハンガリー共和国の「軍事情報局」「国家保安庁」「特殊国家公安庁」、チェコ共和国の「保安・情報庁」「国防省軍事情報部」、ドイツの「連邦情報局」「軍事保安局」、オランダの「総合情報保安局」「軍情報保安局」、ベルギー王国の「参謀本部情報部」「国家公安庁」、フランスの「対外治安総局」、イギリスの「ゼニス」「秘密情報部」を襲撃。UxE‐07によるEMP攻撃で電子機器を無効化し、抵抗する人間全てを榴弾で引き飛ばし、建物を瓦礫の山と化した。
「イーグルアイ、こちらアクィラ4。欧州での任務は達成。これよりアジアへ移動する」
〈アメリカ、某州(BCO本部)〉
午後2時、BCO本部の上空にはアメリカ軍のティルトローター機Rz‐72三機がホバリング飛行していた。地上には八輪式兵員輸送装甲車UAT‐30が六台、本部を取り囲むように停まっており、宙にはジャマー・ドローンやスカウト・ドローンが複数展開していた。情報統制も兼ねて周辺の道路は交通規制が陸軍により敷かれている。そのため一般市民がBCO本部に近寄ることは不可能となっていた。これはCIAエージェントや警察でも例外ではなく、この情報規制は最高レベルである。
「イーグルアイ、こちらシャドウ・リーダー。これよりレクイエムを実行する」
Rz‐72の後部ランプと側面ドアが開放され、機体からは次々と第6特殊作戦群の隊員達が降下。隊員達は皆、戦闘スーツを着用しており、空中で停止しているRz‐72から直接跳び下りていた。同時刻、UAT‐30の後部ハッチも開放され、同じく第6特殊作戦群の隊員が降車する。彼らの左肩にはアメリカ国旗と第6特殊作戦群を表す二つのパッチが貼られていた。第6特殊作戦群の部隊章は黒いスペードに薄っすらと黄色の6が描かれており、スペードマークは部隊標語である〝RIGHTEOUS DARKNESS〟で囲まれている。隊員達を降ろしたRz‐72は輸送任務を終え、この場を直ちに去った。
彼らの装備は最新のフルフェイス型防弾HMDヘルメット、第五世代光学迷彩付き戦闘スーツ、FF‐3Mユニバーサル・コンバット・ライフル、N3特殊閃光弾。FF‐3Mの装弾数は34+1発で、セミオート及び三点バースト射撃での運用を想定して開発されている。ただしフルオート射撃も可能である。特筆すべきはその耐久性。緻密な構造をしているにも関わらず、あらゆる環境下で正常に動作するため、第6特殊作戦群の制式銃となっている。アリュエット&ウィドー社製。
しかし最も恐ろしい装備は第五世代光学迷彩であろう。ブラックレインボーによって試験開発されたこの光学迷彩は第四世代の欠点が一つ克服されている。それは使用者の影が出ないこと。正確に表現すれば影を表面の一部として欺瞞している。この技術はもはやオーバーテクノロジーの領域であるが、量子工学の応用であると推測される。
第6特殊作戦群を率いるのはアインス・グレイ。海兵隊の出身で階級は大佐。そしてブラックレインボー・スペードの最精鋭部隊〈スペード・エース〉の総隊長である。
「これは一体、何事かご説明願えますか。グレイ大佐」
守衛の一人がアインスに近寄って来た。守衛らは軍から何も連絡を受けていない。守衛達の動揺をよそに、兵士達は素早く展開し、本部を完全封鎖していた。
「国連軍総司令官アルヴェーン総帥の緊急命令が我々に下された。『裏切り者であるBCOを粛清せよ』とな」
その瞬間、一斉にアインスの部下達が銃を構えて、守衛全員へ向けて発砲。
突然の事態に守衛は銃を引き抜く暇もなく、その場に倒れた。
「全隊、一人残らず掃討せよ」
アインスの命令で各隊はBCO本部への突入を開始した。
『全職員へ通達! コード・オメガ! 繰り返す! コード・オメガ! 非戦闘員は緊急避難プロトコルB7Rに従い避難せよ!』
本部内ではBCOとシャドウ・リーパーの戦闘が繰り広げられていた。BCOは国から捨てられ、孤立無援の状態である。BCO内にも武器庫はあるが、相手はアメリカ最強とうたわれたMTF214のオポージング・フォース。いくら戦闘技能が優れているとはいえ、BCOエージェントらでは太刀打ちできるはずがない。ゆえにBCOは戦闘に勝つことを捨て、一人でも多くの仲間を逃がすことに専念していた。
BCO本部は国防総省本庁舎を参考に建設された地上4階、地下2階建ての三角形状ビルで、外部からのテロ攻撃だけでなく、内部からのテロ攻撃も想定されている。そのため、建物内部は高度な情報セキュリティと防御システムで防護されている。階層単位、セクター単位、ブロック単位、個室単位でセキュリティ制御が可能。防御隔壁、自動機銃、レーザートラップの他、ワイヤートラップ、落とし穴といった古典的な罠まで用意されていた。
「コード・オメガだって?!」
ハワードはアナウンスを聞くや否や、机の引き出しから自動拳銃CrF‐3100を取り出しマガジンを装填した。次に銃のスライドを引き、初弾を装填する。彼のCrF‐3100は拡張マガジンを装着できるように改造されており、装弾数は17発+1の計18発。
「一体どうなってんだよ! クソが!」
コード・オメガはBCOが国から見捨てられたことを表す非常事態コードだ。それも〝国家の転覆を謀った裏切り者〟の烙印である。もう後がないのだ。どういう事情でそうなったのかは分からない。だが、副局長とサムの消息が分からないことから、国連軍総司令部で何かが起こったのは間違いないだろう。
ハワードはUCGを着用し、情報を収集する。
「相手はシャドウ・リーパーか。最悪の状況だな。サム、お前の身に何があったんだ」
汚れ仕事を専門とするシャドウ・リーパーが派遣されたということは、BCO関係者の皆殺しは確定事項だ。日陰者が昼に堂々と動いていることから、今回の作戦は統合参謀本部の独断ではない。政府にも話が通っているはずだ。
「皆の援護に行かないと」
既にシャドウ・リーパーは比較的防御の薄い二階と三階を制圧していた。とりあえずハワードは自室から出て一階にある作戦本部に向かう。
「ん?」
UCGに表示された情報に目を通す。これは国連軍総司令部から各国政府、諜報機関、軍、警察へ向けたものだ。本来、この情報はBCOには送られていない。しかし《オヴニル》を名乗る者からBCOに情報が送られてきていた。
《緊急 アルヴェーン総帥暗殺未遂について》
先ほど、総司令官執務室にてBCO副局長ラリー・C・ベア、同エージェントのサム・クラインの二人により、国連軍及び国連常備軍総司令官であるニンバス・アルヴェーン総帥の命が狙われました。幸い、アルヴェーン総帥は軽い怪我で済み、犯人二人は衛兵によって即射殺されました。なお、事件の経緯としては以下の通りです。以前からブラックレインボーとBCOの関係を疑っていたアルヴェーン総帥はBCOに不審点を指摘し、それらに対する反証をBCOへ求めていました。このため、副局長と代表エージェントが本日、来訪。そして、ブラックレインボーとの関係を隠せないと判断した二名は犯行に及びました。
この非常事態に対して、アルヴェーン総帥はBCO関係者全員を国際指名手配し、各国へ逮捕又は殺害の協力を要請。さらに、ブラックレインボーへの攻勢を強めるため、国連常備軍は四個師団を増設し、サイバー軍の再編を実施することが決定しました。
「アルヴェーン総帥暗殺未遂!? 犯人はBCO副局長ラリー・C・ベア、同エージェントのサム・クライン……なんだこれは!」
さらに、オヴニルを名乗る者からBCOへ別の情報が送信されていた。次の内容はアメリカ国内組織へ送信された緊急暗号通信である。
《大統領V2を発令》
本日、13時48分、大統領命令〝V2〟が発令された。BCOの全権は停止され、軍よるBCO粛清作戦アウターヘブンが実行される。関係部署は協力せよ。なお、特殊作戦軍の全権は国連軍総司令部へ移行される。
「あまりにも話が出来過ぎている」
中央棟一階の作戦本部に到着したハワードは作戦指揮を行っているレイモンド局長に話しかけた。
「局長、状況は?」
「ハワードか。無事でよかった。相手はシャドウ・リーパーだ。戦況としては非常に厳しい。やむを得ないが最終防壁を下ろす。我々が殿だ。あと何分耐えられるか。上は私達を一人残らず消したいようだな」
「情報を我々に提供したオヴニルは一体何者なんですか? 敵の可能性は?」
その質問に対し、局長は即答した。
「敵ではない。心配するな。それにこの名前に関してはモータル・シークレットだ。忘れたまえ」
「分かりました」
局長からモータル・シークレットという単語が出てきたため、ハワードは詮索することを止めた。
「V2発令のためどこに連絡しても意味はない。協力してくれる組織は皆無だろう。世界企業連盟、国連軍、ブラックレインボーが繋がっていたのだ。国内の情報操作など大したことではない。最初から奴らのシナリオ通りだった。我々は粛清されるために組織されたというわけだ」
「せめて、我々のデータが外部に伝われば……」
「ああ。それがせめてもの願いだ」
シャドウ・リーパーの制圧は迅速かつ的確。かつての味方を殺すことに迷いはなく、淡々と任務を遂行していた。負傷して息がある者には確実にとどめを刺し、必要ならばBCO職員を人間の盾として使うこともいとわない。彼らはブラックレインボーのスペード・エース隊であり、そもそも国家に対して忠誠を誓ってはいない。彼らはニンバス・アルヴェーンの意思の延長であり、それ以外の何物でもなかった。
アインスと彼の部下は作戦本部手前の防衛部隊と交戦していた。事実上のBCO最終防衛線だが、抵抗はほぼ鎮圧されていた。殺害したBCO職員は自動的に電子名簿と照合され、HMDに名前と顔写真が表示される。その後、名前が赤色の二重取り消し線により消され、顔写真にはEliminated(排除済み)の印が押された。
防衛部隊を排除すると、シャドウ・リーパーの隊員は入り口を閉じている最終防壁の爆破作業へ移る。彼らは突入用爆薬のBP3を用意し、防壁へ張り付けていた。
「この先が作戦本部だ。爆破後、アルファ分隊が突入、ブラボー分隊はバックアップにつけ。最重要ターゲットはレイモンド局長とマスターキーパー・クルツの二名」
アインスが突入命令を出そうとしたその瞬間、部下から通信が入った。
『シャドウ・リーダー、こちらシャドウ4! シールズと接敵、交戦中!』
BCO本部の外を警戒しているシャドウ・リーパー第一中隊〝シャドウ〟の第四小隊長からの報告だ。
「シールズだと? どういうことだ?」
今や特殊作戦軍の全権は国連軍総司令部が有している。海軍特殊部隊であるSEALsが統合参謀本部直轄のシャドウ・リーパーと敵対するなどあり得ない。しかし、万が一、海軍が独自に事を起こしたとなると話が非常に厄介だ。海軍内部のどこからどこまでということになる。SEALsを動かしていることから海軍上層部はたまたSEALsの独断か。全く想像がつかない、由々しき事態だった。
『それが! うっ……』
ここで通信が途切れた。
「シャドウ3、シャドウ2はシールズを相手にしろ。チャーリー分隊は後方警戒で待機。我々はこのまま突入準備。光学迷彩を起動」
防弾盾を構えたアルファ分隊が前衛を担い、その後ろに続くブラボー分隊が後衛である。
「突入!」
アルファ分隊員がBP3を爆破し、防壁に大きな穴を開けた。続いてN3特殊閃光弾を中へ投擲した。
BCO本部を包囲しているシャドウ・リーパー第一中隊第四小隊。彼らはHMD上で友軍接近のシグナルを確認していた。所属は海軍、装甲車UAT‐30二両。
「なぜ海軍が?」
第四小隊長、コールサイン〝シャドウ4〟は海軍突然の来訪を不審に思い、識別信号をさらに詳しく調べる。だが、画面上には〈アクセス拒否 極秘事項〉と出るだけで、何もできなかった。
「どうやら特殊部隊のようだな。だが、アクセス拒否とはどういうことだ」
特殊部隊の中には確かに極秘部隊も存在するが、シャドウ・リーパー隊員でもアクセスできないというのは今まで存在しなかった。そのため、シャドウ4は速やかにアインスへ報告することにした。
「シャドウ・リーダー、こちらシャドウ4。接近する海軍部隊の反応有り。詳細は不明。どうしますか?」
『そのまま様子を見ろ。万が一、敷地内に入るようなら下がるように言え。それでも引き下がらないようなら発砲を許可する』
「ラジャー」
周辺の道路は陸軍による交通規制が敷かれており、BCO本部まで海軍が到着するはずがない。シャドウ4含め、シャドウ・リーパー隊員はそう考えていた。
だが、その予想は大きく外れた。
海軍の車両は陸軍による制止を受けることなく進行。このことに関し、陸軍からシャドウ・リーパーへの連絡は何もない。おまけに車両はすぐ目の前まで来ていた。
「止まれ! この先への立入は禁ずる!」
シャドウ4の部下達は銃を構え、海軍部隊を牽制している。
そんな中、先頭のUAT‐30の上部ハッチが開き、一人の水兵がシャドウ4の前に降りてきた。
「私はヘカティア・ブリューゲル中佐。ネイビーシールズ・チーム0の指揮官だ」
顔は目出し帽で見えないが、声は女性のようだ。しかし、そこは問題ではない。
(チーム0だと……そのような部隊は存在しないはずだ)
シャドウ・リーパーはあらゆる極秘部隊の存在を知っている。そしてシールズに極秘部隊があるのは知っていたが、まさか永久欠番扱いであるチーム9以外にチーム0があるというのは初耳だった。合衆国における最高機密部隊はシャドウ・リーパーである。シャドウ・リーパーを超える秘密部隊があるとはにわかには信じがたい。
「中佐、情報の開示を願います」
「そちらにアクセスコード及び機密情報ナンバーを送信する。確認しろ」
《アクセスコード:29eaFU4ri8》
《機密情報ナンバー:N0000‐0NN‐00》
《タイムパス:50aPn5d1R》
シャドウ4はHMDを使って軍の機密情報ファイルにアクセス。相手の指示通りにアクセスコード、機密情報ナンバー、タイムパスを入力する。
〈アクセス承認〉
《アメリカ海軍SEAL チーム0》
指揮官:ヘカティア・ブリューゲル中佐
所属:Navy SEALs, アメリカ海軍特殊戦コマンド(特殊作戦軍)
標語:WE'RE NOWHERE, EVERYWHERE
誕生:想定外の国家危機に即応する〈ワイルドファイア〉計画に基づき創設。
状態:現在、大統領命令〝XYZ〟に従い、オペレーション・ワイルドファイアを遂行中。
以下、アクセス拒否。
(馬鹿な。大統領が独自に事を起こしただと?)
シャドウ4は少なくとも大統領が統合参謀本部と国連軍に大人しく従うつもりがないことを理解した。何者かが大統領に入れ知恵したのは間違いない。推測だがSEALチーム0は〝XYZ〟の発令に伴い、メンバーが緊急招集され、結成された。そうでなければ統合参謀本部とシャドウ・リーパーの目をかいくぐれるはずがない。
「中佐殿、V2が発令されています。この先はお通しできません」
「そんなことは知っている」
「ではお引き取りを」
「我々にはXYZが発令されている。まさかこの命令コードを貴隊が知らないわけあるまい」
極秘命令コード〝XYZ〟
・この命令は想定外の国家的あるいは世界的危機に直面した場合のみ、合衆国大統領の名の下に極秘で発令される。
・この命令は担当部隊に対し、危機打開のため必要なあらゆる超法規的権限を認める。ただし、この命令を利用して合衆国憲法の改正、司法機関、立法機関、行政機関の私物化及び解体等は認められない。あくまでも一時的な命令である。
・大統領は事態収拾後に命令の必要性を秘匿した機関へ必ず説明しなければならず、必要性が認められなかった場合、大統領は直ちにその地位を失う。場合により罪に問われ、その身を拘束される。
・この命令が発令された場合、合衆国軍、インテリジェンス・コミュニティー、全ての警察機関及び行政機関は任にあたる担当部隊の協力要請に全面的かつ最優先で応じなければならない。この時、秘密を知る者は極力少なくなるように努めなければならない。なお、協力を拒否した場合、然るべき処置が担当部隊より下される。
・事後、発令に関する全ての記録及び書類は48時間以内で完全に消去される。直接的、間接的を問わず関係者は決して他言してはならない。漏洩者及びその親族の生命は保証されない。
「……上官に話を通しますので、少々お待ちください」
そう言いつつも、シャドウ4はシールズを通すつもりは全くなかった。この場を離れ、味方のUAT‐30〝バジャー〟の傍に寄る。
UAT‐30は八輪式軽戦闘装甲車両であり、車体上部には対人用機銃MG‐322一門と対歩兵・対車両用可変型機関砲MA‐44B一門を搭載。機銃は車内から操作可能で周囲360度を警戒、状況に応じて手動操作も行える。軽装甲車とはいえ、兵員の輸送能力と歩兵支援能力は折り紙付きだ。
「こちらシャドウ4。各車両長へ。砲撃準備。合図で砲撃開始」
この命令を受けてシャドウ・リーパーの各UAT‐30はMA‐44Bの砲弾を装填。さすがに砲塔を回転させるという露骨なことはしなかったが、シャドウ4の合図で砲撃する用意は整った。また、第四小隊員達も小隊長の意向をくみ、いつでも零達へ銃を撃つ心構えをしていた。
しかし、シャドウ4は相手を甘く見過ぎていた。
零から超高周波ダガーナイフが二本、左右の手から放たれ、シャドウ・リーパー隊員二名の胸部に命中。刃は戦闘スーツを貫通し、心臓まで届いていた。
さらに零はいつの間にかCQN‐8Fを二丁持ちしており、自分へ銃を向けていたシャドウ・リーパー隊員をなぎ払うように次々と頭を射抜いていった。
それを合図にシャドウ・リーパーのUAT‐30六台全てが爆散。第五世代光学迷彩で隠れていたシャドウ・リーパー隊員も、同じく第五世代光学迷彩で隠れていたシールズ隊員によって射殺されていく。まるで最初からそこにいることが分かっていたかのような正確さだ。
「シャドウ・リーダー、こちらシャドウ4! シールズと接敵、交戦中!」
『シールズだと? どういうことだ?』
「それが! うっ……」
シャドウ4の頭部を零が撃ち抜いた。
「これよりBCO職員の救出及び機密データの回収を行う。敵はなるべく生かせ」
光学迷彩を解いたシールズ隊員。やはり彼らの正体は零課員だった。
「おいおい隊長、あれだけ派手にやっておいて今度は生け捕りか?」
一はMK‐54Fのマガジンを交換し、次の戦闘に備える。
「そうだ」
チーム0のスペクター小隊第一分隊は零、直樹、珠子、由恵の四名。第二分隊は一、響、ブライアン、進、健の五名で構成されている。彼らの最優先任務はBCO職員の救出。副次任務としては国連軍、ブラックレインボー、特殊作戦軍の繋がりを示す証拠の入手及びブラックレインボー幹部の逮捕である。また、零課としての情報収集任務も帯びていた。
空にはスフルとビルが飛び、超高感度広域ファジースキャンを実施していた。この二体のクロウは敵の第五世代光学迷彩を見破るために必須だった。もしクロウでなければ対光学迷彩装備としてステルス・スキャナーが必要となる。スキャナーは多人数かつ閉所で使用しなければ精度が低い。そして最大の欠点が発動中に〝特徴的な音〟を発してしまう。人間には聞こえないが、この音は標準的なUCGや無人兵器で簡単に看破される。ゆえにステルス・スキャナーの使用は対光学迷彩戦闘において基本的に避けられていた。
《SEALチーム0 スペクター小隊》
〈第一分隊〉
・伊波零
偽名:ヘカティア・ブリューゲル
コールサイン:スペクター・ゼロ
コードネーム:オヴニル
・菅田直樹
偽名:ヴィンセント・マーティン
コールサイン:スペクター・ツー
コードネーム:アーネスト
・滝珠子
偽名:ナスターシャ・フラックス
コールサイン:スペクター・スリー
コードネーム:クーガー
・鶴間由恵
偽名:ベアトリクス・クロフト
コールサイン:スペクター・フォー
コードネーム:ドクター
〈第二分隊〉
・井凪一
偽名:アレックス・マクレーン
コールサイン:スペクター・ワン
コードネーム:トワイライト
・山彦響
偽名:エイジス・フォッカー
コールサイン:スペクター・ファイブ
コードネーム:スケアクロウ
・矢羽田ブライアン
偽名:ジョン・ライバック
コールサイン:スペクター・シックス
コードネーム:アーチャー
・真川進
偽名:ピーター・ランボー
コールサイン:スペクター・セブン
コードネーム:ギーク
・藤崎健
偽名:アルヴィン・バウアー
コールサイン:スペクター・エイト
コードネーム:ソーズマン
「ドクター、こいつらを手当してやれ。アーネスト、クーガー、そちらの状況は?」
『こちらA棟二階クリア。二階はオールクリア』
「よし。トワイライト、そっちはどうだ?」
『そうだな。三階でちょっとしたトラブルだ。防衛用セントリーガンが起動している。だが問題ない。オヴニル、お前の方はどうなんだ?』
「セントラルゲートを突破した。これよりセントラルホールを強襲する」
足元にはシャドウ・リーパー第一小隊デルタ分隊六名が倒れていた。全員が動けない程に痛めつけられていたが、銃創は一切ない。零はCQN‐8F二丁を使わず、彼女は自分の命令を自身で完璧に遂行していた。
『おい、一人でか』
「そうだ。時間がない」
零は両方の大腿ホルスターから愛銃であるNXA‐05を引き抜き、作戦本部のある中央棟に侵入した。
侵入者を確認したシャドウ・リーパー第一小隊チャーリー分隊は二人の隊員だけが射撃を開始。他の隊員は銃を構えているものの、すぐに撃たなかった。これはシャドウ・リーパーが同一の標的に対し、必要以上の攻撃はしないという戦闘規則を遵守している証拠であった。それに彼らは生身の兵士にも関わらず、一人でMTF一個分隊を相手に勝つほどの優れた戦闘技能を有している。
だが今回に限っていえばシャドウ・リーパーの自信と戦術は彼ら自身を大きく苦しめていた。シャドウ・リーパーの戦術は彼らが圧倒的優位であることを前提としたものであり、彼らを上回る相手との戦闘はそもそも想定されていない。彼らシャドウ・リーパーを超える人間部隊など存在せず、シャドウ・リーパーで手に負えない相手はクイーンが相手にすることになっていたからだ。
零の存在を一言で表すと〈超人〉。人を超える者。肉体こそ人間という器であるが、反射速度や空間把握能力、状況推察能力といったあらゆる能力がサイボーグやアンドロイドを圧倒している。それらの能力はもはや超能力の域といってもいい。シャドウ・リーパーが放った弾丸全てを軽々と避け、敵の回避行動を予測した上での正確な射撃。これは果たして未来予知能力なのだろうか。シャドウ・リーパーのHMDには〈Unpredictable〉と表示され、敵の行動予測が不可能であることを表していた。しかし零は断じて超能力者ではない。長生きし過ぎたただの人間である。
(あれがアイリーンか!?)
チャーリー分隊は戦術を変更し、全員での応戦態勢へ移行。彼らもまた人間離れした反応速度で反撃を開始した。それでも零は止まらない。
シャドウ・リーパーのHMDヘルメットには零の放った弾が命中し、ディスプレイには小さな傷が付いた。それも全員に。NXA‐05に装填されている弾は全て非殺傷性ショック弾。命中すれば対象の身体に電気が走り、一時的に神経を麻痺させる。ただし貫通性がほとんどなく、ボディ・アーマーや戦闘スーツを貫くことはできない。そして電子機器をダウンさせる力もない。零はショック弾を威嚇程度のものとして考えており、ショック弾のストッピングパワーにそもそも期待していなかった。
だが零の威嚇射撃は並ではない。チャーリー分隊全員の額へショック弾を命中させたのだ。三方からの銃撃をかわしながら二丁拳銃で敵を撃つ。この動作に相手を見る必要はない。接近してくる隊員は足技による返り討ちが待ち受けており、接近した味方隊員ごと零を射抜こうとした隊員にはフックショットによる奇襲があった。足に刺さったワイヤーは強力な力で巻き戻され、他の隊員を巻き込むように零は跳躍する。ある程度ワイヤーで敵をあしらった後、ワイヤーをカット。身動き取れない敵を一気に強襲する。
「お前達には色々と聞きたいことがある。嫌でも話してもらうぞ。こちらオヴニル。セントラルホールはクリア。ドクター、後で捕虜には例のものを使用しろ」
『了解』
「スペクター・ゼロから各員、私はこのまま作戦本部へ向かう。アーネスト、クーガー両名はセントラルホールを封鎖せよ」
〈BCO本部中央棟 作戦本部〉
最終防壁が爆発し、N3特殊閃光弾が中へ投げ込まれた。特殊閃光弾のまばゆい閃光と耳をつんざく爆音が室内を襲い、光学迷彩を起動したシャドウ・リーパーが次々と攻め込んで来る。
しかしシャドウ・リーパーの突入は思ったようにいかなかった。BCOの戦闘員達は耳当て付きUCGを着用しており、UCGの自動偏光機能とステルス・スキャナーでシャドウ・リーパーの突入に動じることはなかった。その上、作戦本部にはステルス・スキャナーを内蔵した小型セントリーガンが二基設置されている。このため防弾盾を構えたシャドウ・リーパー兵はセントリーガンを防ぐことでほとんど前進できない。
「足元に気を付けろ。複数個所にトラップだ。無駄なことを」
アインスはBCOの諦めの悪さに驚いていた。どのみち彼らは死ぬのだ。それに次の手は既に用意している。ここから避難した連中も全て始末する。一人残らず。これまで退職したCIA職員やNSA職員を事故死として処分し、統合特殊作戦部隊ストライクドッグを影で始末したのもアインス率いるシャドウ・リーパーであった。
「隊長! 後方から生体反応! さらにチャーリー分隊が全滅!」
「シールズか。生体反応1。何者だ。ブラボー分隊、迎撃するぞ」
シールズが追ってきているのは知っていたが、予想以上の早さだ。シャドウ・リーパーがここまで被害を受けたのは初めてである。
セントラルホールを突破してきた零を見て、アインスはスペード・キングからの報告を思い出した。
「あの女は……アイリーン! アイリーンだ! 撃て!」
アイリーンの恐ろしさはデータから理解している。彼女は正真正銘の化け物。人間と呼ぶにはあまりにも逸脱している女性。ブラックレインボーのボスであり、国連軍総司令官であるニンバスが唯一、その存在を認めたくない存在だった。
(サイファーめ! ここでも邪魔をするか!)
ここでアインスはシールズの正体がサイファー(零課)であることに気が付いた。必死の抵抗にも関わらず、ブラボー分隊は懐に入られる。ブラボー分隊はすぐに格闘戦へ移行とするが、零の速さには敵わない。
零は相手の武器を手で払いのけ、回転しそのまま首元へ手刀を入れた。さらに隣の隊員による右ストレートを受け流し、その右腕へ勢いよく左肘を入れる。シャドウ・リーパーは零の動きが読めない。それは速さだけの問題ではなかった。
零に関する戦闘データはあまりにも膨大であり、油断ならない。一手一手が相手を確実に追い詰める。誰もが使える格闘術だけでなく、道具や現場にあるものを利用しての機転。零という存在をアインスが消化するには時間が無さ過ぎた。
ブラボー分隊員四人目、五人目は同時に無力化され、最後の六人目が間もなく倒された。
「お前がグレイか。我々と来てもらうぞ」
「それは無理だな。お前達もBCOも全て始末する。我々は任務を全うする」
ここで零が不敵な笑みを浮かべる。
「ああ、もしかしてミストのこと?」
「なにっ……」
「悪いけど仕掛けていたミストは全部こちらで回収済み。散布できないから。それとこれは我々からのお返しだ」
零は一気にアインスへ詰め寄り、アインスの反撃を難なく避けた。彼を締め上げて地面へ叩きつける。隊長の異変にアルファ分隊は気付いたが、BCOとの交戦で助けに行くことができなかった。
「馬鹿な」
彼を守っているはずの戦闘スーツは右腕の一部が切られている。
「おい、まさかそれは……」
零の左手には医療用注射銃が握られており、アインスの右腕へ注射した。
「心配するな。ちゃんと完成させている」
注射銃の中身は容易く体内へ侵入した。免疫機構に囚われることなく、血流に乗って全身へ回る。ブレインシェイカーは複数種類のナノマシン群で構成され、神経細胞だけでなく多種多様な細胞へ急速に浸透していった。分子レベルで本来あるべき身体の基礎を蝕んでいく。やがてブレインシェイカーが脳へ到達すると、神経系は完全にナノマシンの支配下に置かれることとなった。
「ベースにしたのはお前達が開発していたブレインシェイカーD3型。洗脳に特化したモデルだ。念のため言っておくが、お前達のアンチ・ブレインシェイカーは効かない」
零課は由恵とケナンによって、ブレインシェイカーの試作モデルを完成させていた。それだけではない。ブラックレインボーが開発した既存のナノマシン兵器も全て解析済みである。事実上、零課はブラックレインボーと同様、ナノマシン兵器を手にした。
「グレイ、知っている限りでいい。ブラックレインボー幹部達のデータを全て渡せ」
「はい」
先ほどまで敵だったグレイは素直に零の言葉を受け入れた。ブラックレインボーの幹部リストと詳細データを零へ転送した。幹部の名簿を確認する。
《ブラックレインボー幹部》
〈指導者〉
ニンバス・アルヴェーン(総帥)
〈最高幹部〉
アルベド・マイオス(ジョーカー)
エマーソン・ブラウン(スペードK)
ミラー・レッドフィールド(クラブK)
タルゴ・ブルーウェル(ダイヤK)
イリーナ・ヴァイオレット(ハートK)
ソール(スペードQ)
シヴ(クラブQ)
ラーン(ダイヤQ)
イズン(ハートQ)
〈上級幹部〉
ウィリアム・ヴェローナ(スペードJ)
リサ・シュベーフェル(クラブJ)
ディーペル・シーモス(ダイヤJ)
アレックス・アンバー(ハートJ)
*K=キング、Q=クイーン、J=ジャック
ここでエマーソン・ブラウンの名前が目に入った。彼はアメリカ軍特殊部隊を統括するアメリカ特殊作戦軍司令官である。
(スペードのキングはやはり特殊作戦軍にいたか)
知りたい情報を手に入れた零は零課員へ情報を共有。その後、軍のオープンチャンネルを開き、BCOとシャドウ・リーパーの両者へ無線を聞こえるようにした。
「こちらネイビーシールズ・チーム0のオヴニル。第6特殊作戦群へ告ぐ。我々は貴隊の指揮官グレイ大佐を拘束している。大統領命令XYZに則り直ちに武装を解除し、我々の指示に従え。従わない場合は軍籍をはく奪し、攻撃対象とする」
もはや状況打開の手段を持たない第一小隊アルファ分隊は零の勧告を無視することが出来ず、武装解除を実施した。これはシャドウ・リーパーが任務を最優先とする特殊部隊であるとともに、無駄死を許されていないためだった。無駄死には人的資源の損失以外何物でもない。
「シールズ・チーム0? それにオヴニルと言ったか?」
ハワードは武装解除したアルファ分隊を見て戸惑った。シールズがシャドウ・リーパーを相手に戦っていたことも不思議であったが、オヴニルというコードネームが引っかかった。
「皆、銃を下ろせ。彼らは味方だ」
BCO局長レイモンドがすぐに部下へ伝える。
「どうやら間に合ったようだな。こちらオヴニル、BCO作戦本部に到達。護衛対象を確保した。トワイライト、ドクター状況を報告せよ」
『こちらトワイライト。オールクリア』
『こちらドクター。全ての捕虜にブレインシェイカーを投与済み』
「了解。トワイライト、撤退準備を開始。ブルーバード2、3の到着を待て」
『トワイライト、了解した』
「さて、BCOの皆さん。改めて自己紹介を。我々は海軍特殊部隊SEALsのチーム0。大統領命令XYZにより貴方達の救出に来ました。これより、皆さんは我々の保護下に置かれます。事態収拾まで我々が命を懸けて皆さんをお守りし、我々が命を懸けてブラックレインボーを倒します」
「大統領は本当に味方なのか? V2を発令したんだぞ?」
ハワードがそういうのももっともだ。BCO粛清命令であるV2を発令したのは大統領その人である。
「結論からいうと味方です。ブラックレインボーの息がかかった者達は政府中枢や軍内部にまで入り込んでおり、大統領はほとんど身動きできない状態なのです。また、特殊作戦軍の司令官エマーソン・ブラウンがスペードのキングであることも判明しました。我々が処理します」
零課の想定内だったが、世界各国に散らばるシャドウ・リーパーは武装解除を行わなかった。なぜならブラックレインボーのレクイエム計画を遂行するにあたり、アメリカ軍籍は必要ない。彼らは淡々とBCOエージェント及びMTFの粛清を実行していた。
『オヴニル、こちらトワイライト。ブルーバード2、ブルーバード3が間もなく到着』
「了解。皆さん、ここから退避しますよ。ブラックレインボーが貴方達を探しています。既に避難したBCO関係者も我々が保護していますのでご安心を」
「オヴニル、我々はどこに連れていかれるんだ?」
ハワードは零に尋ねた。
「それは言えません。そして知る必要もありません」
この言葉で零の奥底に秘められた冷徹さがBCOの皆に伝わった。
零課はシャドウ・リーパーからBCOを救ったが、もちろん零課は零課として別の仕事も完遂していた。BCO内部の機密情報を洗いざらい入手し、シャドウ・リーパー隊員からもブラックレインボーの情報を得ていた。ただBCOを助けたのもちゃんと意味はある。零課はBCOを隠れ蓑に使うつもりでいた。ブラックレインボーの悪事全てを世界に公表するのはBCOだ。零課ではない。これで零課はその存在を隠せるとともに、アメリカへ恩を売ることができる。そして、アメリカ大統領は自身の面目を保つことができるだろう。
「本部、こちらスペクター・ゼロ。これより護衛対象の護送を開始する」