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4. アンダーグラウンド

〈カザフスタン、シュチンスク〉

 内陸国として広大な国土を誇るカザフスタン共和国。中央アジアとヨーロッパにまたがる国であり、ロシア連邦、中華人民連合国、キルギス共和国、ウズベキスタン共和国、そして(えい)(せい)中立国のトルクメニスタンと国境を接し、さらにカスピ海、アラル海と面している。国土の大半は砂漠や乾燥したステップだが、壮大な山脈や自然保護区、世界遺産のイスラム建築や洗練された現代建築が見どころだ。ただ、国内の治安状況は必ずしも良いとはいえず、武装勢力「エト・アッリ」の(たい)(とう)もあって、国軍と警察による対テロ作戦が(ひん)(ぱん)に行われている。


 首都アスタナから約240キロ北に位置するアクモラ州シュチンスク。ここ三十年の経済発展により、街としての整備が進み、バスや鉄道の利便性が向上した。ロシア企業や中華連企業の支社も存在している。シュチンスクにはエト・アッリの拠点があるとされ、(たび)(たび)発生している首都アスタナへのテロ攻撃に大きく関与していると思われる。さらに、CIAの報告ではウクライナにロシア(ちょう)(ほう)機関が(ひん)(ぱん)に姿を見せているとのことだ。


「トレボー、聞こえるか? こちらウィザード06。ワイバーン隊が正体不明のアンドロイド兵と交戦中。オーバー」

『ウィザード06、こちらトレボー。プリースト隊がワイバーン隊の援護に向かっている。貴隊はビショップ隊とともにポイント・ブラボー2へ向かい、〝フェアリィ〟を救出せよ。情報を何としても持ち帰れ。オーバー』

「トレボー、ウィザード06了解した。アウト」


 小銃を持った四人の男達は無線相手の命令を受けて、このまま前進することにした。彼らの(かっ)(こう)は戦闘服のような統一された装備ではなく、(おの)(おの)が民間人への偽装を(こう)(りょ)したラフな服装をしている。彼らの義眼にはUCGと似たようなインターフェイスが表示されており、味方の位置情報や目的地までの距離が映し出されている。ここにいる全員がサイボーグだった。

 住宅街の道路を進んでいるが、民間人の姿を見ることはない。ここ一帯で戦闘が起こっており、一般市民は自主的に外出を(ひか)えていた。単純にそれは命を守るための行動であり、余計なことに関わらないようにする予防策でもあった。市民は明らかにいざこざレベルを超えた、危険な(ふん)()()(びん)(かん)に感じ取っている。


「気を付けろ。相手はエト・アッリだけではないかもしれない」


 この隊の隊長と思われる男はカービンライフルS‐2を構えながら、救出目標〝フェアリィ〟の座標を再確認する。義眼上にポイント・ブラボー2が強調表示され、最短ルート案内表示も目の前に出ていた。


「BCOのエージェントはブラックレインボーの幹部がカザフスタンに来ていると言っていた。それは本当なのか?」


 隊の先頭を歩く男は銃口が水平を保った状態になるよう、コンバット・レディポジションでMK‐74Cを構えている。銃のアタッチメントとしてはアンダーバレルにML‐420グレネードランチャーが、光学照準器にはヴィセルダ社製のホロサイトが取り付けられていた。


「ああ。どうやら本当らしい。問題は何をしにここへ来たのかということだ。ただでさえこの国は色々と大変なのにな。ブラックレインボーまで参入するとなると厳しいぞ」


 隊長の男はBCOエージェントから正式な情報提供を受けており、その情報の正確性については深く疑っていない。


「エト・アッリとブラックレインボーがやり合ってくれたら楽なんだがな」


 一番後方を(けい)(かい)している男はそういった。彼は敵同士がドンパチやってくれたらいいと(つね)(づね)思っている。


 UCGには敵性反応は表示されていない。目的地まであともう少しだ。


「そうだと俺らの仕事がなくなるな」


 (とつ)(じょ)、義眼のインターフェイスに赤いマークが表れる。


「二時の方向から敵!」


 四人は敵出現に対し即座に反応した。敵はこちらに向かって(ちゅう)(ちょ)なく撃ってくる。

 このことから敵も敵味方識別ができる。つまり、敵はUCGのような情報共有戦術デバイスを持っているか、サイボーグあるいはアンドロイドであるということだ。


「敵はエト・アッリではないぞ。アンドロイドだ。撃ち返せ」


 エト・アッリにアンドロイド兵はいない。壁に隠れたり、建物の中から撃ってきたりとかなり頭がいいようだ。人間の兵士と変わらない姿を持つとともに(じゅう)(なん)な判断力を有している。このような高性能な戦闘用アンドロイドをそこら辺の武装組織やマフィアが手に入れるとは考えにくい。


(やつ)らフィセム・サイバネティクス社のHX(ヘクス)シリーズだ。あんな高価なものをエト・アッリが買えるわけない」

「分からんぞ。もしかしたら中華連かロシアが背後にいるのかもしれん。どちらにしろ、HX(ヘクス)シリーズならCPUは頭だ。頭を狙え」


 フィセム社子会社のフィセム・サイバネティクス社が開発したHX(ヘクス)シリーズは、欧米諸国で警察や軍の戦力として採用されている戦闘用アンドロイド。また、高度かつ専門的にカスタムされた特注モデルのHX(ヘクス)シリーズは立てこもり犯の制圧やハイジャック犯の制圧が可能とされ、さらに爆発物の処理も行うことができる。


「隊長、様子が変です。(やつ)ら後退しています」


 瞳に映る赤いマークが徐々に離れていっている。それもある一点を目指して移動していた。


「まずいぞ目的地に向かっている。(やつ)らの目的はフェアリィだ。急げ!」


 ポイント・ブラボー2に向かう四人。彼らは待ち伏せしていたアンドロイド狙撃兵を撃ち抜きながら道を進む。この先に目的地のブラボー2がある。


『ウィザード06、その先、開けている場所だ。注意しろ』


 敵は間違いなく、そこで張っているだろう。建物の二階や屋上から集中砲火するにはうってつけの場所だ。


「了解」


 開けた場所に出る四人。


「……どうなっている?」


 おかしなことに、敵の待ち伏せがない。ここは待ち伏せするにはうってつけのはずだが、どこからも銃弾が飛んでこない。それだけでなく敵影も確認できない。これはあまりにも不自然だ。


「待ち伏せがないとは」

「地雷のスキャンも行ったが、何もない」


 屋上や建物の窓を(けい)(かい)しつつ、前へ進む。


「隊長、屋上に誰かいます」

「民間人、女の子?」


 銃を下ろすことはしないが、すぐに発砲することもなかった。義眼上では敵ではなく()()()を示す白色の表示だったからだ。


「来た来た。待ちくたびれたよ。MTFウィザード隊の皆さん」


 その女の子は何の躊躇(ためら)いもなく、屋上から飛び下りた。彼女はそのまま地面に落下するのではなく、背中から半透明の翼状フロートウイングが展開し、ゆっくりと足を地に着けた。


(フロートシステム……あれはまだ()()()()実用化できていないはずだ)


「君は何者だ? なぜここにいる? なぜ我々の正体を知っている?」

「さて、なぜでしょう」


 目の前で不敵な笑みを浮かべる少女。


 パチンッ

 右手の中指と親指を使って、少女は指を鳴らした。


 すると横の小道や後ろの小道からアンドロイド兵が銃を構えて出てきた。屋上や窓にもアンドロイドの狙撃兵が姿を現す。アンドロイド達の頭部には銃で撃たれた穴があった。そう、こいつらは先ほどまでウィザード隊が撃ち抜いてきたアンドロイド兵だった。


「兵隊さん達、残念だったね。こいつらのCPUは頭じゃないんだよ」


 アンドロイド兵はこの少女を指揮官として動いている。この少女がただ者ではないことは明らかだ。


「これ、見たことある?」


 (だい)(たい)()のホルスター左右両方には変わった形の剣が収められている。その剣を少女は両方とも引き抜き、左手の剣は先端を下にしたまま、右手の剣を見せびらかすように上げた。()の上部にはトリガーガードとトリガーがある。というより、銃のトリガー部に合わせて剣が作られたようだ。刃の先端部もまるで銃口のような穴がある。


銃機構内蔵式剣(ガンブレード)か」

「そう。切っても良し、撃っても良し。()(こう)の武器だよ。せっかく兵隊さん達、ここまで来たんだから、ただで殺されるのはイヤでしょ? ここまで来たご(ほう)()に私を倒すチャンスをあげる」


 その言葉に合わせて周囲のアンドロイド兵は全員が銃を下ろし、命令待機モードに移行した。


「隊長……あいつはブラックレインボー最高幹部、スペードのクイーンです」


 部下ははっきりと少女の右手の甲に〝スペード〟のマーク、左手の甲に〝Q〟の文字がペイントされているのを見た。


「あれがスペードの」


 クイーン。ブラックレインボーの中でも謎に包まれている存在で、直属の配下はアンドロイドから構成される戦闘部隊という。クイーン達はダイヤ、スペード、ハート、クラブの各部門に一人ずつおり、キングの補佐も行うが、基本的には部門別関係なく、スペードと同様に戦闘を(にな)う。


「そう。私がスペードのクイーン」


 と、男達の目の前から姿が消えた。


(視覚ジャック!?)


「私の名前はソール。(めい)()土産(みやげ)に覚えておいてね」


 隊長の背後にソールが回り込み、その首をガンブレードで斬り落とした。

 とっさの出来事だったが、他の隊員達は冷静さを失うことなく、銃をソールに向けて撃つ。


「ハハハハッ。アメリカ最強とうたわれるMTFもこの程度?」


 ソールは自前の機動力とフロートシステムを応用した回避術で、MTF隊員達の射撃を回避していく。彼女は笑っていた。その笑いは自分よりも下等な存在を見下す、上位者特有の笑みだ。


「くそっ!」

「あらあら(すき)だらけ」


 一人の隊員が右腕を斬り落とされ、さらにとどめとして強力な()りを胴体に受けた。その()りの衝撃を物語るかのように、胸部は大きくへこんでいた。強化骨格であるはずの人工骨が折れているのは明らかだった。

 いくらサイボーグであっても、耐えられる損傷には限界がある。せめてもの救いとしては痛感が(しゃ)(だん)されているということだ。痛みを感じることなく死ねる。戦場に身を置くサイボーグ兵士として、(ゆい)(いつ)の救いだった。


「トレボー! クイーンを発見した! 増援を!」


 味方に死者が出ているにも関わらず、義眼上ではソールの反応が民間人の判定になっている。さらにHVT指定もされていなかった。このことに三人は気が付いていたが、とにかく目の前のことに集中するしかなかった。


「トレボー、応答しろ!」


 中央軍司令部との連絡を(こころ)みるが、トレボーからの応答はない。


「ぐはっ……」


 また一人、MTF隊員が左脚を斬り落とされ、続けざまに首を落とされた。


()(ざま)だね。MTF」


 ソールのガンブレードから弾丸が発射され、それをよけきれなかった一人が死亡。ウィザード隊の生き残りは一人になってしまった。


「なんでトレボーと連絡が(つな)がらないと思う? ジョセフ・アレン(そう)(ちょう)?」


 ()(けん)にガンブレードの銃口を付けられ、最後の隊員であるジョセフは(かく)()を決めた。


 だが、ここで気になることが一つある。

 それはなぜ自分の名前を知っているかということだ。作戦地域で本名を出したことは一度もない。全てコールサインで会話はやり取りしている。ソールが知っているわけがない。死が目前に(せま)っているというのに嫌な予感がした。それでもジョセフは確かめたかった。


「なぜ、自分の名を……」

「私は何でも知ってる。ここに来たのは極秘作戦、オペレーション『スノーウィンド』。作戦の内容はBCOエージェント、コードネーム〝フェアリィ〟をエト・アッリから救出し、回収地点ポイント・デルタ9にて回収部隊を待て。そうでしょ? アレン(そう)(ちょう)?」

()鹿()な……なぜ、なぜ、作戦内容まで」

「『ウィザード03、こちらトレボー。もしもし聞こえる?』」

「ま、まさか……」

「そういうこと。最初から最後まで、我々ブラックレインボーの(てのひら)(おど)っていたわけ。そして、プリースト隊も、ワイバーン隊も、ビショップ隊も(すで)にこの世にいない。貴方(あなた)がチーム3最後。バイバイ、アレン(そう)(ちょう)


 次の瞬間、ジョセフは意識が無くなった。


「ボス、こちらソール。計画通り、カザフスタンにてMTFのチーム3を(せん)(めつ)した。生き残りは一人もいない。思い通りに敵が動くって(おも)(しろ)いね」


 ソールはうつ伏せになっているMTF隊員の死体を足で()り、(あお)()けにさせた。


『そうだな。あそこまで(かん)(ぺき)にいくとは私自身驚いた。これで中央アジアにおけるアメリカの影響力はさらに低下することになる』

「これでまた、私のコレクションが増えた」


 彼女は死体からドッグタグを取り、それを腰にある戦利品入れにいれる。

 全ての隊員からドッグタグを奪い終えると、笑みを浮かべなら、右手中指でガンブレードのトリガーガードに指をかけ、ガンブレードをくるくる回し始めた。


『しばらくの(あいだ)、アメリカは特殊部隊を動かせないだろう。統合軍の特殊作戦コマンドは(めん)()丸つぶれだ。仮に動かすとしてもサイボーグ部隊ではなく、人間からなる特殊部隊か』

「ふふっ。その時が来れば(さつ)(りつ)ショーの始まりだね」

『ソール、君はウクライナへ向かい、クラブの援護へ行け。SVR(エスヴェーエル)の連中が彼らの周りを嗅ぎまわっているそうだ』

SVR(エスヴェーエル)? ロシア対外情報庁のこと?」

SVR(Service of the External Reconnaissance of Russian Federation:ロシア対外情報庁)。ロシア連邦の(ちょう)(ほう)機関であり、(れい)()の特殊部隊は謎のベールに包まれている。名前が知られている部隊としてはヴィンペル部隊、ザスローン部隊等が知られているが、それらも実態は不明である。


『そうだ。SVR(エスヴェーエル)が動いている。輸送部門のクラブに(さぐ)りを入れているようだ。(けい)(かい)しろ』

「了解ボス」



〈時刻1015時。ナミビア、ウィントフック〉

 アフリカ大陸南西部に位置するナミビア共和国は、アンゴラ共和国、ザンビア共和国、ボツワナ共和国、南アフリカ共和国と国境を接しており、国境西側は大西洋に面している。首都はウィントフック。かつて鉱業が主産業であったが、現在は先進国の経済支援と多国籍企業の進出もあり、エネルギー産業と先端工学産業が発展している。

 アフリカでは新興感染症治療のため、ナノマシンの治験が広く認められており、ナノマシン大手企業がアフリカに支社を置いている。ナミビアにはフィセムグループの工場や研究施設があり、ナノマシンやサイボーグ、アンドロイドの開発、量産が行われている。そのフィセムグループは自社の製品と社員を守るという名目で、武装アンドロイドと武装警備員の保有をナミビア政府より認められていた。


 電気工事車に偽装した防弾仕様のミニバン。その車内に零と一はいた。二人はUCGとヘッドセットを付けているものの、服装は会社の制服を着ている。制服自体は本物で、首からぶら下げている社員証は本物と変わらない偽造品だ。

 大型スーパーの駐車場で二人は尾行対象が動くのを待っていた。尾行対象はフィセム社のアフリカ支社長イリーナ。彼女は今日、何者かと密談をする予定だが、その何者かが零課は分からない。内容としてはおそらく兵器の売買取引だろう。問題はその兵器が何かということだ。(ぐん)(じゅ)産業大手であり、軍用ナノマシン最大手のフィセム社は裏でブラックレインボーと繋がっている可能性がある。ブラックレインボーが同社の製品を多用しているのは偶然かもしれないが、零課としては調べる必要があった。


「はあ、まさかナミビアまで来ることになるとはなあ」

「情報が手に入ったのは現地エージェントのおかげ。別に海外に来るのは初めてでもないでしょう」

「まあ、そうだけどさ」


 ハンドルにもたれかかるように一は上体を前に出した。右隣にいる零はUCGで標的の動きを監視している。


「そういえばMTFのチーム3が全滅したそうよ」


 零課の情報網では(すで)にMTFチーム3が全滅したという話を(ひろ)っていた。この話は零の興味を引いており、日本と直接関係ないが国際情勢として(かん)()できない問題となっている。

 MTF214はアメリカ特殊作戦軍(れい)()の統合特殊作戦コマンドに属する、サイボーグ特殊任務部隊である。五年前に実施された対ブラックレインボー作戦〝オペレーション・ヴィーナス〟において、当時、最高の精鋭部隊として名高かった統合特殊作戦部隊ストライクドッグ(Strike Dogs)があろうことか全滅した。これにより人間兵士への限界を感じ取った国防総省は次世代特殊部隊MTF214を作り上げたのである。


「鶴間から聞いたぞ、その話。超ビッグニュースだってな。チーム3が中央軍司令部の命令を無視し、独断でカザフスタン入り。そのままエト・アッリとの戦闘で全滅したって」

「軍の見解はそうね。だけど、BCOの見解の方が私は真実に近いと思う」

「確かブラックレインボーにより、軍のネットワークがハッキングされ、MTFの作戦コード『スノーウィンド』が書き換えられた。偽の作戦命令を受けたチーム3は、存在しない任務を遂行するためカザフスタンへ行き、皆殺しにされたという話か」

「そう。チーム3は(まぼろし)の任務を与えられ、そして殺された。カザフスタンにいる現地エージェントの情報では現地で正体不明のアンドロイド部隊が確認されている。ドンパチしたそうだ。確定情報ではないが、ブラックレインボーのクイーンが動いていたらしい」

「クイーンねぇ。絶対お目にかかりたくないわ」


 ここで追跡対象を表すオレンジマークが動き始める。

 追跡対象の支社長が車で移動を開始した。


「総員、目標が移動を始めた。一、尾行開始。スフル、空から目標を追跡しろ。逃がすなよ」

『了解。これより移動します』


 空を飛んで目標車両を追いかけるスフル。日本にいる時とは異なり、胸の(あた)りが黒色ではなく白色になっていた。これはアフリカに日本と同じような全身真っ黒のカラスが生息していないためだった。


「よっしゃ行くぞ」


 ハンドルを握り締め一は車を発進させる。ナミビアでは完全自動走行がまだ一般的ではなく、手動走行が主流だ。一にとって久しぶりの手動運転であり、少し興奮していた。


「腕は(にぶ)っていないみたいね」

「VR訓練のおかげさ。響にも負けねえ。そうだ、隊長。今度レースで勝負しよう」


 車のフロントガラスはARディスプレイになっている。フロントガラスには進行ルートが映し出され、GPSによる現在地や適切な車間距離の表示、場合によっては緊急車両の接近を教えてくれるようになっていた。


「それよりも目の前の任務に集中しなさい。護衛がいる」

「護衛車両は覆面か。用心深いこった」


 フィセム・アフリカ支社長のイリーナを乗せた黒い車両の前後には目に見えて明らかな護送車はいない。だが、会社の護衛部隊と思われる車両が二台見えた。


「スペードではないようね。フィセム社の保安員だ」

「あいつら社内ならば警察権を行使できるんだろ? すげえよな」

「一、勘付かれるな。目標は左に曲がる。距離を開けよう」

「はいよ」


 保安員達の技量はそこまで恐れることもないが、素人(しろうと)ではない。尾行を(けい)(かい)するのは基本中の基本だ。ここで尾行がばれたら全てが水の泡だ。


「どうやら目標はホテル・ヴァルハラに向かっているようね」

「なぜ、連中は社屋で会談しないんだ? 盗聴や盗撮の心配がないのに」

「よほど存在を隠したい相手なんでしょ。わざわざ電子メールではなく、手紙で暗号のやり取りをしていたぐらいだから」


 イリーナ支社長は暗号化された手紙を用いて、秘書アンドロイドのメッセンジャーを(かい)し、密談相手とメッセージをやり取りしていた。当然、密談相手の方もメッセンジャーを使っており、自身の()()(しょ)を知られないように()(ふう)をしていた。


「デジタルの(のぞ)()を防ぐにはアナログってことだよな。スパイ映画みたいだ」

「電子の海は(のぞ)()が多い。それにフィセム社の規模を考えると産業スパイも多いはず。会社上層部は社内の人間も信用していなんでしょうね。保安部門や情報セキュリティ部門が幅を()かせているのも無理はない」


 目的地のホテル・ヴァルハラが見えてきた。ここはナミビアでも有名なホテルであり、政府高官やナミビア著名人らが(たび)(たび)利用している。


「あれがホテル・ヴァルハラか。思っていたより上品なところだな」

「ヴァルハラ、あまりいい響きじゃないわね。流血騒ぎになるのだけはゴメンだわ」


 ヴァルハラは北欧神話における主神オーディンの宮殿で、戦死者の(やかた)。オーディンの(めい)を受けたヴァルキューレによって、戦死した戦士達の(たましい)はヴァルハラに集められ、そこで戦士達は毎日戦いに明け暮れる。これはオーディンの予見した、来たるべき終末の日ラグナレクに(そな)えるための演習であり、ヴァルハラの戦士達はラグナレクが訪れるその日まで、腕を(みが)き続けるのである。


 ホテル・ヴァルハラは四階建てのホテルで、西洋風の内装を中心としたインテリアとなっている。スパや屋内温水プールもあり、部屋によっては広いテラスもある。


(やつ)ら、入っていったな」

「問題ない。私がシステムに侵入する。車を駐車場に停めて」


 一が車を業務用駐車場に駐車させた後、零はUCGでホテル・ヴァルハラの業務システムに侵入。電気系統メンテナンスの予定を今日の日付に付け加えた。もちろん、これはナミビアにおける立派な違法行為である。ハッキングによるシステムの無断侵入(およ)び情報改ざんだ。


「情報は書き換えた。正面から行くぞ」

「はいよ」


 ホテルのエントランスに入ると、右手のエレベーターにイリーナ支社長が乗っているのが見えた。エレベーターは三階で止まる。


「三階か」


 二人は受付で偽の仕事予定を確認してもらい、そのままメンテナンス業務に必要となる(かぎ)(たば)を別の事務員からもらった。


「スフル、目標は三階」

『了解。盗聴の準備をします』

「さて、イリーナはどこの部屋かしら?」


 屋外の制御盤のメンテナンスを(よそ)い、零と一は建物裏の制御盤へ向かう。


『目標は304号室です』


 スフルがイリーナ支社長の入る部屋を空間スキャンで確認。


「了解。宿泊の状況を見たけど、上下左右の部屋が借りられていた。民間人だと良いわね」

「はぁ、そいつは(にお)うな」


 実際に密談する部屋だけでなく、周りの部屋も密談者が全て借りることはたまにある。これは隣接する部屋からの盗聴を防ぐための手段の一つだ。それだけではなく、護衛を部屋に(はい)すことで密談部屋への侵入者や警察の突入に対応することも可能。つまり、借りているのは密談相手ということが考えられる。


「どうやら左右の部屋は護衛がいるようね」


 スフルからの屋内スキャン情報が送られてきた。スフルは302号室のテラスの柵にとまり、三階を中心に盗聴とスキャンを続ける。303号室と305号室は武装した護衛部隊が待機しており、密談会場の304号室には三人のシルエットが見えた。


『よく来た。イリーナ』

『これはお二人とも、今回は(ずい)(ぶん)とお着きがお早いようで』


「問題の密談相手は二人か。話している方は男、隣は女」

「初対面ということではなさそうだな」


『イリーナ、ナノマシンのテスト状況はどうだ?』

『そうね、ブレインシェイカーD3についてはもう完成と言っていい。アジア、欧州、北米、南米、いずれのテスト地域でも良好の結果が出ている。ミストF2もほぼ完成。ボスの承認が下り()(だい)、ミストとブレインシェイカー、それぞれの最終モデルを今週中にでもテストする予定よ。試験国はインド。詳細はこのファイルにまとめてある』

『このことをタルゴやエマーソンには?』

(すで)に伝えてある。テストは大規模になるし、味方の(てっ)退(たい)に時間がかかりそう』

『クラブとしてはインド支社で開発してくれたら楽なんだけどな。輸送の手間が(はぶ)けて』

『ま、それは無理ね。インド支社は信用できないし、ハートの権限がない。ボスによると中華連やアメリカのエージェントが蔓延(はびこ)っているそうよ』

『インドで実験ついでに()()()()


 ここまで話を聞いて一と零は確信を得た。間違いなくこの会話はブラックレインボー幹部同士のものだ。


「おいおい、これは相当やばい内容だ」

「最悪なことにフィセム・アフリカ支社は真っ黒みたいね。まさか支社長がブラックレインボーの一員とは」


 ここで、スフルは304号室のテラスの柵に飛んで移動した。続けて部屋の中をさり気なく(のぞ)く。部屋の中には椅子に座る支社長のイリーナの姿があり、彼女の対面には男性と女性が座っていた。


『ミラー、輸送に関しては貴方(あなた)達の担当だからよろしく』

『任せておけ。シヴの護衛もある』


 ミラーは隣にいるシヴを見た。イリーナとミラー二人の会話を聞いていたシヴは、ここにきてようやく口を開く。


『私は幸運の女神、クラブのクイーンよ。輸送任務の心配はいらないわ、イリーナ。それに配下のエース隊も連れてきている。準備は十分』


 シヴは椅子から立ち上がり、窓の方へ視線を向ける。

 スフルは自身の正体を(さと)られないよう、その場を飛び去った。


『もしかして、ばれた?』


 屋上に下りたスフルはそういって、屋内スキャンと盗聴を再開した。


『むしろ護衛は()(じょう)なくらいだと思うけどね』


 シヴはスフルについて何も触れず、再び椅子に座った。どうやら、スフルが偵察ドローンということはばれていないようだ。


『そうね。シヴがいれば問題ないわね。ミラーは逆にいない方がいいかも』

『おい、それは先日ヘマをした俺への当てつけか?』


(イリーナはおそらくハートのキング。ミラーがクラブのキングで、シヴがクラブのクイーン。最高幹部が三人もいる)


 零は頭の中で三人の立場を整理する。ここにいるのはブラックレインボーのキング二人、クイーン一人。とんでもない状況だ。


『そうよ。キングよりもクイーンの方が信用できる』

『言うねぇ。クラブのキングとしては耳が痛いよ。クイーンといえば、ソールの(やつ)がカザフスタンでMTFを(つぶ)したそうだ』


 ミラーはカザフスタンでの出来事について話し始める。


『MTF? 何だっけ?』


 イリーナは軍事に関する知識があまり無いのか、MTFという単語にピンと来ていないようだ。彼女はシヴの方を見て助け船を求めた。


『サイボーグからなるアメリカの特殊部隊。ストライクドッグの(あと)(がま)よ』

『ああ、ボスが前に言っていたやつ? オペレーション・スノーウィンドだっけ?』


「カザフの件か」

「みたいね」


『相変わらずソールは前線で暴れているのね。さすがスペードのクイーン。ボスもボスで、えげつないわ』


(スペードのクイーンはソール)


『さて、今日の会合はここまでにしておきましょう。私は会社へ戻らなくちゃいけないから』

『そうだな。シヴと俺は輸送経路の確認をしてくるか』

『そうね。地理データ自体は頭に入っているけど、直接見ましょう』


 三人は椅子から立ち上がり、部屋から出る準備をする。


「スフル、クラブの尾行を頼む」

『了解です』

「さて、我々はこのままメンテナンスをしておこう。次は冷暖房の制御装置だ」


 零はUCGに表示されている、三つのHVTマークを目で追いながら、目の前の制御盤を本当にメンテナンスしていた。ホテル事務員から借りた鍵で制御盤の鍵を開け、中全体を見渡す。


「俺達が追跡しなくていいのか?」

「止めておいた方がいいでしょう。ナミビアで日本人を見かけることはあまりない。そして、ナミビアは奴らブラックレインボーの支配下だ。我々の動きは(しん)(ちょう)でないと。どこに敵がいるか分からないから」

「なるほどね」


 そう。彼らを直接車で尾行するのは危険過ぎる。護衛もいるが、問題なのは幹部達の方だ。彼らが様々な(ちょう)(ほう)機関を相手にしてきているのは確実で、下手をすれば返り討ちになる可能性がある。


「この配線、寿命だな。取り換えよう」

「はいよ。で、今後の予定は?」


 一も作業を手伝いながら今後の予定を聞いた。


「今夜フィセム社の研究所へ潜入する。目的はミスト(およ)びブレインシェイカー試作品の回収。生産設備の破壊。可能ならば開発データと輸送経路データの回収もだ」

『隊長、こちらスフル』


 困惑したトーンでスフルから連絡が入った。


「どうした?」

『目標車両がドローンジャマーを展開、追跡の続行は不可能です』

(ひと)(すじ)(なわ)ではいかないか。帰投しなさい」

『やっぱりばれたんですかね?』

「日頃からドローンの尾行を(けい)(かい)しているのでしょう。ばれたらばれたで動き方を変えるだけ。心配いらないわよ」


 制御機器のメンテナンスが終わり、鍵をかけた。


 UCGで受付係と事務員へメンテナンス完了の電子報告書を提出した。


「よし。鍵を返しにいこう。これでメンテナンスはお終い」

「じゃあ次は夜に備えて銃のメンテだな」

「そうなるわね」


 零と一の上を戻って来たスフルが静かに飛んでいた。



〈時刻0245時。ナミビア、ウィントフック(フィセム社)〉

 深夜のナミビア。治安は昔より良くなったとはいえ、夜の不必要な外出は(ひか)えた方が良い。暴走族や不良グループが幅を()かせ、それに対応すべく警察が出動する。このような光景は日常()(はん)()であり、警察のキャパシティはとっくに超えていた。多国籍企業が武装グループに狙われることも(めずら)しくないため、会社は自前の警察組織を有しているのが普通だ。フィセム社もその例外ではない。


「こちら伊波。アンドロイド兵を確認。ドローンは四台飛んでいる。マーク」


 零は小高い(おか)で戦闘スーツによる光学迷彩で姿を消しながら、UCGを通してフィセム社の様子を(のぞ)いていた。

 人間の保安員も(じゅん)(かい)しているが、夜間ということもあって、ほとんどの(じゅん)(かい)(いん)はアンドロイドだ。彼らはVE‐88Pアサルトライフルを携行し、ドローンにも小型機銃が装着されている。不法侵入者に対して射殺権限があるのは間違いない。


『こちら井凪。マークを確認。アンドロイドはMP‐2か』

「いや、あれはEC‐8だ。カラーリングや外装はMP‐2にそっくりだけど、主眼レンズの幅が違う」

『となると、お値段はMP‐2の三倍以上か。俺の給料で足りるかな』


 EC‐8は(とお)()から見てもロボットと分かる(ふう)(ぼう)だ。人間の()(こん)()にあたる()(しょ)には単眼レンズがあり主に視覚情報を収集している。動きは人間とほとんど(そん)(しょく)ない。


「ステルス・スキャナーは付いていないはずだ。光学迷彩でやり過ごせる」

「敵拠点への潜入任務か。久しぶりだ」


 一が零の左横に来て、零と同じようにフィセム社の様子を見る。


「そうね。昔、貴方(あなた)香港(ホンコン)でやり合ったことが(なつ)かしいわ」

「はっ。いい思い出か? それ」

「ええ。そろそろ行くわよ」


 フィセム社ナノマシン研究開発棟(およ)び生産工場。ナノマシン製造に関する情報は社内の最高機密情報であり国際特許である。一般社員だけでなく研究者に対しても厳しい情報規制が()かれている。


「一、こっちだ。ここから侵入する」


 零の前には扉がある。扉には大きく〝B〟と書かれ、その下には〝LEVEL(レベル) 3〟とあった。研究開発棟のBゲートだ。テロリストの襲撃を想定した三重装甲扉になっており、パスワードとIDカードによる身分証明が必要になっている。


「セキュリティの解除は?」

「任せておけ」


 零は左腕の端末を操作し、フィセム・アフリカ支社のセキュリティ(とう)(かつ)システムに侵入。メインフレームへ侵入することで、セキュリティレベル5までの電子マスターキーを入手した。さらに、ドアの認証システム、監視カメラ、監視ドローンの映像・音声記録や人物認証記録を書き換え、透明な人間が扉を開閉しても問題ないように設定。これで、侵入者記録に残ることはない。そして、零の指令コマンドがあれば、今回の書き換え内容は元に戻される。セキュリティ(とう)(かつ)システムに侵入した形跡も完全に無くなる。


「よし、解除した。ついでにカメラも無力化してある」

「速いな」

「由恵ほどではないけどね」


 扉が開くと(ろう)()が続いている。(ろう)()の天井には半球型監視カメラがあり、扉を出入りする者を確実に(とら)えられるようになっていた。零が監視カメラの設定を変更していなかったら、今ので確実に侵入がばれていたはずだ。


 二人は反動抑制グリップを付けたNXF‐09を構え、(じゅん)(かい)している保安員がいないかを確認する。


「クリア」

「やはり監視カメラはあったか」

「目標地点は地下だよな。でも社内ホロマップに地下はない」

「当然、秘密階層でしょうね。由恵のハッキングで得たこのホロマップにはちゃんと地下がある。一部だけだけど」


 UCGにはフィセム・アフリカ支社ナノマシン研究開発棟の立体マップが表示され、目標地点が赤いサークルで強調表示されていた。目標地点は地下655メートル。一般社員向けの社内ホログラムマップや二次元マップには地下が存在しないことになっているが、現実、地下は存在している。フィセム社が(あや)しい研究をしているのはまず間違いないだろう。


「専用エレベーターはこの先、55メートル」


 アンドロイドや人間の保安員が(じゅん)(かい)しているルートは分かっているため、二人は簡単に(ろう)()を進んでいく。地下に行くためには専用のエレベーターでなければならない。


(ろう)()クリア」


 先頭を歩く零は予備倉庫と書かれた扉を開ける。本来電子ロックされているはずだが、電子マスターキーを持つ零の手ですぐに開錠された。


「誰もいないようだ。よし、こっちだ」


 右の通路を進み、さらに扉を開けた。薬品棚が並べられているが、奥にはエレベーターがある。一見、(はん)(しゅつ)(よう)のエレベーターにも思えるが、このエレベーターが地下へ続く専用のエレベーターだった。ここ、予備倉庫は一般社員が入ることを許されていない。一般社員向けマップ上では〝第三予備薬品室〟ということになっている。

 エレベーターのボタンを押すと扉が開いた。二人は光学迷彩をつけたまま、エレベーターに乗り込む。


「ここからマスターキーは使えない。カメラと(しょう)(へい)に気を付けろ、独自のセキュリティだ。パスワードは6f82R。タイムパスはCsW7。セキュリティコードは2150」


 零が入力したコードは間違っていなかった。

 エレベーターが閉まり、地下研究所へ下り始める。

 未知の世界への入り口、(しん)(えん)への入り口だ。


「地下の極秘研究所か。まるでゾンビ映画にありそうだな。てか、あったよな」


 一はUCGに映る自分達の位置情報を見ながらそういった。ホロマップは途中から情報が(けつ)(じょ)している。地下の情報がない。どんなにフィセム社内部の情報を(さぐ)っても、地下研究所の全体像が分からない。おそらく地下研発所にはセキュリティレベル6以上のレベル設定がされており、深い階層の情報はここを直接管理しているブラックレインボー幹部しか知らないのだろう。


「レーザーグリッドに用心だな。バラバラにされるぞ」


 一のネタに対し、零も対応するネタで返した。


 エレベーターが着くと、長い一本の(ろう)()が目の前に続いていた。天井には上の階と同様の半球型監視カメラが埋め込まれている。それ以外に装飾はない。非常に(かん)()な通路だ。


(カメラか。ステルス・スキャナーはない)


 UCGでスキャニングしているが、トラップらしき反応はない。(ちょう)(やく)地雷もレーザーもないようだ。しかし、油断はできない。ここから先、独自のセキュリティシステムが()かれていることは、先のセキュリティ(とう)(かつ)システム侵入で分かっている。

 監視カメラには集音マイクが搭載されている可能性があるため、声や足音は消さなければならない。ここに侵入者はいないのだ。


(気圧が少し高い。それに風の流れが上から下へ。空気中のちりを施設内に入れないための工夫だな)


 (ろう)()を渡り終えると、床の重量感知センサーで扉が開いた。


(人がいる!?)


 ここはどうやら地下の中央オフィスのようで、多くの職員とアンドロイドが働いている。

 これは想定外だ。

 オフィスは円状構造をしており、その中央にはガラスで仕切られた大部屋が、周囲には同じくガラスで仕切られた小部屋が多数見える。


(ばれたか?)


 いくら光学迷彩とはいえ、重量感知しなければ開かないはずの扉が開いたのだ。零と一の侵入が勘付く可能性は否定できない。

 と、早速一人の男性職員がこちらに視線を向けた。扉が閉まるところをはっきり見ている。


「はあ、扉がまた故障したみたいだ」


 男は隣の女性職員にそういって、メガネ型ウェアラブル端末スマートグラスで誰かと通信を始めた。


「やあ。マットだ。セキュリティチーフのジェームズに(つな)げてくれ。またファーストゲートが故障したようだ」


 零と一の侵入に気が付いている職員はいないようだ。(じゅん)(かい)している警備アンドロイドも異常を検知していない。このまま職員が変に勘ぐる事がないよう、零達は職員や(じゅん)(かい)のアンドロイドを避け、さらに下の階層を目指す。


 途中、零は職員がいないデスクを見つけ、そこから情報を得ることにした。左腕の端末から光学迷彩機能があるケーブルを伸ばし、スリープモードにあるラップトップへ(つな)げた。一気に個人設定を解読し、パソコン内にある情報をコピーした。


(地下研究所のホロマップだ。これで全体の構造が分かる。ミストの保管庫は最下層か)



 地下研究所のセキュリティチーフであるジェームズは、マットからの報告を受け、監視カメラの録画映像データと重量感知の()(れき)データを確認した。


「故障ではなさそうだ」


 彼は急いで椅子から立ち上がりチーフ室を出る。

 プルルルル……

 (ろう)()を歩きながらUCGで支社長のイリーナに電話をかける。社内緊急回線だ。


『ジェームズ、こんな時間に何?』

「侵入者です。おそらくですが」

『おそらく?』

「はい。監視カメラには姿が映っていません。熱センサーにも反応はありません。しかし、重量感知センサーは二人の人間を検出しています」

『……故障の可能性もあるけど侵入者と考えるべきね。貴方(あなた)はクイーン・イズンへ報告を。地上からはスペードの増援部隊を派遣する。あと、ボスには私から報告するわ』

「分かりました」


 ジェームズは大きく赤いハートマークが書かれた部屋の前に着いた。(しょう)(もん)認証やIDカードの読み取り装置があるが、それらには一切触れず、扉を二回ノックする。


「入りなさい」


 女性の声がして扉が開いた。部屋の中に入るジェームズ。

 部屋には地下研究所のホロマップが大きく映し出されており、それを一人の女性が見ていた。


「クイーン・イズン、侵入者がいると思われます」

「そのようね。可能性としては二名」


 女性の右手の甲には〝ハート〟のマーク、左手の甲には〝Q〟の文字が描かれている。この女性こそがハートのクイーン、イズンであった。彼女はこの地下研究所を(とう)(かつ)している最高責任者でもある。


「抜き打ち火災訓練として全職員を研究区画から生活区画へ誘導。以後、研究区画と生活区画の連絡通路を全て閉鎖する。所内ネットワークも制限をかけ、知的財産の保護を実施。また、侵入者は光学迷彩を使用しているため、消火用スプリンクラーを開栓し、床を水で(ひた)します」

「人員の配置はどうしますか?」

「人間である貴方(あなた)の部下は第四層、第五層に配置。先発二個分隊は上層のクリアリングを。特に連絡通路とエレベーターシャフト、非常階段を(けい)(かい)しなさい。第四層から下の階層のエレベーターは全て停止。基本戦術としては待ち伏せを行い、追撃は必ず複数人で行うこと。私の部下は第六層、第七層に配備する。侵入者は可能ならば生け捕りにし、無理なら殺しなさい」

「分かりました。クイーン、貴方(あなた)は?」

「私は第八層の中央ナノマシン(こう)(しょう)前室で待機する。まあ、私のところまで来ることはないでしょう」



〈フィセム社・地下研究所第三層〉

 零が得た地下研究所のホロマップは一にも転送され、二人のUCGには立体マップ、二次元マップともに使用することができるようになっていた。


「不気味なほど静かだな」


 小声で一はつぶやいた。研究所内は空調やパソコン等の機械音以外に音がしない。

五分前、職員らのスマートグラスには〝火災訓練〟の緊急通達が(いっ)(せい)送信され、(すみ)やかに職員達は避難プロトコルに従った。つまり今、研究所内はもぬけの(から)ということだ。


「そして水(びた)しだ」


 おまけに、天井からはフッ素系不活性液体が(ふん)(しゃ)され、床が水(びた)しになっていた。不活性液体は本来、電子機器を冷却するために開発された絶縁性を有する液体であるが、この研究所内では火災時の液体消火剤としても使用されている。


「侵入がばれたようね。これは光学迷彩への対抗策だ」


 光学迷彩の弱点はいくつかあるが、床を水で(ひた)すのはその一つだ。忘れてはいけないのは姿を見せない相手であっても、身体は存在しているということ。床を水で(ひた)しておけば歩くたびに水が跳ね、乾いた床に移ったとしても足跡が残る。


「認めたくないが相手の指揮官は優秀だ。(すで)(げい)(げき)部隊を送ってきているだろう。上と下からの(きょう)(げき)は想像したくないものだ」


 チャプン、チャプン


「もう来てるぞ……後ろから」

「ふむ。(かく)()を決めよう」

「了解」


 振り向きざまに零と一はNXF‐09を撃った。

 放たれた銃弾は一人の武装した保安員に命中。その保安員は倒れ込んだ。残りの保安員は(ろう)()の角に隠れ、こちらの様子をうかがっている。


 ―クイーン、こちらスペード2‐1。第三層の(デルタ)2通路に侵入者。敵は光学迷彩を使用。

『スペード2‐1、了解した。ハート9が下から向かっている。そのまま(きょう)(げき)せよ』

 ―スペード2‐1、了解。


「私が行く。フラバン、投げるぞ」


 零は状況打開のため、フラッシュバンを(とう)(てき)した。


「カバー!」


 一瞬の(ひる)みを逃さず、零は戦闘スーツの力を利用して、(またた)()に敵との距離を詰めた。背中にNXF‐09を回して固定していることから、近接格闘戦で敵を仕留めるつもりだろう。

 通路の角に隠れていた敵は、突然突進して来た零に(きょう)(がく)した。銃を零に向けようとしたが、すぐに銃を()り飛ばされ、さらに零のかかと落としで完全に(せき)(つい)と神経を破壊された。

 零が()いているユニバーサル・コンバットブーツのつま先部分とかかと部分には、任意のタイミングで飛び出る(えい)()な隠し刃が仕込まれており、かかと落としや回し()りといった攻撃タイミングと合わすことで、敵に致命傷を与えることができるようになっていた。


「遅い」


 背後の敵を見ることなくナイフの突きを避け、後ろ()りでそのまま(ひたい)(きょう)(れつ)()りを食らわせた。戦闘スーツによる身体能力強化もあり、顔面に()りを受けた保安員はその場で即死した。

 残る敵は二人。零の右手(そで)(した)から左手で隠しナイフを引き抜き、残る二人の(けい)(どう)(みゃく)をかき切った。

 零は右の(だい)(たい)()ホルスターから、右手でNXA‐05を素早く抜き、応援に現れた二人の保安員の頭に一発ずつ弾を放った。


「クリア」


 隠しナイフとNXA‐05を収め直し、背中にあるNXF‐09を再び構える。


「おお、さすが隊長。やるな」


 一の出番はなかった。



「スペード2‐1が全滅か」


 先ほどまでホロマップに表示されていたスペード2‐1分隊の反応が消滅。

 これくらいは別に問題ないが、イズンは気になることがあった。


「ファーストゲートの監視カメラ映像に姿は映っていなかった。となると、侵入者は光学迷彩を使用している。重量感知センサーの()(れき)を見る限り、サイボーグとは考えにくい。二人とも生身(ナチュラル)……全身透明ということは第四世代の光学迷彩を使用しているということになる。そんなことが……」


 イズンは第四世代の個人用光学迷彩を実用化した国や組織を知らない。仮に実用化した組織があれば恐るべき相手だ。赤外線スキャンはあてにならないし、通常のレーダー波による生体スキャンも意味はない。武器や装備を含めて全身の姿を消すことができる。

 配下のアンドロイド部隊は対光学迷彩戦を想定し、ステルス・スキャナーが内蔵されている。しかし、ジェームズの部隊にスキャナーはない。被害は大きくなりそうだ。


「……ボスに連絡しておこう」



〈フィセム社・地下研究所第三‐四層〉

 第三層から第四層の非常階段。今度はこの(せま)い空間で銃撃戦が繰り広げられていた。

 上層からの保安部隊はスペード2‐1の他に、スペード2‐2がいたが、そのいずれも零達の返り討ちにあった。


「くそっ。今度は下からか」


 一の援護射撃を受けながら、零はNXF‐09のマガジンを交換する。

 保安部隊全員の銃にタクティカル・ライトが装着されているが、これも古典的な光学迷彩対策の一つだ。光学迷彩で姿は消えているが、物体としての存在はあるため、ライトに照らされれば当然影ができる。UCGの自動(へん)(こう)機能でさして問題にはならないが、もしUCGが無ければライトのまぶしさも(やっ)(かい)だ。


「後ろからも来てるぞ。四人だ」

「私が下をやる。一、お前は後ろを相手にしろ」

「大丈夫か、これ」

「問題ない」


 零は(おど)り場に出てきた一人の頭をヘッドショット、さらにカバーで出てきたもう一人もヘッドショットした。


「こっちも二人やった。隊長、リロードのカバーしてくれ」

「了解」


 スライサーディスクが左手のガントレットにある射出器から二つ放たれた。スライサーディスクは角裏に隠れた相手を認識しており、(ちゅう)で小さく()(えが)いて、一つは左、一つは右の角の裏にいる敵を(よう)(しゃ)なく切り裂いた。


「最初からそうすれば良かったんじゃないか?」

「そうかも。貴方(あなた)も装備する?」

「いや、使うタイミングが分からないから、やめとくわ」

「あらそう。便利なのに」



 ホロマップを見ながらイズンは侵入者が何者かを(すい)(そく)していた。当初の予測より被害が深刻だ。


「どうなっている? 相手は光学迷彩を使っているとはいえ、生身の人間二人。こちらの()(じろ)であるにも関わらず、移動が制限された閉所で、ここまで戦える人間がいるなんて。どこの組織? BCO? いや、BCOがここに来るのはあり得ない。ならばゼニスか505?」


 ゼニスはイギリスの(ちょう)(ほう)機関で〝秘密情報局軍事情報(とう)(かつ)部危機管理室〟を指す。各イギリス(ちょう)(ほう)機関や軍、警察が得た情報を(とう)(かつ)し、情報解析するだけでなく、それらを(もと)に、独自の(ちょう)(ほう)活動を行っている。ゼニスのエージェントは国外における人的諜報活動(ヒューミント)も行っており、国家危機を(いく)()も回避してきた。


「いずれにしろ、この(きょう)()のレベルは無視できない。輸送プランはBに移行しておこう」


 ここでイズンに通信が入る。


『クイーン、問題が』


 ジェームズからだった。声から判断するに、良くないことが起こったようだ。


「ジェームズ、どうした?」


『このままでは第四階層が突破されるのは確実です』


 予想よりも早い。この報告を受けてイズンは部隊の再配置を決めた。ジェームズはイギリス軍特殊部隊出身で、状況()(あく)能力に優れている。自身が置かれている状況を()(かん)(てき)かつ冷静に判断できる。イズンとも(あい)(しょう)がいい。

 そんな彼がこんなことを言うのだから、このままではいたずらに人的被害を増やすだけだろう。人間の部隊が侵入者を相手にするのは誤りだ。侵入者の戦闘能力は突出している。並のエージェントや特殊部隊ではないだろう。


「分かった。人間とアンドロイドの配置を逆にしよう。すぐに私の部隊を向かわせる。後退しなさい」

『了解。後退します』

「全ユニットへ。こちらハート・クイーン。命令を射殺に変更、侵入者を(まっ)(さつ)せよ」



〈フィセム社・地下研究所第五層〉


「これは罠か? 今度は敵が出てこなくなったぞ」


 先ほどの銃撃戦が嘘のように、(せい)(じゃく)の世界が広がっていた。まるで(きつね)にでも化かされているようだ。


()(じん)を変えているんじゃない? あれだけ人的被害が出たんだから。アンドロイドを主体とする攻撃フォーメーションに移行するでしょう」


 一のカバーを受けながら零は敵のマガジンを三本回収した。そのうちの二本を一に手渡す。「これを使え」という意味だ。

 NXF‐09は標準的なアサルトライフル弾(無薬莢(ケースレス)弾薬を含む)を口径問わず全て使用できる。これは孤立無援の戦場でも戦い抜けるよう、弾の現地調達を(よう)()にすること、潜入任務時に敵の弾を奪うことで使用済み(やっ)(きょう)から自分達の正体を(さと)られないように偽装ができること、が主な利点として挙げられる。


「敵の指揮官はかなり優秀そうだな」

「そうね。相当頭が切れる。そこら辺の政治家や背広組よりも優秀」

「だな。問題は何が来るかだ」

「来たわよ。正面!」


 左腕に小型の盾を装備した戦闘アンドロイドEC‐8Q(ナイト)が二体、腰をかがめた体勢で廊下を前進してきた。その背後には二体のアンドロイドEC‐8Q(ポーン)が銃を構えている。EC‐8QはEC‐8をベースに全体的な性能を向上させた特別モデルで、クイーン・イズンの直属部隊。銃はMK‐74Cを装備している。


「侵入者だ! 撃て!」


 アンドロイド兵は二人を確認すると、躊躇(ためら)うことなく銃の引き金を引いた。アンドロイドは標的までの正確な距離を認識するとともに、銃の特性を(こう)(りょ)し、発砲時の反動を(よく)(せい)することで、人間にはできない高精度射撃を行うことができる。


 零と一はそれぞれ左右に分かれた。零は電子ロックされている部屋の扉を体当たりで破り、その中へ。一は目の前に置かれていた実験用机を倒し、弾()けとした。


「ステルス・スキャナー内蔵式だ。EC‐8をベースにしているようだけど、屋内戦を意識した改造がされている。閉所での戦闘に特化しているようね」

「これじゃ、光学迷彩の意味がないな」


 二人とも光学迷彩を解き、その姿を現した。これは無駄に光学迷彩のバッテリーを消費しないためでもある。ステルス・スキャナーは光学迷彩対策として開発された最先端機器だ。例え第四世代光学迷彩であっても誤魔化せない。閉所・屋内で使用すれば超高感度で光学迷彩を検出できる。


「隊長、ブラインドグレネードを使うか?」

「いや、どうせまだ来る。取っておいた方がいい」

「はあ。身体が持つか心配だ」


 一と零が同時に顔を出し、アンドロイド兵へ撃とうとしたがすぐに(とら)えられ、逆に制圧射撃を受ける。


「やはり見ているか……」


 銃弾が止めどなく飛んで来るため、二人は()(かつ)に動くことができない。


「閉所でアンドロイドを相手にするのはきつい。不利過ぎる。サーマルでいこう」


 そういって一はT4熱爆発(サーマル)手榴弾(グレネード)をユーティリティベルトから取り出した。サーマルグレネードは標準的なグレネードである破片(フラグ)手榴弾(グレネード)とは異なり、爆発時に広がる高熱そのもので標的を無力化するグレネードである。


「分かった。援護する」


 零は(こぶし)で軽く壁を(たた)いて銃口の(のぞ)き穴を作り、その穴を使ってアンドロイド兵へ撃つ。アンドロイド兵達は零の思わぬ反撃に気を取られ、一への(けい)(かい)(ゆる)んだ。

 その(すき)()かさない手はない。


「サーマル行くぞ!」


 その掛け声とともに一はサーマルグレネードを投げた。

 一と距離が近いナイトとポーンは飛来するサーマルグレネードに反応し、グレネードを狙い撃とうとする。アンドロイドだからこそ可能な反応だった。

 だが、それを零は見逃さなかった。グレネードを撃ち抜こうとしているナイトとポーンの腕に一発ずつ銃弾を撃ち込んだ。

 ナイトとポーンは着弾による衝撃で手が大きく揺れ、サーマルグレネードは一の狙い通りにナイトとポーンの足下へ転がった。


キュイン、ドッバーン!


 グレネードは爆発し、その熱と爆風でナイトとポーンの身体は大きく損傷した。全てのアンドロイド兵が両脚を失っており、四体のうち三体は両腕も消えていた。残る一体は片腕が残っていたが、地を()うように動こうとするのがやっとだ。その個体に一は銃弾を三発撃って、完全に機能を停止させた。


「まだだ。動くな」


 奥から増援部隊の()(はい)を感じ、零は一に動かないように伝える。


(むな)(さわ)ぎがする……)


「あれは……くそっ」


 黒色にうごめく小さな虫の群れが地面を(せま)って来る。ただの虫ではない。昆虫型無人機〝ナーク〟だ。体長1センチほどの大きさで、主にアメリカやオランダ、ベルギー、ドイツ、フランスの警察が使用している。違法薬物や爆発物を探知するために使われているだけでなく、盗聴器としても使用されている。

 ただ、ナークは軍事利用もされている。内容としては地雷やトラップ等の調査、テロリスト拠点の盗聴、毒物を用いた暗殺だ。アメリカや中華連で実際に採用されている。


 ナークを一掃するため、零はブラインドグレネードを(とう)(てき)した。起爆時間を(こう)(りょ)し、少し手前にブラインドグレネードを落とす。

 群れで(せま)るナーク。おそらく脚部か口部の(きば)に神経毒が仕込まれている。刺されたり、()まれたりすれば死に(いた)ることだろう。


 ピュイン


 ブラインドグレネードは正常に起爆した。周囲に電磁パルスが発生し、電子機器を破壊する。EMP対策がされていないナークも当然機能を停止。ナークの群れが一瞬で動きを止めた。


「ナークを無力化」


 NXF‐09を構えながら(しん)(ちょう)に先へ進んでいく零。どうやらこの階層の敵は全て倒したようだ。


「クリア」

「やばいな、完全に向こうは殺しにきている」

「そうだな。ナークをこんな所で見るとは思ってもいなかった」

「目的地はまだ下なんだろ。次はゾンビか化け物でも出てくるんじゃないか?」

「ならばそいつらも殺すだけだ。先を急ぐぞ」


 二人はそれでも進むことは(あきら)めない。ここで(てっ)退(たい)すればナノマシン兵器ミストがインドで使用される。これは日本にとっても無視できない問題だ。先に進むしかない。

 より深く、もっと先へ。



 第八層中央ナノマシン(こう)(しょう)前室。

 床にはコンテナ(はん)(にゅう)(よう)のレールが敷かれ、天井にも物資移送用のレールが埋め込まれている。

 広大な部屋には予備のナノマシン製造用タンク、予備のナノデザイン3Dプリンター等が並べられている。左右には実験器具やコンテナ、タンクを保管してある大型(かく)(のう)()もあり、アンドロイド保安員が緊急出動できるようにアンドロイド兵待機室もある。

 ここから奥はミスト(およ)びブレインシェイカーの設計、開発、生産プラント。ブラックレインボーにとっては最重要研究施設である。そのため、ハートのクイーンが(じょう)(ちゅう)して管理している。この階層に来るにはハートのキング、ハートのクイーン、セキュリティチーフ全員の許可が必要で、さらにレベル9の権限を持つ保安員又は責任者の同伴が必要である。


「ナークが全滅。さらに第六、第七層の守備隊も全滅……いよいよこの二人はただ者ではない」


 人間相手にこれほどまで危機感を(いだ)いたのは初めてだった。このままハート部門の守護者として相手を生かすわけにはいかない。ハートだけでなく、組織にとっても大きな(きょう)()だ。

 イズンは部下のアンドロイド兵が見ている視覚情報とリンクし、零と一の顔を確認した。


「この顔、見たことある。ジョーカーの報告にあった日本の公安だ。まさか日本が動いているのか。あの島国、組織の影響が薄いことをいいことに、我々に()み付いてくるとは。身の程知らずめ」



〈フィセム社・地下研究所第七層〉

 第八層へ通ずる専用エレベーターに辿(たど)り着いた零達。後ろの床には倒された保安部隊の隊員が転がっている。その中で息をしている者は誰もいなかった。


「この下が目的地だ」


 このエレベーターは(ゆい)(いつ)、第八層に(つな)がっているエレベーターで、これを使わずして第八層へ行くことはできない。


「エレベーターは止められている。シャフト内を伝って下りるしかないな」


 研究所内のエレベーターは全てイズンにより停止させられている。仮にエレベーターの呼び出しボタンを押しても意味はない。

 UCGの視覚モードを透過モードに切り替え、零はエレベーターを見渡した。トラップやセンサー類はどこにも仕掛けられていない。シャフト内に待ち伏せドローンの姿もない。


「トラップはなさそうだ。ドアを開けよう」


 零はドアの中央に手をかけ、力を入れる。戦闘スーツの身体強化もあって、さほどドアの重さを感じることなくきれいに開けることができた。ただ、無理やりロックされている扉を開けたので、このエレベーターに電源が入ってもちゃんと動くかは不明だ。

 シャフト内を(のぞ)き込む零。UCGを通してシャフト内を見ているが、やはりトラップやセンサー類は探知されなかった。直接見た感じでも異常は感じられない。


(ドローンを置いてないのか。それはそれでありがたい)


 零が一番()()していたのはシャフト内に武装ドローンが配置されていることだった。

 止められたエレベーターシャフトというのはドローンを忍ばせておくのにうってつけで、例を挙げればテロリストがビルを占拠した時に効果を(はっ)()する。実際にこれはポルトガルとスイスであった話だ。警察特殊部隊がシャフト内から上層階に向かおうとして、武装ドローンに(そう)(ぐう)。テロリスト側に動きがばれただけでなく、警察側にも多大な被害が出た。


「このくらいの高さなら、そのまま落ちても問題ないな。そこでお前は待っていろ。私が先に行く」


 下には動いていない昇降する部屋部分〝かご〟が見えた。

 ワイヤーロープを使うことなく、零はそのままかごに跳び下りた。衝撃はあるものの、戦闘スーツの補正もあり、生身の身体に負荷はほとんどない。

 零は銃を右手で構え、かごの天井にある点検用の戸をゆっくり左手で開けた。


「まだ下りて来るなよ」


 かごの中の安全を確認し、その中へ静かに零は入った。

 一が下りて来ないよう(くぎ)を刺し、UCGで先ほどと同様、(しん)(ちょう)にかごの中を確認した。トラップは存在しない。ドローンの待ち伏せもない。


「トラップが一つもない。(みょう)だな」


 てっきり、対人トラップがあると思っていた零は、何も仕掛けられていないことに違和感を(いだ)いた。これまで各階層の要所要々にはトラップがあった。いずれも致命傷になるものではないが、警報器や敵味方識別動体センサー爆弾、電気ショックダート等のトラップはあったのだ。


「隊長、下りていいか?」


 待たされている一は背後を(けい)(かい)しつつ、零に下りるタイミングをうかがう。

敵指揮官の能力を(こう)(りょ)した場合、ここだけトラップが無いわけがない。


「いや、待て」


 零はかご天井(すみ)に透明なカメラを見つけた。正しくいえば光学迷彩機能を有した球状の特殊カメラだ。UCGの透過モードや熱源感知モードでは見抜けない。それを零は自身の感覚だけで見つけ出した。


(やはり仕掛けていたか)


 カメラへ零は手を伸ばし、そのまま粉々に握り(つぶ)した。

「なんだ? カメラか?」

「ええ。もう下りてきていいわよ」


 UCGを透過モードから通常モードに切り替える零。


 ゴンッ


 (にぶ)い金属音がかごの内部に響いた。

 一が着地した音だった。一も零と同じく上からそのまま跳び下り、かごに着地、中に入って来た。


「ようやくここまで来たぜ。この先が最下層か……ゾンビとか出ないよな」


 正直、一はまだ本気でゾンビか化け物が出るのではないかと思っており、不安を感じている。心なしか空気も冷たく、死者の国に(さそ)われているようだ。


黄泉(よみ)の国なら私は大歓迎」


 対照的に零はゾンビが来ようが、それはそれで敵であることに変わりない。最深部には強大な相手が待ち構えているはずだ。


「よし、開けるぞ」


 零はドアを力で無理やりこじ開けた。



 〝ゴーストアイ〟からの映像が途絶えた。


「ここまで侵入者が来るのはあり得ない。それにゴーストアイを見抜くって」


 イズンはドローンをシャフト内に仕掛けることを確かに考えたが、過去の事例を踏まえ、それを止めた。代わりにブラックレインボーで開発された小型特殊カメラ〝ゴーストアイ〟を仕掛け、エレベーターに侵入してきた二人の動きを見ていたのだ。ただ、予想外にも零の手で破壊されてしまったが。


「ジェームズは優秀な人間だけど、侵入者に勝てる見込みは無い」


 ゴーストアイの映像を再確認するイズン。


「困ったことに、(ひさ)しぶりの戦いになりそうだ」



〈フィセム社・地下研究所第八層〉

 最下層の第八層はブラックレインボー・ハート部門の管理下にあることを示すように、ハートのシンボルマークが床に(えが)かれている。

また、通路の横壁には最高セキュリティレベルを表す〝RESTRICTED AREA LEVEL9(制限区域レベル9)〟の文字が大きく描かれ、その下には


 《WARNING》(警告)

 《UNAUTHORIZED ENTRY IS SHOT BY SECURITY》(許可なき者は保安員により射殺される)


 との警告文がある。

 しかし、そんな警告文お構いなしに進む男女二人組。


 セキュリティチーフ・ジェームズ(ひき)いる最後の人間保安部隊と交戦中だ。保安部隊は銃に付けているライトを点灯させ、零達の動きを(けん)(せい)していた。


「クイーン、こちらジェームズ。連絡ホールに侵入者。対象を視認、二名」


 中央ゲート前には人間の守備隊だけなく、AWT(陸戦支援ドローン)が三台設置されている。対光学迷彩を想定した布陣だ。光学迷彩でのごり押しはできない。


『ジェームズ、相手は人間か?』

「はい。間違いなく人間です」

『そうか。今、スペードとクラブの増援部隊が地上から向かっている。持ち(こた)えろ』

「お任せを。我々の命に代えてもゲートは死守します」


 クイーンの手前、ジェームズはそういったが現実は厳しい。何せ、侵入者はたった二人でここまで来ている。そして、クイーン配下であるアンドロイド部隊も撃退している。戦闘スーツの性能を差し引いたとしても、侵入者二人の技量が相当高いことは(よう)()に想像がつく。

 ここでのジェームズの仕事は侵入者を倒すことではなく、ナノマシン工場に入るまでの時間を(かせ)ぐことだ。イズンもジェームズが侵入者を倒せるとは思っていない。今、クイーン・イズンにとっての最優先事項は輸送プランBの時間を(かせ)ぐことであって、侵入者を始末することではない。任務における内容の優先順位は大きく変更されていた。



「AWT三台は厳しいな……」


 NXF‐09のマガジンを新しいものに交換しながら、一は状況打開の方法を考えている。AWTは移動用の無限()(どう)と戦術情報共有システム(およ)び狙撃手位置予測解析システムを一体化させた高性能AWセントリーガン。自律走行型自動機銃あるいは軽陸戦支援ユニットと呼ばれる。戦車のように無限()(どう)で移動できる分、通常のセントリーガンよりも(やっ)(かい)だ。


「目的地は目の前だっていうのに。隊長、これどうするよ。連中、弾は(くさ)るほどあるし、このままだとジリ貧だぞ」


 予備のブラインドグレネードやフラッシュバンはあるが、投げたところでAWTが起爆する前に撃ち抜くだろう。


「スライサーディスクが一つだけある。これでAWTを黙らせよう」

「了解。あとはなるようになるだけだな」


 UCG透過モードで隔壁越しにAWTをマーキング。


「よし、行くわよ」


 零の左甲部から放たれたスライサーディスクは飛びながら弧を(えが)くように曲がり、AWT目がけて低空飛行する。最短距離のAWTに向かって正確に飛び、その高度を徐々に上げていた。

スライサーディスクがAWTの砲身を真っ二つに切り裂き、次の目標へと急(せん)(かい)。二台目、三台目とAWTを破壊した。


「何だ!? どうした!?」


 AWTが壊れた音に保安部隊は一瞬とはいえ、気を取られてしまった。それを狙っていた一が隠れていた隔壁から姿を出し、反撃を開始する。

 保安部隊は(いっ)(せい)に一へ攻撃を加えようとするが、次々と倒れていく。


(敵は二人いるはずだ……もう一人はどこだ?)


 ジェームズはワイヤーで天井に張り付き、こちらを狙う零を見つけた。


「上だ! 上にいるぞ!」


 すぐに零を撃とうと銃を構えたが、零の方が速かった。

 彼女が放った弾丸はジェームズの()(けん)を貫き、彼の意識を完全に奪った。

即死だった。


 ここから先、いよいよ(しん)(えん)の終着点である。



〈フィセム社・第八層地下研究所 中央ナノマシン(こう)(しょう)前室〉

 目の前に立っているのはすらりとした長身の女性。その女性の右手の甲には〝ハート〟のマークが、左手の甲には〝Q〟が(えが)かれている。彼女こそがブラックレインボー研究開発部門のクイーン、イズン。


「ここまで来たのは貴方(あなた)達が初めてよ」


 そういってイズンは銃を構える二人を前にし、軽く拍手をした。


「でも、貴方(あなた)達はここで死ぬ」


 イズンの上腕部には折り(たた)み式のブレードが装着されているのが見える。また、彼女の周囲には球状の物体が六個、(ちゅう)に浮かんだままゆっくりと周回している。


「何か言い残すことはある?」

「どうせ殺されるなら、いくつか質問させてもらおうかしら」

(めい)()土産(みやげ)ということ? 人間の考えることは分からないわね。まあいいわ。どうせ死ぬんだし」


 簡単に二人はそういうが、実際はお(たが)いがいつ奇襲されてもいいよう、決して(すき)は見せない。会話で注意を逸らしたり、不意打ちを狙ったりというのはむしろ合理的な判断だ。命を()ける殺し合いなら、どんな手段でも勝とうとするのが普通だろう。


「ブレインシェイカーを開発した理由は? 貴方(あなた)達、ブラックレインボーはミストの開発だけで十分なはずじゃない?」

「そんなことを聞きたいの? どうせある程度知っているくせに。ま、いいわ」


 しかし現状として、この会話が不意打ちに(つな)がることが無い事は零がよく分かっていた。

 相手の()(ゆう)な表情からしてイズンはサイボーグ。こちらがどんな奇襲をしたとしても、その全てを防ぐ自信があるはずだ。逆にこちらは攻めに関しては圧倒的に不利。相手の手の内が分からない。下手に手を出すことは許されない。


「簡単な話よ。第一に資金集め。第二に実験。ドラッグはお金になる。そして、人間を洗脳できる。上手く使えばブレインシェイカーは人間を思い通りに操ることができるわ。例えば一般人を死も恐れない兵士にしたり、あるいは中毒者に任意のきっかけを与えて暴走させたり。ブレインシェイカーは非致死性兵器。その分、ミストよりも幅広い方法で社会に混乱を与えることができる」

「ミストとブレインシェイカーを使って、ブラックレインボーは何をしようとしている? 何が目的?」

「我々ブラックレインボーは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に動いている」

「世界平和のためだと? 笑わすぜ。ヤク売って、大量(さつ)(りく)兵器まで開発してな」


 黙って聞いていた一だが、さすがに今のイズンの言葉には突っ込まずにいられなかった。


「全ては平和のため、人類のために……ボスの思想は永遠なり。誰にもボスの邪魔はさせない。さあ、始めましょう。殺し合いを。人間ども」


 イズンを取り巻いていた六個の球状物体〝デッドアイ〟は横一列に並び、その中央部からレーザーを照射した。零と一は(たが)いに被らないよう大きく横に跳躍し、難なくレーザーを回避した。戦闘スーツのなせる技だが、そんなことなどイズンは予測済み。


 一の目の前にイズンはブレードを突き出し、心臓への一撃を決めようとする。

 その危険な一撃を防ぐため、一はさらに横へステップした。


「くそっ!」


 (せま)り来るイズンに対し、一がNXF‐09で反撃する。

 しかし、デッドアイが個別にシールドを張り、一の射撃を全て無力化した。


「シールドも張れるのか?!」

「クイーンを()めてもらっては困る」


 そのままイズンは一に襲いかかろうとする。


「こっちも見ろ。引きこもり女」


 零がイズンの背後から銃を撃った。


「いい度胸ね、侵入者」


 デッドアイのうち三個がイズンの背中に回り込み、シールドを展開。


「いくらやっても無駄よ。携帯武器でこのシールドは突破できない」


 イズンの言う通り、デッドアイは非常に優秀な遠隔支援ユニットだった。攻撃手段としても防御手段としても用いることができる。デッドアイにはフロートシステム(ヒッグス場(かん)(しょう)による浮力制御機構)が(とう)(さい)されており、(くう)(りき)がなくとも飛行することが可能である。そのため、気流のない屋内でも問題なく飛行する。


貴方(あなた)達に私は倒せない。大人しく死になさい」


 今度はイズンの前面に二個のデッドアイが配置に着き、シールドを展開するとともに、別のデッドアイ四個が零と一へ向けてレーザー攻撃を行う。

 もちろん、こんな手段でイズンは二人を始末できると思ってはいない。ただ、二人の体力と集中力を奪うには最適だった。それにレーザー攻撃には、二人に状況打破のための行動を(うなが)すという意味もあった。

 イズンとしては突っ込んできた二人を返り討ちにしようという算段だ。


 一方、零と一もそう簡単に突っ込むことはしない。デッドアイがある限り、イズンの優位は変わらない。遠近、攻守ともにデッドアイのサポートは強力だ。

 言い換えればデッドアイを封じることで、イズンに対抗することができる。


(確かにあのユニットは(やっ)(かい)だ。近づいてもシールドがある。だが、チャンスはある。ブラインドグレネードを上手く決めることができれば……)


 一はデッドアイのレーザーを最小限の動きで避けながら、ブラインドグレネードを使う機会を待っていた。ブラインドグレネードは残り一つ。爆発範囲は半径約1.4メートル。デッドアイ六個をまとめて仕留めることができれば、イズンの優位性を奪うことができる。


「なかなか貴方(あなた)達しぶといわね」


 イズンはレーザー攻撃をしているデッドアイの()(どう)を変え、徐々に零達との距離を詰めていく。


()(どう)を変えてきたか! くそっ!)


 くるくると飛び回るデッドアイは目で追うだけでも非常に難しいが、さらにレーザーの発射タイミングも(こう)(りょ)する必要がある。


「あまり人間を()めない方がいいわよ」


 零は断続的に飛んで来る近距離のレーザーを(かみ)(ひと)()で避け、あろうことかフックショットでレーザー発射前のデッドアイを一個破壊した。そのまま流れるように、ワイヤーを回収しながら側転。そして、もう一つのデッドアイもレーザー発射前を狙い、ブーツ先端の隠し刃を刺し込んだ。


 それはあまりにも一瞬の出来事だった。

 デッドアイを破壊した者は今まで一人もいなかった。


 しかし、零はデッドアイを破壊した。それも二個。


「そんな()鹿()な。シールドを展開できない(すき)を狙うだと……」


 イズンでも正直、意味が分からなかった。あり得なかった。

 デッドアイは自己防衛のためにシールドを発動することができるのだが、シールドをどうしても発動できない時間がある。それはレーザーを発射する時だ。レーザーを発射する前後だけはシールドを展開できない。理論的にはそうだ。理論的にはそうなのだが、その隙は0.01秒もない。0.001秒あるかないかだ。


「人間(ごと)き、私の手で!」


 いつもは冷静さを心掛けるイズンも、この時ばかりは感情を出さずにはいられなかった。至近距離のレーザーをかわし、さらにデッドアイも破壊した。そんな人間の存在を認めるわけにはいかなかった。

 デッドアイ二個とともに、ブレードを展開したイズンが零に(せま)る。


「クイーンだからって、動き過ぎるのはよくないわ」


 NXA‐05二丁持ちに切り替え、零は大きく跳んだ。右手の銃でイズンを撃ちながら、左手の銃で一のデッドアイを狙い撃つ。

 一をつけ狙い、動き回る二個のデッドアイを、直接見ることなく、しかも二丁持ちの状態で()()いた。まさに(かみ)(わざ)を零はやってのけた。


 イズンは零が自身の頭上を飛び越えていくのを見、即振り返った。

 ただし零の先ほどの言葉が引っかかり、そのまま突っ込もうという気は起きない。わざわざ()(ゆう)のあるセリフを言ったのだ。相手には何か策があるのかもしれないと。


 零と一の二人がこちらに銃口を向けている。


「チェックメイトだ。女王様」


 一がそういった。


「チェックメイトだと?」


 一の視線は下にある。


 ハッと気づいて足下を見るイズン。

 ブラインドグレネードが転がってきた。

 いや、転がってきていたことに今気づいた。


「しまった!」


 ピュイン


 ブラインドグレネードが起爆し、電磁パルスがイズンの全身を襲う。


「E、EMP……か。身体が……くそっ」


 EMP対策は(ほどこ)されているため、完全に機能を失っていないが、それでも身体機能に相当の影響が出ていた。周囲を浮いていたデッドアイもフロートシステムを失い、地面に落ちてしまった。


「今度は動かなかったのがあだになったわね」

「男を……助けたのは……これが、本命だった……というわけね」

「さようなら。ハートの女王」

「……魔女め」


 零はT4サーマルグレネードをイズンの方へ投げた。



〈フィセム社・第八層地下研究所 中央ナノマシン(こう)(しょう)


「おいおい、これ全部がミストか」


 一の目の前には〝MIST〟と書かれた大きな貯蔵タンクがいくつもある。


「あっちは全部ブレインシェイカーみたいね」


 零は歩きながら、どこかに情報端末がないかを探す。


「ここが中央管理室か」


 管理室の中に入ると、コンソールが見えた。


「知的財産保護プログラムが起動中。無理やりこじあげるしかないわね」


 セキュリティを突破し、中にあるデータを確認する。


「一、見つけたぞ。ナノマシン兵器に関するデータファイルだ」

「ミストとブレインシェイカー、両方あるみたいだな」

「ええ。全てコピーしてケナンと由恵に送る」

「ナノマシンということあって、(ばく)(だい)な情報量だな。頭が痛くなるぞ」

「製造方法、試作モデル、作用()(じょ)、生産コスト、試験地域。あらゆるデータがあるようね。ただ、ここにはないデータがある」

「何だ?」

「輸送経路。そしてブラックレインボーがこれらを使って、最終的に何をするのかということ。どうやら幹部達の頭にしかないようね」

「さっきの女王様も言っていたな。組織の目的は世界平和とか。だが、ここにあるのは大量(さつ)(りく)に特化したナノマシンと、人々をヤク中にして、凶暴化させるナノマシンしかない。どうやって世界平和なんかが実現するんだ?」

「分からない。ただ、良くないことをするのは目に見えている。ここにあるデータによると、ブラックレインボーは2021年、初代ミストの致死性テストを日本でしようとしていたらしい。過激派グループに援助をしつつ、組織は直接関与せず。汚い連中だ」

「どうして日本を選んだんだ?」

「研究員の資料によると、国土として閉鎖的であり、国家としてテロ対策が未熟であること。ナノマシンによる環境影響を調べる点においても()(ごう)が良かったらしい。それに、先進国であるから、他国にミストの恐怖を植え付けることもできる」

「なるほどな。絶対に許さねえ」

「とりあえず、急いでここから出よう。地上からスペードの増援部隊が接近中だ。所内全てのデータを完全消去。あとはプラント内のナノマシンを全て廃棄処理へ」

「隊長、あっちに(はん)(しゅつ)(よう)エレベーターがある。地上へ直結しているようだ」

「分かった。脱出しよう。あと十五分後にここは吹き飛ぶ」

「え? 隊長、今、なんていった?」

「急げ。証拠隠滅用の自爆シーケンスを起動した。スペード部隊には解除できないだろう。爆発規模は分からない」

「マジかよ」

「多分、地上には影響ないでしょう」



〈ホテル・ヴァルハラ〉

 シャッターが上がり、零と一の二人は(はん)(しゅつ)(よう)のエレベーターを出る。まだ深夜だが、空には明かりが見え始めていた。


「ここは見たことある景色だな」

「ホテル・ヴァルハラのVIP用ガレージのようね」

「こんなところに(つな)がっていたとはな。驚きだ」


『隊長、聞こえるか?』


 響からの通信だ。


「山彦、どうした?」

『二十分程前に、ホテル・ヴァルハラからフィセム社の車両が四両出ていった』

「何!? それでどこに向かった?」

『ツシェム空軍基地だ。追跡中』

「なるほど。ブラックレインボーは民間機ではなく軍用機で空輸するつもりか」

『あんまり聞きたくないが、あの車両には何が積まれているんだ?』

「十中八九、ナノマシン兵器だ。ミストかブレインシェイカーのどちらか、(また)はその両方だろう。目的地はインドだ。衛星でマークはしている」

「どうする隊長? このままツシェムに向かっても間に合わないぞ」

「菅田達を先行させよう。ちょうどインドのショーラープルにいる。私達はソマリアに向かおう。そこで海賊対策に派遣されている海軍に拾ってもらう」

『しかし、隊長。海上輸送だと時間がかかるんじゃないか?』

「私達の侵入がばれたんだ。空港はブラックレインボーが張っているはずよ」

『なるほどね。急がば回れか』

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