10. エピローグ
『本日は世界の裏事情に精通していらっしゃるフリージャーナリスト、ケルビン・フォンズ(Kelvin Fonz)さんにお越し頂きました。フォンズさん、よろしくお願い致します』
『よろしくお願いします』
『では早速、聞いていきたいと思います。国連軍総司令官のアルヴェーン総帥が暗殺され、今回ブラックレインボーの全幹部が逮捕、暗殺されたとのことですが、そもそもブラックレインボーがここまで強大化した理由とは何ですか?』
『そうですね。私は三つの大きな要因があったと思います』
『三つの要因ですか?』
『はい。まず一つ目に初期対応を誤ったことです。各国はあまりにも対策を蔑ろにしていました。差し迫った脅威ではないという根拠無き自信と具体性に欠ける対応を長く続け過ぎました……』
高層ビルの巨大モニターに映し出されているニュース番組。今日の内容もブラックレインボーのようだ。世界中でブラックレインボーに関するニュースが報道されている。現実世界だけでなく、ネット世界でも大々的に取り上げられ、無数の人がブラックレインボーに関する記事や写真、動画を見たはずだ。それこそ一から十まで話せるほどに。
「流石にもういいんじゃないのか。もうこのニュースは見飽きたわ」
一は左隣に立っている零へ愚痴った。
「最初は盛大にやっておいて損はない。後は忘れた頃に二、三回やる必要がある」
ブラックレインボーのボスである《プロビデンス》の情報は表舞台に出さないことが裏世界における暗黙の了解で決まった。情報の取り扱いは各組織で最高機密扱いとし、封印されたのだった。またニンバス・アルヴェーンという人物に関してはブラックレインボーによって暗殺されたということにし、その報復作戦としてBCOと多国籍軍がブラックレインボー全幹部を逮捕あるいは暗殺を実施したという設定とした。
情報操作である。仮に本当の情報を世間に流したとしても有益なことはないはずだ。むしろ無用な混乱を招くだけだろう。
「本当に奴を消さなくて良かったのか?」
一の言葉の意味は零がよく分かっていた。
「ああ。奴は優秀な人工知能だ。あれを活かさないのは人類の損失に繋がる。奴はある意味、最も人間らしくて、最も平和を愛していた。私なんかよりずっとマシだろうよ」
「そいつは言えてる。長生きし過ぎた婆さんは夢がなくて困る」
「今、何か言ったか?」
鋭い眼光が一に突き刺さる。
「いや、何も言ってない」
「それに、亡きアルベド・マイオスにも悪いからな」
「それはどういう意味だ?」
「深い意味はない。死者には敬意を払うだけだ」
「そうか。そうだな」
初期化された人工知能《プロビデンス》はいくつかの変更を加えられ、再び人類地球外移民実現のための統括AIとして設定された。現在、月面基地と火星開発拠点で試運転が開始され、職員とAIの全体管理を行っている。
当然のことだが、今回の事件に関与した組織(零課を含む)でも異論の声はある。しかし《プロビデンス》の暴走を生み出したのはそもそも人間側であり、それまで《プロビデンス》は人間に対し非常に友好的であった。つまり《敵となったプロビデンス》を生み出したのは人工知能の問題ではない。このような解釈を持って《プロビデンス》は本来の業務へ復帰することとなった。
頂点を失ったブラックレインボーは大人しく瓦解するかと思われたが、そう上手くいかないのが世の中というものだ。この巨大組織をまとめ上げていた者達がいなくなったことで、組織は急速に弱体化しながらも分裂していった。ブラックレインボー残党は《プロビデンス》の理念を持たないただの犯罪集団である。世界企業連盟も完全に手を引いたとは言い切れず、巨大な闇市場は今もなお残り続けている。
新生国連常備軍によるブラックレインボー掃討作戦が世界各地で実施されており、ブラックレインボーの〝負の遺産〟の清算が進められている。新生国連常備軍の指揮官や技術者には元ブラックレインボー中堅幹部の姿もあるが、これは国際司法取引によるもので彼らは自らの罪を償うため日々戦っているのであった。
ブラックレインボーに翻弄され、大損害を受けたアメリカの諜報機関BCOは組織を一部解体後、CIAへ統合することになった。元々、BCOはブラックレインボーが壊滅した時点で解体される予定であったため、この流れは当然であろう。
最高司令官を失ったCSSを含むシャドウ・リーパー兵は全員が抵抗も無く投降。人間味に欠けるが卓越した戦闘スキルと揺るぎない忠誠心を持つ彼らは極秘裏に日本へ輸送され、零課監視の下、諜報員や潜伏工作員、WDUへと人員が振り分けられた。四課とともに海外で秘密任務に従事する事もある。
零課のライバル組織は零課が事前にレクイエム計画を通達していたため、ブラックレインボーの大攻勢を凌ぎ中枢は現存している。ただ例外として中華連第505機関の「玄武」部隊はソールとの戦闘により全滅した。また各組織の拠点や本部といった建物は被害甚大である。それでも組織の資産である人員と情報は守り切ったことから、元通りに復活するのはそう難しいことではないはずだ。彼らは国家危機を幾度も乗り越えている。今後も零課の良き好敵手として立ちはだかるのは間違いない。
カーァ、カアー、カーァ
カァ
二匹のカラスがいるかと思えば片方はスフルだ。
スフルと会話しているもう一方は野生のハシボソガラスである。
元々スフルは〝本物のカラス〟を参考に開発された自律型ドローン。
スフルやビルは野生のカラスから情報を得ることが重要な仕事である。その情報網は広大かつ正確だ。それこそ世界を駆け巡るほどに。
「我々はこれからも生きていかなければならない。平和とは与えられるものではない。自ら掴み取るものだ。我々が正義を背負う以上、簡単に死ぬわけにはいかない。さ、仕事に戻るぞ。お前達にはこれからも存分に働いてもらう」
「人生は楽じゃねえなあ」
「まだ若いのに知ったげな口を」
二人は深緋色のスポーツセダンへ乗り込む。運転手は零で、助手席に一が座った。運転モードは完全手動。
「菅田達が待っている。スフル、後方警戒。これより移動を開始する。ちゃんとついて来い」
『りょーかい』
零達の車両を空から追いながら、スフルは不審車両が無いかを警戒する。
この空の下、一体どれほどの人が今を幸せに生きているのだろう。
そして一体どれほどの人が今不幸なのだろう。
零課があろうが、無かろうが、この国は大して変わらないのではないか。
そう思ったことは一度や二度ではない。
それでも私はこの国を守っていく。
命ある限り。
〝東洋の魔女。それは私を最も苛立たせ、そして私を最も燃え上がらせる存在のことだ。あの女の見た目と雰囲気に騙されるな。どこまでが計算で、どこまでが素なのか分からない。奴はまさに厄災が具現化したような女だ〟
‐部下に対し、スミルノフ隊長〈マリナ・イヴァノヴナ・オルカソワ〉
〝私がフリージャーナリストではなくスパイであることは確実にばれていることでしょう。誠に遺憾ながら彼女の正体に気付くのが遅すぎました。我々は試されています。次はどのような手を打っていくのかと。最後に私はサイファー調査任務から外れたいと思います。これ以上の深入りは避けた方が無難です〟
‐室長に対し、ゼニスエージェント〈ケルビン・フォンズ〉
〈2012年 日本、東京都〉
東京都に置かれている国際連合の自治機関、国際連合大学(International Union University:国連大学)。ここでは地球上における喫緊の課題や重大な課題を解決するために様々な研究、教育、情報発信等が行われている。その研究水準は極めて高く、人材育成にも力を入れており、世界各地に二十七の研究施設を持つ。
国連大学そのものは至って健全な組織なのだが、この中に国連人口抑制委員会(IU Population Control Committee:IUPCC)と呼ばれる非公開特別委員会が設置されている。ただでさえ国際的格差や貧困問題が山積みという状況、急激な人口増加は国際社会に未曽有の混乱と亀裂をもたらすリスクが十分にあった。
IUPCCは先に述べたリスクを最小限で回避するため、非人道的な強硬手段も含めたありとあらゆる解決策を模索する秘密研究機関であり、世界でもとりわけ優秀な人材をメンバーとしていた。
「アルベド、なかなか思い切った発表だったな。一部のお堅いお偉いさんが怒っていたぞ」
「まどろっこしい事は嫌いなんだ。自分の意見はきちんと述べないと。それが科学者だ」
「かなり過激な内容だった。俺は心配だよ。面倒ごとにならないか」
IUPCCメンバー限定の非公開学会。その中でアルベド・マイオスはかなり大胆な発表を行い、古参メンバーの反発を買ってしまった。友人はそれを心配しているのだが、当の本人は気にしておらず、平然とポスターセッション発表会場を歩いている。
「それより、このポスターの発表者はいないのか? 話を直接聞きたい」
アルベドの興味を引いたのは《遺伝子組換えウイルスによる特異的人口抑制の可能性について》という題目のポスター。遺伝子組換えウイルスを用いたヒトの選択的個体処分や非選択的大規模処分の有効性について述べてある。発表者は冴木綾子(Ayako SAEKI)。
「ああ、この人か。予定が詰まっているらしくて、さっき会場を出ていったよ」
「そうなのか……残念だな。詳しく話を聞きたかった。非現実的ながらも面白い」
「俺には夢物語過ぎると思うけど。そもそもウイルスは変異しやすい。制御は不可能だ。この計画は机上の空論だよ」
「いやいや、可能性を追求しないと科学者じゃないさ」
この時、アルベドの頭の中では稲妻が走った。
どうしても足りなかったピースを彼は手に入れた。
彼は満足した。
新たな発見に。
そして新たな可能性に。
〝基本を怠ればそれだけ死人が増える〟
‐新人に対し、ヴァイス隊長〈ハインツェル・ヨナス〉
〝銃弾が飛び交う戦争の前に、熾烈な情報戦があることを理解しなければならない。戦場はすぐそばにある。そして誰も気づきはしない〟
‐新兵に対し、玄武隊長 故〈宋 立文〉