摩耶夫人
赤牟から一駅先の壇宇市という駅は、一時間に一本しか電車が来ない僻地であるが、そこでわざわざ降りる者はもっと稀だ。近隣の市町村の住民は、意図的であれ、無意識であれ、間違いなく壇宇市の人々のことを避けていた。やれ陰気な連中だ、あそこは田舎のくせに飯も空気も不味いと、壇宇市の人々や土地をひとまとめにして悪し様に言う者すらいるが、これはけっして故なきことではない。
ならば遠路はるばる訪れる観光客が居るかと言えば、その数もそう多くはない。確かに、車窓から覗く壇宇市の風景は、一見して長閑な村落に見える。写真で見るだけなら、風光明媚と呼んで差し支えなく、旅行にあたって下調べの手間を省いた不注意な観光客が、避暑を目的に訪れることはある。また時折、かの秘境に根付く奇妙な信仰や習慣の調査のために、民俗学者の類が壇宇市を訪問することもある。
だが、こうして興味本位で訪れた者は皆、壇宇市駅で下車した瞬間、人々がこの地を避け、ときに非難さえする理由を肌で感じ取る。まず一度深呼吸してみると、田舎のくせに空気すら美味くないという誹謗中傷が、けっして的外れではないことがわかる。排気ガス等からなる都会のそれとも、田舎特有の草木や土の臭いとも別種の不浄な空気が、壇宇市の土地全体に染み付いているのだ。
事実、壇宇市は明治中期から大正末期にかけて鉱山町として栄え、昭和二年の毒ガス事故を切欠に衰退したという歴史がある。そうした表向きの事情だけを知る者は、人々が言う不浄な空気はその名残だろうと考えるが、いざ実際に壇宇市を訪れると、何かもっと重大な穢れが、かの土地を汚染しているという確信に至るのである。
そんな空気の中で育った壇宇市の民は、皆一様に無愛想で、不親切で、余所者と見るや胡乱げに睨みつけつつ距離を置く。こうした有り様なので、道を尋ねても答えが返ってくることは稀であり、初めてここを訪れる者は、往々にして長時間さ迷うことを余儀なくされる。かつてこの土地を訪れた民俗学者は、壇宇市の民のこうした態度は、東北地方に根付くマレビト信仰が深く関わっていると指摘している。
住民の殆どは老い衰えており、若者の姿はほとんど見られないが、さもありなん、こんな土地は一刻も早く離れたいと思うのは自然なことで、引っ越した後も壇宇市の出身であることを語りたがる者もそう居ない。
住民から建築物に至るまで、あちこちから退廃の気配が感じ取れる壇宇市にも、そこに相応しからぬ立派な構えの建物が集まっている区画が幾つかある。八目神社と、そこを管理する名家、鳥居家の邸宅がそれにあたる。
壇宇市の人々が余所者を忌避していることは前述の通りだが、鳥居家に対する感情はそれ以上のものがある。壇宇市で道行く人に道を尋ねても、答えが返ってくることは稀であるが、鳥居家の場所を尋ねた場合だけは、はっきりと明瞭に「あそこにだけは近寄っちゃいけねえ」と、誰もが口を揃えて言う。
昭和から二回も年号が代わった今日でさえ、壇宇市の人々は未だ迷信深く、八目神社に祀られた客人神と、それに仕える鳥居家の一族が受け継ぐ妖術の類を、余所者と同等に恐れているのである。けっして八目神社に近寄るべからずと警告を発するのも、鳥居氏がそういう一族であるからに他ならない。
また、もう一つの開けた場所として、銀星会病院という総合病院の周辺が該当していた。敢えて過去形で示したことからも、大方の事情は察せられると思われるが、この病院は平成十六年に閉院になっており、今や荒れ果てた廃墟となっている。
だが皮肉なことに、閉院してからの方が、銀星会病院はある意味繁盛していると言える。田舎の廃病院ということで人気が極端に少なく、しかも壇宇市の人々は余所者に極力関わろうとしないとの風評から、人目を避けるべき諸事にはうってつけの場所として、ごろつきが集まるようになったのである。
それともう一つ、こういう廃病院には月並みな話であるが、一種の心霊スポットとして有名になり、テレビ局のホラー特集の企画や、再生数目当ての動画配信者等に目をつけられてもいる。
古い迷信に支配された陰気な住民。名物となる食べ物や観光スポットもなく、見るべきところは心霊スポットと化した廃病院のみ。更には、行方不明事件も何件か報じられている有様である。芳しからざる風評も頷ける町と言えよう。
そんな町に、うら若い乙女が訪れるべき用事があるだろうか? 否、青山智佳子にとっては稀有な用事があり、一度は訪れたことがあった。壇宇市出身の友人の結婚式に出席するために訪れた際、彼女が受けた印象は前述の通りである。要するに、陰気な人々と不浄な空気から来る不快感のため、二度と訪れまいと誓ったのだ。
当人はそう誓っていたのだが、生憎、智佳子は不運であり、本人の望まざるに関わらず、二度目の訪問をする破目になった――誘拐されてきたのを、訪問と呼ぶことに語弊が無ければ。
「う……」
有害な薬品を嗅がされ、薄れゆく意識の中、ワゴン車に載せられたところまでは、智佳子も覚えていた。自分を浚った四人組の顔も忘れてはいない。青山智佳子は、恩は忘れても怨みは忘れない女である。
鈍い痛みの残る頭を押さえながら、智佳子は身を起こす。ぼやけた視界が徐々に明瞭になるが、それでも暗くて周囲はよく見えない。ただ、暗くて見えない分だけ、視覚以外の感覚は鋭敏になる。聴覚は建物外でさえずる野鳥の声を、触覚はコンクリートの冷たく硬い床の肌触りを、嗅覚は不穏極まりない血の臭いを感じ取った。また、暗がりの中で、智佳子以外にも床にその身を横たえている人間が居ることがわかった。その数は三人。
「うっ」
智佳子は自身の服のポケットを探ると、幸いにもスマートフォンがあったので、ライト機能を使って視界を確保した。だが、知らない方が良いことも往々にしてあるものだ――人間の死体が三人分転がっていたのを見てしまった。死因は素人目にも明らかで、すべて胸か額に銃創があり、床にも相応の量の血をぶちまけていた。
智佳子は自身の心臓の高鳴りを感じていた。誘拐されてきたというだけでも異常な体験だが、すぐ近くに死体まで転がっているのだから、恐ろしくない筈がない。心拍数の上昇に合わせて、夜鷹のものと思しき野鳥の鳴き声が響く。
智佳子は呼吸を落ち着け、改めて周囲の状況を観察した。死体は腐敗の兆候が見られないほど新しく、まだ殺されたばかりであることは明らかだった。ただ、三人とも、眼球が摘出されていた。
銀星会病院の敷地内が、壇宇市特有の不浄な空気が屋外よりも更に濃いように感じられたのは、すぐ近くから血と死の臭いの源があったからだろう――智佳子はそう思っていた。
智佳子はふと気付く。自分を拐った男は四人組だった。それなのに、死体の数は三つしかない。残り一人はまだ生きているのだろうか?
廊下に出ると、何かが這いずった跡があった。血塗れの何かが這いずった跡が。壁や床のあちこちが血で汚れている。むせ返るような鉄錆の臭い。いや、鉄錆以外にも何か別の臭いもあった。どのような職業柄であれ、普段の生活ではまず嗅ぐことのない臭いだ。魚類の生臭さとも、血とも、死臭とも異なる悪臭。まるで、壇宇市特有の穢れた空気が濃縮されたような――
その臭いのもとが判明するのに、さほどの時間は要さなかった。
何か赤い物体が蠢いている。血がそのまま固形化したような、赤黒いゼリー状の質感。新生児に似た形状だが、それは成人の何倍もの体躯を備えていた。それが危険な存在であることは明白だった。その目は堅く閉じられていたが、床を這いずるその動きは、明らかに手探りではない。
元々、血を固めたようなゼリー状の身体の化け物であるが、よく見ると、返り血に塗れている。特に口の周りの汚れは著しく、赤子がどのような恐ろしい行為に耽ったかを如実に物語っていた。この赤子はまだ、行儀良く食事ができるほど躾は行き届いていないらしい――行儀のよい人間の食べ方などというものを教えうる人物が居るかは兎も角として。
智佳子は悲鳴を上げて逃げ出した。遮二無二走った。次はきっと自分の番に違いない――そう思うだけで、普段以上の力で走ることができた。
「ハァ……ハァ……」
しかし、追ってくる様子はなかった。あの赤子の怪物に明確な知性があったかは、智佳子の知るところではない。体力の限界まで走ったところで、立ち止まって呼吸を整えると、次第に周囲の音を耳に入れるだけの冷静さが戻ってきた。
ちりん、ちりん。
鈴の音が聞こえた。青山智佳子が最初に壇宇市を訪れるきっかけとなった女性もまた、この音を鳴らしていた。
鳥居鈴音という女性は、壇宇市の人々や土地にまつわる悪評の、数少ない例外であったと言える――少なくとも、智佳子にとっては、鈴音はよき隣人であった。内気な性格はたしかに壇宇市の住民らしい性質の表れであるが、幸運にも、彼女の場合はそれが良い方向に作用していた。
ちりん、ちりん。
鳥居鈴音はその名前をよく表す人物で、鈴の髪飾りをひどく大事にしており、彼女をより強く印象付けていた。口数は少なく表情も乏しい人物だったが、単調な音を鳴らすだけの鈴が、不思議とその時々の彼女の感情をよく表現していた。
ちりん、ちりん。
鈴の音を聞く度、鳥居鈴音のことが記憶から呼び起こされる。目玉をくり貫かれた惨殺死体や、この世ならざる怪物に遭遇する異常な状況にありながら、ひどく懐かしい気持ちになった。
鈴音は綺麗な女性だった。小柄で童顔だったが、大人しく控えめな態度から、あまり子供っぽさがない人物だった。ただ、智佳子にはよく懐いていた。
ちりん、ちりん。
鈴の音に引かれてたどり着いた先は分娩室だった。扉の前で立ち止まると、まるで図っていたかのように鈴の音が止んだ。同時に、壇宇市の穢れの臭いが、智佳子の嗅覚をほとんど麻痺させるほどに、強く濃くなっていた。根源がそこにある――智佳子は直感でそれを確信していた。
智佳子にとっては、そうすべきではないという確信があったが、それでもおそるおそる扉を開ける。
部屋の中央の分娩台の上には、奇妙な塊が横たわっていた。その周囲に、犠牲者から摘出された八つの眼球が規則正しく配されている。
一目では何なのか理解できぬほど、分娩壇の上の塊は名状し難い形をしていた。成人が一人くらい入りそうな大きさの、巨大な丸い肉の塊。それに機能的とは言えない不格好な手足が、飾りのようについている。全体的なシルエットは七面鳥の丸焼きに似ているが、表面の色と質感は、明らかに色白の人間の肌のそれだった。智佳子からは、その肉の塊に頭があるようには見えなかった――長く延びた、黒く艶やかな髪の毛を目にするまでは。
ちりん、ちりん。
それがくぐもったうめき声を上げ、苦しげに身をよじると、再び智佳子の耳に聞き覚えのある鈴の音が響いた。否、鈴の音だけではない。
「……鈴音ちゃん?」
智佳子は覚えていた。鈴の音、艶やかな髪、白い肌、その声を。
それが元々知人であったことが明白であった分、先ほど見た赤子よりも、いっそう恐ろしいもののように感じられた。
辛うじて嘔吐を堪えながら、智佳子はゆっくりと後ずさった。
「起きていたのか」
声のした方向を振り向くと、痩せ型で背の高い、インテリ風の若い男性が、両手で人間の赤子を抱いて立っていた。
智佳子はこの人物、鳥居秀文のことも知っていた。鳥居鈴音から受けた好印象に対し、彼女の夫――婿養子という形で入籍した秀文という男は、かなり対照的であった。
外見だけで言うなら、殊更に悪いものではない。だが、良家の令嬢で美人と言うプロフィールを持つ鈴音と釣り合う「王子様」かと言われれば、いささか冴えない風貌と評価せざるをえない。だが人は見た目によらぬもので、医学を修めた立派な医師であり、安定した収入と温和な人柄を兼ね備えた男性ではあった。親から見れば、一人娘を任せるに足る男と見るには十分な判断材料を備えていると言えよう。
だが、鳥居秀文という男の、こうした好ましい経歴と人格にも関わらず、しかも陰気な壇宇市の人々にとっては余所者でありながら、彼は壇宇市のどの住民よりもその地に相応しい雰囲気を身に纏っていた――智佳子には、何故か最初に見たときからそう思えてならず、ここに至ってその第一印象が正しいことを確信していた。
「……鈴音ちゃんに何をしたの」
智佳子の声には怒気が篭っていた。ここに至り、怒りが恐怖に勝っていた。秀文が何をしたかは定かではないが、今の鈴音の悲境の原因が彼にあることは明白だった。この男を許してはならない。
「摩耶夫人になってもらった」
摩耶夫人、即ち釈迦の生母である。摩耶夫人と目の前の異様な肉塊との関連性を認めるには、狂った知性と洞察力が必要であったろう。
かく言う鳥居秀文の声には、いかなる種類の感情も込もっていなかった。そうしたのが当たり前だとでも言わんばかりに、ただ淡々と事実だけを述べた。
「ナザレの大工の息子がそうだったように、他でもないお釈迦様がそうであったように、普通の人間を遥かに超えた力が、聖なる母に大いなる赤子を産ませた。これはその状況の再現に過ぎない」
秀文は説明をしながら、ゆっくりと智佳子に歩み寄った。
「君はソーシャルゲームはやる方かな? 僕も少し前は、目当てのキャラが出るまで、考えなしに金をつぎ込んでいたものだ。鈴音に子を産ませているとね、そのときのことを思い出す。流石にイエスや仏陀のような子はなかなか得られないが」
「ふざけないで!」
とうとう怒りを堪えきれなくなった智佳子は、秀文に飛びかかった。女性の細腕といえど、頭部への攻撃はそれなりの効果を発揮する。的確に人中を捉えた拳に、素人なりに体重を乗せた一撃は、有効な打撃となりえた。両手で赤子を抱えていた秀文は、これを満足に防ぐことも、受身をとって衝撃を軽減することもできなかったためである。
派手に転倒した秀文は、頭を強く打って気絶した。彼が懐に忍ばせていた拳銃を奪い取り、再び起き上がってきたときに備える。
「鈴音ちゃん!」
智佳子は鈴音に駆け寄った。といって、どうすれば彼女を助けられるかというあてはない。
鈴音の顔を覗き込む。首から下は無残な肉の苗床と化していたが、顔は最後に見たときのままだった。ただ、その瞳からは光が失われていた。明らかな失明の兆候が見られた。智佳子は知らなかったが、今まで鈴音が見てきたもののことを考えれば、心因性の視力障害をわずらったところで、何ら不思議ではない。
ちりん、ちりん。
鈴音は元々、けっして口数の多くもなければ、表情豊かでもない。ただ、彼女の髪飾りの鈴の音は、不思議とその時々の彼女の心中をよく表現していた。このときも同様だった。
ちりん、ちりん。
鈴音の髪飾りが鳴らす音は、哀しげな調べを奏でていた。この苦痛に満ちた生から解放して欲しいという意向を智佳子が汲み取るには、その鈴の音はあまりに雄弁であった。
「……」
智佳子は祈りを捧げ、秀文から奪い取った銃の引き金を引いた。
一発の銃声が響き渡ると、しばしの静寂が訪れる。鈴の音はもう聞こえない。代わりに、さきほどの誘拐犯の死体に遭遇したときと同じく、あたかも鈴音の死に呼応したかのように、夜鷹と思しき野鳥の鳴き声が聞こえた。そういう騒がしいさえずりも次第に止み、再び静寂が戻ってくるのに、さほどの時間は要さなかったが。
「イグナイイ……イグナイイ……」
秀文は頭を押さえながら立ち上がった。先ほどまでの冷静な調子からは一転し、獣のうなり声のような口調へと転じていた。智佳子に殴られた怒りによるものではない。発せられる言葉は、意味のよくわからない、呪文めいたものだったからだ。
元より、自身の妻を異形の肉塊に変え、異常きわまりない目的のために利用したような男である。だが、ここに至り、彼の精神は尋常なことでは説明のつかない、トランス状態にあった。
智佳子もまた、この呪文がもたらす恐ろしい結果を、第六感で感じ取っていた。
無数の気配があった。ある映画の、床を虫の大群が覆い尽くしているワンシーンが思い起こされる。目には見えない無数の何かが、天井と壁と床を覆いつくしている。
「……八目神社の客人神がおいでだ。鳥居家の者は八目様と呼んでいる。もうすぐ聖なる子が生まれるから、出産祝いに特別にお出で戴いた。八つの目は何もかもお見通しだ」
鈴音だった肉塊の周囲に配された八つの眼球が、一斉に智佳子を見据えた。秀文が言うとおり、超自然的な何かが現れて動かしたのだ。
「本当のことを言うと、今から生まれる聖者も、わたしの目的を満たすものかはわからない。だから、これからもずっと産み続けて貰うつもりだった」
冗談じゃない。智佳子は鈴音が生み出したものを一度見ている。あの巨大な赤子の化け物を。何をもって当たりとするかはさておき、当たりを引くまで、あんな人食いの怪物を何十、何百と産むなど。それまでに生まれる犠牲は、どれほどのものになるだろうか?
「鈴音を駄目にした報いは受けてもらう――彼はそう言っているんじゃないかな。神の意思は図りかねるが」
それまで第六感の問題でしかなかったものが、聴覚、触覚、嗅覚、更には味覚にまで訴えるようになった。虫が這いずる細かな音。全身にまとわりつく無数の何か。口の中に広がる、質の悪いヨーグルトのような感触。何より、壇宇市の穢れ特有の嫌な臭い。
つい先ほどまで恐怖に勝っていた怒りが、今度は恐怖に屈する番だった。
「鈴音ほどじゃないが、君もなかなか筋は良いらしい。彼の存在を感じられるだけでも、滅多なことではないんだ。その目玉が無ければ、わたしも来たことがわからなかったくらいだからね」
秀文の言うとおりだった。視覚以外のあらゆる感覚に対する訴えが、智佳子の心を完全に折っていた。秀文が同じ目に遭っていたら、とても今のように冷静に状況を説明することなどできようはずがない。
「もうすぐ生まれる。今度のが当たりなら、君は歴史の証人になれるだろう。世界を変えうる聖人の誕生に立ち会えるのだから」
生命を失った筈の鈴音の体が、電気ショックを受けたかのように跳ねた。
ちりん、ちりん。
もう聞こえなかった筈の鈴の音が響き渡った。古来より、鈴の音は神を呼ぶことに使われると説明する神社の神職は多い。
肉の塊は、丁度、成人が一人入る程の大きさだった。鳥居鈴音が何を身篭っていたのか、その答えが明らかになるときが来た。
内側から肉を引き裂き、中から細い腕が伸びた。肉の裂け目から、紫の瞳がじっと智佳子を覗いている。
おぎゃあ、おぎゃあ。
産声は耳をとっさに塞いでも聞こえる、けたたましいものだった。元より、人の赤子の産声とはそういうものである。赤子が人ならぬ身であっても、それは変らなかった。
産声が止んだ。靴の音が聞こえる。目を閉じて、目の前の恐ろしい光景を目にすることを避けたが、誰が近づいてきたかは明らかだった。
「……君には、次の摩耶夫人になってもらう」
秀文の声。言葉の意味は既に明らかだった。鈴音と同じになるのだ。もはや抵抗することほどの気力は、智佳子にはなかった。否、たとえ抵抗の意思があったとしても、それは不可能だった。まとわりつく感触は、次第に押さえつけるような圧迫感へと変っており、手足を満足に動かすことさえできなくなっていたからだ。
「イグナイイ……イグナイイ……トゥフルトゥクングア……ヨグ=ソトホース……」
ヨグ=ソトホース。秀文の荒々しい呪文のうち、この文句だけはひどく智佳子の頭に焼きついていた。それが何を指す言葉なのかは、彼女にもわからない。
ただ、この言葉を聴いたとき、触覚への訴えは更にひどくなっていた。首のすぐ下にまで、全身にミミズが這いずり回るような悪寒を覚えていた。
ヨグ=ソトホース……