王城の夢
あれから間隔は変則的ながらも、たびたびヘルムートさんと夢の中で会った。
はじめの頃、彼はやはり夢を夢として自ら自覚するのは難しいようで、山のような書類をさばいていたり見えない誰かに怒鳴っていたり、しまいには私の目の前を本を両脇に抱えて競歩で通り過ぎて行った。
もうそれ走っているのでは? とも思えるスピードの競歩には頑張ったがなかなか追いつけず、その日の夢では巨大なネズミに騎乗してヘルムートさんを追いかけ回した。
もちろん、怒られたのは言うまでもない。
ただ、それらの苦労が功をそうしたのか、ヘルムートさんは自力でそこが夢だと認識できる回数が徐々に増えてきた。
私がなんらかのアクションを取らなくても、言い方はおかしいが途中で目が覚めるのだそうだ。
夢の中で目が覚めるって何だとは思うが、確かに夢だと自覚するかしないかでは、自分自身の意識や思考の不明瞭さが大きく違うため、あながち表現は間違っていないと思った。
そんな彼は最近、創造力が大幅に飛躍しつつある。
ここしばらくはもっぱら、陽当たりの良さそうな大きな窓を全開まで開けて安楽椅子に座っている。
いっそ情景を屋外にして芝生の上にでものびのび寝転べばいいのにと言ってみたら、服が汚れるだろう、とお堅い返事が返ってきた。
夢だからといって普段のスタイルを崩さないヘルムートさんの様子に、まぁそう言うだろうな、とうっかり納得してしまった。
そもそも最近のヘルムートさんは眉間に皺が出来にくくなってきたし、お仕事を上手く調節できてきているようなので大した問題ではない。
夢の中は好きなように謳歌すれば良い。
話は逸れてしまったが、ヘルムートさんの創造力だ。
安楽椅子はもちろん、彼がくつろいでいる落ち着いた雰囲気ながらも広く清潔感のある部屋はヘルムートさんが作り出したものである。
壁紙の柄や椅子の持ち手の彫刻など、細部にまで手が込んでいた。
それでいて趣味が良い。
短期間でここまで再現できるなんてと感嘆のため息を漏らしたら、完成度にまだ納得がいっていないらしいヘルムートさんは不満そうにしていた。
見るたびに精巧度は上がっているみたいだけど、毎回同じ部屋で同じ椅子に座っている。
煩わしそうな彼を無視して聞き出した話によると、どうやら父方の祖母の家の一角を再現したようである。
きっと、彼にとっての安息地なのだろう。
素敵ですね。 と声をかけたときの一瞬のヘルムートさんの穏やかな眼差しは、私の中で大事な思い出としてしまってある。
そろそろあの部屋は完成するのだろうか。
そう思いながら夢の中をキョロキョロ見回すが、今日はヘルムートさんを見つけられなかった。
睡眠のタイミングや眠りの質などの影響か、毎回会う訳ではないので特別珍しくはない。
それならば、今日は前回の夢の続きにしよう。
巨大な木苺のケーキをたいらげたので、次は巨大アップルパイにしようと思っていたのだ。
白い円盤のテーブルを出し、レースのテーブルクロスを広げる。
さぁ出てこい!と目を輝かせれば、その上に両手いっぱいのまだ温かいアップルパイが現れた。
紅茶が注がれたティーカップを横に置き、手にはナイフとフォークがすでに握られている。
「いただきまーす」
サクリとパイ生地にナイフが入る瞬間がたまらないのだ。
その音も聞き漏らさないようゆっくりとナイフを近づけた。
「貴様の食い意地は底が知れんな」
ちょっとやめてほしい。
斜め後ろから突然声が聞こえ、ビクリと小さく体が震えてしまった。
夢とはいえナイフとフォークを持っている時に驚かすのはどうかと思う。
「ヘルムートさん、女性の食事中に背後から突然声をかけるのはどうかと思いますよ」
「貴様がマナーを説くのか」
「食事は戦なんです。 秩序は守って下さい」
「言いたい事はたくさんあるが、巨大な害獣を乗り回す貴様に言われたくない」
向かいに新しい椅子が現れ、許可も出していない私の前に座るヘルムートさんを目で追う。
「どうしました? 食べたくなっちゃいました?」
「嬉しそうに聞くな。 食べ終わるまで待ってやろうという私の気遣いがわからんのか」
いらない、という事だろうが、パパパとお皿とティーカップを出し盛り付けてあげた。
それにしても、約束もしてないのに私を待ってくれるとは、ずいぶん親密度が上がった気がして頰が緩まないようにするのが辛い。
「さぁ、どうぞ召し上がれ」
「貴様の思考回路は自由過ぎて、一周回っていっそ清々しいな」
褒められていないのは流石に理解出来るので、食べ損ねたひと口目を頬張って、反論の言葉も一緒に飲み込んだ。
遅れて小さく切ったアップルパイを口に運ぶヘルムートさんは、ゆっくり咀嚼すると眉を寄せた。
「で、ヘルムートさん。 今日はどうしたんですか?」
目の前で次から次に無くなってゆくアップルパイをげんなりした表情で見つめる彼に問いかける。
元から無い食欲を削がれたらしいヘルムートさんは早々にフォークを置いた。
「最近は私もずいぶんと想像の具現化が上達してきた。 貴様とほぼ同品質の創造ができるか試したい」
「ヘルムートさんがいつも休んでるお祖母様のお家、実物は分かりませんけど素晴らしいクオリティですよ!?」
「あれじゃあ意味がないだろ。 何度も出しては試行錯誤を繰り返し、徐々に精度を上げているだけであって当初は酷いものだった」
「はぁ」
「気のない返事をするくらいなら我慢して飲み込め」
「……」
「出し慣れたものではなく、私の創造力がどこまで修練されたのか知りたい。 初めて創造した物の完成度が高ければ高いほど、私はこの力を習得できたと言えよう」
私が言えた事ではないが、王宮筆頭魔術師様に何を真面目に取り組ませてしまっているんだと己の過去の所業を悔いた。
ひと通り脳内で悔いた後で、瞬時に楽しい未来を思い描いて手を叩いた。
「つまり、今から何かすんごいの出してみるからどれだけ出来るようになったか一緒に見てね、って事ですね」
「要約は間違っていないがアホな言い方はするな」
それなら善は急げとばかりにテーブル一式を瞬時に消し去った。
ヘルムートさんの座る椅子を残して、辺り一面何も無い空間へと様変わりした。
「私は待つ気でいたんだぞ」
「いいんですいいんです。 続きはヘルムートさんに会えなかった時にでも楽しみますんで。 今はこっちの方が大切ですから」
何たって、ツンツンしてたヘルムートさんの初めてのお願いなんですから。
そりゃあ「お願い」なんて可愛くおねだりされた訳ではないけれど、私は言葉の端々に副音声でそう聞こえてくる魔法にかかってしまっている。
「……それならいいが」
急にソワソワし出すヘルムートさんは残りの椅子を消し去った。
「なにモジモジしてるんですか? 緊張しなくても大丈夫ですよ」
「変な言いがかりはやめろ貴様! していない!」
「そうですか。 あ、何かこれ最初の頃を思い出しますね」
「最初の頃? というかしていないからな!」
そう、あれはヘルムートさんが夢の中で初めて創造した時のこと。
「ヘルムートさんの不屈さと探究心には感服させられました」
「まだ何も始めてはいないし話を完結させるな。 というか貴様、今ロクでもないものを思い出したな」
目尻が少しだけ赤く染まるヘルムートさんの様子から、あれは彼にとって恥ずかしい記憶になっていたらしい事を知る。
痛い所を少し突つき過ぎて後悔した。
もしかしたら今回のこれは汚名返上が目的だったのかもしれない。
「話が脱線しちゃいましたね」
「いつもしているのは貴様だ」
「ルーリアですよ」
「ほらな」
胃の中のものを出し切る様な重い溜息を吐き出した後、ヘルムートさんは何も無い一点に意識を集中させた。
床に大理石のタイルが均等に敷き詰められ、そこから螺旋階段が伸びてゆく。
真っさらな壁が広がって行き、等間隔に絵画が飾られていた。
何本も現れた白く彫刻された柱が高く上空へ伸びてゆくと、どこよりも豪奢な美しい天井が空を覆った。
高過ぎて細部は確認できないが、色使い鮮やかに彩られる天井は芸術の域である。
最後に、その中心から光り輝くクリスタルのシャンデリアが現れる。
まるで沢山の宝石が水滴のように今にも落ちてきそうで、私はただひたすら圧倒された。
「どうだ。 言葉もないか」
横から満足気な声が聞こえた。
きっと今の私は口を半開きにしてだらしない顔をしているに違いない。
しかしそんなのも気にならない程、壮大に広がる空間に感動していた。
「凄いです! 凄いです! ヘルムートさんって天才だったんですね!」
「この程度でその評価なら貴様だって天才のようなものだ」
「そんな事ないです! 私って多種多様な細かいものを一度に出すの苦手なんで、この空間みたいに細かくて丁寧で豪奢で本当に綺麗で、あとこんな広いの絶対作れません!」
感激のあまりまくし立てて思いの丈を叫んだ。
勢いそのままに振り返ると、ヘルムートさんの驚いた顔とぶつかった。
私の目から放たれるキラキラとした眼差しを受け、彼は若干居心地悪そうに身じろぎをしている。
「そ、そうか。 ……それは良かった」
「はい!」
聞いてもいないのに少し早口で教えてもらった事によると、どうやらここは王城のエントランスを再現したらしい。
王城とはこんなにも華やかなのかと再度感嘆のため息が漏れた。
「ずっと眺めてられます」
「言っておくが、謁見の間や一部の大広間の方がよっぽど贅が尽くされているからな」
「未知の空間!」
これより凄いなんてちょっと怖くなってきてしまう。
しれっと言ってのける辺り、ヘルムートさんには日常の光景なんだろうな。
エントランスもそれはもう良く出来てるし。
私も貴族の端くれではあるが、きっと縁もないであろう場所である。
これ以上見たら今までの価値観とかどっか行っちゃいそうなので、王城の内部はこれで見納めにしよう。
それにしてもエントランスでこれほどのものなのに、大広間で行われる舞踏会とか実際どんだけ素敵なんだろうか。
見たことの無いものに対しての想像力が貧困なので、漠然と素敵なんだろうなと思って終了である。
むしろここで開催されても何の違和感もないよ。
「ヘルムートさん」
「何だその手は」
「エスコートをさせて下さい、の手です」
「私がか」
「一緒にダンスを踊っていただけますか? ミスター」
何とも形容し難い表情で顔をしかめるヘルムートさんは一向に手を差し出してくれる様子はない。
その目は未知なる生き物を写しているようだ。
「断る」
「レベッカってダンス踊れる?」
「私ですか? 嗜み程度には習っていたので、相手が不快にならない程度の実力ですが」
「じゃあ今度、執事のユンカースと一緒に踊ってみてよ。 ステップをじっくり見てみたくてさ」
とたんに顔を真っ赤にさせるレベッカは、ユンカースに片想いを拗らせてもう三年になる。
ちなみにユンカースはレベッカに対してその上をゆく七年だ。
知らないのは本人たちだけなのだ。