拒否
ケイスケは、白い空間に再び囚われていた。
夢ではなかったことに、全身の毛が逆立った。
幸いなことに、トウコとヒトミと村上も同様に、前回と同じ席順で丸椅子に座らされているのが見えてケイスケは息をついたが。
すぐに、招かれなかった方が幸せだったのに、と思い直して息は溜め息に変わった。
そして次の瞬間、少女(少年かもしれないが)の形をした自称神様が、まるで最初からそこにいたかのように姿を現し、全員に緊張が走る。
『誰を勇者に選ぶかは。決まったか』
抑揚のない、人間味の薄い不気味な声が、ただ響く。
『決まっているのなら。その人物を我に示せ』
淡々と、作業をするかのように告げられたその言葉に、ケイスケは条件反射的に立ち上がっていた。
「おい、いい加減にしろよ。どういうトリックを使ってるのか知らないけど、俺たちを騙してどうしようっていうんだよ」
精一杯の虚勢を張って、腹から声をなんとか絞り出した。
動悸がおさまらず、脈拍も異常な数値を叩き出していそうだったが。ケイスケはそれでも、必死に両の足で床を踏みしめつつ、明確な敵意を持って相手を睨みつけ続けた。
まるでそうしなければいけないと、使命でも帯びているかのように。
『時間は無いぞ。この場に来ることができるのは、あと二回だ』
「このっ……!」
けれど返ってきたのは、返答ですらない傲慢に思える言葉だけで。
無駄とわかっていても、拳を握り締めて特攻してやりたい衝動に駆られたが、
「ちょっと」
それを押し留めるようにして、小さな声が響いた。
声の主はわざわざ右手を挙げて注目を集めた、トウコだった。
改めてその姿を見ると、いつものような凛とした雰囲気は一見まるで変わらないように見えるが、付き合いの長いケイスケ達の目で見れば明らかに、彼女の言動に緊張の糸が張り詰めていると、感じることができてしまった。
「みんな、こっちに来てもらっていいかしら」
トウコは、わずかにかしこまった言い方で立ち上がり、全員へ向けて手招きをしてきた。
何事かと全員が集まったところでトウコが取り出したのは、携帯電話だった。
「正直、もう一度ここに連れてこられるまで、信じたくなかったから言わなかったけど。今回の一件、ちょっと昨日から私なりに色々調べてみたの」
明るい空間で、かつ至近距離で顔を見てみれば、目の下に隈ができているのがわかった。
もしかすると寝る間も惜しんでいたのかもしれないと、今更ながら気がついた。
「私たち以外にも、同じような経験をした人がいないか調べてみたの。ダメ元で、そこまで成果を期待してたわけじゃなかったんだけど。そしたら、ね。その……」
若干煮え切らない様子が伺えたが、それでもトウコは意を決した様子で続きを口にした。
「すこし前に、この華湊市で原因不明の死亡事件がひとつ起こっていたの」
携帯電話に映っているのは、動画ファイルだった。
勿論この場所は県外なので、事前に保存しておいたらしい。
「流してみるわね」
そこに映っていたのは、地方のローカルテレビだった。
地元で起きた様々な事件を取り上げるニュース番組で、母親にすすめられて見た記憶があったのを思い出したが。番組内容とキャスターを務めるふたりが生真面目すぎて、三回と見るのを続けなかった覚えがあった。
そして、キャスターのひとりが最近起きた事件のことを語り始めた。
『××年八月三十日。華湊市T大学に通う大学生、市崎はじめ君(21歳)、仁島次郎君(20歳)、山王寺美月さん(20歳)の三名が、大学の教室で死亡しているのが発見されました』
事件の概要としては、同じ大学に通う三人の生徒が同じ日に同じ場所で亡くなっていたということらしく、その事実を聞いた時点でケイスケは嫌な予感がした。読み上げられる内容を、これ以上聞きたくない衝動に駆られたが。
動画内のキャスターがそんなことを考慮してくれるわけもなく、ただ原稿を読み進め続ける。
『奇妙なことに、三名にはまったく外傷がなく、何らかの薬物が死亡の原因ではないかとみられています。同級生の話では亡くなる数日前に彼らはしきりに、別の世界なんて行きたくない、神様に殺される、友達を生贄に差し出さないといけない、などという証言をしていることから、宗教団体との関わりも視野に入れて警察は捜査を続ける方針です』
『ありがとうございました。それでは、続いてのニュースです』
そこで、トウコは動画ファイルを停止させた。
「ト、トウコさん。これって……」
最初のうちは呆けた様子で動画を眺めていた村上も、さすがにトウコが言いたいことに気がついた様子で、声がかなり上擦ってしまっていた。
ヒトミも、まるで氷を全身に押し付けられたように身体を震わせている。
「ぐ、偶然、だよね? こんなのただの、偶然……」
「ヒトミ。それ本気で思ってる?」
現実を受け止めきれないヒトミに対し、トウコはやや険のある声を発する。
これではヒトミは押し黙らざるを得なかったが。それでもすぐにトウコ自身も言い方が悪かったと気付き「あ、ごめん」と軽く謝罪を口にして、
「とにかくね。たしかに共通点はあるんだけど、もちろん偶然の一致がないわけじゃない。そこで当事者に意見を聞きたいところなのよ」
そう言って、自分たちの動向をただただ黙って見ている、本当にマネキン人形じゃないかと疑いたくなる風体の自称神様へと、トウコは改めて向き直った。
「あんたさ。今さっき名前のあがった三人に、覚えはある?」
『肯定する。あれは。非常に残念な結果だった』
あっさりと認められたことに、トウコをはじめ全員が虚をつかれた思いだった。
『あの三人も、それなりの素質を秘めていた。だがなかなか我の言葉に耳を傾けようとはしなかった。彼らは恐怖心が先に立ち過ぎた。だからこそ早々に現実逃避をしてしまい。最後まで選択ができなかった』
「つ、つまり。誰を勇者にするか選べなくて、全員死んだってことなの?」
『肯定する。我が殺した』
返答を聞いて、トウコの歯からギリ、という軋む音が確かに聞こえた。
「なんで? 殺す必要なんて、あったの?」
『そうしなくては。勇者の素質は別の人間へ移行しない。やむをえない処置だった』
「なにそれ。素質って、天性のものじゃないの?」
『否定する。魂のなかに偶発的に宿り。うつろうものである』
「じゃあ、もし私たちが死んだら……」
『その通り。また別の人間へ宿る』
それじゃまるでたちの悪いウイルスじゃないか、とケイスケは思った。
これまでも善い感情は薄かったが、選ばれた勇者というプラスに思えた一面は、完全にマイナスへと変貌していた。
「そ、そんな……じゃあ、ほんとうに、だれかが、あの、殺し合い、してる、世界に行かないと、し、死んじゃうの? 私、たち……」
ぶるぶると震えるヒトミの顔からは、完全に血の気が引いていた。
ケイスケとしても、いま不用意に体を押されたら今にも膝が折れそうだったが。
心の中は怒りや悲しみよりも、虚脱感が満ちていた。まるで、不治の病を宣告されたかのような感覚に近い。どうしようもない現実を前にしてできることと言えば、それが誤診であることを祈ることくらいだった。
「…………みんな、よく聞いて」
携帯電話をポケットにしまいながら、トウコは静かに切り出した。
「最初の日から数えて、タイムリミットは三日間。つまり二日目の現時点で、残り時間はあと四十八時間弱ということになるわ」
みんなの目をそれぞれしっかりと見据え、言葉を紡ぐ。
「ひとまず一度、決をとりたいの。この繁栄の神とかいうバカの思惑に乗って、異世界に行く勇者とやらをひとり選ぶか、選ばないか」
ケイスケは、思わず息をのみ、掌の汗をズボンでぬぐった。
ヒトミは依然として涙目で震えているし、村上もさすがに神妙な顔つきで脂汗を額に滲ませている。トウコ自身も、握り締めている拳がギリギリと音を立てそうなほどに、強く握りしめているのが見て取れた。
「じゃあ、聞くわよ。選ぶ、という人は?」
誰も手を挙げない。
トウコはそのまま一分近くは待ったが、誰も彼も硬直したように手を床に向け続けた。
「まあ、そうよね」
一旦息をついて、トウコは続ける。
「じゃあ、選ぶつもりはない、という人は?」
ケイスケはすぐに手を挙げた。
ヒトミもおずおず調子ながら、まっすぐに手を挙げる。
「トウコさんは、どうなんです?」
村上は自分の手を動かす前に口を動かし、提案者であるところのトウコへと語りかける。
その口調は、いつになく真剣なものを帯びていた。
トウコはそれに答えず、自称神様へと視線を向け、問いかけを口にした。
「一応聞くけど。全員で異世界に行くっていう選択肢はないの?」
『ない。勇者となるのはあくまでもひとりだ』
「次の質問。勇者に選ばれた人は、この世界からいなくなるの?」
『肯定する。元の世界からは完全に消滅する。それ以降は。死ぬまでの生涯を。あちらの世界で捧げて貰う』
「もうひとつ質問。勇者っていうからには、なにか無敵な力が手に入って、世界を救うのに死ぬ危険はないの?」
『否定する。勇者としての恩恵は存在するが。死ぬ可能性はあると言っておく。それ以上のことは今の段階では話せない』
「…………そう」
救いがない。
トウコの顔は、そう言いたげだった。
ケイスケとしても他のみんなにしても、似たような表情を浮かべている。
まず、死ぬ危険があるということが一番の重大事実だが。
ケイスケにとって意外だったのは、その点にはあまり現実感がなく、自分がさほど気にはしていないことだった。
それよりも重く心に圧し掛かっているのは、
やはり二度とこの世界に戻ってはこられないという。その事実に尽きた。
やりたいゲームも、近々売り出される漫画も、できる機会はなくなってしまう。
思い描いた将来の夢も、もう叶えることはない。
そして、家族にも、友達にも、一生、会えない――
「いやだっ!」
ケイスケは気付けば、大声で拒否の言葉を叫んでいた。
他の三人が、驚いた様子でこちらを凝視していたが、取り繕う余裕もケイスケは失っており、なにより、自分が一番その言葉を明確に発したことに驚いていた。
これまでケイスケは、心の奥底では異世界の存在や、選ばれた勇者という言葉に魅力を感じ続けていた。どれほど凄惨な現場を目にしても、生死をかけた争いに巻き込まれると知らされても。
そんな不安要素を越える未知の冒険や、新しい自分になれるという喜びなどが、心の奥にはやはり残っていた筈だった。
けれどいま、ケイスケは確かに否定の言葉を口にした。
さきほどのトウコの問いかけにも、迷わず手が挙がっていた。
「あ、あの。いまのは」
その事を深く考えるより先に、みんなになにか言わなくてはと思ったケイスケだったが。
そのタイミングで、視界が切り替わった。
目の前に、机のうえのバラけたトランプが出現し、座っているのもいつものボロっちい木製椅子に変わっていて、遠くから野球部の連中の叫ぶ声がかすかに届いていた。
既定の三十分間が終了してしまったことを察し、日常世界に戻ってきたことに、反射的に安堵の息が出ていた。
同時にさきほどの醜態を思い出し、ケイスケはいたたまれない気持ちが湧き上がってきていた。現に、三人が三人ともこちらを心配そうに見つめている。
「なあ、おい。竹し――」
「あ、わ、悪い。今日はもう帰るわ」
そんななかで村上が声をかけてきたが、ケイスケはろくに言葉も浮かばないまま、席を立っていた。
そのままそそくさと逃げるように部室をあとにし、そうしてから言いようのない後悔に苛まれたが、もはや後の祭りであった。
(俺は、異世界へ行くことを明確に拒否した。それは、つまり……)
つまり、他の誰かに異世界へ行って貰いたいという意思表示ともとられてしまう。
それは明らかに、他のみんなからしてみればいい気分ではないだろう。
にも関わらず、三人はケイスケの心配をしてくれていたのに。
それをケイスケは、省みることなく逃げたのだ。
自分の印象が地に落ちてしまっても、仕方がない愚行だと言えた。
それがわかってなお、ケイスケは部室へ戻って釈明することはできず。涙目になりながら家路をただ急ぐために、足を動かすしかできなかった。