馬鹿言わないで!
ケイスケは、放課後はいつもの通り部室へと足を運んだ。
ごらけんの活動は、誰かが体調が悪い時は、事前に今日はやめにするメールを送るか、仮に集まったとしてもすぐに解散するケースが多い。
だがケイスケが扉を開けると、ヒトミも村上も既に来ていた。
トウコは生徒会の大事な集まりがあるとかで、遅れてくるとメールがあった。
そのまま、なんとなくトランプでもするかという流れになり、神経衰弱をして時間を過ごすことになった。
どうでもいい時間を過ごすのは、ごらけんにおいて珍しいことではない。
だが、いつものような楽しげな空気にまるでならない。
まぐれで9のカードが揃ったときも、ケイスケは淡々と次のカードをめくっている始末だ。
このままではいけない、そうは解っていても、昨日の一件は白昼夢であったということで決着という暗黙の了解が、昨日の段階で既に出来上がってしまっているため、わざわざ話題にあげる気にもなれなかった。
「そういえば竹下。お前、矢間本になんかされたか?」
「え?」
だからこそ、村上が話題を振ってくれたことは有り難かったが。その内容は必ずしも歓迎すべきものではなかった。
特に、矢間本に対し並々ならぬ思いがあるであろう村上が、わざわざ話題を持ち出すとはケイスケもヒトミも思わなかったのだ。
「いや、うちのクラスの連中が話してたからさ。なんか色々モメてたらしいって」
「それは、あの。私がちょっと、いろいろ、言われて、その……」
なんと答えるべきか困ったケイスケに、ヒトミが口を先に動かしたが。
後半のほうはすっかりもごもごと声量が小さくなってしまっていた。
「あいつもなぁ。気が短いところと、喧嘩っ早いところと、自己中心的なところと、人の話を聞かないところが無ければ、悪い奴じゃないんだけどなあ」
「そこまで無くしても、良い奴にはならないのか」
あんまりな物言いに気の毒な気さえしてきたケイスケに、村上は苦笑して続ける。
「まあでも、マジでサッカーの才能はある奴なんだよ。部でもうやり辛いとしても、地元のサッカークラブに入るとか……色々やりようはあるって言ったのになぁ。やっぱり、俺の言葉じゃ届かないか」
そう言って、村上は視線を右足に動かしたのがわかった。
高校一年の時、村上はサッカー部とごらけんを兼部していた。
運動神経の優れていた村上は、三年になる頃にはチームを引っ張っていくエースになるかもとさえ言われていたが。
練習試合の際、同じくサッカー部だった矢間本と接触事故を起こし、右足に怪我を負ってしまった。
幸い、日常生活に支障をきたすほどではなかったが、サッカー部のエースは完全に他の誰かに譲らざるをえないとのことだった。
そして矢間本の素行が本格的に悪くなったのはその頃からで、しかもあの怪我は実力差を羨んだ矢間本がわざと負わせたのではとさえ言われはじめ。
それ以降、サッカー部にはもうまともに顔を出していないらしい。
「ヒトミちゃんも、俺と友達だからとかで絡まれたんじゃないの? だとしたら、ゴメン」
「ほ、本当に村上くんは関係ないの! あれは、その、なんでもないから!」
愛想笑いを浮かべ合うふたりを見ながら、ケイスケは、矢間本に嫌悪感を抱いていた。
矢間本の意思がどうであったにせよ、命にかかわるほどの問題ではないのだから、誰かに八つ当たりしたり非行に走ったりせず、サッカーを続けるなり他にやりたいことを見つけるべきだと言いたかった。
と、嫌な考えをしている自分に気づき、手に取ったトランプを軽く潰してしまった。
しかしそれを見ても、誰も咎めない。
もう全員が全員トランプを続ける気になっていないのは、言うまでもなかった。
けれど、誰も帰ろうとは口にしない。
神経衰弱を続けようともせず、椅子に座ったままで、席を立とうとすらしなかった。
もしかしたらそれは暗に、座ったままでいた方が万一あの空間に運ばれた際に安全だ、と無意識的にでも考えているのかもしれない。
「ごめん、遅くなって」
そんなとき、トウコが扉を開けて入ってきた。
村上はさっきまでのシリアスさが嘘のような満面の笑みを浮かべて、すぐさまハグをしに近づいていき、いつもの調子でトウコに頭をはたかれていた。
そんな変わりない日常の掛け合いに、ケイスケは胸の奥のつかえがわずかにとれたような気持ちを、わずかでも抱くことができていた。
「トウコ。体は、だいじょうぶ?」
「ああ、うん。てゆか、そう言ってるヒトミのほうが顔色悪いわよ」
笑いながら、トウコは近くの椅子を引き寄せて静かに座った。
「えっと、それでなに? 今日の活動はトランプ? 久しぶりね、やろやろ」
そのままトウコは机の上のトランプをまとめ、手馴れた様子でシャッフルをはじめたが。
対する他の面々が沈んだ様子なのを感じ取ったのか、ある程度揃えただけで一度手を止めてトランプを机に置いた。
「どーしたのよ、ねえみんな。ほらほら、なにやる? ババ抜き? ブラックジャック? それともポーカー?」
大きく声を張るトウコだったが、彼女自身にも覇気が薄いのはすぐにわかった。
そしていくら空元気を出しても無駄と察したのか、トウコもとうとう本題を口にした。
「ああ、もう。わかってる。昨日の一件を、気にするなってのが無理な話よね。まあ、私も、ちょっと、色々考えたわ」
髪の毛をかるくいじりながら、トウコは乾いた笑みを浮かべて、ケイスケたちに目を向ける。
「でも、きっと、そう、なにかの、間違いよ。うん、きっとそう」
「そ、そうだよね! よく考えたら、勇者とか、なんとかさ、なにかの冗談っぽいよね! 漫画やアニメじゃないんだから、ねぇ?」
トウコのその発言を待っていたかのように、ヒトミも同調しにかかったのをみて。
ケイスケもなんとか口元に笑みを作り、その空気に乗っかることにした。
「そうそう! あんなのきっと、ゲームしすぎて見たただの夢だって。そうでなかったら、新手の詐欺かなんかだよ! 騙されないようにしなきゃなー」
ははははは、と自分でも大根にもほどがある演技の笑いだった。
ごらけんの活動で子供相手にシンデレラの劇をしたときは、王子の役が意外とハマッていたと高評価だったりしたのだが。
その経験が今はまるで生きていなかった。
「あ、だけどさぁ。よく考えたら、異世界に行くなんてすごいよなぁ。勇者に選ばれたとか言ってたし。それがもしホントだったら、俺たち英雄になれるじゃん、ヒーローじゃん!」
「そう言われたらそうかもなぁ。いっそ、異世界で勇者になるのも、ありかな、なーんて」
村上も笑ってみんなに乗ってきて、ケイスケもそのまま軽口を継続させようとした。
だが。
ふたりは自分たちが、完全に話題の選択をミスしたことに気付かなかった。
「馬鹿言わないで!」
バン!
と、机を勢いよく叩いた音が、部室内に轟き。
一気に場が凍りついた。
「ふたりとも、あの凄惨な景色見てよくそんなこと言えるわね? 勇者? ヒーロー? 人が死んでたのよ? 一歩間違えば殺されちゃうかもしれないのよ? 軽々しく、すごいとか、行ってみたいなんて言わないで!」
トウコは、自分たちを睨みつけてすらいた。
話に入らなかったヒトミからさえ、涙目ながらわずかな威圧を放たれ、ケイスケは一気に気持ちが沈んでしまい、言い訳や謝罪を口にしようにも、すぐに口が動かなかった。
「や、やだなトウコさん。冗談ですよ、ジョーダン」
「ふぅん? それじゃあ、村上はジョーダンでも、私がみんなと離れて異世界に行くって言ってもいいんだ?」
「異世界イク、ダメ、ゼッタイ」
そのあと村上はこうべを垂れさせ、平謝りしていたが。
もちろん本気で言っていたのではないと、いつものトウコであればわかっただろう。
それなのに大声をあげてしまったことに、ようやく後悔の念が襲ってきた様子で、彼女自身も頭を軽く下げていた。
「…………ごめん。ちょっと、イライラしてて」
ケイスケとしても、彼女が自分たちを心底心配しているからこそ、怒鳴ったのだと理解していた。
それでももう、空気が完全に壊れてしまい、もはや修復は不可能だった。
机のうえに置かれたトランプが、さっきの衝撃で床にまで散乱していたが。
それを拾う気にすらならなかった。
そんななか。ふとヒトミが、じっと壁の掛け時計を見つめていて。
つられてケイスケも時計に目をやり、あることに気がついた。
昨日あの空間に取り込まれたのは午後の五時頃だった。
今の時刻は、五時十三分。
冷房は入れている筈なのに、じっとりとした汗が背中をつたっているのが気持ち悪い。
しかし決して暑いわけでもなく、むしろわずかに鳥肌すら立ってしまっていた。
口がカラカラに渇いて、のどを潤したい気持ちにかられたが。
鞄に入れた炭酸飲料を取りに行くためには、一度立ち上がらなくてはいけない。けれど腰をあげることさえ、怖いような心に陥ってしまっていた。
時計の秒針が、一番上まで到達しようとしている。
静かに、静かに、針は止まることなく動き続け、
そして――