勇者という生贄
風景がまた切り替わり、平原に大勢の人間がいるのが見えた。
何をしているのかは、すぐにわかった。
さきほどの魔法めいた力を使い、人が、人を殺していたのである。
ゲームではよく見かける鋭い剣が、人を切り裂いている。
掌から燃え上がる炎が、鎧を焼き、その下の肉体までも焦げ付かせていく。
紅い血が、地面を濡らしていく。それに滑った人間が、倒れたところを狙われ、脳天に斧を叩き込まれる。
音や声は聞こえなかったが、断末魔の叫びが幻聴としてケイスケの耳に確かに届いた。
胃のなかのものを吐き出さなかったのは、それからすぐに目の前の光景が元の白い空間に戻ったからであった。
トウコや村上にも同じことが起こっていたようで、船酔いでもしたかのようにくらくらと体を揺らせて軽く頭を振っていた。
ヒトミに至っては、その場にへたり込んで放心状態のまま目から涙をこぼしている。凄惨な人間の有り様に、かなりショックを受けているようだった。
ケイスケ自身としても、頭の中をいじられたようで吐き気を催しかけていたが。それでもまだしっかりと確固たる意思を保って、毅然と立っていられたのには理由がある。
それは、さきほどの光景はどこかの異世界で、彼らを自分たちが助けに行くのだろうという妄想を未だに続けており、無様な姿は見せられないという少年心がケイスケを奮い立たせていたからだった。
だが、ケイスケのその妄想は、半分正しく、半分間違っていた。
『ひとりの。生贄を。選べ。その者こそ。あちらの世界の勇者となる』
ケイスケを明確に夢から覚まさせたのは、発せられたその一言だった。
『残りの者は元の平穏へ戻る。拒否は許されない。選ばなければ。お前たちは全員殺す。今現在より。太陽が三度沈むまでに。ひとりの勇者を選べ』
お前たち四人のなかで、誰かひとりを生贄として差し出せ――
そうすれば、残った者たちは元の世界での変わらぬ日常を約束しよう――
勇者を選ばなければ、四人全員を殺してやる。期限はこのときから三日だ――
人間は水を飲まなければいつか死ぬ、などという事実は、誰に教えられるわけでもなく本能が知っている。
それとまったく同じ感覚で、先程告げられたことがまぎれも無い事実で、曲げられない真実だと、ケイスケは本能的に理解させられていた。どんな有名進学塾の教師でも、ここまで完璧に物事を理解させるのは不可能だろう。
ケイスケは、自分の頭にあった熱が急激に冷め、興奮が溶けていくのを感じた。
「勇者って……殺すって……なに、わけのわからないこと言ってんだよ。なんで、俺たちが、そんなことしないと、いけないんだよ」
ケイスケは自分の発した声が、責めるようなものに変わっていると自覚した。
掌返しもいいところだと自己嫌悪に陥りかけたが、今はそれでもなお、詰問せずにいられなかった。
『お前たちは。選ばれた。勇者になるに値する。人間であると』
シンプルな言葉ではあるが、再び、ケイスケにその真意が伝わってくる。
その勇者の存在により、先ほどの世界で苦しみの渦中にいる者たちに、幸福と繁栄が訪れると、目の前の自称神様はそう言っているのだ。さもそれが正しいことであるかのように。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
あまりにも身勝手で、一方的な物言いに、勝気が服を着たような性格のトウコが黙っている筈はなかった。
トウコは唇を引き結び、ツカツカと自称神様へと歩み寄る。
「それで、ハイソウデスカって聞き分けると思ってんの?」
言葉のなかにわずかに恐怖を孕んでいてもなお、他者を圧倒させる力がそこにはあった。
「そうだそうだ!」
村上も後に続き、援護を試みる。こちらはトウコを守ること以外深く考えていない様子で、ただただ相手の行動に注意を払っているようだった。
こういうとき、先頭に立つトウコとそれを守る村上のタッグは心強い。
『お前たちに。拒否権はない。従わないのなら。あの世界も。お前たちも。滅びるだけだ』
だがしかし、そんなふたりと対峙してもなお、当の本人はなんの感情も声に出す様子もなく、紙に書いた文字を朗読するような口調で、馬鹿にしたような文言を告げてくる。
「いい加減にしなさいよ、あんた!」
そんな態度に、さすがに恐怖よりも感情が勝ったトウコの掌が、小さな頭へと勢いよく伸び、ヒトミが小さく悲鳴をあげた。
とはいえ、傍目で見ているケイスケとしては、それが攻撃としてではなくそれによって相手がどういう行動に出るかを見定める為の、トウコなりの賭けだということが判断できた。
『ちなみに抵抗は無駄であると。言っておく』
がくん、と次の瞬間トウコは膝をついていた。
手が触れるか触れないかのところで、突然トウコの体が下へと沈んだのだ。
なにがどうなったのか、傍観を続けていたケイスケはもちろん、トウコ自身すらわかっていない様子で、トウコは正座をするような格好のままぽかんとさせられている。
それを受け、怒声があがった。
村上が目を見開いて崩れ落ちたトウコを見たと思った直後、すぐさまそれを成したであろう張本人へと躍りかかったのだ。
だめだ、という言葉を発しようとしたケイスケだったが、すべては遅すぎた。
「うぉおああ――ああああっ?」
その叫び声は、途中から怒りから驚愕に変化して、こちらへ飛んできた。
村上が殴りかかったかと思ったら、次の瞬間にはまるで柔道の技で投げられたかのように、村上の肉体は宙を舞い、物理的にありえない方向転換をして、ケイスケの方向へと向かってきたのである。
「ちょ、ま、ぎゃっ!」
突然の事態に受け止めることなどできよう筈もなく、ケイスケは自分の腹で頭から突っ込んできた村上の全体重を受け止める羽目になって、もろともに後方へ倒れこんでしまった。
不幸中の幸いだったのは、隣で座り込んでいたヒトミは巻き添えにならなかったことだったが。昼に食べたものが危うく逆流しかけた。
『抵抗は無駄である。何度も同じことを告げるのは。好きではない』
その自称神様は依然として、最初の位置からほぼ動いていない。ただ漠然と立って言葉を続けているだけの筈なのに、底冷えするようななにかをケイスケの体は感じとってしまい、巻き添えで倒されたまま動くことができなかった。
それでもなお、同様に圧倒された筈の村上はすぐさま立ち上がり、懸命に力強い声を張り上げながらまったく懲りることなく再び突進していく。
「そっちこそ、同じこと言わせるなよ! トウコさんを、キケンな目に遭わせるヤツは、なにがあっても俺が許さねぇってなぁ!」
『……その発言は。今はじめて聞いたが』
自称神様は、ほんのわずかだけ困惑したような口調になったが。猪のように何度となく突っ込んでいく村上を、まるで柳のようにゆらゆらと動いてかわしていくさまは、一切の感情のゆらぎすら感じさせなかった。
自分の攻撃に対し、わずかな心の変化さえ動かさない自称神様に対し、普通の人間ならば、心のほうも疲弊してさすがに止まらざるをえないだろうとケイスケには思えたが。
「まだまだぁああああああああ!」
しかし、村上は馬鹿だった。
何度回避されようと、村上は突進を繰り返し、そのたびに交わされていた。
スタミナも運動神経も優れている村上だが、唯一頭脳が足りていないため、同じような単調攻撃を続けるさまは滑稽の一言だった。
もっとも、どんな武道の達人であったとしても、あの自称神様には指一本触れられないだろうと、ケイスケは判断していたが。
「む、村上くん! もうやめて! そ、その人は……ほんとうに、ふつうじゃない!」
だがさすがに、怯えて涙をこぼしながら村上に進言したヒトミによって。村上は一旦突進をやめ、息を整えながらトウコの前へと戻った。
『勇者となる人間は。互いの投票によって決定する。口に出すなり。指をさすなりすればいい。自分自身に投票することも可能だ』
対する自称神様はといえば、何事もなかったかのように説明を再開させる。
『投票相手は変更可能だが。三名以上の投票を得た人間が出た時点で。勇者はその人物に決定し。異世界へと送還されることとなる。その点には注意するようにと言っておく』
そこまで言い捨てると、その先は去り際の言葉もなにも言わないまま、自称神様は一瞬で消え去った。
ケイスケの口元からは、とっくの昔に笑みが完全に消え去ってしまっていた。