はじまり
ケイスケ達四人は馬鹿みたいな日常を過ごしていた。
まずゲームを選ぶだけでもケイスケはレース、村上は格闘、ヒトミはパズル、トウコはシューティングと四者四様に見事にやりたいものがバラけたせいで、話をまとめるだけで十五分近く時間を費やすことになり。
最終的には四人対戦可能な、爆弾を武器に戦いあう対戦ゲームをプレイすることになったのだが。
ケイスケの凡人よりちょっと上程度のプレイに、ヒトミはド素人としか表現できないような散々なプレイで弄ばれ、それを見かねたトウコが助けに入ろうとして逆にピンチになり、それを敵である筈の村上が庇って死んだりする。
もはや誰が敵で誰が味方かもわからないような公私混同プレイのオンパレードを繰り返していた。
そんな、平和な日常を、四人は過ごしていた。
そのときまでは。
ケイスケの感覚としては、瞬間の出来事だった。
本当に瞬間だったとしか言えなかった。一度のまばたきをする前とした後で、目の前の風景が突然白く切り替わったのである。
ずっとゲーム画面を凝視していたので、急に電源が落ちて画面が白くなったのかと錯覚したほどだった。
しかし握っていた筈のコントローラーの感触が消失し、座っていた椅子の感触が突如として別の椅子に切り替わったことで、危うく椅子から転げ落ちそうになった。
下を見ると、学校で使われる木の椅子から、背もたれのない丸椅子に変わっており。
誰がどうやって座った状態ですり替えたのだろう、という考えがとりあえずケイスケの頭にまず浮かんだが。
重要なのはそこではないと数秒で気付き、改めて周囲に目を向けた。
だが上を見ても右を見ても下を見ても白、白、白。
調度品の類がなにもないどころか、壁にも床になんの遊びも見られない。
娯楽を愛するケイスケとしては、おもむろに壁紙を貼りまくるか、あちこちに落書きをしてやりたい衝動が湧き上がった。
「え……? な……なに、これ……どこ、ここ」
「トウコさん! ひとまず落ち着いて、俺の胸に飛び込んでください!」
「ごめん、村上。ちょっといま殴りつける余裕ないから、あとでね」
ケイスケに多少の心の余裕が生まれたのは、この空間の四隅にごらけんの三人の姿を見つけたからに他ならない。
ひとまずケイスケは一度深呼吸をして、後ろを振り返ってみた。
すぐ後ろには壁があり、触れてみると硬く冷たい感触を掌で感じることができた。部屋の大きさとしては、一般的な学校の教室と同じくらいだろうかと目測で判断した。
この中は暑くも寒くも感じない。ただ、生き物の気配がまるでない寒々しい感覚だけは存在しているようにケイスケは思った。
次に自分の右手で左手の甲をつねってみると、わずかに痛みを感じ、つねったところが少し赤くなった。どうやら夢や幻ではなさそうだとわかった。
「ということは……」
誘拐、拉致監禁、という単語が脳裏に浮かび、背筋に寒いものが走ったが。
ポケットに携帯電話が入っているのを思い出し、歓喜と共に取り出したが。
すぐに圏外であることがわかり落胆させられた。
それと同時に、ケイスケは別の事実に目を見開くことになった。
それは、携帯電話の液晶画面に示された時刻だった。
「五時、十四分……?」
ゲームに熱中していたので正確な時間までは把握していないケイスケだが。一度顧問の先生が、顔を出しに来た時間は覚えていた。
定年間近のあの先生は、いつも腰が痛いだの肺が傷むだの適当な理由をつけて、定時である五時にさっさと帰る習慣があることを、ケイスケをはじめとした誰もが知っている。
つまりあの時点で午後五時より少し前だったのは間違いない。それからものの十数分で四人もの人間を瞬間的に移動させることなど人間業では不可能だ。
もちろん携帯電話の時刻表示をいじってしまえば、この問題は解決するけれど。誘拐犯がわざわざそんなことをする理由も必要もないことは明らかだと言えた。
そうして頭を巡らせるケイスケは、これが常識の枠外の出来事だと認識し、恐怖で足が震え始めていたが。同時にその震えが興奮からくるものであることを自覚していた。
なによりも今はみんなと相談しようと腰をあげかけて、
『ああ。すまない』
発せられた声に、押しとどめられた。
「ね、ねえ。いま声出したの、誰?」
トウコの声に、ヒトミと村上が首を振り、ケイスケも当然ながら首を振った。
『そろそろ。話をさせて貰いたい。ところなのだが』
抑揚がなく、人間味が薄く、それでいて機械音声とは違う声帯を確かに通した声が、どこからともなく聞こえたかと思った直後。全員の正面、空間の中央にいつの間にか人影が現れていた。
最初、確かにそこに誰もいなかった。こんな白いだけのなにもない狭い部屋で、見逃すことがあろう筈もない。明らかに異常事態だった。
ケイスケが叫び声をあげなかったのは、不可解な出来事に脳が追いつかなかったからだが。脳が回転をはじめた後も、目の錯覚かなにかと思わざるを得なかった。
「「きゃああっ!」」
ヒトミとトウコの甲高いシンクロ悲鳴で、ようやく体が動いてくれた。
村上はさすがと言うべきか、いちはやくトウコの前へと陣取っていたのが見えたので、それに伴ってケイスケはヒトミを庇うようにして彼女の前へと駆け寄った。
ヒトミは涙目になってすがるようにケイスケの制服を掴んできて。こんな状況ながら、ケイスケは少し照れが頬に浮かんでしまった。
『怖がることは。ない』
わずかに心が別の方向に動いたことで、目の前にいる人影をしっかりと観察する余裕が生まれたケイスケは、今一度その風貌をしっかりと捉えることにした。
そこにいたのは、子供だった。
この四人のなかで一番身長が低いのはヒトミの155センチだったが。そんなヒトミの胸元ぐらいまでしか高さがないのが見て取れ、小学生低学年くらいの背丈だろうとわかった。
普通ならば、そんな子供に対し不安を感じることはないケイスケだが、その子供が放つ雰囲気が常軌を逸していた。
まず、纏っている衣服が純白に満ちたこの空間とはまるで対照的な、漆黒のそれだった。
首から下をすっぽり包んで、床から引き摺るようになってしまっているその服は、一見するとサイズの合っていないワンピースのように見えたが。
異質なのはその色彩にあった。
それは普通の黒色ではなく、光をまるで反射しない、闇を切り取ったかのような代物で、見ているだけで眩暈を起こしそうな感覚に陥るのである。
そして、唯一見えている首部分。
目はくるっとまるい感じで、鼻はすらりと長くて形が良く、唇はつややかな光沢を纏って見るものを魅了しそうに思えた。
小顔で肌も白く、すっと伸びたまつげはほどよい長さで、美形で可愛らしい子供という表現が、しっくりくるかもしれない。
しかしそれほどに美しい筈なのに、その目も鼻も口もどこか作り物じみていて、まるでマネキン人形と対峙しているかのようにケイスケは思ってしまった。
服装や雰囲気からして、女の子のようであったが、柔らかそうに長く垂れた衣服とは対照的な、やけに硬質的な髪質と、短く刈り揃えられたベリーショートの髪型のせいで、男の子と言われても納得してしまいそうに思えた。
(こいつが――この空間の主だ)
ケイスケは早々とそう結論付けた。響いてきた中性的な声色も、その人影が本当に発しているかどうかはまだ不明であったが。
放たれる異質で不可思議な雰囲気が、ケイスケに確信めいたものを感じ取らせていた。
「こ、これはずいぶんカワイイ誘拐犯のお出ましね。こんな不思議な演出までするなんて、よっぽど手品がお好きなのかしら」
トウコは、挑発するようにそう切り出した。
声には若干の怯えが混じっていたが、それでも正体不明の存在に対し、確かなアプローチを行ったのはさすがと言うしかない。
「先に言っておくけど。私のパ……父親は、警察官なんですからね。自首するなら、早いうちにしたほうが身のため――」
『ヒビヤトウコ。既に心の中で理解しているなら。常識内での考えを。改めて欲しい』
「っ!」
ゆるりと顔をトウコの側に向け、ただただ静かに、言い聞かせていく。
子供とは思えない淡々とした声のトーンが、聞いていて肌寒くなってしまいそうだった。
『ともあれ。正体が知りたいのなら。教えよう。人間は我を。繁栄の神と。呼ぶ』
「繁栄の、神?」
はんえい、という発音を耳が感じ取った時、ケイスケは反射的に『繁栄』という単語を自然に思い浮かべた。
そのことを不思議に思ったが、よくよく思い返せばここまでに発せられた言葉の一言一句が、完全に語弊や誤解なくするりと頭に入っているのに気がついた。
「おい。神様だろうがなんだろうが、トウコさんを侮辱するとタダじゃおかないぞ」
こんなときでも、まるでブレずに好きな人のことで純粋に怒っている様子の村上だが。
『ムラカミアツシ。我はお前たちを否定しない。むしろ肯定すべき存在と認識している』
繁栄の神と名乗る人物の、どこか抽象的な物言い。
いつもの村上なら「なに言ってるか全然わかんねーよ」とでも言いそうだとケイスケは思ったが、村上の表情は唇を引き結び、どこか釈然としない様子で佇んでいる。
おそらく村上も、相手の言葉がスムーズに理解できてしまっているのだろうとわかった。
『コウノヒトミ。そう怯えなくていい。お前たちをここへ呼んだ理由は。今より告げる』
また頭をくるりと反転させ、こちらを振り返った様子の、自称神様。
それを受けてヒトミのケイスケの袖を握る力が強くなったのがわかった。
ヒトミはまだ何も言っていないのに、すべてを見透かしたような行動をとられては、気弱な性格のヒトミでなくとも、萎縮してしまうのは仕方の無いことと言えた。
かくいうケイスケ自身も、自分の体が小刻みに震えているのを感じていた。
ただし、自分をそれが恐怖によるものだけが原因でないことを、ケイスケはこのとき既に気付いてしまっていた。
「つまり、なにか目的があるということですか」
『タケシタケイスケ。そう畏まる必要はない。順を追って。話をする』
自分の口元がわずかに緩んでいることに、ケイスケは無自覚だった。
なにかとんでもないことに巻き込まれていることを把握しながらも、心が躍ることが抑えられず。脳味噌も熱く震えていた。
幼い頃に夢想した漫画やアニメの中だけしかないヒーローや冒険者の立場に、今自分が立っているという思いがケイスケの心のほとんどを占めていた。
もしも自分ひとりでこの場所へ連れられていたならば、さすがにもう少し怯えが先に来ていただろうが。自分と旧知の間柄である三人も一緒に、となればもはや異議の唱えようもなかった。
『まずは。これを見て欲しい』
そのとき。ケイスケの脳裏にどこかの光景が浮かんできた。
過去の出来事を思い出すというよりは、夢を見ているような感覚に近かったが。それのさらに上をいく、まさに頭に直接風景が飛び込んでくるかのように感じられた。
それはここではないどこかの光景だった。
だがそれは、決して日本のものでも、ましてや地球上のどの国とも異なった景色だった。
まずそれが判断できたのは、空を翔る人間と、怪物の姿だった。
漫画で出てくるような、風を体に纏って空を滑空する人間たちが、コウモリの羽を持った熊くらいの大きさのトカゲに似た生物を追い回しているのだ。この時点でまず地球上の出来事ではないと判断できた。
そしてまた景色が切り替わり、ケイスケの視界に映ったのは街の風景だった。
街自体は中世くらいの海外のものだと言われれば納得してしまいそうだと、ケイスケは思ったが。
やはり街の人々は、指から火を出して暖炉に火をつけたり、手から水を出して犬のような動物に飲ませているといった摩訶不思議なことを平然と行っていた。
そんな別世界の景色に胸が高鳴るケイスケだったが。
その高揚感はすぐに消えることになった。