櫻井、仕事をする
-2045年8月16日(水)-
研究所で働くようになって1週間、櫻井はようやく生活に慣れてきた。
櫻井の仕事は、いわば専業主婦。
炊事、洗濯、掃除、そしてアルのお世話。
幸いにして、頭の良いアルは殆ど手間がかからない。
すっかり櫻井に懐いたアルは、櫻井の部屋で寝起きしている。
1日1回、体調確認のためにジュリアに連れて行かれるが、その時以外は大抵櫻井と一緒にいる。
餌は高栄養食のペレット、あとは水を適宜補充する。
トイレは1日1回、櫻井が砂を変える。
当初、寝床は別に作ってたが、数日すると櫻井のベッドで寝るようになった。
寝返りを打ったはずみで潰さないか、ちょっと心配な桜井である。
アルは問題ない。
問題は、人間の方だ。
食事は誰かが作ってくれているので、各自が勝手に取り食べる。
ただし、片付けない。
誰も。
朝食の後、櫻井が食器洗浄機で洗い、食堂の掃除をする。
その後は、広大な敷地を持つ研究所の草刈り。
この草がまた、ぼーぼーである。
とても自由に生い茂っている。
櫻井が草刈りしている間、アルは部屋で昼寝。
昼食が終わったら、また食器洗浄機。
そして各部屋の片付けと掃除。
その間、アルは胸ポッケの中。
この部屋が謎だ。
なぜこんなに部屋が多いのか?
そして、なぜこんなにバラバラなのか?
多くの部屋が散らかっている。特にサイムの住居らしい部屋がひどい。
各部屋にある本の傾向はバラバラ。
壁紙やカーテンのデザインもバラバラ。
置いてある楽器もバラバラ。
多くの部屋は鍵がかかっているが、入ったことがある部屋だけで10部屋近くある。
そして、それぞれ別の人が住んでる雰囲気だ。
部屋数から見れば、30人以上の人が住んでいるはずだ。
一方、櫻井が見たことのある人は4人。
謎が深まる掃除が終わると、今度は洗濯。
乾燥までは全自動だが、たたまなくてはならない。
櫻井としては、男物の下着など触りたくない。
触りたくはないのだが、仕事だから仕方ない。
この洗濯物は櫻井本人分も含め4人分で、ジュリアの下着とかはナイ。
全自動洗濯機が回っている間、端末室へ行く。
時折、スクリプト作成依頼が来るのだ。
依頼人は、大抵知らない人からメールで来る。
そしてこの日の依頼は、かなりの難問だった。
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「あ」
櫻井が気付くと、とっくの昔に乾燥が終わっている時刻だった。
スクリプト作成を一時中断し、ごきごきと首を鳴らしながら洗濯室へ行く。
乾燥はすっかり終わっていたが、洗濯物が1カゴ増えてた。
しくしくしくしく。
泣きながらカゴの中身を洗濯機に放り込もうとした櫻井は、固まる。
カゴの一番上に、女性用胸部下着が置いてあったからだ。
専門用語で"ブラジャー"と呼ばれるモノである。
この研究所でこのテの物を着ける人は、櫻井の知る限り1人しかいない。
まじまじ。
思わず広げて凝視する櫻井。
38インチのC。
その文字が脳裏に刻み付けられる。
だが待てしばし。
その下着には、櫻井が見たことが無いほどブ厚いパッドが付いていた。
次の瞬間、櫻井は背後から頚動脈を極められた。
余程の手練だったのだろう。あっという間に櫻井は意識を失った。
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「はっ」
櫻井が気付くと、既に日は暮れ、そろそろ夕食時である。
確かにあったはずの女物の洗濯カゴは、煙のように消えうせている。
だが櫻井は覚えている。
38インチのC。
そして物凄く分厚いパッド。
男物の洗濯物をたたんだ後、櫻井はドアに付箋紙が貼り付けられていることに気が付いた。
付箋紙の文字が翻訳され、有機EL眼鏡に映し出される。
『この件はくれぐれもご内密に』