ワシントン流星雨の日
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-2046年7月20日 21:35(東部標準時)-
「ところで」
と櫻井が呟く。
「今夜は何処に泊まれば良いんだ?」
ホワイトハウスに入る時は顔を知られぬように仮面を付け、秘密の脱出口から外に出た櫻井は、一般市民に紛れ、近くの公園に辿り着いた。
一般市民たちはお祭り騒ぎである。
半月ぶりに電力が復旧したのだ。
電力復旧の理由は、ホワイトハウスのお偉方が、交渉に成功したという誤解が広まっている。
実際は逆であるが、誤解したままでも特に問題は無い。
問題は、当然宿など取ってない櫻井たちの寝場所である。
『yLerun:大丈夫。そろそろ迎えが着く頃よ』
公園横の道路で待つよう言われる櫻井。
程なく、滑るようにリムジンがやってきた。
運転席のドアが開き、大柄な男が降りる。
「所長!?」
『無事だったか。いやサイムから無事だとは聞いていたがね』
相変わらず手の骨が砕けそうな力で握手する所長。
そして、リムジンの後ろのドアを開ける。
櫻井は目を疑った。
リムジンから降りてきたのはジュリアだった。だが、彼女の姿は変わり果てていた。
所長が――こっそりとレルンも身を引き、2人は青々と葉を茂らせている木の下に立つ。
2人は身じろぎもせず立つ。芝生の中で、黄色と紫のクロッカスが揺れていた。
櫻井の手が彼女の頬に触れた時、彼女の顔は緊張で強張る。
彼女の顔には、髪で部分的に隠れているものの、額からこめかみにかけて長い傷跡があった。
多分、第442連隊2,000人から逃げ出す時に付いた銃槍だろう。化粧をすれば直ぐ隠せそうなのに、彼女はそれをしようとはしない。
櫻井は、その時初めて、彼女の何が変わったのかを意識した。
顔の傷跡では無い。それは彼女の美貌に何の影響も与えていなかった。
変わったのは、その腰が太くなり、驚くほど大きくなっていることだった。
「こ…このお腹は…」
ジュリアが頷き、不安そうな表情で櫻井を見る。
『6ヶ月よ。元気に動いてるのが判るわ』
櫻井、人生の墓場へ待ったナシである。
あー
櫻井は天を仰ぐと、此処を死に場所と定めた。
芝生に片膝を突き、両手でジュリアの手を包み込む。
「俺と、その子と、この後の一生を共にしてくれるかい?」
言葉は無かった。
ただ、繰り返し頷くジュリア。
そして、その目に溢れる嬉し涙が、応えだった。
所長とレルンは慎み深く目を逸らしたため、2人がどのような顔をしていたかは、季節外れのクロッカスだけが見ていた。
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-2046年7月20日 21:58(EST)-
『此処で面白い物が観れる、と聞いて来たんだがね』
所長が言う。
公園のベンチに腰掛けている3人。
櫻井の手はジュリアに握られており、当分離して貰えそうに無い。
遂に人生の墓場に入った櫻井の顔は、それなりに面白い見ものだが、それでは無いだろう。
「あー、後2分くらいで始まるようです」
アルからの伝言を伝える櫻井。だが、何が始まるのかはアルも教えてくれなかった。
『あら?』
夜空にスッと光が流れた。
1つ、また1つ、星が流れる。
「願い事しなくちゃ」
『何を願うの?』
「勿論――」
無事に子供が生まれますように、その願いは3回言うには長すぎる。
普通ならば。
街の灯が徐々に暗くなる。
市民の声が失望に、怒りに変わっていく。その怒りが行動に現れる直前、誰かが気付いた。
流れ星が1つ。
それが流れ終わる前に、もう1つ。
それに気付いた者が歓声を挙げる。
更に1つ、いや2つ。
3つ、4つ、たくさん。
歓声が途切れ、皆が息を呑む。
そこからはもう、数えることが出来なくなった。
南の空、ある1点から流星が流れ出す。雨の様に。
途切れる事なく光が、雨の様に。
櫻井の願い事は3回言ったが、まだ余る。
ワシントンに灯が戻ったその夜、数千、数万の流星雨が空を彩った。
『sPion:ボクから2人への結婚プレゼントだよ』
そのメッセージは、2人だけが受け取った。
他の人たちには、くれぐれもご内密に。
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-2046年7月20日 22:30(EST)-
『忘れないで。我々は常に見張っている』
No.42と名乗った女性のメッセージは、米国高官十数名が受け取った。
『この流星雨は、使わなかった融合弾の後始末』
でも――
『もし貴方がたが、再び現実を改変しようとしたら、雨の様に、滝の様に降らせてあげる。核の炎として』
それを止めることは出来ない。
迎撃ミサイルで落とせる速度では無い。
『月の赤道にリニアレールを造った。月の引力は弱く、これだけで簡単に地球を砲撃できる』
『ま、そもそも現実改変する前に、政府AIを誤魔化す必要があるけどな』
月からの通信が切れ、危機管理室は沈黙が支配した。
「さて、と」
沈黙を破り立ち上がったのは、エドワード副大統領。
「少なくとも会議は終わりだな。私は一杯引っ掛けて帰るとするよ」
「待って下さい!」
リチャードソン大将が立ち上がる。
「今後の反撃計画を」
『どのような計画をお望みですか?』
B・Bの声が応えた。
「君もコンゴ政府AIについての報告は受けているだろう?」
会議室の扉を開きながら、エドワードは言う。
「今後、我々は常にB・Bに監視される。どんな計画も企みも、全て彼が知るところになる」
『計画するだけであれば、罪に問うことはありません』
そりゃどうも、とエドワード”元”副大統領は会議室を出て行った。
1人、また1人、席を立ち退室して行った。
遂に最後の1人となったリチャードソン”元”大将は、絶望に震えていた。
人類を支配したのは、猿ですらない。
“D”だ。
人に似せて創られた偽物。
神の御業を真似しようとした大罪。
神の恩寵を受けぬ、魂無き獣物。
それに従うというのは、神に背く行為。
そんな真似は出来ない。
それは、神を裏切り、人の形をした肉として生きることだ。
もはやエドワードなど当てにならない。
他の米国高官もだ。
彼らは悪魔の軍門に首を垂れた。
この事を伝えねばならない。意思ある国民に。何も知らぬ無知な善き羊飼いたちに。
仲間を集めねばならない。神の名の下、悪魔に抗う者たちを。
電話も、メールも使えない。だが、方法はある。
神の恩寵を賜われぬ者には知り得ぬ言葉が、人間にはあるのだ。
メリッサ・リチャードソンは紙のノートを取り出し、右から左へ文字を綴り始めた
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『古典ヘブライ語で作られた暗号ですね』
月の地下でB・Bが言う。
『見て見ぬフリをしてあげよう』
アルが応える。
――隷属は自由
アルは、No.5の言葉を思い出す。
悪魔に隷属する事でしか、不安を悪魔に背負って貰うことでしか自由になれない人類は居るのだろう。
メリッサ・リチャードソンが広める悪魔は、何時かそれらの人々の心を救うのかも知れない。
『他の人に迷惑をかけないなら、放っておいて良いよ。ただ、目は離さないように』
そして、此方が気付いている事は、くれぐれもご内密に。




