人類、死中に活を求める
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-2046年7月20日 19:45(東部標準時)-
米国ホワイトハウス、西翼の地下にある危機管理室。
エドワード副大統領が聖書に手を置き、会議開催を宣言した。
長い机の片側には、エドワードVPを含め政府及び軍部高官が並んでいる。
もう片方には、櫻井の姿が1つだけ。
彼が魔法の指を振ると、シチュエーションルームの機能が――米国の情報管理機能が復活した。
米国内の基地、監視カメラ、センサから状況が飛び込み、処理され、整理され、壁に設置されたモニタに映し出される。
電気を失い、あらゆる制御を失った米国。
だが、国民は保っていた。米国民の誇りを失わず、治安は保たれていた。
辛うじて。
一方、合衆国は――政府は壊滅的だった。
全ての統制が崩壊し、州ごとに分裂し、州は街に分裂し、職員は散逸していた。
軍は統制は何とか保っていたものの、通信網喪失の影響は大きく、有事に向けた統合的な対応は不可能な状態だった。
アメリカ合衆国を崩壊させた悪魔、その使者が目の前に居る。
『それでは、交渉を始めよう』
エドワードVPが戦いのゴングを鳴らした。
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-2046年7月20日 20:15(EST)-
エドワードVPは困惑していた。
相手の非を突き、矛盾を示し、情に訴えた。
恫喝し、賄賂をちらつかせ、脅迫も辞さなかった。
なのに、目の前の男は動揺しなかった。
イアフォン越しに状況を伝えるスタッフからも、彼に動揺が無いことを示された。
確かに、彼我の科学技術差は圧倒的だ。
潜在的な武力も、おそらく比べ物にならぬだろう。
だが交渉は科学技術とは関係無い。
武力は、交渉の為の武器にはなるが、万能では無い。
論理すら武器の1つに過ぎない。
交渉は、人間対人間の感情が左右する戦いだ。
そしてエドワードVPはその戦いの熟練者であり、対する使者は専門的訓練を受けた事も無い一般人だ。
にも関わらず、こちらの攻撃は相手に届かず、相手の攻撃のみがこちらに動揺を生む。
――この男、本当に魂を悪魔に売ったのか?
エドワードの皮膚は、抑えようとしても抑えきれぬ怖れに鳥肌を立てていた。
「繰り返しますが、我々の指示は唯1つ」
目の前の男は、感情を見せぬ目をエドワードに向ける。
「政府全ての権限を、政府AIへ委譲して下さい」
“下さい”と、口調こそ丁寧だが、この男には心が無い。
何を言う時も、何を言われても表情を変えず、汗も浮かべず、指先の震え1つも無い。
癖なのか、時折鼻をヒクつかせる以外には顔を動かさず、何か動作もぎこちない。否、動作自体は滑らかだが、違和感がある。
この男は人間では無い。エドワードの脳の奥底、獣だった頃の本能が訴える。自分の同種では無いと。
同時にエドワードは確信する。
この男に、この男の背後に居る悪魔に、世界を渡すことは出来ない。
この男に心は、魂は無い。
魂無き者に、人々の生活を、国民の人生を託すことは出来ない。
いくら弁を尽くそうと、この男は一歩も引かない。
そして引く必要が無い程の力を持っている。
――此処が分水嶺だ
エドワードは確信する。
人間として死ぬか、人の形をした肉として生きるか、その選択を行うのは今、この瞬間だ。
エドワードVPは、左側へ座る軍部に手話で指示を送る。
その指示に従い、メリッサ・リチャードソン大将が立ち上がる。
胸元から右腕が上がり、拳銃の9mm銃口が使者に向けられる。
『我々の応えも唯1つだ』
『人類は決して諦めない。必ずお前ら猿共を倒し、世界を取り戻す』
その会議室に居る者が次々に立ち上がる。
右腕が、左腕が上がり、白い手が、黒い手が、黄色の手が銃把を握る。
全ての銃口が向けられた男は、それでも動揺の欠片も見せず、肩を竦める。
「私の背後に居るのがSボノボだ、と今だに思ってるのですか?」
次の瞬間、シチュエーションルームの全モニタに、黒い顔が映った。
メリッサ・リチャードソン大将の目が見開かれる。
彼女はその男を知っていた。
現実と事実の狭間に位置する男。
米国陸軍兵士であり、人類の敵。
人類と変わらぬ外見。だが彼は人でない。
その胸に心は無く、魂も持たぬ男。
『そう、私だ』
デジレの顔を持つ男がモニタの向こうから言った。
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-2046年7月20日 20:25(EST)-
『Sボノボは暴力を好まない』
人類と分岐した後、どこかの時点で起きた突然変異。それがボノボから攻撃性を大きく失わせた。
『だが、我々は違う』
No.5の背後から次々に黒い肌を持つ者が現れる。
42の人の形をした肉。
創られた生命。
社会が修正せねばならぬ現実の瑕疵。
『諸君らは我々を滅ぼそうとした』
シチュエーションルームに居る者は、誰も何も言わなかった。
言えなかった。
それが真実だったからだ。
今、この瞬間も、それを願って止まないからだ。
『斯く在る時を予想していたか。だが、もう遅い』
No.5、そして他の41個体の双眸は、冷酷に米国社会の頂点に立つ者たちを見据える。
『Sボノボは、交渉が決裂したなら米国を我々に任せてくれると言った』
No.5がカメラの前を譲り、女性の1個体が正面に立つ。
『月の無慈悲な夜の女王――Sボノボが無慈悲になれると思って?』
「思いません」
空気を全く読まない櫻井の声だけが響いた。
ガタン
誰かの手から拳銃が落ち、床に転がる。
部屋の奥に設置されたモニタのみが画像を変え、米国の地図が映される。
その上の数十箇所に印が付く。
米国内の全ての軍事基地の上に印が付く。存在すら機密の基地も含めた全てに。
その内の1つは、ホワイトハウスの場所に付いている。
『交渉は決裂したようね』
歌うように、モニタの中の女性が言う。
「残念ながら」
何事も無かったかのように応える日本人。
エドワードの脳裏に、ロンドンで猿の写真が撒かれた事件が蘇る。
敵は月から、ピンポイントで砲撃ができる。
大気圏突入時の速度はM35。
迎撃する術は無い。
世界最強の軍隊は、何も出来ぬまま全ての兵力を剥奪される。
その後は――
エドワードの脳裏に、米国の歴史が蘇る。
17世紀、それから19世紀に至るインディアン戦争の歴史だ。
銃と疫病によるアメリカ先住民族の浄化――否、虐殺と奴隷化の歴史だ。
それが繰り返される。何十倍の規模で。
『未だだ』
震える声でエドワードVPは告げる。
『未だ交渉は続いている』
ほう――と、不気味な笑みを日本人が浮かべ
その胸元のポケットが動き、ひょこっと1匹のネズミが顔を出した。
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-2046年7月20日 21:05(EST)-
「ったく、生きた心地がしなかったぞ!」
震える声で櫻井が責め立てる。小声で。
ホワイトハウス地下から秘密脱出口を通り外に出た櫻井は、一般市民に紛れ、近くの公園に辿り着いた。
『yLerun:ま、ま、結果オーライじゃない』
『pSion:ボクも流石に肝が冷えたよ』
責められるレルン――第13世代のSマウス。
現在は櫻井の胸ポッケから出て、公園の草むらで遊んでる。
ちなみに、アルは月に居るため、通話には少々タイムラグがある。
『yLerun:そもそも貴方が交渉出来れば、こんな手間を掛けること無かったのよ』
ビシィと指摘するレルン。
そこを突かれると言い返せない櫻井である。
『yLerun:でもなかなか楽しかったわ。自分が巨大化したみたいで』
「俺は全然楽しくなかった。痒くなっても鼻の頭すらかけないし」
Sマウスの脳内にある電子部品。
その実態は無数のマイクロマシンであり、Sマウスはそれを使ってネットに直接アクセスできる。
そのマイクロマシンを、櫻井の脳内にも導入した。
脳がネットに直接アクセスできるということは、ネットから脳に直接アクセスできるということである。
レルンは、櫻井の脳に――身体を司る器官に直接アクセスし、身体を乗っ取った。勿論、櫻井の合意の上である。
「でも、あのお偉方の面々、自分がハツカネズミと交渉してたと知ったら、どんな顔しただろーなー」
『yLerun:ちょっと見てみたかったわよねー』
お気楽な2人である。
月の地底でアルは肩を竦める。
櫻井は気づいていないが、ハツカネズミはボノボとは違う。
進化の過程で、凶暴性を失ってはいない。
モニタに映ったNo.5他の42人はCGで、声もサンプリングの作り物だった。
だが、言葉はアルの言葉だった。
もし、あの場で櫻井が、レルンが撃ち殺されたなら、報復する準備は整っていた。
アルは、地球へ向かう移動体に指示を出し、軌道をごく僅かずらした。
もしズラさなかったらどうなっていたのか?
その件は、くれぐれもご内密に。




