人類、再び飛躍を試みる
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-2046年5月6日 15:00(米国東部標準時)-
「打ち上げは何時になる」
テキサス州から選出された上院議員、トマス・フラナガンのお言葉である。
「…」
米国航空宇宙局長官、ジョージ・ロウのお返事である。
「さっさと打ち上げて、奴らを吹っ飛ばしたまえ!」
フラナガン上院議員のはじけやすい癇癪玉が破裂した。
サイムの放送は、全社会の施政者を激怒させた。
設計された人類の件は、くれぐれもご内密に。
それは言わないお約束。
皆が知ってる公然の秘密。それを言っちゃァお終ェよ。
なのに、思いっきり暴露。
しかも”D”は月に居る、と放言。
イングソック、ネオ=ボリシェヴィキズム、滅私の戦争は後回し。というかそれどころじゃナイ。
あらゆる手続きをすっ飛ばし、その一方で各国の根回しは滞りなく終わり、後は粛々と核ミサイルを月に打ち上げれば良い。そのような状態になっている。
宇宙の街を擁するテキサス州は、そのプロジェクトの中心である。
「月には70年も前に行っとるだろう!今回は戻って込んで良い。ずっと楽な筈だ!」
吠える上院議員。
「あの頃と違い――」
漸く、ロウ長官が重い口を開く。
「予算がありません」
アポロ計画には、莫大な予算が注ぎ込まれた。
当時の金額で約9兆円。
インフレ率を考慮すると、凄まじい金である。
「本年度の予算は考えてやる!」
そう吠えるフラナガン。
彼は「月着陸は捏造」というアポロ計画陰謀論者である。
その主張により、NASAの予算を切り詰め、削減し、縮小して来た。
「本年度だけでは駄目です」
ロウ長官の目の光は鈍い。
「少なくとも10年間は必要です」
上院議員の顎が落ちた。
この男、バカなんじゃないか?って落ち方である。
「月を攻撃するなら、我々より真理省に依頼したらどうです?」
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月にミサイルを飛ばすには、予算が必要だ。
それも莫大な。
では無制限の予算があれば、明日にでも月を攻撃できるか?
そんなわきゃーナイ。
月ロケットなど、amazonだって扱ってない。
組み立て工場は、中国にだって無い。
イチから造らねばならんのだ。
これが一朝一夕にはできない。
月ロケットは1日にして成らず。
年単位で期間が必要だ。
施政者が、そんな悠長に待てるワケは無かった。
「この前、米海軍が打ち上げようとしたミサイルの映像、観る?」
梓さんが櫻井に声をかける。
とりあえずICBMに増設ブースタくっつけてみました、みたいなシロモノである。
「それもう櫻井くんに観せてるよ」
と岬氏。
月爆撃用試作初号機、最高到達高度2m。
その後、爆発したので一部の部品は数kmまで到達したかも知れない。
試作機のため、核を積んで無かった事は幸いである。
「笑ったわよねー。も、ヴァンガードTV3かと思っちゃったわよ」
スプートニク・ショックで慌てた米国が、打ち上げようとして発射台の上で爆発させたヤツだ。
そのスプートニクを打ち上げたロシアだが、こちらは建造中にヘシ折れ、点火にも至らなかった。
櫻井は首を捻る。
「でも俺が生まれるずっと前に、米国は月着陸してましたよね?」
うむ、と頷く岬氏。
「だがその当時の技術は既に失われた」
科学技術は、進化し続けているのだ。
海で生きていた生物から進化した人類は、進化の過程で鰓を棄て、海中では生きられなくなった。
同様に米国は、かつて月へ行った宇宙船を造った技術を捨て、製造が出来なくなった。
設計図は残っているが、部品が無い。組み立て工場も無い。
そして部品や工場を作れば良い、というワケでもない。
サターンVの設計は、1960年代当時の材料、精度に適合している。
剛性は、高ければ良いわけでは無い。
精度も高過ぎれば遊びが無くなり、歪みが生じる。
それらの材料、精度と設計のバランスは、長い期間をかけ、試行錯誤の末に取ったものだ。
そして2046年現在、あのような巨大なロケットを造る技術、人員、ノウハウは失われた。
技術進化の過程で、需要が無く、捨て去ったのだ。
サターンVを造るには、2046年では無く1960年代の技術が、人員が、資材が必要だ。
2046年現在、月ロケットを造る為には、宇宙開発初期1960年頃の状態からやり直す必要がある。
「でも米国はヤる気よ。モンの凄い予算付けてるもの」
その額を聞いた櫻井が目を剥く。
「無理だね」
一方、岬氏はケンもホロロである。
「今の米国には、ロケットどころか自動車すら開発できるとは思えないよ」
バッサリ斬って捨てる岬氏である。
「米国だけじゃ無い。今の地球で新たな機械を製造できる国は無いかも知れない」
「どゆこと?」
梓さんが興味を惹かれる。
「工作機械が無いんだよ」
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現代の複雑な機械は、誰が作っているか?
工作機械が作っている。
ヒトではもう作ることが出来ない精度が必要なのだ。
では、新たな機械を作る時はどうするか?
“新たな機械”を作る為の工作機械を作るのだ。
工作機械で。
さてここで、最新の工作機械はコンゴ製のチップが使われており、使用禁止という現実がある。
一方、古い工作機械は既に廃棄されているという事実もある。
この状態で新たな工作機械を作ろうとすれば、余りに手間がかかる。
どのくらいかかるか?
その話は数千年前に遡る。
その頃は、手と金槌で鉄を打ち簡単な工具を作っていた。
その工具で、も少し複雑な工具を作った。
様々な工具と、ある程度の精度の部品が作れた後、簡単な工作機械を作った。
簡単な工作機械で、ちょっと複雑な工作機械を作った。
ちょっと複雑な工作機械で、更に複雑な工作機械を作った。
このようにして人類は、複雑かつ精密な工作機械を作って来た。
それらを失えば、鉄器文明からやり直さなくてはならない。
「まぁその前にコンゴ製の工作機械を使うだろうがね」
と岬氏は話を締めくくる。
長話に、櫻井は舟を漕いでいる。
梓さんは流石に付き合いが長いだけあって、途中から聞き流している。
可哀想な岬氏である。
「そういえば、物理学者も技術者もとうの昔にリストラした後よ。今更予算付けてどーしよーってのかしらね?」
予算は様々な部分で中間搾取され、美味しく使われる。
「それに――」
岬氏が微笑む。
「2+2=5ではロケットは飛ばせない」
無知は力。
数学を新数学に変え、社会は内部に対し力を手に入れた。
だが社会の外部は――世界は数学で動いている。そこでは泣こうが喚こうが2+2は4だ。
通達も法律も賄賂も恫喝も脅迫すら効かない。
社会は万能とも言える力を持っている。
例えばフラナガン上院議員は、空を自由に飛ぼうと思えば飛べる。飛んでいるフラナガンを見た、という証言者を作れば良い。証拠写真も合成すれば良い。フラナガン自身も、二重思考で空を自由に飛んだと信じれば良い。
それで、フラナガンが空を飛んだことは”現実”となる。
社会に不可能は無い。神の如く万能であり無謬だ。
ただしこの力、社会の内側に限定される。
月のSボノボは、社会の外側に居る。社会の力は届かない。
社会の外側に居る者に対し、”現実”は何の力も持たない。
有効なのは事実だけだ。
今の社会に、月への偉大な跳躍は出来ない。
月に攻撃の手が届くことは無い。
ただ、社会に必要な事は攻撃だけでは無い。
防御が必要だ。
「世界中で月からの電波を妨害にかかっているわ」
梓さんが櫻井に説明する。
人工衛星を含む宇宙からの通信を受け取れないよう端末をアップデートし、特に映像は有線でのみ受け取れるようにした。
「でも実はこの映像、海底からの有線放送なのよ」
各大陸間を結ぶ海底ケーブル。
その一部が、デゼルタス諸島の近くを通っている。
デゼルタス諸島の”現実”を守るため、櫻井がいる建物にも有線ケーブルが繋がっている。
月からの放送、と皆が信じているサイムのショウは、実はこの建物から放送されている。
海底ケーブルを通じて。
「まぁ通信を全て止めれば、サイムのショウも止まるがね」
岬氏がメルを撫でながら口を挟む。
「そうすると、社会が人間を制御できなくなる」
中国の一地方で、試験的に通信を止めてみたらしい。
1週間後、暴動が起きてエライことになった。
「ところで」
「なに?」
櫻井が2人に聞く。
「サイムが言ってた”D”の遺伝子を持つ者って?」
ジュリアもNo.5も月には行ってない。
「ジュリアを守るための嘘よ」
さいですか。
ちょっとホッとした櫻井である。
ジュリアは無事と聞いているが、何処にいるかは教えて貰えない。
所長やサイム、アサラトたちにも連絡できない。
無線封鎖され、ネットを流れる情報も常時監視されている中、注目を集める危険は犯せない。
安全なのは良いが、暇を抱えた櫻井であった。




